工房

陶芸家 ダグラス・ブラックの作品世界

陶芸家 ダグラス・ブラック

 

陶芸家としてだけでなく、インスタレーションなどでも国内外で活躍するダグラス・ブラックさん。彼自身の作品のような、個性あふれるセルフビルドの自宅兼工房を訪ねた。
ダグラスさんの家は、焼き物の郷として全国的に知られる栃木県の笠間と益子。そのどちらからもアクセスのよい茂木町の、ゆるやかな那珂川の流れを望む高台にある。
ここでは、魅力的な作品、作品の舞台裏、そして彼の「住まい観」をたっぷりのぞかせてくれる。

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『チルチンびと』秋 109号は、「特集・この庭が楽しい」。風土社刊。好評発売中。お早めに書店へ!

 

『チルチンびと』秋109「特集・この庭が楽しい」


下町の陶人形作家 芦田康裕『チルチンびと』108夏号の予告篇!

白亞器

 

キセルを片手に煙を吐き出す猫の香炉や、神妙な面持ちでおっかなびっくりお酒を注ぐ猫の徳利。愛らしくユニークな猫の陶人形をつくる芦田康裕さん。 『チルチンびと』108夏号にその制作風景が紹介されています。
千葉県市川市、下町の住宅街の一角。ひっそりと佇む工房「白亞器」。バス通りに面する開口から光が射す。明るく清潔な工房内に一人、ノートPCを横目に作陶する芦田康裕さんの姿があった。…… もとより陶芸やものづくりに興味のあった芦田さんは、高校卒業後、瀬戸窯業高等学校の陶芸専攻科へ進学。修了後は美山陶房の寺田康雄氏に師事し、2008年に独立した。当初は生計を立てるには、ほど遠い売り上げだったと振り返る。
そんな折、たまたま作陶した猫の箸置きに、反響があった。現在では、200人ほどが作品をこころまちにしている。その作品の数々を誌上で、どうぞ。

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『チルチンびと』108夏号〈風土社刊)は、6月11日発売です!お楽しみに。

 


波佐見焼

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お気に入りの小皿♪

最近ハマっているのは

波佐見焼

いいなぁ~と思って

手に取ってみると

波佐見焼が多いです

 

この小皿は築地の場外市場で購入♪

 

いつか、長崎の波佐見町に行って

ギャラリーめぐりをしたいなぁ~と思う

amedio\(^o^)/でした♪

 


ささのはの旅

菓子切「ささのは」は、竹工家・初田徹さんの原点ともいえる形。基本に立ち返ることを忘れず削りつづけて千本。道のりを終えようとするその数本手前の二本が届いた。約3年半前、餞別にいただいたものと並べて、しみじみとしてしまう。

 

sasanoha

 

毎回、竹を通していろいろな気づきをもらえるコラム「あの竹この竹」も43回を迎える。こういう少しずつのたゆまぬ積み重ねは、やり遂げた人にしかわからない境地へ人を連れて行くんだろう。そしてきっと、そこからしか始まらない場所への歩みが、新たに始まるんだろう。背筋がのびるような、嬉しい便りだった。

 


「日本のへそ」から生まれるショール

 

播州織の産地、兵庫県西脇市にある玉木新雌さんのアトリエを訪ねた。ここは東経135度線と北緯35度線が交差する日本列島のど真ん中。京都からだと新幹線で新大阪まで行き、高速バスに乗り換える。隣県ながらちょっとした旅行気分。西脇市に入ると古い建物や、播州織の文字もちらほらと見え、織物の街として栄えてきた風情を残した昔ながらの街並みが現れる。そこを少し過ぎ、上野南のバス停で降りて5分ほど歩くと玉木さんの工房がある。

白く広々とした建物をキャンパスに溢れる色。絶妙な色彩感覚で織りなされるショールやウエアがずらりと並ぶのが外からも見え、建物に入る前からワクワクする。「こんにちは」とおずおず扉を開けるとスタッフさんたちが笑顔で迎えてくれた。スタッフの阿江さんも気さくに話しを進めてくださるので初対面の緊張も完全にほどけてリラックスしながら待っていると、玉木さんが現れた。まっすぐ自然体で、周りを元気にする力がこんこんと湧き出て、全く威圧感がないのに強いエネルギーのある人だった。それがアトリエ中に伝播しているせいか、働く皆さんものびやか、にこやか。生き生きと仕事されているのが伝わってくる。

 

 

真ん中が玉木新雌さん、右隣が海外・広報の阿江美世子さん。スタッフ皆さん、いい表情!

