たとえ、戦争がはじまっても

今年に入ってから、少しほったらかしてあった庭の手入れをしようと思っている。
 録画しておいたドキュメンタリーを観ることが多い。海外旅行の番組が主なのだが、動植物関係も好きだ。特にイングリッシュ・ガーデンの紹介番組は興味深い。フランス式の幾何学的な庭園造りでもなく、また和式の庭造りとも違う。人工的であるが種々雑多な植物を葉の色、花の色、葉の形と、それぞれのコントラストで選んだり、または花の色を統一したりする。自然を模倣しているようでもあり、アジアのものとアフリカのものを混在させたりするから、自由ともいえる。

 僕は英国式廃園造り、といったような様式に憧れるが、できるだけ日本の植物で統一したいと思っている。原種に近いものがいいのだが、今は手に入れるのも大変だろう。
 ターシャ・テューダーさんの広大な敷地に植えられた植生も参考になるが、おいそれと真似はできない。もちろん、日本の景観を生かしたという意味では、『ベニシアさんの四季の庭』がとても参考になる。借景というセンスがなければ、日本で広々とした庭を持つことは、なかなかに難しいことだ。
 そんなことを考えると、やはりテレビ番組である『カールさんとティーナさんの古民家村だより』における田舎暮らしは理想的なもののように思えるのだが、自分の年齢や生活の基盤を考えると、都会の生活を捨てることはできそうにない。
 そんな、あれこれを考えると、今の変奇館での日常は理想的なものに思える。いや、色々な算段をして、やっとのことで、自分自身の生活スタイルと住居の折り合いをつけて、無理のない、それでいて充足した四季折々の庭を楽しめるようにしたといえるかもしれない。
 それはそうなのだが、どうやら庭の一隅を占めていたアメリカハナミズキが枯れてしまったようだ。変奇館の庭は狭いところに木々を詰め込んだものだから、成長するとお互いが養分を取り合うのか、結局は次々と枯れていった。このアメリカハナミズキは父が植えた苗の、最後の数本の内の一本なのだ。

 せんだって父が好きだった山草店で小さなヤマアジサイの苗を買ってきて庭に植えた。このアジサイが盛大に咲き誇るまで、元気でいられるだろうか。たとえ明日、世界が亡んでも今日私は木を植える、と言ったのは誰だったか。それを思い出そうとしている。