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同級生が、棟梁に

昨年驚いた出来事は、急な引っ越しともうひとつ、中学時代の同級生山田が大丸建設さんの大工さんだと知ったこと。昨年の頭、奥様の充代さんと10数年ぶりにFacebookで再会し、その会話の中で「『チルチンびと』 にうちも出てるよ。大丸建設の大工やってて、棟梁で建てたんだよ・・・」 というのでビックリしてバックナンバー(『チルチンびと 別冊24号地域版 2009年4月号』 )を引っ張り出してみると、たしかに彼が棟梁となって建てた自宅が載っていた。

WEB版「チルチンびと広場」は2010年秋に準備を始動したので、私より『チルチンびと』暦が長い。先輩ではないですか。それは、必ず見学に行くね。 と約束をした矢先の転勤で行きそびれていたお宅訪問が、このお正月の帰省時にやっと実現できました。

 

山田、大工になったってよ。ということで、河合塾を経て新潟に修行に行ってしまった彼の選択に、当時地元の友人たちもちょっと驚いた。たまに会うとぐんぐん筋肉が増えて大きくなっていく様子は同世代より大人に思え、でも顔は中学時代とあまり変わらないので不思議な感じだった。本人も将来自分が大工になるとは全然思っておらず、大学受験のために予備校に通うごく普通の高校生だったらしい。それが、アルバイトで土木の仕事をするうちに面白くなり、ビルやマンションなどの建設現場で働くようになり、続けていくうちに住む人の顔が見えるような家づくりがしたいと思うようになった。就職のことをご両親に話したときは、「お祖父さんが大工だったって初めてきいて。だから親父も納得したような反応だった」 という。新潟で建築士をしているご親戚の薦めもあり、数奇屋造りなどをきっちり教えてもらえる工務店で働き始めた。血は争えない。そして、本当にこの仕事が好きなんだな、と思う。

5年経ったという家からは、まだ木のいい香りがしている。山長さんの木だそう。敷地面積はさほど広くないけれど、風呂場やトイレはゆったりスペースがとってあり、木の格子戸や、梁がしっかりと見える天井や、和室の襖の高さや、将来は押入れにする予定の造り付けの木の二段ベッドなど、快適に過ごせる工夫とこだわりが随所に感じられてすっきり、広々。かなり重いシックハウスアレルギーを持った子が遊びに来たときも、一切症状が出なかったという。この家の棟梁をやったのを機に、他の現場も任されるようになったそうだ。小学校3年生と5年生の育ち盛りの男子二人は、お父さんにならって坊主頭。みっつの坊主頭と元気なお母さんがのびのびと暮らす木の家。いいねえ、、としみじみしてしまう。

 

まさか中学校の同級生と、お正月からお酒を酌み交わしながら「やっぱり日本人は木の家が落ち着くんだね」「国産材使っていかないとねえ」 なんて話が出来ると思わなかった。『チルチンびと』にもFacebookにも感謝。山田家のみなさまも、ありがとうございました! これからも体に気をつけて、健やかでやさしい木の家をつくり続けてください。

 

 

 


いま、ローカルで働く。

3月にお邪魔した「九州ちくご元気計画」さんから、こんなお便りをいただきました。

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この度、新年度1月13日(祝・月)にアクロス福岡 円形ホールで定住・就職イベント『いま、ローカルで働く。』 を開催することとなりました。

何となく田舎に興味がある。都会での生活・就労に違和感を感じている...。 そんな方たちへ今こそ考えてほしい、「ローカルのこと」。 ローカルで生きるという選択肢について本音で紹介する、ちくごの定住・就職促進イベント、です。

講師・パネラーに、1次産業や地域にねざすことにも注力した「日本仕事百貨」の代表ナカムラケンタ氏をお招きし、九州ちくご元気計画 総合プロデューサー江副直樹氏とともに、ちくご地域で活躍されている事業様含め、トークを繰り広げていただく予定です。チルチンびと広場に掲載されている器と暮らし テカラさんもパネラーとしてご参加されます。

