2015年3月 の記事一覧

ミツバチの日のお話会

 

3月8日(ミツバチの日)にAu Bon Miel さんで開催された、京都大学名誉教授で生態学研究者の清水勇先生によるミツバチのダンス言語についてのお話会に行ってきました。

 

「こんな用途に使いたい」という具体的なのから「なんとなく美味しいの」という漠然としたリクエストまで、ご店主の大久保さんは、いつも気分や季節や体調にぴたりとあった、とても美味しい蜂蜜をすすめてくださるので信頼度大。養蜂家でもあり、ミツバチにも大変詳しくて、いろいろと興味深い情報を教えてもらえる。初めてお店にうかがった日に「ミツバチを飼ってみませんか?」と言われたときはびっくりしたけれど、お店でアマチュア養蜂家の方々にも出会い、そんな方が増えつつあることも知り、飼うには至っていない私もだいぶミツバチとの距離が以前よりも近く感じられるようになった。そんな大久保さんも、最初からミツバチに詳しかったわけではなく、京都大学で働いていた時に清水先生に出会って、ミツバチの生態を愛情こめて情熱的に語られるのを聞いているうちに、どんどん知りたくなっていったのだそう。ミツバチのことを知りたいと思う気持ちはなぜか伝染するらしい。

 

ハチとヒトの関係はかなり古く、なんと紀元前6千年ごろのスペインの洞窟壁画に人間がミツバチの巣を取っているらしい図が残っている。紀元前1450年ごろには、ミツバチの巣を飼育、彩蜜している壁画がエジプトの王墓で見つかっている。清水先生の著書『日本養蜂史探訪』には、明治の初めにウィーン万国博覧会のために編纂された『教草』第24「蜂蜜一覧」にある江戸期の養蜂技術が紹介されている。このころから日本でも、今と同じく人々が蜂を研究し、知恵を駆使して貴重な蜂蜜を集めてきたことがわかる。そして、いまやアメリカでは農作物の送粉者の80%がミツバチであり、一年間の経済価値1600億ドルと言われるのだとか。

ミツバチは社会性昆虫と言われていて、郡単位で動く。この群がひとつの生命体になっていて、この中の一匹の女王蜂に産卵能力が集中する。女王蜂が産む卵は一日1000~2000個。群を維持するため雄雌の産み分けができるのだ。女王蜂以外の雌蜂はすべて産卵の機能を失って働き蜂になり、巣づくりや掃除や子育て、花粉と蜜集め、新しい蜜源探しや、女王交代期の新しい巣探し(分蜂)にと忙しく働いて、約1か月の一生を終える。ちなみに雄蜂は交尾のためだけに存在し、受精が終わると死んでしまうそうです・・・。この、新しい蜜源や巣となる場所をみつけた偵察役が、仲間たちにそのありかを知らせるために行うのが「ミツバチのダンス」。

動画を見ていると、巣の表面で数匹のミツバチが八の字にくるくると回転し、八の字が交差するところでお尻をフリフリッと動かすのがわかる。オーストリアの動物行動学者、カール・リッター・フォン・フリッシュという人が、このミツバチのダンスを観察し何度も何度も繰り返し蜜源との距離を測る実験を行って、どうやらこのダンスを行う角度が太陽の位置と関係し、また15秒間にどれだけ回転するかで、蜜源や巣の方向と距離を仲間に知らせているのではないか、ということを発見した。1973年にはノーベル生理学・医学賞も受賞している。さまざまな未解決の謎を残しつつ、この法則は現在でも通用している。「このダンスを、長いときはずーっと3時間もやっているのがいますけれど、よっぽど疲れるでしょうけど、まあ人間だって中には変わり者もいますからね」と先生のお茶目な見解も挟みながら、複雑なミツバチのダンスについてわかりやすく解説してくださった。

 

質問コーナーでは「分蜂するときの兆候はありますか?」という、さすが養蜂家さんならではの問いが出たり、それに対し、まさにそのことを研究中の学生さんから「音によって感知できるのではと言われています」と現在進行形の研究課題に話が及び一同「おおおー」と感動。その後もあちこちで蜂談義が止まりません。お話しながら、たっぷり蜜のつまった巣蜜をいただきました。濃厚なのにしつこくなくて、自然の豊かさを味わえる。唸ってしまう美味しさ!