 

 

洋服屋の家に生まれ服飾を学び、東京で服のデザイナーをしていた玉木さんは、はじめは一対一の対面でオーダーメイドの服作りにこだわっていたが、次第にそのやり方には限界を感じ、もっとたくさんの人に「これしかない!」と思うものを見つけて自分なりの着こなしを楽しんでもらいたいと思い始めた。それを可能にしてくれる生地を探し求めていたとき、ある見本市で出会ったのが播州織だった。糸を先に染めてから織る先染めの手法と、縦糸横糸の織りなす細やかな表現に感動するも「繊細すぎて遠目からじゃわからない。もっと大胆な色遣いにしたほうがいいと思う」と、思いついたことをそのままブースに立っていた人に告げると、なんと職人さん張本人。播州織の師匠となる西角さんとの出会いだった。彼は、「ほなそうしてみよか」と玉木さんのリクエスト通りのものを後日わざわざ作ってくれたそうだ。それが今日のtamaki niimeブランドを産み出すきっかけになった。当時、玉木さんが希望したような大胆な色づかいの生地にはあまり需要がなかったが、せっかく作ってもらったものを生かさねば、とそれらを買い取り、自分でこの生地を生かした作品を作ろうと思い、この地に移り住み、古い織機を買い取って、職人さんに教わりながら見よう見まねで生地づくりを始めた。さらりと言うが、この潔さ。どれだけ肝っ玉が座っているのだ!?と思った。

 

ほぼすべて一点もので色合いが違い、手織りのような柔らかで贅沢な触感のショールを、どうしてこれだけ求めやすい価格でしかも大量に作れるのか?聞くと、大量生産をしてきたこの土地では受注ロットも大きく、いくらこだわりを大切にしていても小ロットではコストがかかりすぎる。産業を残していくことも考えてある程度価格を抑えながらオリジナルの物づくりができる方法を考えた。そして昔ながらの機械を使いつつも着物やシャツの生地とは異なる緩い密度で、ふんわりと柔軟性を出す独特の織り方を産み出したのだそうだ。

 

 

完成品は家庭用の洗濯機で少量ずつ丁寧に洗い、色落ちやほつれがないかまで確かめる

 

 

玉木さんは毎日、その日に使う糸の色を決める。棚を見ているとその色が浮き上がってくる。普段から目に入るものはなんでも意識するけれど、わざわざ糸選びのためにインスピレーションの源を探すということはないという。流行も一切無視。体から出てくる色だ。それでも実際に織り上がるものがイメージと違うことはしょっちゅう。そのたびにちょっと待った!と機械を止め、糸を掛けかえることもしょっちゅう。その手間暇をかけたいがための自社工場だ。スタッフさんもニット専門、織り専門、と一応分かれてはいるが、初めのうちはすべての工程を知ることから始まる。現在は、玉木さん一人でなくスタッフ皆さんでデザインや糸選びなどのアイディアを出し合い、次世代を育てることも既に始めている。

 

 

玉木さんの“今日の閃き色”がこの棚に集められる。

 

 

 

 

オリジナルウォーマー only one bosoを製作中のニットご担当者。

 

 

玉木さんのものづくりは、伝統を踏襲しつつもかなり大胆でオリジナル。それゆえ始めは地元からの拒否反応もあったそうだが、常に理解し応援してくれる人もいた。なによりここで生まれたものを喜んで使ってくれる人たちがいた。ともあれ思いついたら試す。自らやれることは全部やる。周りに無理を通さない。これでダメならああやってみよ。玉木さんの辞書に言い訳という文字はない。今後の夢は「日本のへそ」たるこの西脇市から、世界の人にtamaki niimeのつくるものを届けること。そして、世界からこの場所へ遊びに来てもらうこと。そのため秋には念願だったもう少し広い場所に移って、新たな展開を準備中だという。この人ならば無理せず自然に「世界」に手が届くだろう。言葉の隅々にそう思わせる説得力があった。

