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生木を活かす ― 須田二郎さんの器

nowakiさんで木工作家・須田二郎展を開催中。自分の好きな器に木の蓋をつくるワークショップに参加した。玄関前には研磨機が、店内の土間部分には木工旋盤機がでーんと設置されていて、いつもとかなり様子が違う。舞い散る木屑。あたりには木の香りが漂い、小さな木工房と化している。

ワークショップでは、まずは木屑除けのメガネを着用。コンパスのようなもので須田さんが器の直径を図ってくれ、木に鉛筆で印をつけて、そこから旋盤機でシュルシュルと削っていく。すごい勢いで機械が回転しているので、刃が木に当たった時、しっかり支えているつもりでも結構な手ごたえを感じて手がぶれてしまう。私の器がいびつな円形だったため、結局ほとんど最終調整を須田さんにやっていただいた。 複雑な形の器にパクっと絶妙な感じではまるのがさすが! ぽってりと厚みのある木の蓋が愛らしい。

 

 

 

 

 

 

 

当然ながらこのワークショップは大人気で、訪ねる人もひっきりなし。お弟子さんも見学にきていた。動画を見てこの人に教わりたい、と思い、ある日ゲリラ的に須田さんの工房訪問をしたというガッツガール! 来る者を拒まず、誰にでも同じようにやさしくて、惜しみなくその技術を伝授してくれて、独立した後も応援してくれる、そんな面倒見のよい須田さんを慕ってくる人は多いのだとか。こうやってよきモノが脈々と受け継がれていくのは嬉しい。

 

斬り倒される街路樹や庭木など、身近な端材でつくられる、おおらかな須田さんの作品は、どれも自然の木のもつダイナミックな美しさが生かされていて思わず触りたくなる。そして触ると滑らかで、軽くて、手に馴染んできてもう欲しくなる。ファンが後を絶たないのもうなずけます。

 

サラダ油を塗って色が馴染んだ蓋と、手触り抜群の木べら

 

店内のあちこちに、須田さんからの”木の器愛”に満ちたメッセージがありました。

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木のうつわを食卓へ

 

日本中のテーブルの上に木のうつわが乗る様になるなら、どうしようもなくなった日本の森が再生されるのではないか? と夢を見て、木のサラダボールを作り始めました。  (中略) 生木を活かすヨーロッパの知恵を楽しんでいただけたらうれしいです。

 

サラダ油しか塗ってないサラダボールを大切にする方法

 

いきなり熱い汁ものを入れてはいけません。割れの原因になります。最初はサラダを何回か食べましょう。ドレッシングが木にまわり だんだんと水もれしなくなり、シミもつかなくなります。普通に洗ってよくかわかしてくだささい。ざらついたらサンドペーパーをかけてください。 (中略) 一つ木のうつわがあると、テーブルが生き生きします

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須田二郎展@nowakiは9月16日(月)まで。

 

 

 


京都で「イチめぐり」

「イチめぐり」の柴山ミカさんに朝市の楽しさを教えてもらってからというもの、どこかで市をやっていると、つい気になって立ち寄るようになった。こちらのイチ文化というのは尋常でなく発達していて、わざわざ調べたりしなくても、自然と遭遇する機会がとても多い。そういえば柴山さんも京都のご出身だった。イチ好きは彼女のDNAに深く刷り込まれているのにちがいない。

毎月第一日曜日は東寺のがらくた市が開催される。店の人も茹だるような、こんな灼熱の8月でも行われているのである。がらくた市というネーミングとは裏腹に、すごいお宝が潜んでいるかもしれないと思わせるような、素通りできない磁力のあるような、ご店主たちの味と年季を感じる市。ツウの人はものすごい朝早起きして行くみたいなので、もう朝方に勝負はついた! という感じなのかもしれないけれど昼前にやっと着いた私でも、気持ちが高ぶった。

毎月15日にある百万遍さんの手作り市は、うってかわって和気あいあいとしたムード。周辺のお店でもフリーマーケットをしたりしていて”イチ”モードが街中に広がっている感じ。今月は五条坂の陶器市があったり、下鴨神社の古本市があったり。どれもかなりの店舗数で、汗だくでふらふらになりながら、なぜ8月に?と思いながら、とりあえず全店チェックを目標にマイバッグを片手によく歩き回った。どこからか力が湧いてくるから不思議だ。

