出張

屋久島 田畑を巡る旅 その3

3日目は4人で白谷雲水峡へ。サンダルでも登れるような階段が延々と組まれた順路を歩き、島へ来て初めての観光客気分になる。途方もない大きさの岩がごろごろ転がる渓谷、岩の上には様々な種類の木が宿り、樹齢三千年の弥生杉は太古の時を感じさせた。「もう木だったのか岩だったのだったのか、、わからなくなってるのでは」と敦子さんが言い、笑ってしまったが本当にそんなかんじだった。ここで三千年も動かずじっとして、変わっていく人間の姿もずっと見てきた屋久杉と話が出来るなら、何を聞いてみようかと妄想したりした。

午後、本武さんと待ち合わせて、白川茶園さんに連れて行っていただいた。見晴らしのいい山間で、有機栽培の茶畑を営む白川満秀さんは、ここの気候と風土に合わせ栽培から発酵まですべてにこだわったお茶づくりをされている。

いかにしてお茶の美味しさが生まれるか、どんどん言葉が飛び出して、お茶が大好きなのが全身から伝わってくる。いかにも九州男児な熱血漢の白川さんが、にこにこと言葉少なにお茶を淹れ続けてくださる、チャーミングな奥様のことを「この人の感覚は確かなんだ」とちょっと可愛い顔になっておっしゃる。絶妙な二人三脚で歩んでこられた仲睦まじいお二人。次々に淹れていただいたお茶は、冷たく氷出しでいただく白葉茶の甘みも、自家製の材料を使ったたんかん、シナモンなどフレーバーティーも、ほのかで優しい。どれもすっきりと身を清めてくれるような上品な味わいだった。

 

その後、日本一のウミガメ産卵地で有名な永田というところまで少しドライブして、これでほぼ島を一周したことになった。屋久島は海底火山によってできた大きな岩だそう。岩の上の薄い土の層に苔や微生物の状態が繁殖しできた島なのだった。蜜柑の木も土があまりない岩山で美味しく育ち、岩をつたってくる水もそのミネラルでやわらかく美味しくなる。あの大きな屋久杉を支えているのも岩だった。その循環に人間は本来そんなに必要なくて、割り込んでおすそわけをもらいながら生きているのだから、その循環を助けこそすれ壊してどうする。という話なのだ。昔は皆が、そのことをよーくわかってたんだろうな、と思う。

 

この日の宿は一棟貸しの「おわんどの家」。チェックインの前にふらりと寄った一湊の海水浴場で、海の中からぐんぐん近づいてくる人がいると思ったら、本武さんの友人のあやさんだった。陽に焼けて手足がグーンと長くてハスキーな声のかっこいいお姉さん。上から下まで島の人みたいだったが、東京から2年前に越してきたという。ピアニストのあやさんは、ライブなどでちょこちょこ京都にもいたそうで、敦子さんと共通の友人までいた。旅には奇遇な出会いがつきものだけど、これには驚いた。家も近いしということで、夜あやさんが息子さんを連れやってきてくれて、とても楽しい晩御飯になった。また別れがたくなり、翌朝出発前にさよならを言いに寄る。再会を約束した。

 

お昼まで少し時間があったので、地元の人々御用達の尾の間温泉で非常に熱い湯にちょっと浸かってさっぱりした。外の足湯でぼんやりしていたら凍らせたポンカンジュースを持って本武さんが迎えに来てくれた。沁みる。この嬉しい気配りよ。おいしい食べ物が育つわけだ。最後にお昼を食べながら最終インタビューを終了し、地元の酒屋さんでお土産用の焼酎を試飲してフワフワしていたら、あっというまに出発ぎりぎりの時間になってしまった。空港の職員さんに促され猛ダッシュ。急にアタフタモードになる私たちを、落ち着いた雰囲気で見守りながら握手してくれた本武さんだった。ちゃんとしたお別れの言葉も言えぬまま、ゲートに入った。去り際はあっけなかったけれど、持ち帰ったものは大きくて、この旅が何かのはじまりになるように思えた。

 

最後に、旅のきっかけをくださった井崎敦子さんと本武秀一さん、ご一緒してくださった秋山ミヤビさん、砂本有紀子さん、それから毎日気持ちのいい晴れっぷりで迎えてくれた屋久島の大自然も含め、出会えたすべての皆様、本当にありがとうございました。

 

コラム「おいしい人々~スコップアンドホーのご縁つれづれ vol2. 屋久島へ行ってきました」本日アップです!ぜひ、お読みください。

 

敦子さん、本武さんを撮る。

 


屋久島 田畑を巡る旅 その2

 

翌日も晴天。大きなバナナの木が見える食堂で美味しい朝ご飯をいただいた。サバのなまり節を薄く切って出汁をとったお味噌汁、飛魚の一夜干しとつけあげ、新鮮な野菜。ヒュッテフォーマサンヒロは滞在中ずっと泊まっていたいくらい居心地のいい宿だった。帰り際にこちらの奥様が京都出身だと知って、屋久島との距離が縮まった気がした。

この日は先日噴火のあった口永良部島から避難してきている皆さんと一緒に、田植えとカヤック体験をするイベントがあり、田植え指導に呼ばれていた本武さんにくっついて参加させてもらった。束でなく一本ずつ苗を植えていく方法で、うまくいくとこの一本から3膳分ぐらいのお米がとれると聞いて驚いた。草や虫や微生物の力を借りる自然農の田圃は、台風を察知すると自ら成長を遅らせたりして災害にも強く、長い目で見ると効率がいいのだそう。素足に泥の感触が気持ち良かった。「屋久島での避難生活はとても恵まれていて本当にありがたいけれど、一日も早く口永良部島へ帰りたい。帰ったら、故郷でこうやって、自然農の田圃を復活させていきたい」切実な願いを聞いて、胸が詰まる。

田植えのあとは川へ行ってカヤック体験。島育ちの子供たちは、運動神経がいいのかすいすいと上手に大きなカヤックをあやつる。私たちも便乗してすっかり夏休みの小学生気分で楽しんでしまった。ここで皆さんとさよなら。子どもたちはみんな暑い中元気でよくしゃべり、笑い、人懐こくて可愛かった。短時間お邪魔しただけだったけど、少し名残惜しくなる。

お昼は、ワルンカラン というアジアン料理のお店に行く。ショーケースに並ぶ色とりどりのおかず。牛小屋を改築して作ったシックな店内で、朝早くから一人で作っているという十数種類のアジアンおばんざいをいただいた。凄いなあ、と思っていたら、こちらのご店主も京都のご出身。姉妹都市みたいな繋がりっぷりだ。

お昼の後は、冷たい水が心地よい川で泳いだり、海に行って珊瑚ひろいをしたり。おやつに本武さんが冷凍タンカンを用意してくれた。染みわたる美味しさ!!強い陽射しで乾いた喉に、これ以上のデザートはなかった。

