2015年1月 の記事一覧
新連載「活字ここにあり」
東京銀座、松屋の裏手といっていいのか、なにか懐かしいような横丁に「中村活字」はある。50年前、成瀬巳喜男監督の映画『秋立ちぬ』に、お店が登場したという。いま、映画を見ても、そのときとまったく変わっていませんから、と社長の中村明久さんは、言った。創業100年余、ずっと同じ場所で仕事を続けているのである。
作業場に案内された。たくさんの活字が棚に並んでいる。そのネズミ色の光を見たとき、胸が詰まった。かつては、原稿を見ながら、一字一字活字を拾い、組み、インテルという金属板で字間を調整し…… と、おそるべき手間で、雑誌も本も、つくられてきたのである。胸が詰まったのは、懐かしさではなく、なにかこう申し訳ないような気持ちだった。
………
活版、活字を守り続けてきた「中村活字」の歴史をこの “ 広場 ” の「話の名店街」で、ご紹介しています。ぜひ、ごらんください。
なお、『週刊朝日』来週発売号にも中村さんは登場するという。
新連載「変奇館、その後」開幕
「あなたの座っているところは、アスファルトですよ」と、山口瞳さんは、いった。私は、山口邸にいた。大きなガラス窓から、陽が降りそそいでいた。床はそのへんの道路と同じで、その上に座っているのだという。だからといって、冷たいとか固いとかは思わなかった。とても平らな感じがした。率直に、いいなと思った。なんといっても、堅牢で、安心だ。地震でも安心ですね、というと、地震のとき、この家はまったく揺れないで「ピッ」という音がするだけだ、ということだった。山口さんは、この家を「奇邸」と呼び、「変奇館」と名づけ、たくさんのエッセイを書いた。たとえば、こんなふうに……。
〈家のことについて書く義務があるように思われる。新建材を多用した、かなり実験的な家だからである。私が実験したのではなく、建築家が実験したのである。私自身はモルモットである。〉(山口瞳『男性自身』・奇邸)
変奇館ができて45年。山口さんが亡くなられて20年。いま、その家に暮らす長男・正介さんの実験報告続篇である。
「変奇館、その後」は、こちらからご覧になれます。
遅ればせながら・・・あけましておめでとうございます♪
いやいや、年末に体調を崩しまして
後厄の恐ろしさを知ったamedioです
やっとこさ、2015年久々に厄年から
抜けたので、さらにパワーアップして
充実させた日々を送ることを
宣言します!!
今年最初のブログということで
昨年(2014年)の話になりますが、
人生初の伊勢神宮旅行で
夫婦岩から見た日の出を
みなさまにもお届けします♪
友達に伊勢へ行くと伝えたところ
「伊勢のどの辺に泊まるの?」と
聞かれたので
「バス!!」
と答えたら
「・・・・え???」と聞き返されましたが(笑)
夜行バス(車中泊)のバスでの弾丸ツアーで
伊勢神宮ツアーをしてきました!!
夫婦岩には朝5時に到着。
天気がイマイチという予報で
バスの窓にも雨がチラホラついていたのですが
到着をしたら雲がスッとなくなり
すごく綺麗なご来光を
見ることが出来ました!!
ツアー内容は
夫婦岩・二見興玉神社
↓
月讀宮
↓
伊勢神宮・外宮 [豊受大神宮]
↓
猿田彦神社
↓
伊勢神宮・内宮 [皇大神宮]
と、ぐるり一周のツアーでした。
式年遷宮の翌年はおかげ年と呼ばれ
一番ご利益がある年ともいわれているそうです
外宮・内宮ともしっかりと参拝しましたが、
特に猿田彦神社の向かいにある佐瑠女神社が
芸能の神として信仰されているということで
「これからも、和太鼓を頑張れますように」と
お祈りしてきましたよ(*^_^*)
皆さんは、どんなお願いをしましたか?
