立に引っ越してきたとき、庭に差し渡し一メートル半ばかりの瓢箪池があった。生き物が好きな僕は、さっそく金魚を買ってきて、その池に放した。何度もふれたように、両親は生き物の飼育を好まず、犬猫を飼うことは許されなかった。しかし、辛うじて魚類ならば、いいだろうということになったのだった。後年、高校生になった僕は、なんと大それたことに錦鯉の養殖を庭の一角で始めようとして、五メートル四方もある池を造ってもらった。だが、この計画はプールほどもある池が何面もないとできないことが分かり、頓挫してしまう。
変奇館を新築するときに、半地下部分に沿って、幅一メートル半、長さ六メートルほどの池を併設してもらった。これにより、半地下が直接、地面と接することがなくなり、それなりに解放感を得たのが、結果としては良かったのではないかと思っている。この池には、水中に沈めて使う二台の濾過器が設置してあり、水質を維持している。昔は情熱もあり、月に一度はカイボリをして、デッキブラシで池の清掃をしていた。例の最近、テレビで評判の「池の水、全部抜いた」である。しかし、近年は寄る年波もあり、半年に一度ほどに減ってきてしまっていたのだ。せんだって、ふと池を見ると、鯉が池の底で静かに漂っている。通常は盛んに泳ぎ回り、僕が近づくと餌を求めて寄ってくるのだが。よく見ると、池の水が動いていない。浄化槽が停まっているのだ。この浄化槽は、簡単な水車で水を吸い上げ、濾過細菌が付着したネットの中を通過させることにより、水中のアンモニアを無害なものに替える仕掛けになっている。尾籠な話だが、池の鯉は自分の排泄物を薄めた水の中で活きていることになる。この毒素をそのままにしておくと、たちまち死に至る。緊急事態である。取り敢えず、水を全て抜いて、新しい水を継ぎ足す。これで多少は命を長らえるはずだが、濾過器は復旧するだろうか。
幸い、一台は水替えをしただけで動き出した。水中にあるプロペラはモーターの軸と直接、ギア等で連結しているわけではなく、それぞれに磁石が埋め込まれていて、非接触で駆動しているのだ。トルクは非常に弱く、ちょっとした異物が噛んでも停まってしまう。だいたいは落ち葉か小枝かコケなので、朽ちてしまえば溶けてしまい、トルクが復旧するものなのだ。今回も、幸い、そういうことだったのだろう。ひとまずは安心した。