木を伐る奴は嫌な奴

男男性自身』シリーズの第35回目は「イヤな奴」と題して、いい奴と嫌な奴の類型を上げている。少し長くなるが引用してみる。
- まず、学生なら、成績がわるくてもいいから一所懸命に勉強してる奴、勉強しようとしてる奴が、いい奴であると彼は思った。(中略)それなら、嫌な奴は、というときに咄嗟に“木を伐る奴”というイメージが浮かんだという。-(『イヤな奴』より。

 文脈と当時の状況から考えて、これは瞳に『江分利満氏の優雅な生活』を書かせた名編集者、矢口純さんの考え方だと思われる。矢口さんも国立の住人で動植物に詳しい粋人として知られていた。
 瞳も同感したから『男性自身』に書いたのだろう。ということなのだが、困ったことが出来してしまった。変奇館の庭木を数本、切らざるを得なくなったのだ。
 先だって、隣家との狭い空間に生えていたユズを、思い切って根本から伐採した。隣家の壁と変奇館の壁をこすり、削るようになってしまったためだ。切ってみるとなかなかにスッキリした空間が現れた。瞳の死後、三十年近くになり、庭は荒れ果てていたのだった。私道の際に植えたブナの枝が電線に触れるというので、定期的に市役所の係の方が枝払いをしていく。その結果、随分と不格好なものになってしまった上に、三分の二ばかりが枯れてしまった。過度の剪定が仇となったか。
 この夏の暑さのためか、異常気象のためか、やはり私道沿いに繁茂していたアメリカハナミズキが突然、枯れてしまった。
 数年前に近所の大学構内の校庭で数㎝に育った実生のモミジを数株、失敬したということがあった。この中の一本が立派に育ったのだが、数週間前に突然、枯れてしまった。友人の庭師に訊いたところ、カミキリムシの被害だろうという。今年は同様の突然枯死が頻発しているとのことだった。
 僕は嫌な奴にならざるを得なかった。

 昔から懇意にしている植木屋さんに連絡して、この三本を伐採してもらうことにした。ユズと合わせてかなり大きく育った四本の木を伐ることになったのだ。作業は、一日で済んでしまった。延びるのには数十年を要したというのに、切るとなると、あっと言う間なのだ。枯死したものは仕様がないとはいえ、生木を伐るのは忍びない。僕は兼ねて用意の酒を切り株に注いで供養とした。夏空が広がり、意外にも清々しい印象になった。