ローカルで暮らしてみたい、働いてみたいとお考えの方に、一歩踏み出すヒントを見つけに来ていただきたい、きっかけの場となればと思っております。

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お便りありがとうございました!ちくご、元気ですね。 Iターン、Uターンを考えておられる方、そして他の地域で同じような活動をされている方・・・同じ目標を持ったいろいろな方がつながる場になりそうです。

地域に根ざした新しい働き方、生き方が、こんな活動を通して色々な場所でどんどん広がっていくといいな。と思い、ご紹介させていただきました。

 


山野草でリースをつくる会@恵文社cottage に参加してきました

 

コトバヨネットさんのところで気になっていた高知のアハナベックさんの山野草リース。優美で可愛らしいけれど野性味を感じる、とても印象的なものだった。そのリース作りが、この11月に恵文社さんにopenしたばかりのcottageで体験できるというので、参加してきました。

 

林のりこさんの作品      ※コトバヨネット、恵文社生活館でお取扱い中です

前日、高野川に行って集めてこられたお宝がざくざく

下見の材料で作られた作品

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは、高野川で材料探しから。スーパーの袋を片手に20名が道端の草を観ながらぞろぞろと進む光景は、周りからみたら異様だったかも!? 講師はアハナベックのオーナーで、リース作家の林のりこさん。

のりこさんと歩くと、発見だらけの散歩道

「宝物がいっぱい落ちてるから、よーく探してね」「こういう枯れかけたのも、ほら、可愛いね」「あっちのほうに、いい場所、あるから」・・・とてもチャーミングなのりこさんに言われると、山野草が好きでたまらない病が伝染してテンションが上がってきて、これも、あれも、使えそう! と夢中になり、寒さも時間も完全に忘れてしまった。

ひとやすみして川べりで青おにぎりさんの美味しいおにぎりを食べながら団らんしたり、帰り道に「あれ欲しいねえ。でもひとんちのだから怒られるね」などなど言いながら、歩くのも楽しかった。

 

全員分のお昼をずっと運んでくれた小島さん

 

午後は制作タイム。まずベースとなるヒバの丸め方や材料の留め方を教わって、あとはめいめい仕上げる。乾燥した手に樅のとげとげが刺さるのだけれど「これもキリスト様の受難を思って、ここは頑張るとこ」ということなので、素手でぐいぐいと頑張って丸める。その後の仕上げは材料とにらめっこしているうちに軽いトランス状態に入ってしまった。たぶん皆同じ状態で、夢中だったと思う。我に返って周りを見ると、同じ場所で拾ってきたものと思えないほど、それぞれ個性があって素敵なものが出来上がっていた。道端や川べりに生えたり落ちているものだけで、こんなリースができるとは!! という驚きと感動が会場中に満ちていた。

 

没頭。

 

ひとつひとつ見て回りたいほどだったけど、時間切れ。おやつにミナルスイさんのビジュアルも味も抜群なマフィンと、日土種雨(ひとしう) さんの濃厚なカボチャポタージュをいただき、のりこさんの「みんな天才! 」という評をいただいて、あっという間の4時間が終了してしまいました。

 

完成!

 

このワークショップ以降、道端や川べりを観る目が変わった。珍しい草や木の実の宝探しも楽しいし、頼りなげに風にそよぐ草花の葉先がうっすら紅葉しているところや、すっかり葉が落ちた枝にちいさな冬芽がついているのに気付いたり、散歩しているだけでも時間も気温も忘れるくらいに遊べることを教えてくれた。材料費をかけないからこそ、思いがけない独創的なリースができるのも大発見だった。林のりこさん、こんなに充実&満腹のイベントを企画運営してくださったみなさま、ありがとうございました!