古くから寺社に人は集まり、お祈りをしたり、学問をしたり、物を売ったり、藝を披露したり、ヒト・モノ・コトをつなげてきたというし、京都に祭りや市が多いのは、寺社が多いことを思うと当然といえば当然かもしれない。でもそれを守りつづけて衰えることもなく、むしろ進化しているように見えることに驚き、感動してしまう。

全国に広がりつつあるイチ文化、みなさんとても気軽にやっているようだけれど何を売るか、何を買うか、どこで、だれと、どんなふうにやるか、値段はどうつけるか? など決断も次々にせまられ、じつはとてもアイデンティティを試されることだと思う。失敗もしたり、喜びや発見があったり、見知らぬ人や土地との出会いがあったり・・・いろんな刺激が生まれる。未経験の人にこそ、一歩足を踏み入れてほしい世界なのです。

 


西淑個展「ゆうげのむこう」@nowaki へ

チルチンびと広場のトップページ、また地域47都道府県のアイコンを、心和むイラストで表現してくれた西淑さん。

西さんの絵は、静かで、やさしく、あたたかい。けれどすこし憂いを含んでいて、どこかカラリと乾いている。あるときは森の中。あるときは夜の中。じっと観ていると、その世界の主人公になれるような引力がある。かといって強く主張してくるわけではなく、どこかに飾ってもけしてその空間を邪魔しない。西さんにしか醸し出せない、洗練と素朴が同居する不思議な空気が絵から漂ってくる。今回の舞台は食卓。料理も鍋も器もカトラリーも、おいでおいで、と誘っている。食いしん坊万歳。楽しく満ち足りた「ゆうげのむこう」へ、連れて行かれた。


会場となるnowakiさんは、昨年西さんから紹介していただいてから、なにかとお世話になりっぱなしだ。九州行きのきっかけもこちらだったし、今回の急の引っ越しの際にもいろいろ教えていただいて、私にとってすっかりご近所さん的存在になってしまった。店主のきくちさんは、ほんわかしながらアンテナの鋭い人で、いつ行ってもいい展示を開催している。作家さんと作品とをきちんとよく見て対話されているので、何も訪ねなくても聞きたかったことを教えてもらえる。センスのいい穴場スポットも色々知っている、ツボを押さえた頼れる案内人。三条京阪駅近くという、かなり便利な場所にもかかわらず静かで、町屋のゆるりと落ち着いた雰囲気も好きで、つい立ち寄ってしまう。

「ゆうげのむこう」は今月25日(日)まで。今週末は、西さんも在廊しています。

 


全日根さんの窯へ

一昨年のお盆帰省中、vigoが舟あそびさんで作品に一目惚れしたのが全日根さんを知るきっかけだった。そのときご本人ともすこしお話ができたそうで、同じ年の暮れの突然の訃報にとても驚いていた。先日、川口美術さんでの名残展に伺って、私もその作品の魅力をじかに知ることができた。川口さんは全さんとはもう長いお付き合いで、ご家族とも親しくされている。ご興味があれば一緒に窯に行ってみませんか? と誘っていただいたのが今回の旅のはじまり。川口さんの弟・とおるさんが運転をしてくださり、川口さん、スタッフの居山さん、vigoと私の5人でワゴンに乗り込む。雨だったせいか若干外気が涼しくて救われた。片道約2時間半の道中、いろんな話をして過ごす。全さんに限らず川口さんの作家さん達への敬意と愛情は並ならぬものがあり、その創意工夫に満ちた暮らしや作品作りのお話など伺うのが楽しい。窯を訪ねてみたくなる。

 

「星山窯」は三重県津市の山中にある。筆で太く力強く書かれた看板がかっている。全さんご本人が一人で基礎から建てられたという家、窯、工房の大きさ、そして作品の多さにも圧倒された。茶碗、皿、片口、花瓶、蓋物、人形、水滴に硯・・・それぞれのテーマで1企画できそうなくらい、どれも個性豊か。繰り返し見ても、時間をおいてまた見ても新しいものが出てくる気がする。深い探究心と想像力と実行力を建物にも作品にも感じる。

工房にそのまま残された土を削る道具、絵付けの筆や釉薬、まだ焼かれていない器などを見ていると、私は直接生前にお会いしたことはないけれど、全さんの存在が感じられた。心底作るのが楽しくて大好きで勢いがとまらない、窯の中にはまだそんな気配がある。