2015年も、皆様にとって
すてきな一年になりますように!と
心から願っているamedioでした(^^♪
89歳の青春
『チルチンびと「地域主義工務店」の会』全国定例会が、14日 、ひらかれた。いろいろな企画の中で、トリはやっぱり、この方。平良敬一氏(写真右)が、建築家・大野正博さん相手にトーク。
…… 僕が自信があるのは、僕の感覚とか情熱とか情緒とか、コトバというより、見て感じるというところ。長い間、いろんな建築家とおつきあいして、そのなかでも、影響を受けた人、親しくつきあうことができた人は多いんですけど、みんなそれぞれ違う。その違いがあることをわかる人間には、少しは、なっているんですよ。
…… 最初は、誰かの模倣で始まるんです。ぼくから見ると、ね。だけどいつの間にか、模倣を脱して、自分の地でつくるようになる。素材の選び方から、その素材をどう生かしてどういう空間に持っていくか、ということが、だんだんわかるようになる。そういうプロセスを建築家たちは、みんな身につける。
…… みなさんも、いい設計例をたくさん見ることだと思うんですね。たくさんいいものを見ていく間に、それをマネする感覚が出るんです。イメージをカタチにしていく、そういう感覚が生まれてくるわけだから、だんだんそれが自分の考えで、自分の感覚で、自分の情熱で、感情で、モノをつくることになったときに、そこで設計者は、一つ進歩するんです。ちょっと高いレベルになるんですね。
まだほかにも、建築の直線、曲線の話。建物のシワの話。そして、僕は、建築史の勉強が、ちょっとたりなかった、いま、いろんなものを、読み始めています、まだまだ勉強、という話。3月に、89 歳になるとうかがった。
奈良「古梅園」さんに行ってきました
先月、「和の手ざわり」の取材で奈良の 「古梅園」さんに伺った。こちらは、かの夏目漱石が「墨の香や奈良の都の古梅園」と詠んだことでも有名な、奈良の誇る墨づくり400年余という由緒ある老舗。近鉄奈良駅から徒歩10分ほど歩くとひっそりと静かな路地に、風格のある看板が見える。
店舗兼、事務所兼、作業場、窯、倉庫も兼ねる大きくて重厚なお屋敷は、そこだけちがう時代の空気を纏っているよう。やや緊張しながら戸を開けると、おなじみの長方形の墨の他に、細工が施してあるもの、色付けしてあるもの、丸いものや硯を模ったユニークなものなどさまざまな墨が並んでいる。師走はとくに製造、販売ともに繁忙期と伺って、かなりの慌ただしさを想像していたけれど、ほのかに墨の香りが漂い、喧騒を微塵も感じさせない静謐さに気持ちが鎮まる。さらに、広報ご担当の袋亜紀さんが、とても気さくに朗らかな雰囲気で対応してくださったので、すっかり緊張が解けてしまった。
店舗から奥の煤取蔵を案内していただく。荷車用のレールが、敷地の奥まで続き、歴史を感じさせる。
香ばしい胡麻油の香りがしてきた。古梅園さんでは、菜種油を主に、椿油、桐油など植物性の油を使って採煙をしているのだが、この日はちょうど珍しく胡麻油とのこと。煤取蔵では、土器に灯芯を挿して火を灯し、蓋に付いた煤を取って、これが墨の原料となる。
この灯芯の太さが墨の質を左右する。細いほど煤の粒子も細かくて品質の高いものになるそう。この灯芯をきっちりと作れるようになるだけでも、個人差はあるものの何年もかかる。また、火を灯して放っておけばいいのではなく、均等な質の煤をつくるために15分ごとに45度ずつ蓋を回しながら、まんべんなく煤を付着させていく。200もの器を、むらが出ないように回す。気の抜けない作業の繰り返しとなる。
こうして集められた煤を、江戸期から使われているレンガ造りの窯で煮溶かした膠と混ぜ墨玉をつくり、香料を混ぜる。
動物の骨や皮からつくられた膠を延々と煮るのだから、相当な匂いを放つのではないかと思ったら、これが驚くほど匂わない。
数代前のご店主が手に入れ保存してあるものを使っていて、ここまで良質のものはいまではつくられておらず、今後の課題とのこと。
こうしてできた墨玉を練り上げていく様子が、奥の作業場で硝子戸越しに見学できる。新しい職人さんがこの作業を初めてするときは、しばらくは腰が立たなくなるほど身体を酷使するものだという。寒さの中、黙々と墨玉を練り上げ、踏みしめる姿は静かで厳かで、写真一枚撮るのも申し訳なくなるほど。といいつつ撮らせて頂く。