それから屋久島で最大級という「大川(おおこ)の滝」に行き、先日までの豪雨の影響で一段と激しいという滝の流れに、すっかり言葉を失ってしまった。

「明日の朝ご飯用にパン買ったらいいよ」と、すすめられて「樹の実」 さんへ行く。ちょうど私たちの朝ご飯分ぐらいを残し、あとは売り切れ状態だった。ここで焼いているピザも、とてもおいしいのだそうだ。テラスでアイスコーヒーや野草茶をいただく。庭にミカン畑があり、向こうに海。この島はどこにいってもこういう風景が広がっている。贅沢だなぁと思う。

この夜は共有キッチン付宿に泊まって自炊。本武さんの作ったジャガイモや獅子唐、生姜と、自然食品の店みみ商会さんで買った食材を使う。みみのご店主は27年間「医食同源」をモットーに、良質な食材を扱い続けている。小さいけど、調味料からなにから欲しいものがちゃんと手に入る品揃えだった。

冷房の全く効いてないキッチンで、もうもうと熱気に蒸されながらビール飲みながらごはんを作った。凄腕料理人ミヤビちゃんの技を間近で見られると思ったけれど、私がサブジひとつ作るのにジタバタしている間にすいすいと、玄米をいい具合に焚いたり、ひじきとごぼうのかき揚げやら、きゅうりと切り干し大根のナムルやら美味しいものをものすごい速さで次々に作りだしていて全然目が追い付かなかった。晩御飯を食べながら農の話、未来の話、その他いろいろ、話した。夜も更けて再び平内海中温泉へ。二日目にして全然感動が薄れない。月は昨日よりもう少し太ってきて明るく、昨日より少し近くに迫った波の音が強く聞こえた。

 

つづく

 

 

 

 


屋久島 田畑を巡る旅 その1

 

美味しい野菜や調味料が揃うと、たいがい心が落ち着く。素材が美味しいと手間も時間もかけずに美味しいものが出来上がるので、料理が気軽で楽しいものになる。ご近所の八百屋さん、スコップ・アンド・ホー さんはそれを叶えてくれる頼もしいお店で、それは店主の井崎敦子さんが作る雰囲気でもあり、この野菜はこんな人が作ってて、こんな味で美味しいよ、というのを本当に楽しそうに伝えてくれるので、よりいっそう食べることが楽しみになる。お店で出会う人も類友なのか面白く、野菜を買わない日でも笑いを求めて寄ってしまう。

そんな面白敦子さんが、ある日しみじみ「野菜を届けてくれたり、美味しいごはんを作ってくれたり、いろんな人たちに支えられてほんまに幸せやし嬉しいしありがたいことやなぁ。その人たちのことをもっと知ってほしいねんなぁ」と言うのを聞き、ぜひ書いてほしいとお願いしてはじまったのがコラム「おいしい人々 スコップアンドホーのご縁つれづれ」 だ。第1回は京北の若き料理人、秋山ミヤビさんのことを愛情あふれる目線で綴っていただいた。次にどうしても紹介したいのが屋久島で自然農をしている本武秀一さんで、ポンカンに衝撃を受け、タンカンと安納芋のあまりの美味しさに感動して、2年越しで会いたかった人だという。長らく京北の畑と香川の実家以外は移動していないというミヤビさんと、「たねだね在来種研究所」 の砂本有紀子さんという、畑や種に関わる人々も一緒に。ほぼ初対面に近い4人で屋久島への旅が始まった。

台風が通り過ぎるかどうかという中、無事に飛行機も飛び、伊丹から屋久島へは直行便で約1時間半とあっけない。空港に着くと晴れていて、いい旅になる予感がした。迎えに来てくれた本武さんは、陽の光をたっぷり浴びてぎゅっと引き締まって身軽そうで、ミヤビちゃん曰く、ご自身がつくるタンカンにもどことなく似た雰囲気。几帳面な字で丁寧にスケジュール表を作っていてくれて、有難いことにこれからの4日間お付き合いくださるという。まずは本武さんのご友人だっちゃんのお店「ジャングルキッチン近未来」に連れて行ってもらう。カレーをいただいた。美味しい!

お店はすべて手作りで、赤土と木の壁が呼吸しているような気持ちのいい空間で、内装も拾ったものなどで作ったとは思えないほど細かい手仕事がしてあってどこを見ても可愛い。お昼から賑わっていて、会う人会う人知り合いで、まだオープンしたばかりというのに、早くも地元の憩いの場になっていた。

 

屋久島は丸い形で、70年に一度という大雨や長梅雨で通行止めになっていたけれど、島を車でぐるりと一周すれば約3時間だそう。鬱蒼と濃い緑、険しく突き上げるような山、反対側をみれば海、ダイナミックな風景に圧倒されながら、この日の宿ヒュッテフォーマサンヒロ にチェックインした。

部屋にはデッキがあり、庭に大きなバナナの木があり、いかにも南の島の風情。部屋に備え付けのノートに「ごはんがとてもおいしかった」という記述がいくつもあるのを見つけて、早くも翌朝の朝食が楽しみな、食いしん坊4人組なのであった。

 

晴れている今日のうちに田畑を見学してしまおう、ということで高畑にある田圃をみせていただいた。向こうには大海原。振り返れば雄大な山。あぜ道に生えている里芋や生姜も大きく生命力に溢れ、「うわぁ~なんだこりゃ~こんなとこで畑できるんかぁ~」と秋山ミヤビサン、感嘆の唸り声を漏らす。

すこし離れたところにあるタンカンポンカン畑は、自由にうねうねと踊っているような枝が伸びた背の高い木が、山の斜面に思い思いに生えていて、巨大な里芋の葉が茂り、遠くには険しい山々がそびえて完璧なシルエット。すこし日が暮れてくるとなんともいえない情景になる。

無農薬の田圃と畑を12年の月日をかけてゆっくりと、しかし着実に創り上げている本武さんの言葉は、どんな素人をも納得させる、わかりやすいものだったけれど、なにせ畑をやっていないどころか部屋にある観葉植物ですら枯らしてしまう私は、ただこの絶景を眺めて「きれいだなあ・・・」と呆けるしかなかった。食べ物を作る人は自然と共存して賢く優しく力強く、食べるだけの私は本当に軟弱だと感じた。そんな私ですら、こんなところで農業をやってみたい、と夢を抱いてしまうような、土と水の力を感じさせる場所だった。


夜は安房港に面した地元の定食屋さんで、トビウオのから揚げやサバ節で出汁をとったうどん、焼酎など土地の物をいただいていい気分になり、そのまま平内海中温泉へ。ここがまたワイルドで、海から湧き出る温泉に朝晩の干潮前後の2時間のみ入れる混浴の温泉。「水着禁止」と書かれている。脱衣場もない。岩場で人目を遮りながら服を脱ぎ身体を隠すものをざっと纏って湯に入るのだが、星空の下、波の音を聞きながら温泉につかっていると、そんな裸だの混浴だのどうでもいいことに思えてくる。温かく、静かで、ふっくらした月の光が神秘的で、いつまでも去りがたい。夢じゃないかな?と何度か思った。帰りには海に向かって、空に向かって、ありがとうーという思いでいっぱいになる。