奥様が、お昼を用意してくださった。韓国風素麺、トマトのマリネ、ピーマンの肉詰め、茄子のナムル・・・もちろん全さんの器に盛ってある。贅沢な昼食! 美味し過ぎて遠慮を忘れてモリモリ食べてしまう。韓国の素麺は、冷たくしただし汁に入っていて、そこにキュウリの酢の物、発酵のすすんだ酸味の強いキムチ、それにネギを胡麻油と醤油と一味唐辛子に漬け込んだ薬味を入れ、青唐辛子をお好みで入れて食べる。これは癖になる! 新しい素麺の食べ方を教わった。

お昼を食べながらお話を伺う。この家を建てたのは、まだ幼い子二人とお腹に末のお子さんがいらした時だという。住み始めたときは1月。まだ壁も完成していなくて、ブルーシートで養生して過ごしたんですよ。今となっては笑い話のようにからりと話される奥様につられて私たちも笑ってしまったが、極寒の山中をそんな風に乗り越えて、その後の苦労にも計り知れないものがある。この土地を買って自分で全さんが家を建て始めたときから、自分の中に覚悟が決まったとおっしゃっていた。その気持ちは子供たちにも伝わる。こんなに可愛らしく力強くてのびのびとした家になったのは家族共通の思いがあったからだろう。

厳しい環境の中で作られたとは思えないほど、全さんの作品にはなんともいえない品の良さ、ユーモアがあって温かい。なんでなんだろう? と口にすると「大変な苦労をしたからこそ、それを突き抜けた先にある境地なんでしょう」と川口さんが答えてくださる。苦労を土に激しくぶつけるのではなく、一旦体に沁みこませて浄化してから育てるような愛おしむようにして生まれた作品の優しさ。それは家族を支え、支えられた本物の強さの表れなのかもしれない。

帰り道、琵琶湖畔に野性の蓮が密生している場所に案内してもらう。遠くまで蓮で埋め尽くされて湖の表面は完全に見えない。蓮そのものが大きいのでド迫力。これは、教えてもらわなければ一生知り得ない絶景だった。

オーナー川口慈郎さんとスタッフの居山優子さん

 

滋賀から京都へは、車通りの多いクネクネ山道を越えるので相当なドライビングテクニックが必要だが、あっという間。夜ごはんは川口さん行きつけの「猫町」さんで美味しい創作料理をたらふくいただいて話も尽きず、楽しい夕餉だった。外に出るとすっかり雨も止み、蒸し暑い京都らしい夜。

忘れられない夏の一日になった。

 


京都の土用

みたらし祭、いいですよーといろんな方に勧められて、行ってきました。

下鴨神社境内にわき出すみたらし川に入って罪や穢れを祓い、無病息災を願う夏のお祭り。ものすごい人、人、人の行列です。さすが皆さん慣れていて短パン+サンダル姿が目立つ。靴を脱ぎ、ジーンズを膝までたくし上げ、スタンバイ。入口でお供え用の蝋燭を受け取り、人の流れについてどんどん進む。御手洗池にかかる輪橋の手前でいよいよ足を川に浸ける。

!!!冷たい!!!想像を超えるような、まさに禊といった冷たさで、あちこちで悲鳴が飛び交う。大人でも膝のあたりまでくる深さで、ジーパンは完全に浸ってしまった。ジンジンと冷たさが体に伝わり、「風邪ひくレベルやん!」という後ろの女の子の言葉に内心うんうんと思いながら、慣れるとすっかり気持ちよくなってきた。川の水も綺麗で、出るのが惜しくなってしまう。川から空を眺めると、うっすら夕闇に包まれていた糺の森もだんだん暗くなり、ほの白い月の光が照らす夜空が青く透き通るようで・・・幻想的。川から上がって、足を拭き、ご神水をいただいて、帰ります。

参道には屋台がずらりと並んで大賑わいだったのだが、ひときわ長い行列ができていたのが、こちら。

加茂みたらし茶屋さんの出店。みたらし団子は、下鴨神社のみたらしの池から湧き出る泡を模したのが始まりなのだそう。今まで食べていたのは大抵一串に4つだったけれど、こちらのは5つ。上の一つが下の4つとはなれているのは、人の頭と手足を摸しており五体満足を祈願しているのだそう。というのを焼きながら解説してもらった直後だったので、頭を食べるときには少し緊張した。小ぶりで、醤油の辛さも少し控えめで黒蜜の香りのするタレも美味。さすが、本家本元発祥地の上品な味わいだった。


