その他

雪の降らせ方

雪

 

今年は 、雪がよく降る。
雪を眺めているうちに、昔読んだ「雪の降らせ方」という、舞台での雪の話を思い出した。舞台幕まわりの品を扱う人を、小裂係といい、雪を降らせるのもその係の仕事だった。
係は、次の月の芝居でどれくらい雪が必要かを調べて雪を仕込む。雪屋さんという商売のひとがいて、ホゴ紙を納めていた。そういう紙を三角形に切って降らせた。三角だとくるくる舞って雪の感じが出る。その紙をを舞台の上に吊るしたカゴにいれて、ひもを引っ張りカゴを開けて雪を降らせる仕組み。雪が降る降らないは季節ではなく、作家による。『伊井大老』の芝居ではよく降った。フィナーレで体が埋まるほどの大雪、32キロくらいの雪が降った。舞台は一幕すんだら次の幕。一面に降った雪を大急ぎで雪かきしなければならない。……
こういう舞台裏の話を聞いていると、降る雪や明治は遠くなりにけり、という句が浮かんでくる。

 


続・田原町「といしや」復活

田原町「といしや」

田原町「といしや」

 

田原町の「といしや」が、復活したという先日のブログを読んで、早速、行って来ました、というひとがいた。ありがとうございます。「当分の間、午前中だけ営業」と店主の話。

店内は、以前と違い、すっかりきれいに片付いている、前は、左右の棚、真ん中のテーブルの上も下も、床も全部、といしで埋まっていた。わずかの隙間の土間のようなところに腰掛けて。親しくなったご主人の野村さんといろいろな話をした。話しているとポツンポツンとお客さんがきた。ある日、いなせな感じの男が入ってきた。野村さんとの会話をきいていると、いかにもプロというふうにみえた。 といしを一つ持って外へ出て行った。
「彼は、とぎ師なんだ」。車にといしを積んで美容院、料理屋などを回って職人のハサミや包丁などを研ぐのが商売。「いま、試しに持っていったといしでなんか研いで来るけど、絶対に触っちゃいけないよ。彼が研いだものは触っただけでキレるから」。ほどなく 、光る包丁を片手にかざして、彼が店に入ってきた。ふつうなら問題風景だが、ここでは商売柄、日常の風景。「いい石だ」というようなことを、彼は言って、かなりの額の金を払って購入した。来週から、ヨーロッパを回って仕事をしてくる、と言って帰っていった。

………

「ある砥石やのものがたり」はコチラからごらんいただけます。

 


田原町「といしや」復活!

田原町「といしや」

 

この「広場」に、かつて掲載された「ある砥石屋のものがたり」を、ご記憶の方、いらっしゃるでしようか。

地下鉄・田原町駅近くに「といしや」という、そっけないというか、わかりやすいというか、そんな看板を見かけ、気になっていた。この店の方にインタビューしてみたい。訪ねて、お願いすると、あっさり断られた。取りつくシマもないとはこのことか。ガンコが着物を着ているような人。ご挨拶にと、持って行ったミカンも、「持って帰ってくれ」。それでも諦めずに四度、五度。やがて「いいよ」という返事をくれた。砥石屋四代目・野村博さん。いい味の話だった。あれからもう、9年以上年たつ。(いまでも、コチラから、その話はごらんいただけます。よろしかったら、どうぞ)

インタビューの後も、何度か遊びにうかがったが、ある時から、お店のシャッターがおりたままになった。それが、何年も続いた。もう、だめなのか。ところが今日、通りかかってみると、新装開店している。ええっ。出てきたお店のひとは、「あのおじさんは、8年前に亡くなりました。僕の父の兄に当たるんです」と言った。「なんとか、天然砥石を続けたいと思いまして、去年10月から始めました」。「うれしいですよ、また始まって」と言うと「お客さんは、みなさん、そうおっしゃってくれて、ありがたいことです」と彼は答えた。


