土地の変遷(2)

私道を隔てた東側にあった二階建てのアパートが無人になり、しばらくそのままになっていたが、取り壊されて更地になり、売物件という大きな看板が建てられた。東側から、変奇館の全容を眺められることは、これまでなかった。こんな機会は滅多にあるものではない。僕はさっそくデジタル・カメラを手にすると、はじめて距離を隔てて眺めた変奇館を撮影した。実は、西側のアパートが取り壊されて更地になったときも変奇館の西側を、充分な余裕をとって撮影してある。

 去年の初夏、市道を隔てた西北の奥様が変奇館を訪ねてみえた。滅多にあることではなく、何事かと思ったら、引っ越されるということで、我が家にも挨拶に来られたのだった。
 僕は意外なことに絶句するのみだった。というのも、ほかでもない、このお宅は瞳が初めて国立に引っ越してきたときからのご近所なのだ。…

土地の変遷

我が家が国立に引っ越してきたとき、借りた家は木造の二階建ての安普請だったことは、すでに書いている。南側には瀟洒な山小屋風の邸宅があって、日野か八王子の裁判所に勤務する方のお住まいだった。西側は何度か書いている廃墟のような工場跡と打ちっぱなしのゴルフ・レッスン場だった。
そして東側は私道を隔てて百坪ばかりの農地で、そのころは栗の栽培が行われていた。おそらくは税制上の問題で、更地にするよりは、なんらかの作物を栽培して、農地として登録しておいたほうが安上がりということだったのではないかと推測している。なぜならば、そこで収穫できる栗が、量も少なく商品としてまかり通るとは、とても思えなかったからだ。記憶している限り、誰かが手入れをしたり、栗の実を拾い集めていたりする姿を見たことなかった。

その後、この栗林は一棟の二階建てアパートに変身して、学生や夫婦者が入居することになる。下に四軒、上に四軒だから最低でも八人、場合によっては十六人余りが入居していることになり、それなりに賑やかなものだった。しかし、何時の頃からか、入居者が一人去り、二人去りと空き室が目立つようになっていたのだった。…

犬の話(5)

いいかげん、犬と縁がないという話は止めてくれという声が聞こえてくる。ご心配なく、これが最後です。さすがに僕も飼い犬とは縁がないのだと気がついたが、その最後通牒のような犬は、血統書付きのシェパードだった。瞳が国立に引っ越してきて、しばらく経った頃、まだ家は賃貸で安普請の木造二階建てだった。これを後に買い取り、さらに数年後に新築して変奇館と名づけたのだった。

 それはともかくとして、シェパードの件だ。瞳は当時、野球の観戦記事を書くことが多かった。また、キャンプを訪れるというような連載も持っていた。スポーツ紙Hの担当者のNさんは、ご自宅も多摩地区で国立から近く、個人的にも親しくしていた。
 そのNさんは、当時としては珍しかったのではないかと思うが、趣味で犬のブリーダーをしていた。それも、山間の新興住宅地の広い庭を利用してシェパードの繁殖をしていたのだ。一度、一家でお邪魔したことがあるのだが、玄関先では大きなフクロウが飼われていて、生物が好きな僕は、すっかり魅了されてしまった。そんな僕を見て、子犬が生まれたら差し上げますよ、ということになってしまった。これまでの経緯をみれば、お断りするのが順当だったのだが、Nさんと父の間で、そんなことになってしまったのだった。…

犬の話(4)

つくづく飼い犬とは縁がないようだ。
 あれは、まだ元住吉の社宅に住んでいたころだろうか。
 父、瞳の畏友であった伊丹十三(当時は一三)さんから、自分が飼っている犬を譲りたいという連絡があった。…

犬の話(3)

 henki_1013うお気づきかもしれないが、僕と犬の相性が悪いというか、ご縁がないというのか。
 本来、生き物は苦手なカタツムリとナメクジをのぞいて、なんでも好きで興味があるのだが、どうも犬を飼育するという機会には恵まれていないようだ。
 僕が小学校の四年の二学期が終わると同時に住み慣れた港区麻布から川崎市木月大町に転居した。もよりの駅は東横線の元住吉だ。…

犬の話(2)

僕が生まれる前から家にいたムクちゃんという犬が研究所に預けられてから暫くして、同居していた叔父が血相書付きのコリーの子犬を買ってきた。オス犬であり五月生まれだったことからメイ介と叔父が名づけた。
 我が家の男の子はみな、名前に介をつけることになったのは、僕が正介だったからだ。嫁にいった叔母は嫁ぎ先の決まりに従わず、実家に倣って、僕の一年半ほどあとで生まれた長男に龍介と名づけた。同居していた件の叔父は自分の長男に雄介、次男に俊介という名前をつけて、我が家の伝統にしたがったのだった。