初日にして、明日帰っても悔いはないというぐらい濃密な一日が終わった。

つづく

 


九州へ行ってきました その4 福岡編

日田から博多へは、前回乗りそびれた「ゆふいんの森」で行きたかったのだが、この日は運行しておらず「ゆふ号」で向かった。JR九州のサイトでチケットを取ると1650円とおトクでした。

ここで充電をしてきたはずの携帯電話の電源が残り30%になっていることに気付く。しかも手帖に挟んでおいた行きたいお店のリストアップメモをどこかで無くすという痛恨ミスのダブルパンチ。帰りの新幹線まで4時間ぐらいしかなく、充電する暇もないので残りの電池とおぼろげな記憶を頼りに街をうろうろした。まずは、多方面からおすすめされたpapparayrayさんに伺ってみる。木に囲まれた落ち着きのある民家で、落ち着きのある雰囲気。わかりづらい場所にあるのが、また秘密めいていいのです。連休初日のお昼時ということもあってか満席。このあたり、閉まっていたりして寄れなかったけれど気になる店が他にもあり。今度はきちんと予約して、余裕もって来てぶらぶらしよう。

次に向かったのは151E。こちらは九州7県のお茶を集めたお店で、八女茶や知覧茶は知っていたけれど、他県のお茶はあまり知らなかったので面白い。飲み比べ、やってみたくなります。同ビルの2階には福岡宗像産の野菜メニューを中心としたORTO CAFEがある。この辺にはお店が多そう、と思い携帯をふと見ると完全に電池が切れていた・・・とにかく歩く。道の横にあった“Antiques VOILA!”と描かれた看板に呼ばれ空き地の奥の古いアパートに行ってみた。ヨーロッパの古いものでうめつくされた非日常な空間。面白い顔のパペットもいろいろある。奥に可愛い女の子がちょこんと座っていた。「あ、すみません。ちょうどご飯の時間で」とハンチングを被ったご店主が女の子の口にスプーンを運んでいるところ。食事光景までもが店の一部のようで自然だった。

チルチンびと広場の説明をすると、ご近所に面白い店主さんがいます、と地図を描いてくれた。「monoglim」という、こちらもやはりヨーロッパのアンティーク雑貨、玩具、古着やアクセサリーなど珍しいものがいろいろ置いてある。

リレーのようにご店主が「るごろ」をご紹介くださり、また丁寧な地図を描いてお店に電話までしてくれた。さくら荘という古いアパートを改築した店内に、日本の古き良きモノが並ぶ。るごろのご店主は、護国神社蚤の市や、フクオカクラフトマーケットなどものづくりの人々が集まる場を作っている方でもある。福岡に限らず、周辺の面白いことをやっているお店のことも教えてくれたりして、頑張っている小さなお店をそっと支える存在でもあるのだ。

つくづく古道具店主って面白い方ばかりだと思う。古いものを集めて、それがいつしかお店にまでなっていくというのは、ひとつひとつのものに対する思いやストーリーが人よりも強く在るということで、その感受性からすると当然かもしれないけれど。飄々としていながらじつは熱い人、面倒見のいい人が多い。みなさんのあたたかい道案内で本当に助けられました。途中で見つけた「福岡生活道具店」は福岡を中心に九州のいいものを集めたお店。

こちらでもご店主に地図を描いていただき、行きたかった「sirone」までたどり着くことができた。古いマンションの一室で、丁寧な服作りをされている。

このマンションには面白そうな本屋さんもあるそうなのだが、残念ながらこの日はお休み。そして気づけば時間が迫っており、博多にやっとかっと着いて新幹線に飛び乗ったのが出発1分前、ぎりぎりセーフ・・・携帯の電源が切れたおかげでいろいろ危うかったけれど、おかげで新たな発見もたくさんありました。アナログ万歳!と完全に自分のミスを棚に上げて、人々のご親切に頼り切った街歩きでした。

みなさま、お世話になりました。ありがとうございました! (終)

 

 

 


九州へ行ってきました その3 日田編

 

別府から日田へ向かう途中、大平山(扇山とよばれている)が見えた。4月に野焼きをするのだそうで、生えたばかりの爽やかな黄緑色が目にまぶしい。杉林の濃い深緑の部分とくっきり分かれていて、よけいに緑が瑞々しく見え、ずっと眺めてしまう。由布岳の雄大でなだらかな稜線を見ていると登ってみたくなる。今回その暇はなく、1時間ちょっとで日田に着いて、ヤブクグリ御用達の老舗レストラン「ダイヤル」でお昼となった。ハンバーグ、ナポリタンなど昭和ムードたっぷりメニューを頼む。わたしはまだ朝のパンと地獄蒸しがお腹に残っていたので、あずきアイスを選択した。アイスというより氷あずきミルクみたいなもの。これだけでおなか一杯になるボリュームだった。去年初めて来て、今回が二度目なのに「小さい頃ここでよくこれ食べたよねー」と言いたくなるような懐かしい雰囲気のダイヤルだった。

イベントのリハーサルや打ち合わせで三々五々に別れ、昨年の日田訪問で帰る寸前、手際よく日田焼きそば案内をしてくれたステーキハウス和くらの古田嘉寿美さんに連絡してみると「イベントまで時間があるから、近くのお寺で納骨堂の上棟式の餅まきにいかない?」というお誘いをくれた。お寺の上棟式を見る機会などめったにあるものじゃないので、古田さんの子どもたちと連れ立って出掛けた。日差しが強くてかなり暑い日だったけれど、上棟式のためかお餅のためか、近所の人たちがたくさん集まっていた。一人の大工さんが地面で旗を振って合図すると、塔のてっぺんにいる大工さんたちが木槌を振りかざし、大きな棟木に打ち込む。「コーン」「コーン」と心地よいのびやかな音があたりに鳴り響いた。

たっぷり1時間ほどをかけての儀式が終了し、お待ちかねの餅まきタイム。紅白の丸いお餅や赤い紐を通した5円50円が気前よく撒かれると、もうもうと土煙をあげ、暑さも忘れてみな走る!拾う!こどもたちもお餅をいくつ拾ったか競い合ったり、ぴょんぴょん跳ねて走り回って元気。昔ながらの地域行事という感じ。汗もかいたし涼を求めて三隈川へいく。ちょうどいいタイミングで、この日から鮎のやな場がオープンしていた。三隈川は相変わらず水が透明で美しく、空と川が近く、広々として気持ちよかった。鮎もまったく臭みがなく、とても美味しかった。