 

 

 

 


「スケッチ・オブ・ミャーク」上映会@室生

10月、川口美術さんでの田中茂雄さんの個展に伺ってお話していたら、「7代先につなげたい、先人の心」や『チルチンびと』本誌にも寄稿くださっている近藤夏織子さんとご友人であるということが判明して驚いた。世間は狭い。いつかお会いしたかったので連絡してみると、この夏に加古川で観て感動した「スケッチ・オブ・ミャーク」上映会&大西功一監督のトークイベントを企画中とのこと。

そんなわけで、行ってきました奈良県宇陀市、深まりゆく秋の風景が美しい室生の里。迎えてくれた近藤さんは、パワフルで活動的でスピード感あふれる人・・・ではなく、癒しと野生、思慮深さと奔放さ、小柄な体におおらかでゆるーっとした雰囲気を併せ持つ、天然(いい意味で)な人だった。

 

今回の上映会場はfufufuという民家カフェ。広い畳の部屋に炬燵やソファやクッションが置いてあって、正面の緞帳の中にスクリーンがある。家の中に宴会場があるみたいで和む。すでに炬燵で温まっていた大西監督はとてもお洒落でパッと見、シティ派? にもみえるのだけれど、こうやって全国を車に機材積んでもう50か所以上もキャラバン中、なんと残り50か所ぐらい周る予定なのだそう(11月20日時点)。滋味深いお野菜たっぷりのおにぎりプレートと御味噌汁を炬燵でぬくぬくといただいていたら、だんだん人が集まってきた。音楽をしている人、お店をしている人、室生が好きになって移り住んできた人、その子どもたち、など年代もいろいろ。かなりアットホームなムードの中、映画が始まった。

 

「ミャーク」とは宮古島のこと。重い人頭税によって数百年も苦しめられてきた宮古の人々の唄は、そんな重さを払いのけるような、力強く元気で、懐が深く大きな音楽だ。はじめて聴くのに懐かしく、強く惹きつけられる。「なくなってしまうんじゃ、もうしょうがないね」とは片付けられない、残すべきものだと本能が嗅ぎ取ってしまうようなリズム。そしておばあや神司に選ばれた女性たちはみな笑顔がとてつもなく可愛くて、カメラが回っているとは思えないほど自然体。気さくに画面の向こうから話しかけてくる。ひとたび歌い出せば気高く、神秘的な雰囲気を身に纏う。人間の本来持っているピュアで大らかな美しさが、全身から溢れていて感動的だった。

 

神歌や古謡は口承なので、継承者がいなくなればなにも残らない。島の人間でもない自分が何かできると思うのはおこがましいけれど、この先、このままいけばどういう未来が待っているのかを考えると、映像作家としてこの現実を知りながら撮らずにはいられないし、現状こうなってしまったものはどうしようもないとしても、失われゆくものを取り戻そうとすることはできるのではないかと思った。と大西監督は語る。大和高原で古老の話の聞き取りをされている近藤さんとの共通点を感じた。

 

この映画は、謙虚でありつつも自分が撮らなきゃ誰が撮る! という映像作家としての気概と誇りを持った、そういう人が一人で4か月もの間、島の人たちの中に溶け込んで撮り続けることができた奇跡的な、とても貴重な記録だ。数年前、絶滅の危機に瀕している宮古の音楽を再発見した音楽家・久保田麻琴さんの存在も、その久保田氏と大西監督が古い知り合いだったことも、すべて運命的なものに感じてしまう。ぜひ観て欲しいです。言葉で伝えきれないのでこちらをどうぞ。

 

YouTube Preview Image

 

子育てに地域活動に取材にと飛び回っている近藤さん、全国キャラバン中の大西監督、それぞれがお忙しさのまっただ中にもかかわらず、ゆっくりと静かな時間を共にしてお話できたことは本当に幸運でした。ありがとうございました。

 

 


