九州に行ってきました 大分・日田 小鹿田焼~宮園神社編

 

翌日は、小鹿田(おんた)焼の窯元見学と、会の屋号でもある日田の杉「ヤブクグリ」のルーツを辿りに宮園神社へ行くツアー。「寒いけど、日田の山へ行ってみよう!」というスローガンのはずが、晴れ男女の集まりだったのか、晴れ渡って春のようなぽかぽか陽気に恵まれた。大勢いたので車を出せる人がみんなだしてくれ、それぞれに出発。

私とvigoは、日田の意匠職人町谷さんの車に、ライターの小坂章子さんと早稲田の建築学科の小笠原正樹さんと乗り込む。小坂さんはヤブクグリでは冊子係担当で、『手の間』という九州の暮らしや手仕事などを紹介している素敵な雑誌に寄稿されたりしている。小笠原さんは、北海道で牧草の発酵熱を利用した暖房要らずの家の設計をしたり、藻からできる石油で家のエネルギーを賄うといった、未来に向けた設計を研究しているすごい学生さんだ。

町谷さんは運転しながらツアーガイドのように日田のあれこれを説明してくれた。日田の山間部は降水量がとても多く、霧深く湿度の高い気候のせいで杉の生育に適していて、江戸時代から続く杉の産地だそう。あちらこちらで昨年夏の水害の傷跡が痛々しい。頑丈そうな橋も壊れていて水害の恐ろしさを知る。3000戸近くもの家が浸水被害にあったという。復旧作業もさぞかし大変だったに違いない。今さらだけれど、被害に遭われた方々に本当に心よりお見舞い申し上げます。

 

小鹿田焼の里「皿山」に到着し、車を降りると「ギーーーゴトン・・ギーーーゴトン・・」とあたりに響く音がする。この音の正体は「唐臼」。川の水流の力を利用して、大きな杵を動かし、土を粉砕している。川のせせらぎと唐臼の動き、水郷日田の風景に心洗われ、延々と眺めていられそうだ。

 

 

小鹿田焼の窯元は全部で10軒。開窯以来一子相伝で、伝統的な技法を脈々と守り続けている。柳宗悦やバーナード・リーチによって注目を集め、広く知られるようになっても、一切弟子を取らず、職人を雇用せず、機械も使わずに家族だけでつくってきた。作り手の名も出さず、窯元の名も出さず、陶土も一年に一度共同で掘り出すそうです。掘り出した土を唐臼で粉砕し、水にさらしてゴミなどを取り除き、窯の上で乾かす。土をつくるだけでも大変な手間と労力だ。蹴ろくろを回しながら、鉋や刷毛で模様を付ける。素朴だけど凝っている。なのに値段も驚くほど手頃。暮らしのための器なのだ。

 

 

小鹿田を後にし、車で約1時間ちょっとの中津江村にある「宮園神社」へ。参道や掲題の周囲にはアオスギ15本、アヤスギ9本、ホンスギ5本、ヤブクグリスギ1本の計30本があるそう。奥には樹齢350年のアオ杉の切り株があった。迫力。日田杉の元祖ともいわれているみたいだ。

帰りは日田リベルテさんまで送ってもらった。去年nowakiさんで展示中だった陶芸家・鈴木稔さんが、ちょうどワークショップをされている最中だった。上映する作品だけでなくカフェや展示やワークショップ、雑貨や本、隅々までセンスが光っていて、さすが日田の文化発信地的存在。自然と人が集まってくるような、やさしくていい気が流れていました。

 

日田リベルテ代表の原さんと、スタッフの原田さん

 

長崎へ向かうため、日田とはそろそろお別れ。昨夜知り合った「和くら」の古田さんが高速のバス停まで送ってくれるという。出発まで1時間、その間に、夜の幻想的な三隈川べりを散歩し、老舗材木屋だったというお店を案内してもらい、「日田名物の焼きそば、食べたいでしょ」といってシャーッと近所の「みくま飯店」さんに連れて行ってくれ、焼きそばを頼んでくれて「20分後に迎えにくるからね!」といってシャーッといってしまった。。日田名物の焼きそばは、ふつうのより麺がぱりぱりと固めでちょっと甘辛で、もやしがシャキシャキ。日曜深夜の長崎の街を、ちゃんぽんを求めてさまよう覚悟だったのに、こんなに美味しい地元名物を味わえるとは!

 食べ終わるとまたシャーッと迎えに来てくれ、時間通りに高速バスの停留所にジャストの時間に到着。ほんとにお世話になりました。 

スーパー段取り上手&色白美人の古田さん

 

日田の旅はみなさんにずっと親切にされっぱなし、お世話になりっぱなし。ちょっと、空き物件探しちゃおうかな・・・っていうぐらいの気分になりました。ヤブクグリのみなさま、日田で出会ったみなさま、ありがとうございました!

 

長崎編へ続く