こうやってバクバク食べていると、あれだけミツバチたちが苦労して作った巣、集めた蜜を横取りしているようで悪いけれど、やっぱり美味しい。栄養抜群、ときには薬にもなる蜂蜜。今後もずっとお世話になると思います。そうでなくても受粉を担うミツバチから受ける恩恵ははかりしれない。ミツバチたちが安心して蜜を集められる環境をつくれるのは人間しかいないということを、心に留めていたいと思う。

 


金子國義さん

婦人公論

その昔。この表紙の連載が始まるころ。金子さんは、四ッ谷のアパートに住んでいた。訪ねる前に「ぼくの部屋のドアは赤いから、すぐわかりますよ」と言われた。どうして、あの部屋だけ、赤く塗ることができたのだろう。扉を開けると、真っ暗な部屋のなかから、金子さんは出てきた。

表紙の絵を、締め切りの日に受け取りにいくと、たいてい「徹夜で描きました」と言いながら、奥の暗い部屋のなかから、絵をもってあらわれた。絵は、まだ乾いていない。部屋中、絵の具のにおいがした。それを、印刷所に渡し、校正刷りが出ると、また訪ねた。色の調子がわるいと、あっという間に、眉のあたりが、曇った。怒るというより、悲しそうな口調で「ぼくのブルーには、黄色が入っているんです」とか「この赤は、血の色で」と、注文をした。

独特の絵は、表紙として、極端に二通りの反応に分かれた。顔が、コワイと言うひとがいた。雑誌は買ったけれど、カバーをかけて読んでいる、という。一方、個性的で好き、この雑誌にぴったりだ、という声も多かった。当時、雑誌はぐんぐん売れ、部数を伸ばした。そのことと、あの表紙と無関係であったとは思えない。

亡くなった知らせを聞いたあと、神保町にある、金子さんの店「ひぐらし」に行ってみた。雨のなか、降りているシャッターの前に、花束がみっつ供えてあった。

 


岡崎京子展へ

岡崎京子展

岡崎京子展「戦場のガールズ・ライフ」(世田谷文学館、3月31日まで)に行く。平日の午前中なのに、かなりの人。根強い人気がうかがわれる。たくさんの作品。ところどころに、独特のセリフ。出口に、「ありがとう、みんな。」というメッセージ。

帰り、いつものように、そばやへ寄り、喫茶店に入り、会場で買った、盛りだくさんの本『岡崎京子  戦場のガールズ・ライフ』(平凡社刊)を、うしろから読んでいく。そこに、「もし岡崎京子が事故に遭っていなかったら」という、弟さん(岡崎忠)の文章が、ある。〈岡崎京子の作品には携帯電話もインターネットも出てきません。〉と書き、コミュニケーションの仕方が変化したこの時代に、もし、現役で仕事をしていたら、どのような作品、どのような風を、もたらしていたかと、つづけている。事故からの、19 年という歳月を思う。戦場、というコトバの感覚もずいぶん変わった。

 


初スキー

今まで、スノボに何度か行ったのですが

どうにもこうにも…上達の兆しがなく

怖いし、痛いし、つらい…

もう、絶対雪山なんて嫌だ!!と 思っておりました…

…が…

旦那さんは、そんな私を見て

「スノボだからきっと苦手なんだよ~!

今年はさぁ、スキーやってみない?

無理だったらまた考えればいいし

やってみなきゃわからないじゃん!」と

すごいポジティブさで私をぐいぐいと引っ張り

福島のスキー場へ2泊3日行ってきました

 

当日は天気も良く気温も高く 良い天気でした♪

スキー場

スキー場

スキースクールに入り数時間

写真を見ると、初心者感丸出しですが

私…笑ってますね(笑)

初スキー

初スキー

実は、とても楽しかったです(笑)

全然速度は出ていないのですが

シューっと走れている感覚(自己満足☆)

スノボの時は怖くて転びまくったリフトも

スキーだと一度も失敗なく大丈夫でした♪

 

一緒に初心者スクールを受けていた方と

リフトに乗っている間、話をしていたところ

「この年になって初めてスキーをするとは…

でも、東日本大震災で、友達をたくさん亡くし

いつ死んでしまうか本当にわからないと思って…

《人生やれることはやっておこう》

《レッスンを受けて少しでも上達して

家族一緒にスキーを楽しみたい!》と思ったの」

と話してくれました

 

そうですよね…

こうやって毎日過ごしていること

毎日が来ることは本当に奇跡

 

ちゃんと日々過ごせることに感謝しながら

私もやれることは たくさん挑戦して

悔いのない毎日を過ごそうと

改めて思ったamedioでした!