彩工房リニューアル第一弾イベント「秋のお茶会~朗読とバイオリン~」に参加してきました

今夏リニューアルした京都・彩工房の森本さんと再会でき、「これからは住まいを外側から学ぶ見学会やセミナーだけではなく、その中で起こっている“暮らし”にまつわるイベント、参加していただいた方と意見を交わしながら、豊かな暮らし・心地よい家づくりを一緒に考えていけるようなイベントを積極的にしていきたい」という思いをうかがう。 豊かな暮らしとは?? 人それぞれの好みといえばそれまでだし、住む場所や職業や家族構成によっても変化するし、一概にも言えず結論も出ないテーマだけれどなんとなく浮かんでくる「自然回帰」「農業志向」「セルフメイド」「お金で買えないモノや繋がり、時間」・・・というキーワード。そんな暮らしを実践している人々を訪ねて、里山の原風景が残る京北で活動されている、高木剛さんや、山の家具工房さん、天土オルガニカさんに会いに行ったり、京都内のチルチンびと広場に登場していただいているお店にお邪魔したりしてきた。みなさんとお話しているうちに、豊かさとは無理や背伸びをして追い求めるものでなく、自らが心地よくなる環境を家族や地域とともに作り、育てるものになってきているように感じた。

 

イベント当日(11月2日)は快晴! 場所は、同志社大学近くのバザールカフェ。1919年(大正8年)にウィリアム・メレル・ヴォーリズによって設計された、旧B.F.シャイブリー邸を改装した建物で、現在は国籍、年齢、性別を問わない雇用の場として、市民グループやNPOの活動の場として、情報発信の場として、など多目的に活用されている。緑豊かでゆったり、広々とした空間。大通りが近いのに、喧騒とは無縁の静かで落ち着いたカフェです。

 

 

 

 

 

 

室内も暖炉があったりして素敵なのだけれど、この日はとても陽射しが暖かかったので、迷わず屋外での朗読&コンサートとなった。鮎川めぐみさんによる暮らしにまつわるエッセイの朗読と、石川順治さんの幻想的なmidバイオリン。微睡みを誘うような優しい声と音色に、皆さんじっくりと聴き入っていた。

その間、庭の別の場所で準備していた薪や炭で、演奏後にふるまわれた焼き立てのおやつ(焼き芋、焼き栗、焼きりんごの豪華3種類!)は、想像以上の美味しさ。

美味しいモノと火のあるところに人は集まる。本能ですね。 あちこちで「美味しい! 」の歓声が上がり、書く欄がたくさんあったアンケートの回収率も高く、参加者の満足度の高さがうかがえた。 「チルチンびと広場で知って」と名古屋から来てくださった方がいらしたのも嬉しかった。

実りの秋の、贅沢で豊かな時間を味わいました。 参加者のみなさま、彩工房さん、バザールカフェさん、ありがとうございました!

 

 

 


牧野画伯、上洛!

前代未聞の3会場同時開催、という豪華さで、先月、牧野伊三夫氏の個展がやってきた。2月の日田ヤブクグリ活動以来の再会ということもありとても楽しみだった。

メリーゴーランド京都では装丁やライブペインティングなどで手掛けられた抽象画、nowakiでは絵本の挿絵や国内外の風景画、ガケ書房ではコラージュや版画、映像など。と、それぞれのお店にぴったりと似合う展示だった。牧野さんはいつも自然な感じで、呑むとさらに自然体になるし、ヤブクグリ『雲のうえ』、『飛騨』、『四月と十月』・・・それ以外にもいろいろと企画したり呑んだり、取材を受けたり、呑んだりして忙しいうえに、会えば「やあやあ」とほんわか気さくな人でつい忘れてしまうけれど、ほんものの画家だったのだ。面白げな、楽しげな絵でも淋しさや厳しさや孤独があんまり鋭くない感じで含まれていたり、ちょっとさみしい感じの風景画にも温かさが滲んでいたり、心の奥まで届く静かで深い迫力があって、観ているとしん、とした気持ちになる。「年月を経て、いろいろな変遷があって、この年齢になったから、今回みたいに三つの会場での展示ができた」と重みのある言葉をふわっと放つ牧野節も変わらず。