 

 

 

工場近くに畑を借りて、綿花を育てている。

 

 

話を聞き終え、阿江さんにアトリエを案内していただいた。ガシャンガシャンとリズミカルな織機の音が響く。玉木さんの「閃きの糸」が置いてある棚も、色指示の表もすべてオープン。少し離れたところにあるアトリエで、さらに古い織機を見せていただいた。黒光りした鉄と木の骨組みが重厚堅固で、昔のモノづくりの確かさを物語る。同じ場所では織専門のスタッフさんが熱心に新しい柄を織っている最中。古いものを大事に扱いながら新しい挑戦をたゆまず続ける「温故知新」を体現しているアトリエだった。

 

 

 

古い織機の存在感。細部の歯車まで美しい。

 

 

 

 

機械を細かく調整しながら新柄を織っていく織専門の職人さん。

 

 

最後にお店をじっくり拝見させてもらった。見れば見るほど欲しいものだらけで右往左往しているうちに、不思議なことに自分のためにあるような色が見つかる。身に付けるとふんわり優しく、温かく、バイアスを生かして形が自由自在に変化する。「邪魔くさいのは嫌」という玉木さんの作るコットン作品は、洗濯機で洗ってOKの気軽さもいい。

 

 

グラデーションに並ぶ棚。どの色も欲しくなる。

 

 

2月のプレゼントは、tamaki niimeさんオリジナルの万能ウォーマー“boso”の中から春に向けての4色を選びました。この柔軟性の高さ、色の美しさ、ぜひ味わってください。どうぞお楽しみに。

 


家具から生まれる、豊かな暮らし

 

第13回の彩工房 暮らしと住まいのセミナー「山の家具工房」田路宏一さんを迎えて、家具作りや家具の選び方、お手入れ方法、家具との暮らしなど、多方面からの家具のお話をうかがった。

田路さんは京都市旧京北町というところで無垢の木を使って家具や木の道具を作られている。庭には大きな栗の木があり、大きなヤギが3匹いて、工場跡地のような広い建物の中に工房と自宅があり、自宅内装はご自身の手による木のぬくもりが感じられるとてもすてきなお住まい。仕事の合間を縫って少しずつ変化しながら完成中だ。工房には木をストックしたり加工するための場所と道具が揃っていて、たいていのことはお願いすればできるような理想的な環境で制作をされている。(詳しくは田路さんのブログから)

そんな田路さんがつくる家具は、洗練されたフォルムを持ちながら、触ってみると柔らかく、素朴さ、強さ、温かさが感じられて、どれも使ってみたくなる。椅子の心地のよさと扱いやすい軽さ、テーブルの角の部分、足の部分のカーブや天板の裏に設置された反り止めなど匠の技が目立たぬようさりげなく生かされていて、見えないところまで美しく機能的。眺めているだけで家具が本来持つ意味を教えてくれるような作りになっている。木は生き物なので、必ずしも人間の思い通りにはならない、そのことを十分理解し木の命に尊敬を払った家具作りは、手間や時間がうんとかかるけれど、その木が本来持つ強さ、しなやかさや色合い、木目の美しさ、など性質が生かされ長持ちする。

それは木の家づくりとまったく同じ、と彩工房の森本さんも頷く。速さや安さを求める世の中の流れは止められないとしても、置いてきてしまったものは大きい。無垢の木の家や家具は使うほどに味わいと美しさが出て、壊れても直して使えるし、暮らし方の変化に合わせてリメイクやリフォームがしやすい。大切に育てていくという楽しみ方がある。まずはお気に入りの家具をひとつ探して使ってみることから、無垢の木のある生活をはじめてみるのがいいかもしれない。お二人からはそんな共通の課題や提案が出ていた。それもハードルが高そうだったら、器など生活雑貨から取り入れて、お手入れの仕方や木の特性を知るのも楽しいと思う。

