2015年3月24 の記事一覧

金子國義さん

婦人公論

その昔。この表紙の連載が始まるころ。金子さんは、四ッ谷のアパートに住んでいた。訪ねる前に「ぼくの部屋のドアは赤いから、すぐわかりますよ」と言われた。どうして、あの部屋だけ、赤く塗ることができたのだろう。扉を開けると、真っ暗な部屋のなかから、金子さんは出てきた。

表紙の絵を、締め切りの日に受け取りにいくと、たいてい「徹夜で描きました」と言いながら、奥の暗い部屋のなかから、絵をもってあらわれた。絵は、まだ乾いていない。部屋中、絵の具のにおいがした。それを、印刷所に渡し、校正刷りが出ると、また訪ねた。色の調子がわるいと、あっという間に、眉のあたりが、曇った。怒るというより、悲しそうな口調で「ぼくのブルーには、黄色が入っているんです」とか「この赤は、血の色で」と、注文をした。

独特の絵は、表紙として、極端に二通りの反応に分かれた。顔が、コワイと言うひとがいた。雑誌は買ったけれど、カバーをかけて読んでいる、という。一方、個性的で好き、この雑誌にぴったりだ、という声も多かった。当時、雑誌はぐんぐん売れ、部数を伸ばした。そのことと、あの表紙と無関係であったとは思えない。

亡くなった知らせを聞いたあと、神保町にある、金子さんの店「ひぐらし」に行ってみた。雨のなか、降りているシャッターの前に、花束がみっつ供えてあった。