鰻価格の高騰激しく、ナマズや鶏肉、豆腐や、茄子・・・と続々のウナギもどきの登場が話題になっていたけれど、「土用のみたらし団子」もいいものです。

 


qualia-glassworksガラス展「食卓を照らす灯り」@Relish 

 

噂には聞いていたけれど、この湿気を含んだ重厚な暑さはすごい。日々、蒸し上がっています。

コンチキチン♪祇園祭も始まり、京都中心部はすっかり「夏本番!」な空気。

 

思えばこの蒸し暑さのはじまりだった先週末、qualia-glassworksの林亜希子さんの展示を見に、Relishさんを訪ねた。林さんのガラス作品は静かで、柔らかく、手仕事の細やかさが表れている。眺めるほどに落ち着く。


手に取ってみると、見た目よりも重みがしっかり。「ガラスらしい重みを感じるほうが、安心感がありませんか?」ということばにとても説得力を感じた。あまりに薄くて軽いガラス製品は、持つとパリンといってしまうような不安感に襲われる。でも、林さんの作品は、手に取ると確かにガラスの感触をしっかりと感じられて安心する。また、形も色もシンプルだけれど独特の存在感があって印象的。作業にかかる時間やガラスに模様を流し込むときの工程のお話をうかがうと、想像以上の時間と手間がかかっている。洗練されたつるんと透き通るようなフォルムだけれど、決して冷たくはなく、強さとあたたかみを感じるのは、この重みと時間と惜しみない手間のためなのだ。岐阜の工房での作業風景を見てみたくなった。

会場となるRelishさんに置いてある食材や料理器具などは、料理をする人の気持ちが心底わかっているラインナップ。ありそうで、なかなかなくて、探してたというものばかり。

毎月10日にJR山崎駅前で行われる十日市、明後日15日には「天王山ファーム&フードマーケット」、秋には”お見合いおばちゃん”の役割を復活させようと、”Relishの「おせっ会」”を立ち上げ婚活料理教室を開催・・・と、楽しそうなイベントを次々繰り出されています。お店を初めて10年だそうで、この頼もしさと余裕にも納得。今後10周年記念のイベントも計画中とのこと。

JR山崎駅・阪急大山崎駅には『チルチンびと』本誌でもおなじみの「聴竹居」や、現在バーナード・リーチの器展を開催している「アサヒビール大山崎山荘美術館」もあります。見学の帰り道にふらりもよし、食のあれこれや新たな出会いを見つけにくるもよし。繰り返し立ち寄りたくなる友人宅のような、お店でした。

 

左からRelish勢力友子さん、qualia-glassworks林亜希子さん、Relish森かおるさん

 

 

 


集める話

 

先日、京大売店での『標本の本―京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)刊行記念トークイベントに通りがかって飛び入り参加。 『標本の本』は一般人には立ち入ることのできない京大博物館の地下収蔵庫、その約260万点といわれる標本の一部を紹介したビジュアル本だ。 煌めくような好奇心と読者代表としての目線で質問や感想を投げかけていく著者の村松美賀子さんと、ヒューマニズム溢れた研究者であり、博物館館長である大野照文先生のお話はとても面白く、貴重な地下収蔵庫をスライドでたっぷり見せてもらえて、あっというまの1時間半だった。 京都大学はとくにアカネズミの研究がさかんで、なんとその標本数は1万体にも及ぶそう。 のしイカのようにぺたんこにされ収納されているおびただしい数のネズミの標本・・・「それだけの命を奪っているという覚悟をもって研究しています」「なんでも捨てない。どんな紙切れでも、小さなもの、欠片でもとにかくとっておく。使わなくなった昔の研究道具もすべてとってあります」「記憶に残るように、学生は研究対象をまず手でスケッチします」「やっぱりひとりでいると、ときどき怖いですよ。いわば膨大な数の亡骸と共に地下の密室で過ごしてるわけだから。でもね、案外この人たちは僕のことなんて気にしてないんじゃないか、お互い楽しく(標本同士)会話でもしているのじゃないか」「生命誕生以来、38億年分の進化の歴史が自分の中にあると思うと、ちょっと自分が今までと違って見えるでしょう」・・・大野先生の言葉はどれも印象深かった。

 



