万年塀の蔦

我が家の南隣りのお宅が増築することになったことは、ちょっと前に書いた。その増築部分は我が家ともっとも隣接する場所だった。
 二軒を分けるのは、我が家がこの家に引っ越してきたときから変わらない、いわゆる万年塀というものだ。つまり、昭和三十年代中頃にはすでに存在していたことになり、デザインも当然のことながら当時の物だ。
 我が家は変奇館と綽名がつくほどの現代建築である。確かに引っ越してきた頃の家は木造二階建てで、万年塀とは相性がよかった。しかし、どうにも現代建築には、似つかわしくない。現在の南隣りのお宅は、アーリー・アメリカン調とでもいうのだろうか、とても素敵なウッディ・ハウスであり、カントリー・スタイルの外観は、これも万年塀にはそぐわない。増築部分も、このデザインを踏襲された。

 問題は、この万年塀が、今現在は蔦で覆われていることだった。
 現代建築にも、雑木林の庭にも万年塀は似合わない。そこで一計を案じたのが、緑の蔦を這わしたらどうだろうかというアイデアだった。駅前の花屋の店頭に、丁度、都合がいい蔦のポット売りが置かれていた。例の手のひらに乗るほどの大きさの黒いプラスティックの鉢に斑入りの小さな葉を持つ蔦が地味に植えられていた。品種名はフィカス・プミラ。
 これを数鉢買い込んで、塀際に植えたのが二十余前のことだった。最初のうちは日当たりが悪いせいか、あまり成長しないようであったが、気がついたときは、万年塀の半ばを覆っていた。まずまず計画通りといえるだろうか。むき出しのコンクリートが緑に覆われるのは気持のいいものだ。
 しかし、この辺りからフィカス・プミラは本性を発揮する。ふと気がついたら、父が植えたソロの巨木が、びっしりと蔦に覆われていた。さすがに、これはいけないと、蔦の根本を切ったら、覆った蔦が枯れると同時にソロも枯れてしまった。そしてフィカス・プミラの快進撃は続く。万年塀を覆い、南側である隣家側の壁面を覆い、東側のブロック塀も半ばを覆い始めていた。今や、枯れ葉を掃くと地面も一面、蔦で覆われている状態だ。

 そんなある日、増築に伴い、隣家の植木屋さんが万年塀の蔦を刈り取っているのに気がついた。これを奇貨として、僕もお隣の植木屋さんに撤去をお願いしようと思い立った。

(この項、つづく)