小学校の上履き

変奇館は半地下、一階、中二階、二階、という変則的な構造をしている。そのことは何度も書いたと思うのだが、使い勝手については触れていなかったか。
新築当初、一階部分と半地下部分の床はアスファルトのブロックを敷きつめたものだった。これは適度な柔軟性と保温性があり、床材としては最適な素材だということだったが、やはりアスファルトはアスファルト、スリッパの裏がすぐにすり切れてしまうことが分かった。また、落ちないといわれていた色もスリッパの裏をまっ黒にするのだった。

暑い日などは多少は溶けたかもしれない。新築してから十年ほどしてから大幅な増改築をした。このとき、さしもの瞳も設計者に床を何とかしてくれと直談判したのだった。その結果、一階部分のアスファルトは一面のカーペットとなった。半地下はすでに集中豪雨による浸水に伴い、無垢の板張りとなり、なんと全面、拭き漆という贅沢な仕様になっている。
この増改築は僕の部屋を造るという目的もあった。長く都心に暮らしていた僕が国立の親元に帰ることになったのだ。僕の部屋は二階部分で水回りや食卓は半地下だったから、何をするにも長い階段を昇り降りしなければならなかった。階段もアスファルトだったため、カーペットで覆うことになった。これが、よく滑るのだった。僕は何度もしりもちをついた。もともと変奇館の階段は一般のものよりも勾配が急であった。それで床面積を稼ごうという算段だったのか、今となっては分らない。そこで一計を案じて、僕は小学生が履いている、いわゆる上履き、体育館履きをスリッパ替わりに使うことにした。滑りにくいという利点があり、ヒールがないので後部を折り曲げてスリッパ状にして使用している。履きつぶすたびに買い換えて、もう四十余年になるだろうか。

一階部分のカーペットがすり切れてきたので、ここもフローリングにしたのは、父の死後しばらくしてからだった。階段も木製とし、蹴上げと踏み面を僕が計算しなおして、ほんの少しだが傾斜を緩くした。
この上履きは学校の体操服などを扱う近所の文房具屋さんで買っていたが、最近は、この上履きを使わない学校が増えてきて、扱いがなくなってしまった。これは困ったと思っていたら、駅前の靴屋さんで取り寄せられることが分かり、ホッとしている。

 


連載『変奇館その後-山口瞳の文化遺産」は、今回で最終回となります。ご愛読いただいたみなさま、ありがとうございました。毎月、東京の西・国立の変奇館から、原稿を送ってくれた正介さん。ありがとうございました。