 

nowakiさんで「緑の散歩」という新作手拭い購入。なぜかこの日流行った相合傘サイン、いただきました♪

 

個展に合わせてイベントも盛りだくさん。nowakiでは、スナック林業と称し、日田からヤブクグリプロデューサーの江副直樹さんが、東京から『飛騨』編集長の佐野由佳さんが、大阪からマスナガデザインの増永明子さんが、多忙な中、各地から集まってのトークイベント。牧野さん直伝の特製ハイボールを呑みながら、林業の話、絵の話、会社員時代秘話などが飛び出した。徳正寺では、オクノ修さんのライブ。透明な、ちょっと哀しくて優しい歌声が洞穴みたいな空間に静かに響いて、外のしとしと雨までが一つの空間みたいで印象的だった。ガケ書房では似顔絵屋さん。

モグラスペースにて。洞穴のような空間で静かな対話みたいに、似顔絵ができあがっていきます

 

なかでも大きなイベントは、橙灯の坂崎紀子さん率いる小石川植物園スケッチ会の皆さんが、なんと東京から20名も参加、総勢30名でのスケッチ会。直前の雨の予報で吉田山が急遽動物園になったりしたけれど、結局雨に降られることもなく、舞台が動物園というのがかえってよかった。私はちょうど昼ご飯を終えたワオキツネザルの、満腹なときのオッサンらしい仕草と機敏で可愛い仕草のギャップから目がはなせなくなり、初めて使うパステルにも悪戦苦闘して、日田から届いた貴重なきこりめし弁当も5分ぐらいで食べ終えて4時間目いっぱい集中して描き続け、終わると放心状態になっていた。。

なつかしのきこりめし弁当、ふたたび

というわけで他の人が何をしているか全くわからなかったので、講評会で初めて他の人の絵をみる。「動物園なのに網に停まったカラス」「パステルカラーの観覧車、小高い場所から」「象の背中毛」「天皇植樹の松」「動いてる途中のオランウータン」・・・と、みなさん視点が自由。 個性炸裂で刺激的な絵がどんどん飛び出した。本名より何を描いたかで、今もその人の顔が思い出せる。 「これは滑稽派、こっちはグリグリ派」「これは動いているのを描こうとして、うまく描けないっていうのが出ていていいね」「小さい紙に描いているとうまくみえるときがあるから、大きいので描いてみたらいいよ」と、牧野さんの講評は愛とユーモアがこもってほのぼのしつつ核心を突いている。「時間内に仕上げなくていい。自分に似合った道具とペースで、自分らしく自由に」という、絵から人生にまで通じる、だいじなところを教えてくれるものだった。

目からウロコがぼろぼろおちる講評会でした

それにしてもよくこんなメンバーがそろったなぁ、と思うほど皆やさしくて面白くて気持ちのいい人々だったので、初参加でも居心地がよかった。牧野さんはその理由を「坂崎さんの人柄だよ。それと俺と紀子のコンビネーションだよ♪ 」と言い、坂崎さんは「画伯の人柄からくるものですよー。あと伊三夫と私のコンビネーションですか(笑」と陰で言い合っているのが可愛かった。

 

そこにいるだけで西から東から人が集まってくるわ、二週間近く朝から夜までフル活動でパワー落ちない牧野さんはもちろんだけれど、3会場の店主さん、とくにヤブクグリ・京都宣伝係として目まぐるしい働きぶりだったnowakiのきくちさんや、橙灯の坂崎さんはじめ周囲の方々の連携プレーもアメージング! 個展がお祭りみたいにいろんな形でどんどん盛り上がっていった。私はそれに便乗して新しい京都を発見したり、日田以来の嬉しい再会があったり、素敵な人々との出会いもあって、振り返ると夢のような日々。楽しんでばかりで申し訳なかったけど、ありがとうございました。

