定年後の飲み友達

社会人が友を語る新聞コラムに、「会長を辞任したと友人たちにハガキで連絡したら、新しい飲み友達を探さなければ、という返事が来た」とあった。
 少し疑問に思ったのだが、それと同時になるほどなあ、と何得するところもあった。
 せんだって、駅前の行きつけの店で飲んでいると、数十年にわたる常連客がやってきて、今月限りでこられなくなります、と言う。 どうしたのかと、思ったら定年退職だということだった。
 ずっと自由業であった僕が、与り知らぬサラリーマン生活の一端を知ることとなった。会社に在籍中は仕事帰りに一杯やっていくのが習慣だったが、それが出来なくなるということか。

 僕のような生活をしていると、これからは年金暮らしで、毎月、決まった収入があるのだから、安心して飲めると思うのだが、違うらしい。
 俗に接待費で落とす、ということがあることは知っている。僕も友人たちが定年退職する、最後の一年ばかり、彼らの接待費で、ずいぶんご馳走になった。あまり外聞がいいことではないが、功成り名遂げて、潤沢な接待費枠があったのだろう。
 その翌年から、彼らが僕と飲むことはなくなった。
 退職金と年金があるとはいえ、基本的な生活費、残っている家のローン、場合によっては子供や孫の教育費、老後の医療費、たまには夫婦で小旅行、などど考えたら、仕事帰りによって仕事の鬱憤をはらしていた飲み屋など、行く必要もなくなるのだろうか。
 それにしても、寂しいと思うのは、日常的に行きつけの店に通い続けている、僕のような存在だ。
 たまには出てこいよと声を掛けるのだが、なかなか重い腰が上がらないようだ。
 老後の健康のためには、他人としゃべることが大事だといわれている。
 家庭で老妻と晩酌を傾けるのもいいかもしれないが、一日中、家にいて奥さんにも煙たがられているという話も聞く。

 四月に入って、いつもの居酒屋に行くと、定年退職したはずの件の男が、うれしそうな顔をして坐っている。
「やっぱり、来ちゃいました」とはにかんだような笑顔を浮かべ、美味そうに盃を傾けていた。つまり、そういうことなのだ。