夜、ヤブクグリのホームグラウンド「寶屋」さんでの朗読&演奏会は、前日よりもさらに会場も人数も規模が大きくなり、メンバーの田中昇吾さんと町谷理恵さんが朗読で参加ということで地元盛り上がりムードの中スタート。日田での書き下ろし小説「日なたのふたり」は、幼馴染の男女3人のすこし切ない話。別府のときと同じく、その土地の空気を丁寧に掬い取る石田千さんの文章は、朗読によってさらに豊かに膨らみ、日田の川と空が広くて近い清々しい風景が浮かんだ。

続く柳家小春さんのライブでは、歌声に艶と粋と可愛さが増して、聴いている皆の口の端々に笑みがこぼれた。コツコツ節は梶原償子さんの練達ならではの無駄なく優雅な踊りで一層コツコツ節らしくなった。最後は市長さんを皮切りに、続々と独自のコツコツ節が披露され、賑やかな夜になった。

本当に終わってしまうのがさみしい朗読&演奏会で、明日もまたあればいいのに、と思った。余韻を引きずりたいので本とCDを買って帰った。記念に、という意味もあったけど、それを抜きによかった。帰りの電車でもずっと読んでいて、帰ってからも繰り返し読み、聴いている。イベントに行ってなかったら買い逃していたかもしれないから、本当にこんなのも一つの出会いだと思うとありがたい。素敵な絵を添えたサインもいただき、宝物になりました。

懇親会では日田杉の原種ヤブクグリの製材をしている佐藤さんとも新たに知り合えた。製材だけではなく、現代の住まいに合うような形の杉の用途を研究開発されているという。次回は「森からの手紙」の田島さんと佐藤さんを訪ねてみたいと思った。

 

この日は、深夜に翌週の「日田祇園祭」山鉾巡行に先駆けて三隈川で神輿洗いがあるという。眠気もピークだったが、法被を着た若者たちが溢れる熱気で神社に集まり、神輿タイムレースをするのを見ていたら目が冴えてきた。川まで歩き、神輿が戻ってくるのを待った。水しぶきをあげながらお神輿を洗う姿が力強く、結局最後まで見届けた。

翌朝、駅で日田彦山線に乗り小倉へ向かう牧野さんたちと別れ、前回乗りそびれた「ゆふいんの森」で博多へ。ホームで、寶屋のご主人とおかみさんにまたすぐに戻ってきたくなるような、親戚みたいな温かいお見送りをしてもらった。

日田のみなさま、ありがとうございました!

 

福岡編へ続く

 


九州へ行ってきました その2 別府ヤブクグリイベント編

 

夕方、宿に戻った。山田別荘は、昭和5年に保養別荘として建てられたものを戦後温泉旅館として衣替えした、古き良き時代の面影が残る優美な宿で、女将さんの山田るみさんは初めて会ったのにただいま! と言いたくなるような、朗らかで気さくな雰囲気の方。

ロビーに通されると、和洋折衷の瀟洒な内装で、まさしく別荘に来たようなちょっと贅沢な気分になる。テーブルではすらっとしたかっこいい女性がせっせとなにか書いていて、朗読会のための書き下ろし小説を推敲中の石田千さんだった。小説が産まれる現場にいる!と密かにテンション上がりながら会場へ行くと、ヤブクグリの牧野さんや黒木さん、原さんが設営に忙しく、どこにいても邪魔しそうなので内湯に入った。やはりとても熱くて、でもこの熱さが早朝から歩き疲れて朦朧とした気分をさっぱり流してくれる。そうこうしているうちに、お客さんは続々とやってきてお座敷は満席になった。

前半の書き下ろし小説「べっぴんさん」の朗読会は、私が初の別府で感じた、懐かしさと温かさに満ちた街の印象がそのまま再現され、改めてこの場所にゆっくりと錨をおろしたような気持ちになれた。これはどんなに詳しく写真やメモで旅の記録をとどめても味わえない感覚で、改めて小説や朗読は、人間に必要な心の栄養なんだなと思った。石田千さんの声は、ご自身の小説と同じトーンで、落ち着いてさらりとしているのに、どこかはにかむような初々しい感じもある。地元の男女役の、佐藤正敏さんと時枝霙さんの御二方も、温かさがあって役にぴったりでとてもよかった。朗読が終わると、感動に満ちた静かなため息が会場のあちこちで漏れ、別府の人たちこそが小説に深く共感していたことがよくわかった。千さんも別府は初めて、かつ、私よりも街めぐりの時間が圧倒的に少なかったはず。なのに場所や人をこんな風に立体的に捉えて、こんなに豊かな短編小説に再現できるなんて。こういう人が存在しているんだなあ。涙が滲んできた。

 

休憩中。女将さんからこんな素敵な御膳が全員へ

 

後半の柳家小春さんのライブは、素晴らしく粋で、可愛くキレよく艶っぽく、心から日本人でよかったと思った。さっきまで言葉に感動していたくせに、もうこの歌さえあれば大丈夫だね・・・と、また涙が滲んできた。

イベントの余韻を引きずって、打ち上げ、二次会とも、昭和風情の漂うお店で食べ、飲み、歌い、気持ちよく酔っ払うことができました。

 

翌朝、石田千さんがBEPPU PROJECTの平野拓也さん、熊谷周三さんのお二人の案内で朝ご飯ツアーに行くのに便乗した。「友永パン」は創業大正5年、大分県で一番古いパン屋さん。静かな一角に整理券が配られるほどたくさんの地元の人が並び、老舗というだけではない、こちらのパンの普遍的な美味しさを物語っていた。

 

詳しい別府温泉情報をくれた豊島さんからもおすすめがあった「バターフランス」をまず確保。基本の餡ぱん、そしてすすめられるがまま、シンプルなコッペパンみたいな「味付けパン」も買い、次に「杏」という老舗のかまぼこやさんで「お魚コロッケ」を買った。別府港獲れたての新鮮な魚のすり身に、枝豆や玉ねぎなどを練りこんで衣をつけて揚げたもの。さきほどの味付けパンを手で割り、こいつを挟んでパクリ。ウマい!!美味しいものは地元人に聞くべし。海辺の堤防での朝ご飯は、子どもの頃の夏休みに戻ったようなひと時だった。だいぶ満腹だったけれど、朝ご飯ツアーは続く。

昨日素通りした「地獄蒸し工房 鉄輪」へ。人体を蒸すのではなく、自分で食材を選んで温泉の蒸気で蒸して食べることができる。野菜は甘く、イモ類はほくほく、ゆで卵はちょうどいい半熟。卵の殻をむいたり、カニの身をほじくるのに必死で最後には無言になって食べた。食後は食器と蒸し器を洗って、片づける。キャンプに来た気分。ここで温泉も飲める。ちょっとしょっぱくて不思議な味がした。「このお湯と、ここで蒸した野菜でカレーを作ったらきっと美味しいよ」と千さんが言い、他の二人は「うーん、そう、かも?」と答えた。別府温泉カレー、試してみたい。

たった2時間とは思えないほど充実の、楽しい朝旅だった。平野さんと熊谷さんは、それぞれ茨城、北海道のご出身だけれど、別府を心から愛する最高の案内人でした。山田別荘に戻り、おかみさんや皆さんにお別れして、日田へ向かった。 みなさま、ありがとうございました!

