庭師志願

書斎の模様替えを終えて、仕事が捗るようになった。とはいえ、だからといって一生懸命、仕事をする訳ではない。何かと雑用を思いつき、そうだあれをやらなければ、などと考えている。
 春先に電動草刈り機が壊れた話は書いただろうか。我が家の庭は決して広い方ではないが、手入れを怠ると廃屋の荒れた庭同然になってしまう。それを何とか回避するために春先と夏前の二度、生え放題になっている野草を軽く剪定する。

 そんなことで、見様によっては芝生のような景観が出現する。ただし理想は廃園を模した英国式庭園だ。…

模様替え

数年に一度、部屋の模様替えをしたくなる。

 自室の中で机とベッドの位置を替える程度の模様替えなのだが、ある日、突然、やる気になる。おそらくは、若かりし頃、舞台の仕事をしていて舞台転換をやることがあったからだろう。椅子やテーブルを動かすだけで居酒屋になったり応接間になったりするのは面白いものだ。
 なんのことはない、何年間かのうちに色々な物が室内に散乱して、今風にいえはゴミ屋敷、汚部屋になってしまうので、それを解消したくなるのだ。うずたかく積まれた、主に書籍類を整理して動線を確保する。…

古民家に憧れて

タイトルに惹かれてNHKのBSで放映された「カールさんとティーナさんの古民家村だより」を観た。ここには、僕が理想とする住まいの姿があった。新潟の寒村で、打ち捨てられ、朽ち果てた古い家屋の再生に挑む。とはいえ、ドイツ人である建築家、カールさんの古民家再生は通常とは少し違っている。

 普通は百年を越す民家から使える部材を取り出し、足りない部分を補って移築するというものが主流となるだろうか。つまり、元通りの姿に戻すことに主眼がおかれる。
 しかし、カールさんは部材を最大限、利用しながらも現代の生活にマッチするように、最新の機能も添加する。…

万年塀の蔦(2)

最近、知り合いの若い女性庭師に訊いたら「フィカス・プミラは悪魔の植物。未だに花屋で売られているのが信じられない」とのことだった。
 僕がこんなことになるとはついぞ知らず、植えてしまったフィカス・プミラは猖獗を究め、我が家の万年塀を覆いつくすと、隣家の側、つまり南側の日当たりを求めて前進を開始していたのだ。それを増築に伴い、隣家は撤去なさっている。これを好機として、僕も同じ植木屋さんにお願いした。

 実は、親の代からいつも庭仕事をお願いしている地元の植木屋さんがいる。この方は父、瞳の作品にも何度か登場しているので、ご存じの方も多いと思う。しかし、今回ばかりは隣家が依頼している建築事務所を通して、知り合いの植木職人を紹介してもらった。…

万年塀の蔦

我が家の南隣りのお宅が増築することになったことは、ちょっと前に書いた。その増築部分は我が家ともっとも隣接する場所だった。
 二軒を分けるのは、我が家がこの家に引っ越してきたときから変わらない、いわゆる万年塀というものだ。つまり、昭和三十年代中頃にはすでに存在していたことになり、デザインも当然のことながら当時の物だ。
 我が家は変奇館と綽名がつくほどの現代建築である。確かに引っ越してきた頃の家は木造二階建てで、万年塀とは相性がよかった。しかし、どうにも現代建築には、似つかわしくない。現在の南隣りのお宅は、アーリー・アメリカン調とでもいうのだろうか、とても素敵なウッディ・ハウスであり、カントリー・スタイルの外観は、これも万年塀にはそぐわない。増築部分も、このデザインを踏襲された。…

カラス避けゴミ・ネットの行方不明

我が家の周辺がにわかに慌ただしくなり、私道を隔てた東隣りと北西の斜め向かいが更地になった話は前回までに書いている。
 それにともない、向こう三軒両隣のゴミを出す場所が変更になった。特に困ったのは斜め向かいの更地が拙宅のゴミを置く場所だったことだ。それまではこのお宅の方が出してくれていたカラス避けのゴミ・ネットが出なくなった。正確にいえば、そのもう一軒先のお宅が確保していて、随時、出すシステムになったようだ。

 このゴミ・ネットは滅多に出ていることがない。早朝、このお宅を訪ねてゴミ・ネットを出してください、とは言えない。…

ゴミの捨て場の行方

わが町のゴミ収集は分別方式で有料(ごみ袋を買う)である。
 燃えないゴミ、燃えるゴミ、ビン、カン、ペットボトル、新聞など、雑誌類、古着類などなど。そのほかに粗大ゴミなどは役所に届けを出せば取りにきてくれるようだ。
 大昔のことは知らないが、僕がはじめて親に言われてゴミ出しをした頃は、西隣りのT家との境界線上に置くことになっていた。…

