2014年9月 の記事一覧

田中敏溥さんの快気と出版を祝う会

田中敏溥・建築家の心象風景 2

9月26日。逸ノ城が、横綱・鶴竜を破った日。巨人が、36回目の優勝を決めた日。東京に、夏が戻ってきたような暑さの日。「田中敏溥さんの快気と出版を祝う会」が、神田の學士会館で開かれた。挨拶に立った田中さんは、“ 快気 ” を語った。
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學士会館「昨年の夏、町の健康診断に行って病状を話したら、すぐ、大きな病院を紹介されました。それが、7月31日。それから、検査、検査、検査、入院、手術……
11月2日まで、入院。胃と食道をとりました。あまり食べられないので、15キロ痩せて。カッコイイって、さっきもいわれましたけどね。体重と身長の関係は、ファッションモデルなみらしい。医者にいわれて、毎朝、7000歩以上、歩きます。雪の日も、台風の日も。カッパを着て歩く。昔はヒドイ生活でしたが、健康になりつつあります。ご心配おかけしました。ありがとうございました」。そして、写真集『田中敏溥・建築家の心象風景』にふれ、「本が売れ残ると、出版社のダメージになるから、みなさん、よろしく」と、心くばり。
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集まった人たちが、みんなそれぞれ、胸に暖かいやさしい気持ちを、抱えているような、そんな気がする、いい会だった。田中さん、おめでとうございます。

 

田中敏溥さんの快気と出版を祝う会田中敏溥さんの快気と出版を祝う会
田中敏溥さんの快気と出版を祝う会田中敏溥さんの快気と出版を祝う会


 
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写真集『田中敏溥・建築家の心象風景 2』は、風土社刊。10月上旬発売です。お楽しみに。

 


なすのサラダ

 

保存食の在庫をチェックしていて

賞味期限ギリギリの、アンチョビの缶詰を発見。

それを活用して

塩水でアクを抜いた「なす」で

サラダをつくってみた。

 

 


「なりふりかまう」という美意識

 

「チルチンびと広場」のオープン前の2011年頭に、『チルチンびと』地域主義工務店の勉強会で、建築家の吉田桂二さんと巡る内子見学ツアーに参加した。伝建地区の復興を手掛けたご本人自らの案内で、私のような素人にもわかりやすく解説してくださるので、木造建築を面白く感じるようになり、以来、出張や旅行のたびに伝建地区が近くにあると聞けば行ってみたりと、自然に意識するようになった。そんなこともあり、帯の「内子町」「町並み村並み保存」というコピーが目に留まって手に取った『反骨の公務員、町をみがく』(森まゆみ著/亜紀書房)。これは内子の町並み保存をゼロから支えてきた一人の公務員、岡田文淑さんへのインタビューで構成された本で、聞き手は地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を創刊した森まゆみさん。この方も東京の町屋保存のため尽力してきた人なので、共に闘ってきた者同士、深い尊敬と信頼があればこその本音トークが繰り出され、町づくりに対する本気の言葉が綴られた貴重な記録となっている。

周囲から反対されようが、同僚からの協力を得られなかろうが、住民から理解されなかろうとも、全然あきらめない。ある意味変人の岡田さんだが、誰よりも町と人を愛する熱いハートの持ち主であり、繊細さと大胆さを併せ持つ策士でもあった。地区の住民を一同に会して上から説明するようなことはせず、戸別に丁寧にそれぞれの気持ちを汲みながら町並み保存の説得にあたった。スクラップ・アンド・ビルドの時代に、木造建築が検証もなく冷やかに評価されることに疑問を持ち、壊さないで残すという選択をし、研究した。いまでは地区のシンボルともなっている内子座の復元や建築家・吉田桂二さんに依頼した石畳の宿を拠点とする村並み保存。“公務員=住民のために働くプロフェッショナル”という信念を貫き、自分の時間と身銭を使ってでも、行政と住民とのコミュニケーションがうまくとれる仕組みを考え続けた。

岡田さんは、「これほど幸福な職業はそうそうないよ」と言い、「しかし僕のやったことがいいこととも思っていない。時間とともにさびるんだから」とも言う。40年間、岩をも砕く情熱で仕事に全力を注いできた人の、清々しくリアルな言葉が全編にわたり溢れている。置き去りにされてきた引き算の美意識を、「なりふりかまう」と表現されていたのが印象的だった。

