終の住処は、至近の距離

高高校の二年から三年にかけて、およそ一年強、変奇館から徒歩二分程度のマンションに住んでいた。
 マンションとは名ばかりで、都営団地というか、六畳二間に三畳間、バストイレと台所といった間取りで、鉄筋コンクリートの三階建て、一階はそれぞれ十戸ほどだっただろうか。
 当時の正式名称はグリーン・マンションという。我が家が入居したときは三棟だったが、そののち同じ設計で三棟か四棟が増築され、大手の企業の社員寮になっていた。

 国立に引っ越してきたころは借家であったが、大家さんが転勤先に永住することにしたので買い取ってくれ、ということになり、購入したという経緯がある。
 その後、数年して老朽化が進んだので解体して新築することになった。
 この件については何度も詳述しているので省くが、新居はH鋼を組み上げて発泡コンクリートの板を張り付けるという、いわばプレハブであるので、工期は数カ月が見込まれ、誰が捜してきたのか、至近距離に新築のアパートがあったので、一時的に引っ越したのだった。それが件のグリーン・マンションである。
 ところが、この一時的と思われた引っ越しが一年を超える長期になってしまった。
 拙著『父・山口瞳自身』(P+Dブックス・小学館)に書いたので、細かい事情は割愛するが、有体にいえば、隣家との境界線争いが出来したのだった。
 トラブル嫌いの瞳は終生、このことについて言及しなかった。『男性自身』の中でも、簡単に匂わせただけだった。
 裁判ざたになり、工事は頓挫して、コンクリートの基礎が長い間、放置されていた。

 ということで、グリーン・マンションで長い時間を過ごすことになったのだが、せんだって前を通ると解体工事がはじまっていた。そんな過去があるで、何事かと思って掲示板を見ると、社員寮と老人ホームになるという。しかし、一般に公開される老人ホームなのだろうか。私企業の退職者を対象とした福利厚生のための施設になるのかもしれない。勝手知ったる、ここを終の住処とするのも悪くない。なにしろ高校時代を過ごした、様々な記憶にある場所なのだ。
 散歩がてら、工事現場を眺めて、そんなことを考えるのも老後の楽しみではないか。