柚子の木を切る

母が亡くなる数カ月前の十二月ごろだったか、庭に鶏卵大の黄色いものが落ちているのに気がついた。何だろうと思ったが、思いつくものがない。間近で見ると、それは何かの果実であり、夏みかんのごときものであった。もしかしたら鳥が運んできて、ここで落したのだろうか。そう考えながら、頭上を見上げてみると、そこには柚子の木が枝を延ばしていた。そして、枝先に数個の果実が実っている。

 この木は父が植えたものだろうか。あとで物知りに聞いたところでは鬼柚子といって野生のものではないかという。だとしたら、本当に鳥が運んできた実生の樹なのかもしれない。
 俗に桃栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿十八年、などというらしい。植えてから実がなるまでに十八年はかかるということだ。
 この年、始めて実をつけたのだろう。父が亡くなってから、その年は十六年目であったから、計算は会いそうだ。もちろん、父は柚子の実を見ることなく、亡くなった。
 母に、柚子が実ったよ、と報告すると、果たして、いい顔をしない。この辺りの母の心情は理解しがたい。父が楽しみにしていたものが、今になって、現実となったことに対する落胆のようなものか。
 その後、当たり年と外れの年を経て、昨年などは五リットル入りのバケツに十杯ほども収穫できて、なお枝には数えきれないほどの実が残った。
 この柚子を伐採しなければならない、という事態が出来した。まさかこれほどの繁茂するとは父も知らなかったのだろう。植えたのは南の塀際であり、建物との間は一尺半ほどあるかないか。つまり枝は建物の側面を削り、屋根の上に大きくはみ出している。これに加えて、隣家が増築なさって、これもまた柚子の木と接触している。お隣にははみ出した枝は切ってください、とお願いしている。これは境界を超えた樹木を切る権利は隣家あると、僕が理解していたためだ。ところが、最近の新聞記事を読んだところ、もしも樹木などの枝が敷地を超えたときは隣家側が樹木等の所有者に申し立て、所有者側が伐採する、というのが決まりであるらしい。

 早晩、柚子の枝は隣家の壁を傷つけ、拙宅の壁と屋根にも被害を与えるだろう。
 活きている樹木を伐採するのは忍びないのだが、と判断を躊躇している。