 

日田編へ続く

 


九州へ行ってきました その1 別府街歩き編

昨年参加した「ヤブクグリ」の会は、この1年半でまた進化しているようで、今回は別府と日田の二会場で「石田千さん書き下ろし小説朗読会+柳家小春さん演奏会」という豪華二本立てイベントが行われるという。「絶対面白いよ。関西からだったら、バーナードリーチが小鹿田を訪ねたのと同じルートで、船で行けるよ。移動と宿泊を兼ねていて新幹線より安いし」という仕掛け人牧野画伯の旅心をくすぐる殺し文句で船にて別府へ向かった。大阪港から「さんふらわあ」に乗って、別府港への約半日の船旅はとても快適。お風呂に入って甲板でビール飲んだりご飯をたべたり、穏やかな瀬戸内海を渡るルートで揺れもなく、雑魚寝のレディースルームでもぐっすり眠れた。

朝7時ごろ到着。梅雨明け前だったけれど、太陽がジリジリと照りつけて、空に浮かぶ入道雲は完全に夏の到来を宣言していた。まずは荷物を預けに「山田別荘」さんへ。蝉の鳴き声がよく似合う風情のあるお屋敷だった。まだ観光案内所も開いていないので志高湖キャンプ場の豊島桐子さんからの情報を元に、別府駅からバスで30分ぐらい山の方へ上がったところにある明礬温泉へ行ってみた。「地獄蒸しプリン」という看板などが気になるが当然まだ開いていない。

バス停からさらにすこし山を登って日帰り湯のできる宿に立ち寄ると、開店まで1時間以上もあったのに入れてくれた。強い硫黄の匂いが立ち込める白濁した湯は、足先を浸けただけで「ぎゃ!!」と叫ぶぐらい、想像をはるかにこえて熱い。10数えるくらいまで入っては出て涼み、を何度かやってフラフラになりながらバスで山を下り、鉄輪温泉に向かった。源泉温度100度の蒸気を生かして調理をする「地獄蒸し工房」の施設の横に足湯と足蒸し場があった。蒸気の上がる穴に足を膝まで突っ込んで蓋をせよ、と書いてあるけれどこれがまた死ぬほど熱くて膝まで突っ込む勇気はなかった・・・

すぐそばの「上人湯」という温泉に入る。向かいの「まさ食堂」で100円の入浴札を買って入るシステム。先客が一人。地元の方で「ここに札かけたらいいよ」「扇風機つけたらいいよ」「最近物騒だから女の一人旅は気を付けて」と話しかけてくれた。バスが来るまでぶらぶらしていると発見したのがこんな装置。眺めていたら再び汗が噴き出してまたひとっ風呂浴びたくなった。

 

「湯雨竹(ゆめたけ)」という竹製の温泉冷却装置。これで湯を約45度に冷やす。さすが竹の産地

 

街へ戻り、ネットで見つけて気になっていたhibinoさんに行った。人が続々とやってきて、洒落た竹かごに盛られた、見るからに美味しそうなパンが次々になくなる。この竹かごもご店主作と聞いて驚いた。別府は市をあげて竹細工を守り育てる活動をしており、専門の訓練校もあるし、市民に無料で教えてくれるところもたくさんあるのだそう。子供や若者も竹細工に触れる機会が多い。話していると、なにか雰囲気のある、賑やかな二人連れがやってきた。聞けば自宅でお菓子作りやマルシェをされている方たちだった。

 

和気藹々の元気な三人を、パチリ

 

 

次に向かったのはPUNTO PRECOGという期間限定で店主が変わるフリースペース。この日はÖkodorf(エコドルフ)というマクロビカフェをやっていた。ご店主の高橋実紅さんは立命館アジア太平洋大学の学生さん。留学生が日本一多いのだそう。アジア太平洋地域の環境と経済開発、行政や観光などを国際的な視野で学んでいる。学びながら実践する行動力が素晴らしいなと思う。ここで教わった、近くの築100年の古民家を改築したshop&ギャラリー「SelectBeppu」を訪ねた。こちらはBEPPU PROJECTというアートNPOの運営で、別府の作家さんの作品を中心に扱っており、スタッフの福嶋さくらさんも「清島アパート」に所属するアーティストだった。

 

豊泉堂さんの土人形、和みます

 

2軒隣にある別館で、ちょうどこの日から「けはれ竹工房」の林まさみつさんの展示が始まり、運よく作家さんもいらっしゃるというので寄ってみた。赤く染まった竹は、茜染め。化学染料を用いず竹の材を草木染めしてつくる、大変な試行錯誤を重ねて生まれた深みのある赤が印象的だった。チルチンびと広場のカードをお渡しすると、以前、日田の杉板を購入された際に『チルチンびと』を読んで参考にしていただいたのだそうで、とても喜んでくださった。

ぶらぶらと宿へ戻る途中に寄ったコバコさんで、北高架商店街を教えてもらった。真っ昼間からすごい音量でおじさんが歌っているオープンカラオケ喫茶があり、向かいにカフェ、パン屋、服屋、美容院、ギャラリーみたいなレコード屋・・・雑多な感じで面白い場所だった。

昔ながらの建物や風景を残しつつ、若い世代や他県からの移住者が新しい風を吹き込んでいる別府。のんびりしつつも活気のある街でした。旅の途中に出会ったみなさま、ありがとうございました!

 

ヤブクグリイベント編へつづく

 


山陰の旅  - 鳥取編 -

翌日、鳥取へ向かった。松江からは特急で1時間半ぐらい。まずは鳥取たくみ工芸店さんにお邪魔した。こちらは、鳥取で医師をしながら民藝活動家として幅広い分野の工芸品の作り手を育て「鳥取民芸の父」と呼ばれる吉田璋也氏が、1932年に開店した日本初の由緒正しき民芸のセレクトショップ。山陰を中心とした各地の陶芸、木工、金属、ガラス、染織、かご、和紙、人形などが並んでいる。なかでも2012年に96歳で亡くなられた加藤廉兵衛さんの北条土人形に惹きつけられた。

神話や民話をもとにしたという人形たちの、なんともとぼけた表情の可愛らしさは一度見たら忘れられない。とても残念なことに後継の方もいないので、もう残された人形たちもほんの僅かとのこと。

羊を一匹、連れて帰った

 

お隣の民藝美術館は、職人さんたちが仕事のお手本にできるようにと設立したもので、吉田氏が国内外で集めた民芸品など展示物はもちろん、建物もすみずみまで素晴らしい。自らデザインしたという椅子、柱に掛けられた額、組子障子やスイッチカバーに至るまで「ていねいで、美しく、実用的な手仕事」を広め、後世に残そうという情熱と美意識が息づいていた。

