自転車を漕ぐ
山口瞳は色紙に「自転車を漕ぐというのはおかしいと吉野秀雄先生が言った」と書くことがあった。吉野先生は日本を代表する歌人で万葉集の研究家でもあった。若かりし頃、鎌倉アカデミアに学んだ瞳は吉野先生の薫陶を受けることになる。正しい日本語を学んでいる吉野先生は漕ぐというのは櫓を漕ぐというように前後運動、あるいは上下運動を指す言葉であり、回転運動である自転車のペダルを回す動きを表現するのには適さない、とお考えだったのだろう。さんずいというところも陸上のものである自転車にそぐわない。
また、これも日本語に敏感な瞳だから、授業中の先生の言葉を憶えていたのだろう。
僕は長いこと自転車に乗れなかった。生家の前が繁華な都電通りだったので、祖母が危ないからといって許してくれなかったのだ。 …