 

“「ないもの探しより、あるもの自慢」と言ってきた。文化というのはなにか。難しい質問だけど、僕は「なりふりかまう」ことだと思う。隣の家のこと、近隣の住民のことを考えずに、とんでもない大きさや形や色の家に建て直すとか、隣の畑のことを考えずに、農薬や殺虫剤をまくとか。人の眼に自分がどのように写っているか「なりふり」を少し考えてみる必要があるな。(中略)我が村は、「なりふりをかまう」ためには、これからはいらないものを精査して、消していく作業が大事ではないか。あの看板はみっともない、あの道にガソリンスタンドは似合わない、そういって消していくと、もとの美しい町並みと村並みが戻る。”

 

久しぶりに内子の風景を見に、石畳の宿へ泊まりに行きたくなった。

 


彼岸花の咲く頃

彼岸花が咲いた。例年より十日も早い。彼岸花だってこの陽気では戸惑っているんだろう。彼岸花が咲くといつも造化の妙に驚く。一つの花が反っくりかえって全体が燃えるような赤になるのは見ていて飽きることがない。福岡の青年が送ってきた白い彼岸花は芽を出さない。いや、待てよ、白のほうは正確に秋分の日になるのを待っているのかもしれない。(山口瞳『年金老人奮戦日記』)
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こういう山口さんの昔の日記を読んでいたら、彼岸花が見たくなって、小石川植物園に出かけた。入園料400 円。入園券を見て、東京大学大学院理学系研究科附属植物園が、正式名称であることを、知った。入り口で訊くと、門を入ってすぐ左に咲いています、と教えてくれた。
咲いている。咲いている。早い時間なのに、先客(男)二人。カメラを構えている。そのうちのひとりが、「結構、蚊がいますよ」と言った。それを聞いて、少し慌てて、帰った。これが、私の「庭時間」だった。
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『チルチンびと』81号〈特集・庭時間のある暮らし〉は、好評発売中です。

 


第1回・吉田桂二賞

第1回・吉田桂二賞

第1回・吉田桂二賞は、神家昭雄氏の「カイヅカイブキのある家」に、決定。その選考の経緯は『チルチンびと』81号に、掲載されている。この作品のタイトルを初めて見たとき、文学的な匂いがして、なにか短篇小説のタイトルを思わせた。そして、あらためて、カイヅカイブキを辞書で、ひいてみた。……… イブキの一品種。枝がねじれて旋回し、葉はほとんどが鱗皮状。庭木として植栽されるが、ナシの赤星病の中間寄主となるため、ナシ産地では禁忌。(『広辞苑』)とあった。
吉田桂二さんは、講評のなかで、〈貝塚息吹の古木が門前に立つこの家を初めて見た時、入る前なのになつかしい思い出が内部を満たしているに違いないと確信した。〉と、ふれている。
4月25日、賞の第1次選考の日。会場で、吉田さんの姿を、おみかけした。応募作品を見る目は、驚くほど鋭く、この賞にかける想いの強さが、伝わってきた。
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『チルチンびと』81号は、特集・庭時間のある暮らし。
吉田桂二賞の受賞作品、受賞のことば、選評など、ごらんいただけます。

 


フクシマの秋

フクシマの秋

福島県の茅葺き民家で暮らす、境野米子さんから、この秋も「フクシマからのたより」が届いた。(『チルチンびと』81号掲載)
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真っ赤に実ったユスラウメを今年こそと思い、町の測定所に持ち込み、セシウムを測定してもらいました。「検出せず」でした。3年目にして初めてジャムがつくれました。しかし裏山のシイタケ、タラの芽、コゴミ、ウドなどは収穫しませんでした。キノコや山菜はまだまだ線量が高く、茹でずにそのまま天ぷらにしたのでは、セシウムは減らせません。
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ほかにも、自宅の茅葺き屋根や敷地の除染作業のことなど、尽きない苦労が、ある。しかし、そのなかに、こうも書かれている。
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庭のあこちには真っ白なホタルブクロや紫紺色のアザミ、青紫色のツユクサ、ホオズキの花が咲き、早朝の草むしりの時には芳しい香りに包まれ、シアワセを感じます。セシウム汚染にもめげず、また汚染作業をも生き延びた草花が愛おしく思えます。
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原発事故から3年余りがたった。こんなふうに、秋を迎える庭もある、ということを忘れないでいたい。
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『チルチンびと』81号〈特集・庭時間のある暮らし 〉  は、好評発売中です。