お昼、チルチンびと広場のイラストを描いていただいた西淑さんに紹介してもらった食堂カルンさんに行く。古い一軒家を改装した、のんびり、ゆるいムードで心地よく過ごせる。ライブやイベントなどのチラシもたくさん置かれていて、周辺の人から愛されている感じがわかる。

こちらは、以前中野無国籍食堂カルマという、もう中野北口で33年という無国籍料理の草分け的存在のお店で働いていたご店主が、3年前に鳥取に戻って開店したお店。カルマさん仕込みのスパイスが効いた本格派アジアンごはんが美味しかった。「お向かいの上田ビルと、近くの森の生活者さんというベーグル屋さんにも、もし時間あったら行ってみてください」と教わったので行ってみた。

昭和なムードの上田ビル。この2階に3軒のお店が集まる。santanacotoyaさんは古いものや器、家具、作家さんのものなどを扱うお店。

borzoi recordさんは、中古と新品のcdやレコード、本を扱うお店。

どちらも、そんなに広くない空間に、気になるもの欲しくなるものがいっぱいあって、ご店主のセンスが伺われるお店だった。一緒にイベントをすることもあるのだとか。楽しそう。近くにこんなところがあったら通ってしまう。もうひとつの「うわの空」さんのドアに「森の生活者でミーティング中」と貼ってあった。商店街を少し歩いて、こちらもレトロなビルの2階にある。

ご店主にチルチンびと広場のカードを見せると、「あ、淑ちゃんの絵!」と、ほぼ顔パスで打ち合わせ中のみなさんに紹介してくださった。偶然、この日はカルマの店主・丸山伊太朗さんが東京からやってきて「うわの空」のこれからについて話し合っていたところだった。この空間には肩書きはなく、周辺の人たちが集まって自由に楽しく面白く育っていく予定の、未知数の場所なのだそうで、どこかチルチンびと広場と共通している。もちろん西さんの絵のおかげもあるのだけれど、言葉で説明しづらい部分をすんなりと感じ取ってくださった気がした。

駅の方へ戻ってgallery shop SORAさんを訪ねた。スタッフの女性が驚いた顔で「ちょうど『チルチンびと』を読んでいたところです!」と手にした読みかけの『チルチンびと』を見せてくださった。なんと。こちらでは、山陰の若手作家さんを中心としたクラフトが集まっていて、これからの人を育てようというご店主の願いを感じた。鳥取の人たちは作家さんでなくても普通になにかを作る人が多いという。手芸関連のイベントをすると朝から階段のところに行列ができるのだそう。やはりものづくりが息づく土地柄なのだ。


最後にもう少し時間があったので、鳥取たくみ工芸店で教えていただいた万年筆博士さんへ。こちらには全国から、世界からも万年筆を求める人がやってくる。自分の書き癖の診断をしてカルテをつくり、そこから万年筆づくりが始まる。「私たち自らデザインすることはありません。それぞれのお客様に合わせた長さや重心、材料をもとに設計をして、使い心地で改良したり、それを他のお客様がまた取り入れて新しいデザインが生まれたりしていいものが残っていく。まさしく用の美です」と。ここにも、暮らしを美しくするものづくりの精神があった。


短い時間だったけれど、ふつふつと沸いている鳥取モノづくりパワーを感じた旅でした。

今回はお訪ねできなかったけれど鳥取は地方自治体も頑張っていて、鳥取県文化観光スポーツ局観光戦略課さんの活動も柔軟で、精力的です。4月17日~は京都ロクさんで「とっとり物食展」が開催されます。

 


山陰の旅 ― 島根・湯町窯編 ―

加藤休ミさんのクレヨンお相撲画展(観るだけで元気が出た!)が観たくてnowakiさんに行くと、牧野伊三夫さんが『四月と十月』で取材した湯町窯に絵付けをしにいくのだけど一緒に行かないかと誘ってもらった。こんな機会はめったにないと便乗させてもらうことにしたのが今回の旅の始まり。

※この旅が決まって数日後、安西水丸さんがお亡くなりになった。私は絵と文章と写真を通してしか存じ上げないが、とくに76号の鳥取民芸の旅と、今回79号の鎌倉山のご自宅の民芸ライフの特集は何回も読み、紙面を通じて水丸先生とカレーと器談義するのを妄想したりして、勝手に身近な存在に感じていたので、あまりに突然でショックだった。ほんとうに、心からご冥福をお祈りします。そして、毎号の素敵な絵と文章を、ありがとうございました。

 

京都から湯町窯のある玉造温泉まではバスが出ている。夜行バスで約6時間。だけど玉造まで行くと温泉街価格だし、駅から少しかかるし、松江に泊まったほうがいいよ、前の日出雲を回って私も松江に泊まってるから、着いたら電話くれたら朝ご飯用意しておくから。と、いつもながらどこまでも気配りのゆきとどいたnowakiご店主のみにちゃんに言われるがまま、宿を松江にとった。朝牧野さんたちと待ち合わせ、玉造温泉に移動する電車の中で、大きな花かごを背負ってオレンジのジャンパーを来た花売りのおばちゃんに牧野さんいきなり「お花、すごいですね」と話しかける。後姿もしみじみと可愛く、みんなで見送った。

 

座っているだけで咲いているみたいだった

 

湯町窯は、現在4軒ある布志名焼の窯元のひとつ。駅に看板もあるけれど、なくてもわかるぐらいに徒歩すぐだ。

到着と同時に湯町窯のご当主、福間琇士さんが手にふきのとうを持ちながら現れ、「あら先生、娘さんたちつれて(笑)」とにこやかに出迎えてくださった。黄色や飴色、青色の艶やかな丸みのある器がたくさん並んで、早くも欲しいものだらけの予感がする。二階を案内していただくと、棟方志功、バーナードリーチ、河井寬次郎、山下清らが絵付けした貴重な作品が何気なく置いてある。その辺にさらっとかけられた竹かごや座布団やテーブルランナーも、手仕事のいいものが集まっていてちょっとドキドキした。

 

褌一丁で絵付けをする山下清氏の写真と当時の新聞記事が

 

絵に感動しつつ「うーむ・・・」と見つめている牧野さんに、福間先生はさくさくと絵付けの説明をし、下で我々皆にお抹茶とお菓子を出してくださり、少し世間話をした後、すでに準備の整っている奥の工房で絵付け開始となった。ゆったりとこちらをくつろがせてくださるかと思えば、気づくと見えなくなって次の行動に移られている。生粋の職人さんらしい、素早く、静かで無駄のない軽やかな身のこなしがかっこいい。