別の日、京都国立近代美術館の「芝川照吉コレクション展」を見た(6/30で終了)。芝川照吉は、明治・大正時代に毛織物貿易で巨万の富を築き、「羅紗王(らしゃおう)」と呼ばれた大阪の実業家だそうだ。それだけ聞くと金銀ギラギラの金満オヤジを彷彿してしまいそうだが、この人は金に物を言わせる収集家ではなかった。心から作家とその作品を愛し、若い芸術家の活動を支え、かの岸田劉生が困窮していたときも、物心ともに支援し続けたりと、大正期の重要な美術史を支えた。関東大震災や太平洋戦争の戦禍などで多くを消失してしまったとは本当に無念だけれど、残されたもののコレクションでもこの方の趣味の良さ、作家を愛し作品を愛した気持ちは強く伝わってきた。藤井達吉の工芸品とか・・・デザイン力ハンパない! 木の陰から鹿のお尻だけが見えたお盆とか・・・たまらない!欲しい!! よく使い込んでいたのがわかる滑らかさ、鈍い光沢、傷。好きで集められ、ちゃんと大切に使われていたものの磁力はすごいと思った。コレクション・ギャラリー も充実していて、とくに野島康三の細かい鉛筆画のような版画のような質感(ブロムオイルプリントという手法だそう)の写真部屋の存在感は圧倒的だった。




のちに歴史的な意味をもつような蒐集には、知力、眼力、経済力に整理整頓力、いろんな力が必要で大変そう。そんな力のない私でも集められて、美しくて崇高なもの。ありました。

墨文字と朱の印が美しい、御朱印

 

お参りした時に御朱印所でお願いすると書いてくださる。御朱印は寺社の御印であり、御本尊や御神体の分身といっても過言ではないとのこと。スタンプラリーではないので集めることが目的になっては本末転倒と心に刻みつつ、寺社巡りが一層楽しみになった。

 

 


魅惑の電車とピアニスト

 

びわ湖ホールにロシアのピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフの公演を聴きに行った。

京都からは京阪線→京津(けいしん)線→石山坂本線と2回ほど乗り換えて電車で一時間くらい。もちろん車ならもっと早い。だけどこの京津線の電車旅がよかった。地下鉄だったのが山間を走り出し、味のある苔生した煉瓦のトンネルを抜け、いつしか路面電車になってカーブを斬りながら街をくねくねと走る。短い時間にいろいろな風景が楽しめて「劇場路線」と言われるのも納得。渋い街並みを水色の車体に黄色の線が入った軽快な色合いが走っていくのもいい。特に鉄道趣味はないのだけれど、これにはまた乗りに来たい。と思えてしまう。

最寄りの石場駅に到着。びわ湖ホールは湖岸の公園に沿って建っているので、ロビーから琵琶湖が一望できて気持ちがいい。外にでて散歩もできる。

ほとんど海です

 

今回の演目のメインは「展覧会の絵」。亡くなった友人の絵の展覧会で感じた10枚の絵のイメージと、その絵の間を歩く様子を表した前奏曲の繰り返しで構成される、ムソグルスキーの代表曲だ。一曲の中に10枚の絵が表現されているのだから、ただでさえ多様な要素が詰まっていて手強い曲。さらにアファナシエフは、これを自ら戯曲にして自演する。鋭く反骨心に満ちた科白を言い終わったかと思うと、おもむろにピアノに向かって変幻自在で立体的な音色が次から次へと繰り出す。一人芝居→演奏→一人芝居→演奏・・・のサンドイッチ。一瞬も飽きることなく舞台に集中して、気づいたら演奏が終わっていた。

 

笑うと可愛いのです

 

正直言って通しでピアノの演奏だけ聴いてみたいとも思うし、この演出があまり好きではない人もいると思う。でも面白かったし、新しかった。シャイでコワモテで、いかにも気難しい芸術家のようだけれど予想を裏切ってお芝居は派手だし、演じ終わるとくしゃっと笑い、アフタートークも1時間以上。最後まで意外性のある舞台でした。年相応の分別とか理解とか洗練とか、にじみ出てくるものとは別として、そういうものと自分は関係なく、やりたいからやっていて、自由への道を模索する感じ。フレッシュで、魅力的だった。

 


蛍は大丈夫

 

雨が降っても絵になる京都。

 

 

雨に濡れて苔がいっそう青々と@高台寺

 