境界線について

我が家の東側に私道を隔てて二階建てのアパートがあったが、取り壊されて売り土地という立て看板が建てられているということは、すでに書いている。
 ある日、遅めの昼食を近所の中華蕎麦屋でとろうと思って、自転車に乗って東側の更地の前まできたら、この更地に隣接するお宅のご主人が土地測量の業者と話し込んでいる。それだけで、僕にはだいたいの事情が飲み込めた。
 例の境界線問題か、僕はため息まじりに、事の成り行きを眺めながら、一旦は通りすぎたのだった。…

土地の変遷(2)

私道を隔てた東側にあった二階建てのアパートが無人になり、しばらくそのままになっていたが、取り壊されて更地になり、売物件という大きな看板が建てられた。東側から、変奇館の全容を眺められることは、これまでなかった。こんな機会は滅多にあるものではない。僕はさっそくデジタル・カメラを手にすると、はじめて距離を隔てて眺めた変奇館を撮影した。実は、西側のアパートが取り壊されて更地になったときも変奇館の西側を、充分な余裕をとって撮影してある。

 去年の初夏、市道を隔てた西北の奥様が変奇館を訪ねてみえた。滅多にあることではなく、何事かと思ったら、引っ越されるということで、我が家にも挨拶に来られたのだった。
 僕は意外なことに絶句するのみだった。というのも、ほかでもない、このお宅は瞳が初めて国立に引っ越してきたときからのご近所なのだ。…

土地の変遷

我が家が国立に引っ越してきたとき、借りた家は木造の二階建ての安普請だったことは、すでに書いている。南側には瀟洒な山小屋風の邸宅があって、日野か八王子の裁判所に勤務する方のお住まいだった。西側は何度か書いている廃墟のような工場跡と打ちっぱなしのゴルフ・レッスン場だった。
そして東側は私道を隔てて百坪ばかりの農地で、そのころは栗の栽培が行われていた。おそらくは税制上の問題で、更地にするよりは、なんらかの作物を栽培して、農地として登録しておいたほうが安上がりということだったのではないかと推測している。なぜならば、そこで収穫できる栗が、量も少なく商品としてまかり通るとは、とても思えなかったからだ。記憶している限り、誰かが手入れをしたり、栗の実を拾い集めていたりする姿を見たことなかった。

その後、この栗林は一棟の二階建てアパートに変身して、学生や夫婦者が入居することになる。下に四軒、上に四軒だから最低でも八人、場合によっては十六人余りが入居していることになり、それなりに賑やかなものだった。しかし、何時の頃からか、入居者が一人去り、二人去りと空き室が目立つようになっていたのだった。…

犬の話(5)

いいかげん、犬と縁がないという話は止めてくれという声が聞こえてくる。ご心配なく、これが最後です。さすがに僕も飼い犬とは縁がないのだと気がついたが、その最後通牒のような犬は、血統書付きのシェパードだった。瞳が国立に引っ越してきて、しばらく経った頃、まだ家は賃貸で安普請の木造二階建てだった。これを後に買い取り、さらに数年後に新築して変奇館と名づけたのだった。

 それはともかくとして、シェパードの件だ。瞳は当時、野球の観戦記事を書くことが多かった。また、キャンプを訪れるというような連載も持っていた。スポーツ紙Hの担当者のNさんは、ご自宅も多摩地区で国立から近く、個人的にも親しくしていた。
 そのNさんは、当時としては珍しかったのではないかと思うが、趣味で犬のブリーダーをしていた。それも、山間の新興住宅地の広い庭を利用してシェパードの繁殖をしていたのだ。一度、一家でお邪魔したことがあるのだが、玄関先では大きなフクロウが飼われていて、生物が好きな僕は、すっかり魅了されてしまった。そんな僕を見て、子犬が生まれたら差し上げますよ、ということになってしまった。これまでの経緯をみれば、お断りするのが順当だったのだが、Nさんと父の間で、そんなことになってしまったのだった。…

犬の話(4)

つくづく飼い犬とは縁がないようだ。
 あれは、まだ元住吉の社宅に住んでいたころだろうか。
 父、瞳の畏友であった伊丹十三(当時は一三)さんから、自分が飼っている犬を譲りたいという連絡があった。…