練り上げられた墨は梨の木型に入れる。梨の木は非常に強くて、江戸時代からのものもまだ実際に使えるものが残っているそう。昔の人は情報もないのによくそんなことを知っているなと不思議に思った。
成型された墨は木灰をかぶせ乾燥させるのだけれど、これも昔から使われている木箱に入れ、水分を吸い取ったら、水分の少ない木灰の入った木箱に移し替える・・・という作業を繰り返し、これを大きさにもよるけれど一か月ほど繰り返すという。代々の墨の香りを吸った木灰でうっすら曇った作業場にいると、タイムスリップした気分になる。
灰乾燥が終わった段階で、約7割の水分が抜け、残りは藁で編んでつるして自然乾燥。こちらも木の倉庫で3カ月から半年ほど。
すべての工程が効率とは正反対の恐ろしく手間暇のかかる、けれどその手間が墨のよさを磨く重要な要素。そのことを実際すべての工程を自分の目で確かめ、また何度も何度も訪れる方に同じ説明をしているだろうにもかかわらず、しっかり熱のこもった袋さんの説明を聞いて、すっかり納得してしまった。
私がいま通っている書道の先生は、この工程や背景を知らなくとも「いろいろ試したけれど墨は古梅園さんのものがいい」とおっしゃるので、いわれるがままこちらの墨で稽古をしているけれど、この見学を経て改めてそのことがありがたく思えたし、ずっとこの技術と品質を絶やさないように使い続けようと心に決めた。
神社めぐり201501
今年は年始の休日に「麻賀多神社」、「鹿島神宮」、「大洗磯前神社」を参拝した。
千葉県「麻賀多神社」
麻賀多神社にある樹齢、約1400年近い御神木は東日本一。この杉のまわりをぐるりと一周。
社務所の前では大きな炭でたき火がたかれ、参拝者が火を囲んでいた。
1/1には甘酒がふるまわれたそうだ。
茨城県「鹿島神宮」
境内の森は東京ドーム15個分と大変広く、
奥宮への参道のしんと冷たい空気が特別なものに感じた。
東日本大震災で倒壊した大鳥居は昨年、無事に施工された。
境内には鹿園があり、鹿島神宮では鹿が神鹿として大切にされているそうだ。
茨城県「大洗磯前神社」
海岸に建つ大きな鳥居が圧倒的。
海を見下ろすと岩礁に磯神が立っていて、波の中の鳥居がなんとも神秘的で鳥肌が立った。
(拝殿は修復中だったので写真がないです)。
参拝すると何かが入れ替わったような、あらたな気持ちになるから不思議だ。
それぞれの神社の独特な雰囲気が清々しかった。
参拝後、立ち寄った那珂湊港の市場は大変賑わっていて、お造りや生牡蠣をいただいた。
市場の魚を見てまわるのは、とてもたのしかった。
〆はやっぱりお蕎麦。鴨焼と一緒に。
約160年前の農家住宅を移築した、つくば市の蕎舎さんで。
カレー始め
いやあ、おとといの夜から、カレーを食うって決めてたんだ。だって、ボーナスもちょっとよかったから、おせちの高いヤツをフンパツして、デパートに注文。そしたら、それに加えて、女房の実家から、彼女の母親がつくったのが、いつものように、届いた。ダブルから断っとけと言ったのに、言い出せなかったらしい。仕方ないから、昼も夜も、おせちおせち。で、飽きた。フツーのものが、食いたくてねえ。あれかね、美女にばかり囲まれて暮らしていると、同じ心境になるのかなあ。美女なら、ダブってもオーケーだけどね、オレは。しかし、正月というのは、一年に一回だから、いいんだね。……
隣の席で、男が、同僚らしい連れにまくしたてている。私もまあ、似たような心境だ。だから、こうして、ここに来て、チキンカレーをおいしくいただいている。これが、今年の、カレー始めである。(神保町・ ガヴィアルにて)
伊勢丹新宿の門松
あけましておめでとうございます。
この“広場”のコラム。「あの竹この竹」(初田徹)は、お読みになりましたか。ま、いまアップされているので、それをご覧いただいたほうが、よろしいでしょうが、“ 冬の青、春の青 ” と題して、こう書かれています。
…… 一口に門松と言っても、姿形には多様なバリエーションがあるもので、三年前の正月に都内各地の門松を見て回った際には、竹の種類や門松としての仕上げもそれぞれに違うことに驚きました。個人的に素材としての竹の素晴らしさナンバーワンと感じたのは新宿伊勢丹百貨店の門松でしたが ……
そして、正月の町で門松探訪の初詣はいかがでしょうか、と結んでいる。
行ってみました。とりあえず、数年前、プロの目にかなったという、伊勢丹新宿へ。 2015年版門松は、これです。