隣のおじいちゃま

作家の子孫がその作家についての思い出を語るという『週刊朝日』(七月十五日号)の『作家の子孫』は志賀直哉のお孫さんである山田裕さんの回であった。
 その文中にある、「おじいちゃまは私が大学2年のときまで存命でした」という個所を読んで、僕は我が意を得たりと膝を打った。

 山田さんは学習院大学卒業で70歳だから僕よりも一つ若い。おそらくは、生まれ育ちも東京だろう。僕は兼ねてから東京のハイソサイティー、山の手の良家の子女は祖父母を“おじいちゃま、おばあちゃま”。両親を“おとうちゃま、おかあちゃま”また、兄弟を“おにいちゃま”などと、“さま”や“さん、ちゃん”ではなく、“ちゃま”と呼ぶと思っていた。
 ちょっと前の話になるだが、新潮社の名物編集者、斎藤十一さんが亡くなられたとき、その葬儀の席で、僕は親族側に知り合いがいたので驚いたことをエッセイに書いた。
 その男性は建築畑の人で、出版関係者ではなく、まして親族席にいるのが不思議だった。
 挨拶すると、「おじいちゃまは、お隣さんで子供の頃から、よく遊んで貰っていた、とても優しいひとでした」とのことだった。鬼編集長とよばれた斎藤さんもご自宅では、柔和な好々爺然とした生活だったのだろう。
 このことをエッセイに、「中年男性が『おじいちゃまは優しいひとでした』と言った」と書いたら、担当者が朱を入れて、「若い女性が『おじいちゃまは優しいひとでした』と言った」と直してあった。
 僕は、若い女性を消して、中年男性と再度、戻して提出しても、また“若い女性”と書き直されていた。そんなことが何回が繰り返されて、僕ははたと気がついた。担当者は“ちゃま”は女性言葉だから、中年男性が“おじいちゃま”などと言うはずがない、これ誤字だと頭から思い込んでいるのだ。

 その後、僕がどうしたか忘れたが、気取った書き方をしないで、最初から、「同席した中年の男性が斎藤さんのことを“おじいちゃま”と呼んだので、ああ斎藤さんも東京の山の手の、それもハイソサイティーの伝統にしたがって“おじいちゃま”と呼ばれていたのか。斎藤さんもハイソサイティーの方だったのだ」と素直に書けばよかったのだ。
 かつて麻布に住んでいたころ、祖父母が一時、ご一家がそのまま住んでいた明治の元勲、桂太郎の豪邸に間借りしていたことがあり、そちらにお邪魔すると、僕は正介ちゃまを短縮して“しょけちゃま”と呼ばれていた。