「変奇館、その後」公開中

変奇館、その後

あの雑木林の庭のことは、とても一度では書ききれません…… ということで、「変奇館、その後 ―  山口瞳の文化遺産」(山口正介)は、前回につづき、庭の話になる。ところで、そうしてできあがった雑木林を眺めて、山口瞳さんは、なにを思っていたのだろう。こういうエッセイが、ある。
……
何もしないでいる人生がある。また、国事に奔走して、紅葉の花(実はそれが花であるかどうかハッキリとは知らない)やヤマボウシの花の美しさに気がつかないでいる人生がある。そんなことをボンヤリと思っていた。
(『旦那の意見』これだけの庭 ― から)
……
これを読んで、国事に奔走する人の哀れな顔が、何人も頭に浮かんだ。

変奇館、その後」は、コチラからごらんいただけます。

 


想い出の安西水丸さん

安西水丸 a day in the life

3月15日のNHKテレビ『日曜美術館』は、安西水丸さんの特集だった。亡くなって、一年たつ。街を自転車で走る姿から、番組は始まった。ユーミン、嵐山光三郎、南伸坊 …… といった方たちの話が、流れた。
「初めて会ったとき、物静かで、ニヒルで、ダンディだった」
「日常のなにげないものを、ポンと取りだす名人」
「おもしろがることが、得意な人」
「小さな太陽が家のなかにやってきたような作品」
「北青山のマチス」
「全身イラストレーター」
「彼の描いた焼き海苔の絵を見て、よくやったなと思いましたね」
「手品みたいに、いなくなったね。サーっと …… もったいない」
どの声も、あたたかく、やさしかった。見ているうちに、胸のあたりが湿ってくるような気がした。そして、『チルチンびと』の連載の最後の回を、また、読んでみようと思った。

 


「チルチンびと住宅建築賞」授賞式

「チルチンびと住宅建築賞」授賞式

3月12日。風土社で、第3回 2014年度「チルチンびと住宅建築賞」の授賞式が行われた。

まず、審査委員長・泉幸甫氏の挨拶から。……「設計の上手な工務店、そうでない工務店とありますが、全体的には上がってきていて、うまいところは、本当にうまいです。でも、なぜ、工務店の設計が、なかなか上達しないかと考えると、やっぱり個人の名前を出さないから、工務店の中に埋没しているんです。ぼくは、工務店に勤める設計者に光を当てたいと思うんですね。野球だってそうでしょう。新聞に誰がホームランを打ったとか、書いてあるからおもしろいので、巨人と阪神どっち勝った、というだけでは、おもしろくない。個人の名前が出てくると、そこに花が開くんですよ。建築だって、そういうことがあるから、個人の名前を大いに表に出してあげたい。工務店は、それを大事にする。そういう仕組みをぜひつくってもらいたいなと、ぼくは思っているのです……」

優秀賞 渡部要介さん(左)と審査員・藤井章さん

優秀賞 渡部要介さん(左)と審査員・藤井章さん

優秀賞 西浦敬雅さん(左)と審査員・大野正博さん

優秀賞 西浦敬雅さん(左)と審査員・大野正博さん


今回は、優秀作が、家工房/渡辺要介氏と建築工房en/西浦敬雅氏 の2作だった。なお、受賞作品、審査員の講評は、発売中の『チルチンびと』83号に掲載されています。ぜひ、ご覧ください。

 


続・春はキッチンから

続・春はキッチンから


『チルチンびと』83号の特集テーマは「キッチン」。それにちなんで、ビブリオ・バトルをと、集まった6人6冊。

………

Nさん。『味覚旬月』(辰巳芳子著・ちくま文庫)。食の歳事記といえるような愉しい本ですが、なかに「座り台所の知恵  ー   続あえもの」という章がありまして。〈春はもうそこまで来ている。これを読み、忘れていた味に、擂鉢、擂りこぎにとりついて下さる方があれば、うれしい。ただ、あえものは、昔の座り台所が生み出した料理、あい間あい間で座ると疲れない。〉私は、この本で、初めて座り台所という言葉を知ったんですよ。