 


安西水丸さんの好きだった庭

a  bay  in  the  life

鎌倉山でいつも原稿を書くために使っている家には小さな庭がある。時々植木屋を入れはしているものの、たいていは草茫々である。新春にはあちこちにフキノトウが出る。春にはヨモギが伸び、夏にはあちこちにヒルガオが咲き、秋にはススキが穂を付ける。ドクダミも咲きツユクサもあちこちに花を付ける。まだまだ知らない草花も多い。別に誰かが種を蒔いたわけではなく、何処からともなく出てきたものだ。ぼくはウッドデッキに出てそんな草花を眺めるのが大好きだ。夏の月のきれいな夜には、盆に酒や肴をのせ、草花のゆれるのを目に一人酒をして過ごす。
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安西水丸さんは、本誌の連載「a day in the life」に、“草茫々の庭が好きだ”というタイトルで、こういう文章を書いた。それは、ちょうど昨年の秋。やはり、庭仕事の特集の号だった。それから、もう、1年が、たった。
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『チルチンびと』81号は、特集〈庭時間のある暮らし〉。9月11日 発売です。ベニシアさん、琵琶湖畔の築182年の古民家と庭を訪ねる…… その他、ステキな庭の話題満載です。ぜひ、ごらんください。

 


相馬野馬追2014

7月下旬・・・

太鼓の演奏で相馬野馬追に参加してきました

 

原発の影響で自宅に帰れない地区の方々も

野馬追に参加されていました

 

とても美しい自然と、とても温かい人たち

しかし、所々で見かける

「除染作業中」のお知らせやノボリ・・・

震災前と何も変わらないように見えて

変わってしまった街に

胸が痛みました

 

私たちの想像を超えた辛い思いを

経験した現地の方々から

「東京から来てくれてありがとう」

「演奏で元気をもらった」

などの声をいただき

私たちの方が

たくさん元気を頂きました!!

 

帰りの車の時間の都合もあり

武者行列だけでしたが

見学する時間をもらえました♪

 

甲冑を着て目の前を歩いていく

福島の方々の姿は

とてもたくましくて

かっこよかったです!!

また、福島の方々にお会いできるのを楽しみにしている

amedio(*^_^*)でした

 

 


『あしたのジョー』に会いに行く

あしたのジョー、の時代展

 

やっと行ってきました『あしたのジョー、の時代展』。(練馬区立美術館・9月21日まで)。原画、当時を偲ぶ品品などを見て行くと、力石徹の告別式の展示のところに、きた。その、稽古日程というか、式次第というか、台本というか …… が、ある。その最後は、こんなふうになっている。

「あしたのジョー ッ !」
と一斉に照明器具が客席に向けられて、朝日のように閃き、ロックで「あしたのジョー」が歌われる。
歌 (矢吹ジョー )はマンガの矢吹ジョーそっくりのメイクをしている。

この式の総指揮は、寺山修司だった、という。これとはまったく関係ない、寺山修司の歌を思い出す。 ……  悲しみは一つの果実てのひらの上に熟れつつ手渡しもせず

 


にっぽん

姪の夏休みの宿題は習字で「きぼう」というものだった。よしよし、私がお手本を書いてあげようと筆をとったはいいが、き?ぼ?う… ”き”はどう書くのだっただろう、”ぼ”はこれでよかっただろうか… なんとも情けない話である。”きぼう”ということばが、それぞれ一文字になった途端に混乱してしまった。どうやって”きぼう”とういうことばを私の脳は認識していたのか。

先日、取材のため白山市河内町(旧河内村)にある「おもてなし池田」を訪問した。1日昼と夜、2組限定。野菜メインの身体にやさしい食材を中心としたコース料理を提供してくれるお店。窓の外にはのどかな田園風景が広がる。〆のそばを食べていたころだろうか、目の前の山から猿が2~30ひきほど駆け下りてきた。そば、田んぼ、山、猿、猿、猿…  私の頭の中には”にっぽん”ということばがあった。

おもてなし池田
※「おもてなし池田」は近日中にコラム「オイシイモノ北陸篇」にて詳しくご紹介いたします。