 そんなところにやってきたのがコリーの子犬だった。何の躊躇もなく、あっさりと男の子だから、メイ介だ、ということになってしまった。いくら男の子だろうと、犬にまで伝統の介の字をつけなくてもいいだろうと、僕はちょっと不満だった。…

犬の話

飼飼い犬の話は最後まで残しておこうと思っていたのだが、最近になって少し触れてみたくなった。
 僕の生家は大所帯で十余名が一緒に暮らしていたのだが、Kさんという老夫婦も同居していた。この方は遠縁だと思っていたのだが、あとから他人であることがわかった。
 そのご主人が我が家の裏庭で飼っていたのが、ムクちゃんという雑種の中型長毛犬だった。僕が物心ついた頃にはすでに老犬になっていたから、いつ頃からいたのかはわからない。…

延段(のべだん)のその後

変奇館がその威容を現した建設当時、仏教彫刻家で父、山口瞳の畏友であった関頑亭先生が庭に延段を造ってくれたことは、この連載の最初のころに書いた。
  庭に井戸を掘ったときに出てきた握り拳ほどの石が沢山あったので、それを利用したのだ。
 入り口を起点として、上から見たときに「入」る、という字に見えるように敷くのが常道であると頑亭先生に教えられた。このような建築設計や作庭における室町、鎌倉時代からの口伝に詳しい方だった。…

珍鳥がやってきた

前言訂正。数カ月前に今年は庭にウグイスが来ないと書いたが、五月の下旬になって、頻繁にその声を聞くようになった。毎日、朝晩、近所の見回りをするように渡ってきて、ひとしきり鳴くと去っていく。
 ご存じのように鳴いているウグイスは姿を見せないという。極まれに樹木の少し開けた小枝に停まっている姿を垣間見られることがある。かねて用意の双眼鏡で覗いてみると、小さな身体を精一杯膨らませて口を大きく開くと全身を激しく震わせるようにして大きな声でさえずる。かなり体力を消耗するのではないだろうか。

 我が家の庭が狭いことは何度が書いている。また、その狭いところに樹木を密植したために深山幽谷の趣があるということにも触れている。その昼なお暗い狭い空間に、毎年、一度は見かけない鳥がやっている。毎日、飛来する鳥もいれば、通りすがりの一見さんもいるところが面白い。…

歯についての色々なこと(2)

物心ついたときから虫歯に悩まされていた、ということは先々月、書いた。
 小学校の低学年のころ、母に連れられて近所の歯医者に通ってた記憶は、すでにおぼろげなものになっている。そのころから今治水を使用していて、一滴垂らすと、不思議なことに歯痛が一時的に軽減するということを知っていた。後年、映画「マラソンマン」を観たとき、主人公を演じるダスティン・ホフマンが歯痛を押さえるために使うところで、我が意を得たりとばかり膝を打ったのは僕ぐらいのものではないか。主成分はチョウジ油で、なにやら怪しげな小瓶に入っていたのも映画と一緒だった。

 小学校の定期的な健康診断で歯科医から、何本も抜歯という宣告を受けるのは辛かった。…

ウグイスが鳴かない

当分の間、歯科医療について書いていこうと思っていたのですか、この時期でなければ書けないことができた。
 毎年、冬になると変奇館の庭に牛脂をぶら下げるとシジュウカラやメジロがやってくるということは何度か触れている。その他に、ヒヨドリとムクドリが牛脂を突つきに来る。また、キジバトが地面に落ちた種子などを捜しに現れる。このあたりは常連客ということになるだろう。
 その他に、毎年、かならず何度かはアオジ、ジョウビタキ、ツグミがやってくる。…

歯についての色々なこと

ものごころついてから今に至るまで、歯では苦労をした。虫歯もさることながら、小学校の低学年のころでも、ちょっと歯茎を吸ってみると出血し、同級生にドラキュラの物真似をしては嫌がられていた。
 昨年、一念発起して大工事を敢行した。およそ丸一年をようした治療の結果、インプラントが三本と根管治療が一本、水銀アマルガムを充填してあった歯三本を無害なものに交換した。これが我が歯科治療人生における二度目の大工事だった。一度目は高校の三年間をようした虫歯療後の歯列矯正だ。

 思えば、両親ともに歯が悪い。これは遺伝なのだろうが、日頃の手入れを怠ったせいでもある。父も母も五十代には二人とも総入れ歯に近かった。…