いつも、いろんな人や出来事を連れてきては楽しい何かを巻き起こす牧野画伯旋風。京都でも健在なのでした。

 

 


南九州 in 京都 ――KARAIMOBOOKSさんで

 

先月、街巡りの途中でみつけたKARAIMOBOOKSさん。若いご夫婦と可愛らしいお嬢さん、家族3人のアットホームな雰囲気の店内に入ると、一番目立つところに水俣関連の本がずらり。他、九州関連本がずらり。石牟礼道子さんの本や原発、沖縄、ジェンダー論など社会派の本や雑誌、中南米関連の本も充実。いままで横目で通り過ぎていたところにまで視野が広がるような本棚だった。

店主の奥田順平さんに、自ら発行している「唐芋通信」をいただく。本で心の旅ができる、逃げたい、自由になりたいとき、本が希望になることを思い出させてくれる文章だった。凝ったデザインをせず、文字のみの“ザ・通信”らしさも潔い。「妻が書いたものの方がわかりやすいです」と、奥様の直美さんが西日本新聞に寄せたコラムもコピーしてくださった。なぜここ京都で、九州の人がサツマイモを呼ぶときの「カライモ」という名をあえて店につけたのか。また石牟礼道子さんや水俣との出会い、母としての思いなどが率直に綴られてほんとうにわかりやすかった。店の空気や文章から、誠実で、情熱があって、たくましくて優しい、そんなご夫婦の人柄が感じられた。

同じ週末、夫を連れてまた行った。ちょうどその時お店にいらしていたフォーラム福島の支配人、阿部泰宏さんを、奥田さんが紹介してくださった。ご家族が自主避難で京都住まいをされていて、数ヶ月に一度福島から会いに来るとき、よくここへ寄られる。福島の事故と水俣病を巡る問題には非常に似たものがあると感じて、ここで出会った本から先人に学んだり、奥田さんご家族と話をすることで救われる気持ちになったそうだ。「避難している身で遊びに出かけるのも気が引けるので、ここは貴重な娯楽の場所。気持ちが楽になる」と。

突然、外部から降りかかった災難から家族を守るため、大変な覚悟と決心で避難して、さらにそんな肩身の狭い思いをするなて。東京育ちの私は、その「外部」の一部には違いなく、思いがけず京都にやってきてのうのうと鴨川サイクリングを楽しんで、何を言っても説得力がない。と思ったけれど阿部さんは私のまとまりのない拙い意見もきちんと聞いてくださる。そして複雑な胸中を穏やかに、客観的に、率直にお話してくださった。毎朝目が覚めると明日はどうなるか不安に思う、その気持ちは皆同じはずなのに、強引な避難区域の線引きのために地元同士や家族内で、考え方の食い違いによる衝突や温度差が生まれる。闘う相手は身内じゃない。そういってとても心を痛めておられた。

『チルチンびと 77号』境野米子さんのコラムで、自主避難されている方を訪ねて京都に来られていたと知ったこと、震災前にお住まいを訪ねたことを話すと、「ここで境野さんの名前を聞けるとは!」と喜んでいただいた。なんと偶然、その後入ってこられたお客さんも福島の方で「やっぱりこの店にはなにかあるなぁ」と驚かれていた。私も、本屋さんでこんな出会いがあるとは思いもしなかったし、“カライモ”は私の両親の出身地、鹿児島の方言でもあり、不思議な縁を感じた。

 

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P.S. 境野米子さんのブログに、ちょうどフォーラム福島で11月2日(土)から上映される「飯舘村 放射能と帰村」(土井敏邦監督)の試写会のことが書かれていた。阿部さんも、これは原発事故を扱った中でも、心の底から秀逸と思える1本です、とメッセージをくださった。