修行時代にシェーカー家具の師匠のところで教わった、美しいチェストをひとつ持ち、その中に納まるものだけで生活していく、という話は田路さんにとても影響を与えたという。家具作りだけでなく、そこから生まれるシンプルな暮らし方を教わったことは、いまの田路さんご一家の暮らし方とご自身の家具作りに繋がっているそうだ。それでも、独立したてのころは、自分の好きなものを作っていていいのか、お客さんの希望はなんでも叶えてあげるべきなのじゃないかと迷うこともあった。いまは自分の作りたいものがわかってきた。信念を持って好きなものを作っているとそれが形に表れ、しっかり言葉にできるようになるし、相手にも伝わる。大切な家具ひとつ持って、そこから始まる暮らしがあってもいい。というお話が心に残った。

 


奈良「古梅園」さんに行ってきました

先月、「和の手ざわり」の取材で奈良の 「古梅園」さんに伺った。こちらは、かの夏目漱石が「墨の香や奈良の都の古梅園」と詠んだことでも有名な、奈良の誇る墨づくり400年余という由緒ある老舗。近鉄奈良駅から徒歩10分ほど歩くとひっそりと静かな路地に、風格のある看板が見える。


店舗兼、事務所兼、作業場、窯、倉庫も兼ねる大きくて重厚なお屋敷は、そこだけちがう時代の空気を纏っているよう。やや緊張しながら戸を開けると、おなじみの長方形の墨の他に、細工が施してあるもの、色付けしてあるもの、丸いものや硯を模ったユニークなものなどさまざまな墨が並んでいる。師走はとくに製造、販売ともに繁忙期と伺って、かなりの慌ただしさを想像していたけれど、ほのかに墨の香りが漂い、喧騒を微塵も感じさせない静謐さに気持ちが鎮まる。さらに、広報ご担当の袋亜紀さんが、とても気さくに朗らかな雰囲気で対応してくださったので、すっかり緊張が解けてしまった。

店舗から奥の煤取蔵を案内していただく。荷車用のレールが、敷地の奥まで続き、歴史を感じさせる。

香ばしい胡麻油の香りがしてきた。古梅園さんでは、菜種油を主に、椿油、桐油など植物性の油を使って採煙をしているのだが、この日はちょうど珍しく胡麻油とのこと。煤取蔵では、土器に灯芯を挿して火を灯し、蓋に付いた煤を取って、これが墨の原料となる。

この灯芯の太さが墨の質を左右する。細いほど煤の粒子も細かくて品質の高いものになるそう。この灯芯をきっちりと作れるようになるだけでも、個人差はあるものの何年もかかる。また、火を灯して放っておけばいいのではなく、均等な質の煤をつくるために15分ごとに45度ずつ蓋を回しながら、まんべんなく煤を付着させていく。200もの器を、むらが出ないように回す。気の抜けない作業の繰り返しとなる。

蓋のうらにまんべんなくついた煤

こうして集められた煤を、江戸期から使われているレンガ造りの窯で煮溶かした膠と混ぜ墨玉をつくり、香料を混ぜる。


動物の骨や皮からつくられた膠を延々と煮るのだから、相当な匂いを放つのではないかと思ったら、これが驚くほど匂わない。

数代前のご店主が手に入れ保存してあるものを使っていて、ここまで良質のものはいまではつくられておらず、今後の課題とのこと。

こうしてできた墨玉を練り上げていく様子が、奥の作業場で硝子戸越しに見学できる。新しい職人さんがこの作業を初めてするときは、しばらくは腰が立たなくなるほど身体を酷使するものだという。寒さの中、黙々と墨玉を練り上げ、踏みしめる姿は静かで厳かで、写真一枚撮るのも申し訳なくなるほど。といいつつ撮らせて頂く。

練り上げられた墨は梨の木型に入れる。梨の木は非常に強くて、江戸時代からのものもまだ実際に使えるものが残っているそう。昔の人は情報もないのによくそんなことを知っているなと不思議に思った。

成型された墨は木灰をかぶせ乾燥させるのだけれど、これも昔から使われている木箱に入れ、水分を吸い取ったら、水分の少ない木灰の入った木箱に移し替える・・・という作業を繰り返し、これを大きさにもよるけれど一か月ほど繰り返すという。代々の墨の香りを吸った木灰でうっすら曇った作業場にいると、タイムスリップした気分になる。

