庭師志願

書斎の模様替えを終えて、仕事が捗るようになった。とはいえ、だからといって一生懸命、仕事をする訳ではない。何かと雑用を思いつき、そうだあれをやらなければ、などと考えている。
 春先に電動草刈り機が壊れた話は書いただろうか。我が家の庭は決して広い方ではないが、手入れを怠ると廃屋の荒れた庭同然になってしまう。それを何とか回避するために春先と夏前の二度、生え放題になっている野草を軽く剪定する。

 そんなことで、見様によっては芝生のような景観が出現する。ただし理想は廃園を模した英国式庭園だ。
 そんなことなので、春先に草刈り機を手にしたところ、最初の一振りでブレード部分だけが、どこかに飛んで行ってしまった。これがたいして広くない庭のどこにも見当たらない。未だに捜しているが見つからない。
 そんなことで草刈りは中断され、盛夏を迎えたころから、庭は盛大に生い茂った名前わからないイネ科の野草で覆われていった。
 どうも毎年、見ている庭とは感じが違うなあと思っていた。それが草刈りをしていないせいだと、やっと気がついたときには八月も終わろうとしていた。
 件の草刈り機は、近所の量販店で購入したものなので、取説を読み返してみたら、はたしてスペアのブレードの型番が書かれていた。発売元に電話すると、現行商品で、買った量販店から注文してくれれば、取り寄せが可能だという。さっそく購入して、やっと秋口になって庭の草刈りを実行した。
 年明けの寒椿から梅、辛夷、テルハノイバラ、クレマチスから水仙、彼岸花、秋明菊、その他、順不同で真冬をのぞいて一年中、なんらかの花が咲いている庭を目指している。その循環が半年ばかり草刈りをしていなかったら破綻してしまったのだ。自然の力は恐ろしい、と同時に畏敬すべきものだ。
 ちょうど「チルチンびと」本誌で「動いている庭」という本と概念を教えられた。僕が目指している庭も同じ志向なのではないだろうか。かつて繁茂していたシャガはすっかり少なくなったし、ツワブキも元気がない。庭の表情は毎日、毎年、変化していく。

 書斎の模様替えのあとは、少しさぼっていた庭仕事に精を出してみよう。手をかければ植物は必ず答えてくれる。七十の手習いだが、庭師として植物と会話してみようか、などと大それたことを考えている。