歯についての色々なこと(2)

物心ついたときから虫歯に悩まされていた、ということは先々月、書いた。
 小学校の低学年のころ、母に連れられて近所の歯医者に通ってた記憶は、すでにおぼろげなものになっている。そのころから今治水を使用していて、一滴垂らすと、不思議なことに歯痛が一時的に軽減するということを知っていた。後年、映画「マラソンマン」を観たとき、主人公を演じるダスティン・ホフマンが歯痛を押さえるために使うところで、我が意を得たりとばかり膝を打ったのは僕ぐらいのものではないか。主成分はチョウジ油で、なにやら怪しげな小瓶に入っていたのも映画と一緒だった。

 小学校の定期的な健康診断で歯科医から、何本も抜歯という宣告を受けるのは辛かった。…

ウグイスが鳴かない

当分の間、歯科医療について書いていこうと思っていたのですか、この時期でなければ書けないことができた。
 毎年、冬になると変奇館の庭に牛脂をぶら下げるとシジュウカラやメジロがやってくるということは何度か触れている。その他に、ヒヨドリとムクドリが牛脂を突つきに来る。また、キジバトが地面に落ちた種子などを捜しに現れる。このあたりは常連客ということになるだろう。
 その他に、毎年、かならず何度かはアオジ、ジョウビタキ、ツグミがやってくる。…

歯についての色々なこと

ものごころついてから今に至るまで、歯では苦労をした。虫歯もさることながら、小学校の低学年のころでも、ちょっと歯茎を吸ってみると出血し、同級生にドラキュラの物真似をしては嫌がられていた。
 昨年、一念発起して大工事を敢行した。およそ丸一年をようした治療の結果、インプラントが三本と根管治療が一本、水銀アマルガムを充填してあった歯三本を無害なものに交換した。これが我が歯科治療人生における二度目の大工事だった。一度目は高校の三年間をようした虫歯療後の歯列矯正だ。

 思えば、両親ともに歯が悪い。これは遺伝なのだろうが、日頃の手入れを怠ったせいでもある。父も母も五十代には二人とも総入れ歯に近かった。…

入浴方法あれこれ(2)

昔確か大友柳太朗主演だったと思うが、小原庄助さんの映画で、朝寝坊している庄助さんを三太夫が起しにきて、「殿、もう起きてください」と言うと、庄助さんが「朝寝は我が家の家訓である」と応じる。それに対して三太夫が、「これ以上寝ていると昼寝になります」と答えて、庄助さんがあわてて起き出す、という場面があった。

 僕も、かつては昼寝に近い時間まで寝ていたが、寄る年波で、現在は七時前には起きている。酒はもっぱら夜酒になる。
 したがって、深夜に帰宅してから入浴するのは、はなはだ危険である。脳卒中や心臓麻痺は飲酒して高温の湯船に漬かったときにおきやすいという。…

入浴方法あれこれ

朝寝朝酒朝湯が大好きでという小原庄助さんと同じ名前をもつだけに、朝寝朝酒は好きだが、朝湯となると、ちょっと事情が違っていた。
 実は父、瞳も僕もあまり積極的に風呂に入るほうではない。特に好きなわけではないと言うと、驚かれるだろうか。
 瞳は旅先の温泉だと、一日のうちに何度も入浴するくせに、自宅にいるときは、思い出したときに、一日おきぐらいで入っていたのではないだろう。…

冬支度

 短い秋があっと言う間に去り、また極寒の冬が来る。
 変奇館では毎年、初冬に冬ごもりの作業をすることになる。といってもご大層なものではない。

 最初にするのは牛脂を最寄りの肉屋で分けてもらうことだろうか。よくすき焼きの肉を買うとおまけに数片の牛脂を付けてくれるが、あれを一キロいただくことにしている。…

米とネズミ

土鍋で御飯を炊いているということは、すでに書いたような記憶がある。中蓋がある土鍋で、充分な厚みがあり、途中で火力を調節しなくていいのが購入理由だった。
 とはいうものの、晩御飯はほとんど外食になるので、自宅で夕食をとるのは、年に数えるほどしかない。
 したがって、買い置きの生米があまってくる。イタリアなどではパエリヤやリゾットには古米のほうがいいというので、珈琲豆を熟成させるようにして、何年も保存した商品が高額で取引されている。しかし、これはあくまでも脱穀する前の状態で、しかるべき温度湿度の中で大切に保管されているものだ。…

台風一過

母の死後、今後のことも考えて、二階から中二階の、それまでは納戸にしていた五畳ばかりのスペースを寝室に改装したことは、以前にも書いている。そのとき、徹底的に防音と遮音を考え、またたっぷりと断熱材を挿入してもらった。
 このため、道路に面しているにも関わらず、枕元を通過する自動車の騒音もまったく聞こえなくなり、振動もつたわらなくなった。それはいいのだが、当初から風が強く吹くと、壁の中で異音がするという現象が現れていた。僕は壁の中に排水管でもあり、それが鳴っているのだろうと思っていた。

 今年の九月八日、珍しく、台風一五号が関東を直撃した。それでも寝室は風音もなく、まして家が揺れるようなこともなかった。…

建売考

すでに触れていたかもしれないが、わが家が国立の現住所に引っ越してきたとき、南側には百二十坪ほどの敷地に二階建ての木造の山小屋風のお宅が建っていた。
 東側は私道を挟んで八十坪ほどの、なんと栗林だった。これは農業として栗の実を採取するためのもので、整然と栗の木が植えられていた。
 北側は市道を挟んで日展の彫刻家のお宅で二百坪の敷地に工場のようなアトリエと立派な茶室を含む母屋があり、拙宅に面した部分は平屋の賃貸アパートであった。…

免許皆伝

自慢じゃないが、およそ賞罰や資格とは関係ない人生を歩んできた。唯一の資格ともいえるものが普通自動車の免許だろうか。
 きちんとした企業に就職していなかったので、学校を卒業してから、これといった身分証明書ももっていなかった。運転免許証がもっとも手っとり早い身分証明書であったことから、教習所に通うようになったことは、前回、少し触れた。
 幸い、時間だけはたっぷりとあった。これはもう時効だろうが、教官の一人と義理の叔母が知り合いだったことから、少しばかり予約時間などを優遇してもらえるという恩恵にも預かった。…

車庫の屋根(2)

 なんで最初に言ってくれなかったんですか。正介さんは運転しないと言っていたじゃないですか。
 と、変奇館を設計した建築家に言われてしまった。僕が都内の生活を切り上げて実家に戻ってきたときのことだ。それに伴い、僕の部屋と父の書斎、また六畳敷きの日本間を二つ増改築したことは何度か書いていると思う。
 そのときに北東の角地を駐車場にしてくれと建築家に頼んだのだった。それならば、そもそも最初に設計したときに駐車場も造ったのに、というのが建築家の主張だった。…

車庫の屋根

五月四日の午後四時ごろ、自宅周辺で時ならぬ雹が降った。僕は夕刻から都内で未見の映画を観ていたので、実際に降っているところは目撃していないのだか、直径が二センチ近くもある雹が盛大に降ったらしい。
 側溝に流れたものが排水口に堆積し、同時に降っていた雨量も激しく、雹が詰まって排水できずに道路は冠水してしまったという。日が暮れてから、僕は最寄りの駅を降りたのだが、五月とは思えない冷気を感じたので、何事だろうと思い、立ち寄った行きつけの小料理屋で事情を聞いたところ、雹が降ったのだという。

 深夜に帰宅してから、テレビのニュース番組を観ていたら、はたして被害は甚大だという。それも隣近所の町内の映像が使われている。…