灰乾燥が終わった段階で、約7割の水分が抜け、残りは藁で編んでつるして自然乾燥。こちらも木の倉庫で3カ月から半年ほど。



すべての工程が効率とは正反対の恐ろしく手間暇のかかる、けれどその手間が墨のよさを磨く重要な要素。そのことを実際すべての工程を自分の目で確かめ、また何度も何度も訪れる方に同じ説明をしているだろうにもかかわらず、しっかり熱のこもった袋さんの説明を聞いて、すっかり納得してしまった。

私がいま通っている書道の先生は、この工程や背景を知らなくとも「いろいろ試したけれど墨は古梅園さんのものがいい」とおっしゃるので、いわれるがままこちらの墨で稽古をしているけれど、この見学を経て改めてそのことがありがたく思えたし、ずっとこの技術と品質を絶やさないように使い続けようと心に決めた。

 

本年もよろしくおねがいいたします

 


ひこ遠足のこと

 

アトリエひこは、ダウン症と重い心臓疾患をもつアーティスト・ひこくんのお母さんが、1994年に自宅でスタートし、ひこくんと同じように長時間の作業や活動が困難な仲間たちが集まって絵を描いたり、遠足にいったりする自主運営のアトリエ。縁あって、こちらの遠足に何度か参加させてもらっている。

ひこ遠足は、本当は絵の先生だけどみんなの保護者でもあり友人でもある史子せんせい、81歳ながら往復の運転をしてくれ、釣りや山菜摘みを教えてくれ、なんでも自作してしまう武爺せんせい、好奇心が旺盛で明るくストレートなひこくん、ひこ母さん、寡黙な釣り好きのなかくん、伝統、美、紙と文字にこだわるくにちゃん、慈愛に満ちた笑顔の癒し系せっちゃん、おしゃれお嬢様のかよちゃん、という個性豊かなメンバーが入れ替わりながら、午後から夕方の数時間、毎週どこかへ出かける。大阪近郊中心に、京都や奈良や和歌山などいろいろな場所で、お花見や、山菜天ぷらパーティーや、野点をしたり紙ヒコーキとばしたり。彼らは先天的な身体の障害もあり、山道を歩いたり言葉のやりとりが難しいときもあるれど、二人のせんせいが、それぞれの心身のコンディションを本当によくわかっているからみんな安心して個性全開で過ごしている。それぞれやりたいことを素直にやって、かなりマイペースだけどやさしくて、居心地がいい。それは作るものにもそのまま表れている。

世間は狭いもので、ある日奇遇にも、史子せんせいと田中茂雄さん がお知り合いだとわかった。ちょうど田中さんのところでなかくんの作ったものを焼いていただいたというので、先週作品を受け取りがてらgallery其無が遠足のコースになった。明日香村に溶け込み、田中さんの手仕事がすみずみに生かされていて、人間本来の暮らしを思い出すような素敵なところだった。

田中さん邸は『チルチンびと 80号』にも8ページにわたって掲載されていますので、ぜひご覧ください。記事は「7代先につなげたい、先人の心」 の近藤夏織子さんによるもの。風土と歴史に根差した田中さんの暮らしぶりが、近藤さんならではの視点で書かれています。チルチンびと広場からもこちらで冒頭部分を ご覧いただけます。

 

 

くつろぐくにちゃん

 

 

焼きあがったなかくんの作品は、とても面白かった。

 

予想のつかないかたち

 

 

ひこ画伯はいまアトリエで、田中さん邸で別れ際まで離れがたそうに撫でていたグレーの猫のことを描いているらしい。

 

 


山陰の旅 ― 島根・湯町窯編 ―

加藤休ミさんのクレヨンお相撲画展(観るだけで元気が出た!)が観たくてnowakiさんに行くと、牧野伊三夫さんが『四月と十月』で取材した湯町窯に絵付けをしにいくのだけど一緒に行かないかと誘ってもらった。こんな機会はめったにないと便乗させてもらうことにしたのが今回の旅の始まり。

※この旅が決まって数日後、安西水丸さんがお亡くなりになった。私は絵と文章と写真を通してしか存じ上げないが、とくに76号の鳥取民芸の旅と、今回79号の鎌倉山のご自宅の民芸ライフの特集は何回も読み、紙面を通じて水丸先生とカレーと器談義するのを妄想したりして、勝手に身近な存在に感じていたので、あまりに突然でショックだった。ほんとうに、心からご冥福をお祈りします。そして、毎号の素敵な絵と文章を、ありがとうございました。

