10月、川口美術さんでの田中茂雄さんの個展に伺ってお話していたら、「7代先につなげたい、先人の心」や『チルチンびと』本誌にも寄稿くださっている近藤夏織子さんとご友人であるということが判明して驚いた。世間は狭い。いつかお会いしたかったので連絡してみると、この夏に加古川で観て感動した「スケッチ・オブ・ミャーク」上映会&大西功一監督のトークイベントを企画中とのこと。
そんなわけで、行ってきました奈良県宇陀市、深まりゆく秋の風景が美しい室生の里。迎えてくれた近藤さんは、パワフルで活動的でスピード感あふれる人・・・ではなく、癒しと野生、思慮深さと奔放さ、小柄な体におおらかでゆるーっとした雰囲気を併せ持つ、天然(いい意味で)な人だった。
今回の上映会場はfufufuという民家カフェ。広い畳の部屋に炬燵やソファやクッションが置いてあって、正面の緞帳の中にスクリーンがある。家の中に宴会場があるみたいで和む。すでに炬燵で温まっていた大西監督はとてもお洒落でパッと見、シティ派? にもみえるのだけれど、こうやって全国を車に機材積んでもう50か所以上もキャラバン中、なんと残り50か所ぐらい周る予定なのだそう(11月20日時点)。滋味深いお野菜たっぷりのおにぎりプレートと御味噌汁を炬燵でぬくぬくといただいていたら、だんだん人が集まってきた。音楽をしている人、お店をしている人、室生が好きになって移り住んできた人、その子どもたち、など年代もいろいろ。かなりアットホームなムードの中、映画が始まった。
「ミャーク」とは宮古島のこと。重い人頭税によって数百年も苦しめられてきた宮古の人々の唄は、そんな重さを払いのけるような、力強く元気で、懐が深く大きな音楽だ。はじめて聴くのに懐かしく、強く惹きつけられる。「なくなってしまうんじゃ、もうしょうがないね」とは片付けられない、残すべきものだと本能が嗅ぎ取ってしまうようなリズム。そしておばあや神司に選ばれた女性たちはみな笑顔がとてつもなく可愛くて、カメラが回っているとは思えないほど自然体。気さくに画面の向こうから話しかけてくる。ひとたび歌い出せば気高く、神秘的な雰囲気を身に纏う。人間の本来持っているピュアで大らかな美しさが、全身から溢れていて感動的だった。
神歌や古謡は口承なので、継承者がいなくなればなにも残らない。島の人間でもない自分が何かできると思うのはおこがましいけれど、この先、このままいけばどういう未来が待っているのかを考えると、映像作家としてこの現実を知りながら撮らずにはいられないし、現状こうなってしまったものはどうしようもないとしても、失われゆくものを取り戻そうとすることはできるのではないかと思った。と大西監督は語る。大和高原で古老の話の聞き取りをされている近藤さんとの共通点を感じた。
この映画は、謙虚でありつつも自分が撮らなきゃ誰が撮る! という映像作家としての気概と誇りを持った、そういう人が一人で4か月もの間、島の人たちの中に溶け込んで撮り続けることができた奇跡的な、とても貴重な記録だ。数年前、絶滅の危機に瀕している宮古の音楽を再発見した音楽家・久保田麻琴さんの存在も、その久保田氏と大西監督が古い知り合いだったことも、すべて運命的なものに感じてしまう。ぜひ観て欲しいです。言葉で伝えきれないのでこちらをどうぞ。
子育てに地域活動に取材にと飛び回っている近藤さん、全国キャラバン中の大西監督、それぞれがお忙しさのまっただ中にもかかわらず、ゆっくりと静かな時間を共にしてお話できたことは本当に幸運でした。ありがとうございました。