Eさん。私にとっての台所といえば、おいしいもの好きの、向田邦子さん。『向田邦子  暮しの愉しみ』(向田邦子・和子著・新潮社)。「春は勝手口から」という章で、妹の和子さんは書いています。〈春キャベツの一夜漬け、揉んだ大根とかぶをレモン汁や柚で香りを立て、歯ごたえも楽しかった三分漬け……〉そして〈春はいつも勝手口からやって来る。向田の家の春は、包丁とすり鉢の音、そして土の香りとともに始まった。〉  ここにも、庶民の暮らしがありますよ。

M君。さすがに、この季節、みなさん、爛漫というカンジですね。それに水さすつもりなど、ありませんが、ぼくにとっては、この一冊。いや、この一句。といって『寺山修司全歌集』(寺山修司著・講談社学術文庫)。

冷蔵庫のなかのくらやみ一片の肉冷やしつつ読むトロツキー

これが、ぼくの台所です。

―  いつものような、いい春の宵だった。

………

『チルチンびと』83号  、特集「キッチンで変わる暮らし」は、3月11日発売です。お楽しみに。

 


春はキッチンから

『チルチンびと』83号

『チルチンびと』83号の特集テーマは、「キッチン」。それにちなんで、ビブリオ・バトルを、ということで、集まった、6人6冊。

…………

Uさん。『キッチン』(吉本ばなな著・新潮文庫)。この小説は、〈私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。〉で始まる。そして最後は、〈夢のキッチン。〉 〈私はいくつもいくつもそれをもつだろう。心の中で、あるいは実際に。あるいは旅先で。ひとりで、大ぜいで、二人きりで、私の生きるすべての場所で、きっとたくさんもつだろう。〉で、終わります。その間に描かれる奇妙な同居、祖母の死、母親のような父親。初めて読んだのは、中学生でしたが、それまで読んだことのない新鮮な印象を、忘れません。

B君。『台所太平記』(谷崎潤一郎著・中公文庫)。千倉という家の台所に奉公する、女たちの騒々しいような人生模様が、楽しい。そのなかの〈いったいに鹿児島生まれの娘さんたちは、初に限らず、煮炊きをさせると、匙加減がまことに上手なのですが、これはあの地方の特色と云えるかも知れません。〉とこの地方のひとの舌の感覚がすぐれていることに、ふれたりすると、ああ、そうなんだと思う。なんかこう、全体に、風格を感じるのですね。

Yさんは、私は庶民派ですからと『私の浅草』(沢村貞子著・暮しの手帖社)。
〈浅草の路地の朝は、味噌汁のかおりで明けた。となり同士、庇と庇がかさなりあっているようなせまい横丁の、あけっ放しの台所から、おこうこをきざむ音、茶碗をならべる音、寝呆けてなかなか起きない子を叱る声……〉この音と匂いこそが、日本の台所ですよ。
(つづく)
………

『チルチンびと』83号、「特集・キッチンで変わる暮らし」は、3月11日発売。
お楽しみに。


能登の春場所

『金沢の不思議』(村松友視著・中央公論新社)

 

『金沢の不思議』(村松友視著・中央公論新社)に、人気力士遠藤について、ふれた箇所があった。遠藤は、相撲場でのアナウンスでもおなじみだが、能登穴水町の出身である。金沢から少しはなれた能登へ、村松友視氏、ふと出かける。そして、途中、穴水で目にしたものは、この土地独特のボラ漁に使われる、ボラ待ち櫓だった。この櫓については、以前、このブログでもご紹介したことがある。それを眺め、村松氏、遠藤に、こんなふうに想いをめぐらせる。

……

しかし、穴水湾にボラの大群が押し寄せ、網にボラの魚群が入ったとたん、ボラ待ち櫓の下にあたる漁の現場は、興奮と感喜と緊張感が合体する、神がかった躍動に突きうごかされる場に急変したにちがいない。日常が瞬時に非日常に変貌するそのような環境のDNAが、遠藤の体には刻みつづけられているはずなのだ。

……

大相撲春場所初日は、3月8日 (日)。北陸新幹線金沢開通は、3月14日 (土)。 遠藤には、どんな春がくるのだろう。