 

京都から湯町窯のある玉造温泉まではバスが出ている。夜行バスで約6時間。だけど玉造まで行くと温泉街価格だし、駅から少しかかるし、松江に泊まったほうがいいよ、前の日出雲を回って私も松江に泊まってるから、着いたら電話くれたら朝ご飯用意しておくから。と、いつもながらどこまでも気配りのゆきとどいたnowakiご店主のみにちゃんに言われるがまま、宿を松江にとった。朝牧野さんたちと待ち合わせ、玉造温泉に移動する電車の中で、大きな花かごを背負ってオレンジのジャンパーを来た花売りのおばちゃんに牧野さんいきなり「お花、すごいですね」と話しかける。後姿もしみじみと可愛く、みんなで見送った。

 

座っているだけで咲いているみたいだった

 

湯町窯は、現在4軒ある布志名焼の窯元のひとつ。駅に看板もあるけれど、なくてもわかるぐらいに徒歩すぐだ。

到着と同時に湯町窯のご当主、福間琇士さんが手にふきのとうを持ちながら現れ、「あら先生、娘さんたちつれて(笑)」とにこやかに出迎えてくださった。黄色や飴色、青色の艶やかな丸みのある器がたくさん並んで、早くも欲しいものだらけの予感がする。二階を案内していただくと、棟方志功、バーナードリーチ、河井寬次郎、山下清らが絵付けした貴重な作品が何気なく置いてある。その辺にさらっとかけられた竹かごや座布団やテーブルランナーも、手仕事のいいものが集まっていてちょっとドキドキした。

 

褌一丁で絵付けをする山下清氏の写真と当時の新聞記事が

 

絵に感動しつつ「うーむ・・・」と見つめている牧野さんに、福間先生はさくさくと絵付けの説明をし、下で我々皆にお抹茶とお菓子を出してくださり、少し世間話をした後、すでに準備の整っている奥の工房で絵付け開始となった。ゆったりとこちらをくつろがせてくださるかと思えば、気づくと見えなくなって次の行動に移られている。生粋の職人さんらしい、素早く、静かで無駄のない軽やかな身のこなしがかっこいい。

絵付けの方法にはいろいろあるけれど、今回は素地に塗った化粧泥が乾かないうちに竹べらでひっかくようにして絵を描くスタイルで、これは牧野さんの絵とすごく相性がよさそうだった。好奇心丸出しの編集者、もしくは酔っ払いのおじさん、この二つは両立できるのでだいたいそういう姿を目にすることが多いけれど、絵を描き始めると牧野さんはとたんに画家になり、どこからみても画家なのだった。あたりまえなのに不思議な姿。

その間我々は町を散策することにした。玉造というだけあって“まが玉”づくしの町だった。ちょっとぐったりきて宍道湖でぼーっとする。晴れて暖かかったので、お昼はみんなで土手に座ってお弁当を食べた。川沿いの桜並木はいまにも咲きそうなつぼみが無数についている。あまりに気持ち良くて寝ころぶと、シャーッと女子学生が自転車でプリーツスカートをひるがえしながら通り、牧野さんの頭の上を通るときはその速度が上がった。そんな長閑な昼餉・・・。午後は宍道湖沿いに車で10分ほどの雲善窯見学へ。御用窯として開かれた雲善窯は、初代で布志名焼の品質を向上させ、大名茶人でもあった松平不昧公の愛護を受けた二代目が「雲善」という号を受けて黄釉を改良されたという、布志名焼の歴史に大きく影響してきた窯だった。

 

つつましやかな雀の香合

 

ここまできたので玉造温泉街まで足をのばしてみる。玉作湯神社は願い事のかなうパワースポットということで、若き女性たちもよくみかけたが、またもまが玉攻めにあい、早々に湯町窯に戻ると、この絵付け企画の発起人、富山総曲輪(そうがわ)の民芸と器の店・林ショップの林悠介さんが到着していた。林さんは『四月と十月』vol.24の、これはちょっともう画家であり編集者である牧野さんにしかできない「湯町窯の画家」という取材記事を読んで、この企画を考えた発起人だ。14時間もかけて富山から車で来たということで、目が充血していて眠そうだった。松江の町もすこし散策したかったので、あれこれ目移りしながら器選びをして、ここで湯町窯のみなさんにさよならをした。