 

・・・「何よりも心が汚染されてしまったことが一番、悔しい」というひと言。

この言葉が最後にずしりと重く訴えかけてきます。

高低浅深の差こそあれ、福島県民みんなが抱えている思いです。

もし、ご覧になる機会があったらぜひ観てください。

 

 


雨の中でもダンスを ― 映画『ベニシアさんと四季の庭』

 公開中(※全国順次公開)の『ベニシアさんと四季の庭』を観に行った。元々多くのファンを持つベニシアさん、地元が舞台というのもあってか、平日のお昼というのにかなりの人でした。

『チルチンびと』で連載中のコラム「京都大原の山里に暮らし始めて」で、ご主人の山岳写真家・梶山正さんが紹介してくださる豊かな庭と周辺の風景や、TV番組「猫のしっぽ カエルの手」でも拝見していたけれど、映画ではさらにベニシアさんの「心の庭」ともいえるような風景が映し出される。

貴族出身のベニシアさんが、その暮らしに満たされず心の声に従ってインドへ、そして日本へ。偶然か必然か辿り着いた京都に恋をした。やがて梶山さんと出会い、大原の家と出会って“一生モノ”の自分の居場所をみつける。けれど平穏な日々ばかりではなく・・・。

庭に四季があるのと同じように、人生にも優しい春の日もあれば、厳しい冬の嵐の日もある。どんな日でも、自然の流れに任せながらもただ流されるのではなく、本当に自分がいいな、こうしたいな、と思う場所へ真摯に向かう彼女の姿は、一生懸命で可愛くて、潔い。夫の梶山さんも、息子の悠仁君も、娘のジュリーさん、孫の浄君、友人たち、皆真っ直ぐでチャーミングな人ばかり。人は、出会うべき人や場所やできごとに出会うようになっているんだな、と思う。

川上ミネさんが奏でる美しい調べとともに、ベニシアさんの庭と心の四季が綴られていく。宝物のような言葉もたくさんちりばめられていて、秋にぴったりの、心豊かになる映画でした。

 

“生き方、暮し方は、ひとりひとりが創りだす芸術作品です。(中略)古いものは私たちの家に美を添え、やがて地球の土へと還っていきます。古いものを、かっこよく!” (映画より)

 

“人生は常に教訓を与えてくれます。日々の生活の中にこそ、答えがあるというのがポイントです。さあ、生きているという奇跡を楽しみましょう。人生とは、嵐が過ぎるのを待つのではなく、雨の中でもダンスをすることなのだと忘れずに。” (映画パンフレットより)

 


ハチミツを買いに古本屋へ

数年前、三十もだいぶ過ぎてやっと一人暮らしを始めた’あまちゃん’な私。行きつけの店なんかできたらいいなと思っていた。そんなとき友人に教えてもらった代々木八幡のカレーバー、zanzibar。京都出身の女主人は天然で別嬪で、絶妙なタイミングで激辛の発言とカレーを繰り出す。当時の常連さんも優しくておかしな人ばかりで、まもなく会社員を辞めて小さな編プロの丁稚奉公生活に入った私にとって、オアシスみたいな場所だった。猫が扉のところにいたりして。あのゆるーい空気が漂う雰囲気は、今思うとリトルキョウトだった。

その女主人に教えてもらった、ギャラリーみたいな素敵な美容室のお姉さんとnowakiさんに、異口同音に「コトバヨネットさんには、ぜひいってみて」と不思議な名前の古本屋さんを薦められた。二人のおすすめならばと行ってみると、住宅街の中にひっそりとある古いビルをうまく工夫して使っていて何か雰囲気がある。店内には古道具、家具、器、文具とか、変わった人形、柑橘類、野菜などいろいろ置いてある。何屋さんなのか?