さよなら 三原誠さん

三原誠さん

 

三原誠さんが、亡くなられたという知らせを聞いて、びっくりした。
つい何カ月か前、この“ 広場 ”の「私のセツ物語」に登場したばかりだったからだ。絵と文をお願いすると、快く引き受けてくれて、自分より向いた人がいると、何人かの方を紹介してくれた。
三原さんの原稿は,「夏のテラス」というしゃれた雰囲気のもので、友人の誕生日に近くの八百屋で買って来たスイカを、セツ先生たちと食べる話だった。添えられた絵は、先生とスイカと三原さんらしい人が描かれていた。もしかして、天国でセツ先生と楽しく再会することを、予感していたのかもしれない。まだ、51歳だったという。ご冥福をおいのりします。

……

三原誠さんの「私のセツ物語」は、コチラからごらんいただけます。

 


「私のセツ物語」余聞・余分

丸山伊太朗 デッサン

 

好評連載「私のセツ物語」。今回登場 丸山伊太朗さんは、セツでは、ガリガリのからだを買われて、モデルとして入学、その後、生徒となる。現在は、中野、鳥取などで、カルマなど、カフェを経営。そんな多忙の中、この“広場”でもおなじみ、毎週末にひらかれている「代々木デッサン会」に参加。原稿に添えて、こんなメールが届いた。

…… 久しぶりのデッサン会。やはり描き続けていないと、どこから描いていいか悪戦苦闘。でも、デッサンするのは、楽しい時間ですね。当日、モデルもやらせていただきました。さすが、ポーズは決まっているけど、オナカは出てきたねと、言われてしまいました。……

「私のセツ物語」は、こちらからごらんください。

 


追悼・富永一朗さん

世田谷区立九品仏小学校   校舎・プール落成記念

 

漫画家・富永一朗さんが亡くなった。
『チンコロ姐ちゃん』をはじめ、『婦人公論』の連載「食べある記」などたくさんの懐かしい仕事がある。その作品の一つが、おや、こんなところにも。
「世田谷区立九品仏小学校   校舎・プール落成記念」とあり、タイトルは「春がきた!」。〈風が歌い水がぬるむ春がきました。サア、家族そろって  みどりの野に出てつくしのタンゴ、すみれのワルツを歌いましょう 〉昭和59年2月、富永一朗作とある。
ずっと遺してほしい。

 


超高層ビルの解体

東京海上日動ビル 

 

見出しに大きく「丸内初高層 解体へ」とあり、そあと、景観論争「証人」東京海上日動ビル  /  昭和巨匠作   保存求める声、という小見出し。こういう記事だ。〈 日本一オフィス街、東京・丸内に初めて建てられた高層ビル「東京海上日動ビル」が、再開発で解体されることになった。昭和建築界巨匠、前川國男代表作一つで、計画時は高さへ反対論があり「美観論争」が話題となった。……〉『東京新聞』(4月4日朝刊)。
そして、前川國男が、反対論と戦いながら高層ビルを目指した理由は何だったか。ビル設計に参加した人前川さんが作りたかったは、広場です」という声などが、紹介されている。2023年度解体着手だという。
とにかく、もう一度、見ておこう。

 


3・11 と『チルチンびと「地域主義工務店」の会』

チルチンびと「地域主義工務店」の会』震災支援報告

 