 

焼き上がりがとても楽しみ(林ショップ、nowakiで入荷予定)

 

 

松江に戻り、前日みにちゃんが発見したというイマジンコーヒーさんに行く。焙煎機が置かれ、いい香り。この4月6日には湯町窯で出張コーヒーをされるのだそう。湯町窯にこの香りが漂うのは、いいなと思う。

お店でもらった「タテ町商店街マップ」をもとに、昭和の香りがする古い町並みを歩く。奥で機織りをする女性の姿が気になって、ちょっとお話を聞くことにした。みにちゃんは京都に帰る時間となり、ここでお別れ。ありがとう。ありがとう。

美術大学を卒業後、倉敷で手織り草木染めを学び、出雲織の青戸柚美江先生に師事され、昨年「直と青」として独立されたばかりの飯田奈央さんは、畑で自ら育てた和綿で紡いだ糸を染めたりもされる。美しい青と白を生かした爽やかな反物が印象的だった。彼女もおすすめのSOUKA 草花さんにご挨拶に行きたかったけれど、残念ながら定休日。もうひとつ教わったobjectsさんを訪ねた。夕日が移る川面の傍らに佇む、風情のある建物、窓から漏れるオレンジの灯り。映画みたいだ。

「ここは昔テーラーだった建物をほとんどそのまま使っています。昭和8年からほとんど変わってないと思います。変える必要がないですね。こういう古いものや器をしっかりと受け止めてくれる重厚さがあります」と話してくれたご店主の佐々木創さん。ちょうどこの日は「古いモノ展」が開催されていて、常設とは違うとのことだったけれど、長いこと愛されてきた物たちの静かな自信に満ちた感じがじわじわと漂っていて、ずっと長い間こうだったかのように店に馴染んでいた。しばらく話していると、こちらのご店主が先ほどの林さんと一緒に旅をしたこともあるほどの仲だということが判明して驚く。

 

さて、130枚ものお皿の絵付けを無事終えた牧野さんから連絡が入り、なんと福間先生が奥様と一緒に松江までいらしてくださるそうだ。信じられない。さすが人たらし。めったに夜の街に出かけることがないという福間先生が、昔行っていたおでん屋ひとみさんの店に連れて行ってくださった。ひとみさんは50年もこの店をやっておられる美人女将。おでんはもちろん、どて焼きも、お刺身も、さっと炙って出してくれたうるめいわしも、全部美味しい。いかが出てくると「いかさまですわ~」ぶりがでてくると「おひさしぶり!」と秒速で繰り出される先生のほのぼのした洒落はもう駄洒落の域を超え職人技。楽しくて、感動しっぱなしの夜だった。誘ってくれたみにちゃんがこの場にいないのが申し訳なく、残念だった。

 

福間先生には何も取材らしきことをできなかったけれど、あたたかくて、やさしくて、かわいらしくて、面白くて、仕事にはめっぽうストイックだけど人に厳しさを押し付けなくて、軽やかな、すてきなお人柄がほんとうによくわかったし、それが全部器に現れていて、先生の小さな分身のようなその器を、いま毎日使っているから満足だ。

 

(鳥取編へ続く)

 


「昇苑くみひも」さんの工房を訪問しました

「和の手ざわり」の題材を考えていて昨年HINAYAさんのテキスタイルマルシェで目にしたkmihimonoiroのリーフレットのことを思い出し、「昇苑くみひも」さんに連絡をしてみた。取材をお引き受けくださった営業課長の能勢将平さんのお話は、記事に載せ切れないところも個人的に興味深いものだったので、こちらで番外編を。

 