 

人形は人気だそうで、メンバーがよく変わる。

 

店主の松本さんは帽子にメガネで飄飄とした風貌だけれど、すこし話しをし始めたら「あ、この人しゃべってくれるひと!」 とわかり、いまや近所のおばちゃんと井戸端会議をするような気分で訪ねている。衣・食・住にはかなりのこだわりがあると見受けられ、音楽に関してはレコードマニアの夫と私にはまるで内容がわからない話をしていたし、映画や美術にも造詣が深く、ではインドア派かと思えば、周辺のお店の人々と面白そうなイベントを次々に企てたり、本をつくったり、京都の空家情報にも詳しく、アクティブな感じ。いったい、何屋さんなのか?

 

高知のアハナベックさんの山野草リースで、秋めく店内。

 

同じビル内には、偶然にもここにアトリエを構えている 西淑さんや、珈琲屋さんmiepumpさんが居て、たまにほのぼのと現れてくれたりして楽しい。松本さんに教わった天土オルガニカさんの野菜は、味も見た目も芸術的だし、先日買った松山産の百花蜜は薫り高く美味(※ハチミツは現在売り切れ中)。もうじき檸檬が入るみたいでまた行かなくては。何屋さんかはともかく、何かがありそうだから行ってみる場所となっている。

 

松本さん曰く、周囲のお店とつながってイベントを企画したりするのが、これだけ盛んになってきたのは震災後が顕著だけれど、以前からこの辺りには「物々交換文化」がわりと生きているんだそう。お金は、なさすぎてもしんどいけど、ありすぎれば胡散臭さも漂う、ちょっと面倒なもの。その力を過信せずに知恵と感覚と経験をちゃんと使って生活に楽しさを生むことを体現している。あんまり自分やお店をカテゴライズしないで、いろんな役割を担っている。そうするとこんな風に自然にヒト・モノ・コトの循環が起こり始めるんだなと思う。 よくみたら、店名のところに“古書と生活/文化雑貨”屋さん、と書いてありました。

 


生きる力を育む庭

大暴れの台風18号。川が氾濫したり浸水の話をあちこちで聞いた。信楽の方からは線路が流された!!とも。テレビに映る場面以外にも、もっと被害が甚大なところはもたくさんあるのだと知る。この連休中も後片付けに追われ心休まらない方々も多いと思う。一日も早く日常が取り戻せますように。

同時に、台風一過の秋晴れは、まんまると大きく綺麗な月を観せてくれた。次に「中秋の満月」が見られるのは8年後だそう。自然は脅威にもなれば、安らぎと華やかさを与えてくれもする。

 

今月出たばかりの『チルチンびと 2013年秋号』を眺めていると、怖さや美しさやあらゆるものを含んだ力強い自然の息吹が聞こえてくるような、生き生きとワイルドな庭がたくさん登場している。人間都合の庭造りではなく、自然との共存がつくる庭の面白さ。「人間と同じ。いとおしいと思うこともあれば、あまりの逞しさに憎たらしい時も(p23)」という奈良の辻田さんの言葉に納得。

福島から避難されているお母さんたちを訪ねて、ここ京都にもいらしていたという境野米子さんのエッセイ(p186~)には、手入れすることをやめても、元気にあおあおと育ち続ける植物の写真があった。避難、除染、農作物や漏れ続ける放射能。まだ何も問題は解決していないけれど、環境がどうあろうと逃げることのできない植物は、凛として、その美しさが変わることはない。

 

我が家の、庭ということもないほどの小さな土のスペースにも、ドクダミやシダがわらわらと繁殖して、なんかうっそうとした場所になってるなーと思っていたら、その中から突然すっくと背の高い茎が伸びて小さな花がさいていたり、ドクダミも白い花をつけて可愛らしくなっていたり、せっかく愛着がわいてきたと思ったらいつのまにか猫におしっこをかけられて枯れてしまったり。こんな短い間でもちいさなさまざまな生命の営みがある。