「3・11」から10年ということで、たくさん「あの日」の回想が映像や記事で流れた。この「広場」に掲載された〈『チルチンびと「地域主義工務店」の会』震災支援報告〉も、忘れることができない。
震災直後、地元の工務店に支援の手を、という活動がすぐ始まった。物資の手配、トラックはどうする。ドライバーは?  コースは?  打ち合わせのためのメールが、行き交った。
「こちらで用意した品物は、ブルーシート、ロープ、カップラーメン、電池、トイレットペーパー、飲料水」、「支援物資には、女性用品も必要です」、「うちは、女性社員に品揃えさせました」などというやりとりもある。トラックは 、あちこちで物資を積みながら、東北へ向かう。メールのすべてに善意があふれ、熱かった。やがて、トラックが到着する。〈本日、物資を南三陸町の志津川にとどけてまいりました。衣類、毛布、布団〈わあ、久しぶりの布団だあ)。避難所を出る際、道を歩いている人みなさんから、お礼を言われたのが印象的でした。〉支援物資は工務店とその周辺の方へ届けられた。これぞ、地域主義 !〈涙ばかりでます。ありがとうございます〉という受け取った人の喜びは、また、荷物を運んだ人の喜びでもあった。
このたくさんの感動メールを構成した記事は、すばらしいノンフィクションとなった。
今年の「3・11」に再度ご紹介するつもりだったが、あいにく(?) 3月11日は『チルチンびと』107号の発売日とかさなり、そのお知らせを優先した。


戦場・和可菜ありき〈神楽坂デイズ〉

和可菜

 

神楽坂上から、狭い路地に入り、石畳をゴツゴツ歩いて下りて右、旅館・和可菜がある。文壇の人たちにも愛された、と言っていいのかな。というのも、筆が進まずカンヅメになった人も多いだろうから。それで思い出すのは、作家・野坂昭如  vs  編集者・村松友視。書けない書かない野坂さんを、当時文芸誌『海』の編集者だった村松さんが、和可菜に、カンヅメにした。
これで、一安心など、とんでもない。野坂さん、逃げるのである。外出するのである。そうはさせじと村松氏、入り口近くの部屋に陣取る。客の出入りをチェックするため、チャイムが鳴る仕掛け。これなら逃亡時、音でわかる。一安心など、とんでもない。人の動きを感知する光線の当たらないコースを研究した野坂さん、音を立てずに密かに出かけてしまった、という。
そんな作家と編集者の愉しきバトルの現場。いま、改装中で、消えてしまった。さて、つぎは、どんな新しい顔を見せてくれるのだろう。


チコちやん、ありがとう!

新宿伊勢丹門松

 

昨年暮れのこと。NHK『チコちゃんに叱られる』のスタッフの方から電話がありましたよ、と言われた。 ???  なんでも、「広場」に載った新宿伊勢丹の門松の写真を、番組で使いたいそうです。 ???
正月に、新宿伊勢丹の門松を見に行くのが恒例となった。キッカケは、こうだ。この「広場」のコラムに「あの竹、この竹」という竹工家・初田 徹さんの連載がある。竹にまつわるさまざまな話題をチクコウカの目で描いて、愉しかった。連載の29回「冬の青、春の青」は、各地の門松を見て回つた話。そこで、ナンバーワンは、新宿伊勢丹の門松だったという結論。
それを読んで以来、正月になると、伊勢丹に出かけて、門松の写真を撮り、プログに載せている。チコちゃんから頼まれたのは、そういうイキサツの写真。今年も行きましたよ。今年は門松よりも、入り口はコロナ予防の仕掛けの目立ったのが残念だった。さて、その写真、どんなふうに登場するのかは???  おっと、放送日を書かないと、チコちゃんに叱られる。


………


放送予定
1月9日(土)08:15~

 

 

さて、その後日談。
初め知らされた放送日には、8 日夜もあったが、その日は、コロナの番組に変更され、9日朝。『チコちゃんに叱られる!』の「門松の竹に歴史秘話」のコーナー。なぜ、門松の竹は斜めにカットされているか? それは、徳川家康の八つ当たりにあり、という話。門松の竹はもともと、ずんどうであった。いまでも、銀行や百貨店では、ずんどうの門松が見受けられる。というところで、伊勢丹の門松の写真が、登場!  ほんの一瞬であったが、たしかに登場。
このブログのあの写真に、目をとめてくれたチコちゃん !ありがとう!