人類が二足歩行となり衣類を着て狩りを始めるころから、紐はその汎用性、柔軟性を生かして人間の生活に密着した道具となっていった。そのことは世界のいたるところで遺跡や文献などからも発見されているというけれど、日本はとくに世界の中でも「組紐」の技術が圧倒的に発展した国だそうだ。一番盛んに使われたのは戦国時代に武具を装着する紐、これは確実に激しい消耗品で、職人の数も増え、技術が向上した。西洋の甲冑などと比べると断然、軽くて動きやすそう。一刻を争う戦場で、紐を結わくタイプの武具をささっと着けられるのは、指先が器用な日本人ならではという気もするし、日本人と紐は相性がいいみたいだ。実用面を支えただけではなく、兜や鎧に「揚巻(あげまき)結び」という飾り紐を着けて縁起をかついだという。

 

目の前でその形を結んで見せてくださった

 

一見、同じ形に見えるけれど、上は「人型」、下は「入型」といって真ん中の結び目の方向が逆になっている。通常の社寺宮廷の儀式などでは入型を使うのだが、戦場では敵や矢が入ってくることを除ける意味をこめて、それと逆の人型にする。ひとつの武具に実用の紐と、形式的な紐が備わって、もう神頼みというより紐頼みの戦というかんじだ。

 

ある結び方教室に参加したとき聞いたという話も、とても興味深かった。組紐と「結ぶ」という行為は密接な関係にあるけれど、これと音の近い言葉に「ムスヒ(産霊)」があり、この「ムス」は「苔生(む)す」などと同じく「産まれる」という意味を持つ。これは神道の考え方で、なにもないところから万物が産まれ、またその命が繋がっていくことをも意味するそうだ。冠婚葬祭や神事ではしめ縄、水引、リボンなどの「結び目」はいまでも普通に使われているし、紐を結ぶ行為に命を讃えるとか、祈りの気持ちがこめられているのは、なんとなくわかる。話を聞きながら、最近参加したダンスのワークショップで、二人一組で紐の端と端を持ってたるませないように動くというのがあって、相手の空気を捕まえるのに紐がとても役に立ったのを思い出した。「組紐とダンスって似ている気がする」などと唐突なことを口走ったのだけれど、能勢さんは「あ、それはあとで見ていただく作業場で、紐を組む機械の動きがまさにダンスをしているような動きというか。もっとそれを感じられるもしれません」とすんなりと受けてくださる。組紐みたいに柔軟な方なのだ。

 

出していただいたお茶のコースターも、さすが組紐

 

 

こちらの工房は大きく工場、作業場、教室の3箇所に分かれている。工場には編み方の異なる30種類以上もの製紐機がずらりと並んで圧巻。この機械も結構な歳月を経ていて、ローラーと歯車とハンドルで動く。油を含んで鈍く光る鉄の味わいがいい。言われた通り、ダンスフロアをクルクルと回転するみたいに動く。真ん中に紐が集まって美しい組紐が生み出される様子は、生き物のようにもみえてくる。この機械を作る会社も少なくなって、なかなか修理に出せないので自分たちでメンテナンスも行うのだそうだ。機械任せでハイ、終わりではない。

機械にかける糸の下準備。糸巻き作業中

こちらも糸の下準備。糸を縒る作業中

右へ左へ回転しながら組まれる色とりどりの紐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥の小さな作業場では、小物を作る人、試作品を作る人、伝票管理をする人、集配の袋を提げて戻ってくる人、それぞれご担当作業の真っ最中で、朝一番忙しい時間帯にお邪魔してしまったのに、みなさん気持ちよく挨拶してくださり、作りかけの作品を見せてくださったりと温かい。

最後に教室にお邪魔した。昔ながらの手組み道具のカランコロンという木の軽やかな音がして、垂れた糸がカラフルで楽しそうに見えるけれど、設計図を見ると「???」読み解くのも簡単ではなさそう。

織機に似た高台。人が台の中央に座る

設計図・・・

可愛い丸型の台

 

 

 

 

 

 

 

 

この教室で技術を習得した地元近隣の住民の方々に「このデザインのものだったら○○さん」というようにその人の時間と技術に合わせてスケジュールを組んで仕事を分担し、材料の配布と出来上がった製品の回収に回る。「昇苑くみひも」さんの商売は、地域の方々の協力なしには成り立たないという。

 

春には組紐体験教室ができるように倉庫を改装準備中とのこと。ぜひ参加してみたいです。「昇苑くみひも」のみなさま、ありがとうございました!

「和の手ざわり」は、今月24日頃更新予定です。