絵付けの方法にはいろいろあるけれど、今回は素地に塗った化粧泥が乾かないうちに竹べらでひっかくようにして絵を描くスタイルで、これは牧野さんの絵とすごく相性がよさそうだった。好奇心丸出しの編集者、もしくは酔っ払いのおじさん、この二つは両立できるのでだいたいそういう姿を目にすることが多いけれど、絵を描き始めると牧野さんはとたんに画家になり、どこからみても画家なのだった。あたりまえなのに不思議な姿。

その間我々は町を散策することにした。玉造というだけあって“まが玉”づくしの町だった。ちょっとぐったりきて宍道湖でぼーっとする。晴れて暖かかったので、お昼はみんなで土手に座ってお弁当を食べた。川沿いの桜並木はいまにも咲きそうなつぼみが無数についている。あまりに気持ち良くて寝ころぶと、シャーッと女子学生が自転車でプリーツスカートをひるがえしながら通り、牧野さんの頭の上を通るときはその速度が上がった。そんな長閑な昼餉・・・。午後は宍道湖沿いに車で10分ほどの雲善窯見学へ。御用窯として開かれた雲善窯は、初代で布志名焼の品質を向上させ、大名茶人でもあった松平不昧公の愛護を受けた二代目が「雲善」という号を受けて黄釉を改良されたという、布志名焼の歴史に大きく影響してきた窯だった。

 

つつましやかな雀の香合

 

ここまできたので玉造温泉街まで足をのばしてみる。玉作湯神社は願い事のかなうパワースポットということで、若き女性たちもよくみかけたが、またもまが玉攻めにあい、早々に湯町窯に戻ると、この絵付け企画の発起人、富山総曲輪(そうがわ)の民芸と器の店・林ショップの林悠介さんが到着していた。林さんは『四月と十月』vol.24の、これはちょっともう画家であり編集者である牧野さんにしかできない「湯町窯の画家」という取材記事を読んで、この企画を考えた発起人だ。14時間もかけて富山から車で来たということで、目が充血していて眠そうだった。松江の町もすこし散策したかったので、あれこれ目移りしながら器選びをして、ここで湯町窯のみなさんにさよならをした。

 

焼き上がりがとても楽しみ(林ショップ、nowakiで入荷予定)

 

 

松江に戻り、前日みにちゃんが発見したというイマジンコーヒーさんに行く。焙煎機が置かれ、いい香り。この4月6日には湯町窯で出張コーヒーをされるのだそう。湯町窯にこの香りが漂うのは、いいなと思う。

お店でもらった「タテ町商店街マップ」をもとに、昭和の香りがする古い町並みを歩く。奥で機織りをする女性の姿が気になって、ちょっとお話を聞くことにした。みにちゃんは京都に帰る時間となり、ここでお別れ。ありがとう。ありがとう。

美術大学を卒業後、倉敷で手織り草木染めを学び、出雲織の青戸柚美江先生に師事され、昨年「直と青」として独立されたばかりの飯田奈央さんは、畑で自ら育てた和綿で紡いだ糸を染めたりもされる。美しい青と白を生かした爽やかな反物が印象的だった。彼女もおすすめのSOUKA 草花さんにご挨拶に行きたかったけれど、残念ながら定休日。もうひとつ教わったobjectsさんを訪ねた。夕日が移る川面の傍らに佇む、風情のある建物、窓から漏れるオレンジの灯り。映画みたいだ。

「ここは昔テーラーだった建物をほとんどそのまま使っています。昭和8年からほとんど変わってないと思います。変える必要がないですね。こういう古いものや器をしっかりと受け止めてくれる重厚さがあります」と話してくれたご店主の佐々木創さん。ちょうどこの日は「古いモノ展」が開催されていて、常設とは違うとのことだったけれど、長いこと愛されてきた物たちの静かな自信に満ちた感じがじわじわと漂っていて、ずっと長い間こうだったかのように店に馴染んでいた。しばらく話していると、こちらのご店主が先ほどの林さんと一緒に旅をしたこともあるほどの仲だということが判明して驚く。

 

さて、130枚ものお皿の絵付けを無事終えた牧野さんから連絡が入り、なんと福間先生が奥様と一緒に松江までいらしてくださるそうだ。信じられない。さすが人たらし。めったに夜の街に出かけることがないという福間先生が、昔行っていたおでん屋ひとみさんの店に連れて行ってくださった。ひとみさんは50年もこの店をやっておられる美人女将。おでんはもちろん、どて焼きも、お刺身も、さっと炙って出してくれたうるめいわしも、全部美味しい。いかが出てくると「いかさまですわ~」ぶりがでてくると「おひさしぶり!」と秒速で繰り出される先生のほのぼのした洒落はもう駄洒落の域を超え職人技。楽しくて、感動しっぱなしの夜だった。誘ってくれたみにちゃんがこの場にいないのが申し訳なく、残念だった。

 

福間先生には何も取材らしきことをできなかったけれど、あたたかくて、やさしくて、かわいらしくて、面白くて、仕事にはめっぽうストイックだけど人に厳しさを押し付けなくて、軽やかな、すてきなお人柄がほんとうによくわかったし、それが全部器に現れていて、先生の小さな分身のようなその器を、いま毎日使っているから満足だ。

 

(鳥取編へ続く)

 


東海道中記 その2(四日市~伊賀~名古屋 編)

お会いしたばかりの京野桂さんに先月末、「東海方面出張に行きます!」とメールしたところ、なんと本当に泊めてくださることになったのだ。amcoさんから京野さんの手料理の美味しさやお住まいの感じを伺って、この訪問がますます楽しみになっていた。後半の2日間運転してくれたのはvigoの元同僚、タバタ君。貴重な週末を潰してつきあってくれました。

 

まずは、名古屋からスタート。昨日コンテナが到着したばかりというfavorに寄る。大ぶりの家具や、Lisa Larsonの置物や、生活用品が広々とした店内にたくさん並べられていて、入口の緑も気持ちいい。パントリコで道中の腹ごしらえ用おやつを購入し、斜め向かいのcoffee Kajita へ。コーヒーを淹れる時、一つ一つ香りを嗅ぐ姿がとてもストイックな感じで格好良い。グラスや氷の形もすべて、ドストライクなアイスコーヒーでした。近くで偶然見つけたミュシカでvigoの血が騒ぎだす。こちらは北欧アンティークの店。HPにもあるとおり“世界の果てから流れ着いた詩的なモノ”に囲まれた、古きものの良さ、洗練、非日常を感じる。

 

詩的なミュシカさんの空間

四日市へ向かい、ゆるりでランチ。こちらは築85年の古民家を改築した、石窯パンとカフェのお店。その改修と石窯づくりの様子はブログでも拝見することができます。戸にはめこまれたステンドグラスも、ゆったりおかれた薪ストーブも、トイレのタイルも、根菜のグラタンや、手作りのピザも、すべていい味。文字通り、ゆるり。と過ごせるお店でした。その後、少し走ってトウジキトンヤへ。こちらはいいものを少しでも多くの方に知ってもらい、実際使ってもらいたい、使う人つくる人を繋げたいという思いから、東海地方を中心とした腕のいい職人さんに現代の家族や住まい、食卓に合った器をつくってもらい、卸している問屋さん。家を建てるとき地元の棟梁さんに『チルチンびと』を配られたから、雑誌はよく知ってたよ。と。そんな風に知らないところで支えられているんですね。ありがたいです。

