土地の変遷
が家が国立に引っ越してきたとき、借りた家は木造の二階建ての安普請だったことは、すでに書いている。南側には瀟洒な山小屋風の邸宅があって、日野か八王子の裁判所に勤務する方のお住まいだった。西側は何度か書いている廃墟のような工場跡と打ちっぱなしのゴルフ・レッスン場だった。
そして東側は私道を隔てて百坪ばかりの農地で、そのころは栗の栽培が行われていた。おそらくは税制上の問題で、更地にするよりは、なんらかの作物を栽培して、農地として登録しておいたほうが安上がりということだったのではないかと推測している。なぜならば、そこで収穫できる栗が、量も少なく商品としてまかり通るとは、とても思えなかったからだ。記憶している限り、誰かが手入れをしたり、栗の実を拾い集めていたりする姿を見たことなかった。
その後、この栗林は一棟の二階建てアパートに変身して、学生や夫婦者が入居することになる。下に四軒、上に四軒だから最低でも八人、場合によっては十六人余りが入居していることになり、それなりに賑やかなものだった。しかし、何時の頃からか、入居者が一人去り、二人去りと空き室が目立つようになっていたのだった。…