ゆるりのランチ。根菜のグラタン

ゆるり。落ち着きます

トウジキトンヤの草深さん(左)と片山さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ伊賀へ。四日市から亀山のあたりは朝と夕方、激混みと聞いて下を走っていたのだが、途中京野さんのアドバイス通り高速に乗ったら意外にもスムーズ。インターを降りて農業屋(ここがすごい!苗の種類がすごい。ありとあらゆる種類の野菜。耕運機もある。ホームセンターと思いきや玄人向け)で待ち合わせ。ここからは迎えにきてくれた京野さんの後を走る。どんどん走る。ずんずん走る。カーブを曲がって、もうそろそろかな?と思ったらまだまだ走る。予想を何度も裏切られながら辿り着いたのは。大~きな古民家。

奥様が、初対面の緊張をまったく感じさせないようなふわーーとした雰囲気で迎えてくれ、離れの客人用のお部屋に案内してくださる。離れといっても大人3人、男女部屋別で広々泊まれる。もちろん家はもっとずっと大きく、広~い土間の扉をがらりとあけると、すでに京野さんが台所に立っている。早い。手際の良さが野菜を洗う音でもわかる。そして宴が始まった。お手製チャーシューにお手製茹で鶏、自作のパクチーと一緒に海苔やレタスに巻いて食べる!うまいッ!!スープ、春巻、クラゲの和え物、鯛のサラダ、そしてプロもビックリの花巻にイカと菜の花の炒め物。素人とは思えない。何者。そしてまた、このご夫婦がなんとも、いい。ボケているようでつっこんでいる奥様と、大将っぽいわりに突っ込まれ役の京野さんのやりとりが、たまらない。お二人の出会いや、陶芸を始めたきっかけに始まり食べ物の話、酒の話、焼き物の話・・・と話が弾み、気づけば夜の2時でした・・・。

翌朝、待っていたのは、畑で採れたアスパラや、玉葱の葉(初めて食べたが美味しい。見た目は完全葱なのに臭みはなく甘い)、菜の花。採れたての緑が眩しい!味噌汁も単なる手作りじゃない、なんと大豆を育てるところから始まっている超本格派味噌汁なのだ。しあわせな朝ごはんだった。食後、畑を見に行く。アスパラ、トマト、たまねぎ、にんにく、レタス、パクチーにブルーベリー。もぐらのトンネルの跡もあったりして。里山の空気を思う存分吸い込んだ。

 

お手製料理で団らん中。律儀にカメラに目を向けてくださる奥様

京野家の美しい朝食。野菜も、味噌の大豆も自分の畑で採れたもの

里山の風景が広がります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京野さんの案内で、amcoさんの瓶の展示でお会いした井崎智子さんの御宅にお邪魔する。さすが、瓶だらけ。パートナーの尾花友久さんも作家さん、瓶でないものはだいたい尾花さんの作品だ。お二人が在籍していた陶芸の森のアートインレジデンスのお話しや、そこで出会った友人の家を訪ねたインド旅の話など。このお二人が、また京野さん夫婦に負けず劣らずな、いい組み合わせ。おっとりした京都弁が醸すゆるっとした雰囲気に、時を忘れそうになる。人って、出会うべくして出会ってるのだなあと思う。

 

焼き物やインドの旅の話など

次に案内してくれたのは伊賀焼伝統産業会館。ここでは穴窯を見学したり、さまざまな種類の伊賀焼作品や、歴史や工程を教えてくれるビデオを見たりと伊賀焼のイロハを知ることができる。その後、ギャラリーやまほんさんへご挨拶。思ったよりもずっと大きい建物で、現在展示中の「千皿展」(~6/2)は圧巻です。質も量も。陶器、鉄、ガラス、木と色々。これだけの作家さんが集まるギャラリー展示も他にないのでは。器好きの方、ぜひぜひお見逃しなく。名残惜しみつつ、ここで京野さんとはお別れ。ほんとうに、お世話になりました。

圧巻の「千皿展」@ギャラリーやまほん

 

途中、Jikonka でちょっと一休みし、関宿の重伝建地区を見学して、名古屋へ。金子國義さんの絵や、実際に欧米で使われていた義眼セットや、古い本、などちょっと不思議で怖くて強い存在感を感じるものが揃っているantique Salon さんと、うつわ[hase:ハーゼ]さんにご挨拶。haseさんではちょうど長谷川焼菓子店一日出店の日。お土産にいただいたシフォンとクッキーは甘さも口当たりも完璧な、絶品焼菓子。ごちそうさまでした! 開催中の山本亮平展(4/22に終了)では、清潔感、洗練、暖かさ、深み、など白い色の持つさまざまな可能性を感じさせられる器が並ぶ。

山本亮平展@うつわhase

その後、トロワプリュスを探していると、同ビル内にギャラリーフィールゼロも発見。6月に愛知県で開催されるしょうぶ学園イベントDMも置いてあり、このビルは感度高そうです。

最後に訪ねたのは、pas a pas 。本物の遊びを知り尽くしていそうなオーナーさんから、久しぶりに服を着せていただく。最近服を買いに店に行く機会が減っているので新鮮だった。コワモテな私に丸襟のブラウス!? と思いきや、着てみると甘さの中に辛さがプラスされ、少女と大人の中間、みたいな、いい雰囲気に見えるではないか。真逆のタイプのvigoが着てもさらに似合う、この不思議。気楽だけれど品が良く、遊び心があって文学的な香りもする「tashi」の服。ほかにも、靴や、ガラスの器、ホーローのボウルなど、酸いも甘いも噛み分けた、大人の余裕を感じさせる品揃え。帰りには、「今度来るときは東京に負けない美味しい店教えてあげるよ」と、雨の中外まで出て見送ってくださる、ダンディー。

「tashi」の服。ここにもダンディズム感じます

 

旅も終わり。今回運転を引き受けてくれたタバタ君は、少年が大志を抱く某大学建築学科卒の秀才ながら、チャンチャン焼きを50人前作ったり、体長70cmもの鮭を釣り上げて、そのお腹のイクラを醤油漬けをつくってしまう(相当おいしそう)生粋の札幌男児。現在は名古屋支社勤務のため毎週末、岐阜の山へ愛車スバルでスキーに繰り出すアクティブ派、そしてこんな(運転手にとっては)ハードな旅に快く付き合ってくれる、心優しきナイスガイ(独身←宣伝です笑)でした。本当におつかれさまでした。

そして4日間の東海道中出会った皆様、本当にありがとうございました。