けれども、まだ雨の日は数えるほど。気温は35度を超え、いきなり真夏に突入したような今週でした。暑くなれば虫達も元気になる。ついに先日黒くて光るアイツ(通称:G)を室内に発見して恐れおののいた。なるべく殺生はしたくない(後片付けすら怖い)ので誘引タイプの餌などは最低限にして、Gが嫌うというペパーミントオイルをそこらじゅうに蒔いたのだが効果は薄かった(蚊には若干効果あり)。新たな策を探してみると、「ポマンダー」というオレンジやレモンにクローブを突き刺したものが効くらしい。中世のヨーロッパで流行った香りのお守りで、いまはクリスマスの飾りなどに使われているそうだ。但し夏につくるとカビやすい。今回はクローブだけを数か所に置いてみた。それっきり、いまのところ一度も姿を見ていない。

 

閑話休題。週末は下鴨神社の「蛍火の茶会」という催しに出かけた。糺の森(ただすのもり)を流れる御手洗川に、400匹余りの蛍を放つという。納涼市や茶会、十二単の舞や琴の演奏なども行われていて、すごい人出。

 

納涼市や出店の灯りも上品。さすがです

 

あたりが真っ暗になるにつれ、どんどん川のほとりに人が並び始め、少しずつ森の中を進みながら蛍を眺める。ふわり、ふわりと光っては消える蛍の姿はとても幻想的。川のほとりだけでなく結構高いところを飛んでいたのにも驚いた。イレギュラーな流れ星のような感じ。虫が苦手といいながら、蛍だったら近くに来てほしい、なんなら手にとまってほしい、と思うのだから不思議だ。Gのことも蛍だと思えばと言われたけれど・・・

静かで優美な舞や雅楽の間中、カシャカシャフラッシュが焚かれて記者会見みたいになっていたのは、どうも残念だった。蛍にいたってはまったく写らないので、初めからカメラなんて出さないほうが断然楽しめる。あの暗闇の中でシャッターを切ると、うっかり自動でフラッシュがオンになり周囲の大迷惑!私もやってしまいました、ごめんなさい。そんなことすると蛍の繊細な光を見失い、あの尊い幻想空間が一気に失われる。美しさを守るには欲望を抑えることも必要なのだと反省。だけど、蛍の光を求めて15分ほど森の中を散歩するだけで、こんなにも心洗われ充実した気持ちになれるなんて思ってもみなかった。なぜか元気が出た。この「糺の森」も荒廃がすすんでいるとのこと。虫が怖いとか、言ってる場合でない。虫も含めて、守るべきときなのだ。

 

森を守るといえば、新コラム  「森からの手紙 ~中津江村で林業やってます~」 も始まりました。 2月に日田へうかがったとき、林業素人にもわかりやすく面白く厳しい現実を話してくださった田島信太郎さんのコラムです。ぜひお読みください。

 

 

 

 

 


全日根氏 名残展へ

鴨川の三角州の中、下鴨神社近くにある川口美術さんにお邪魔する。天気も良く、大勢の人が川岸で遊んでいて、道すがらの風景だけでも感無量になってくるほど長閑な日だった。

全さんの作品にはどれも素朴なあたたかさと品の良さがあり、可愛らしさもあり、優しい中に力強さも感じる。ずっと観ていても飽きない。オーナーの川口慈郎さんにご挨拶すると、全さんの作品づくりのことなど教えてくださった。話を伺うとますます手元に置きたくなる。香合も可愛らしい、器も使いやすそうだったが、書を始めようと思っていたので水滴を選んだ。壁にかかっていた朝鮮民画、今回は台として使われていた李朝家具なども存在感があって目を惹く。

 

街並に溶け込む外観

 

 

 

連れて帰りました

 

 

この日は全日根さんを偲んで若き茶人、中山福太朗さんのお茶席が催されていた。全さんの茶碗の中からどれでも好きなものを選び、お茶をいただくことができる。

流れるような所作で茶を点てる中山福太朗氏

 

カジュアルなお茶席とはいえ、恥ずかしながらの作法知らずで、お茶菓子とお懐紙とお茶碗のとり扱いにいちいち戸惑い、内心冷や汗・・・固まっていたのを見透かされたのか、さりげなく指南をしてくれながら「美味しく召し上がっていただければそれが一番です」という優しい言葉をかけていただき、すこし落ち着きを取り戻す。この、客人の緊張をほどく思いやり、そして茶を点てるときの静かで淀みなく美しい身のこなし。一回り以上年下とは思えない貫禄でした。

 

全さんの器に、宝石のように納められた「霜月」の和菓子「琥珀」

新緑が美しい庭の庵で美味しいお抹茶をいただいていると、ゆるゆると気分がほどけ、萌え出る緑や、一輪の花、そよぐ風をちゃんと感じることができて、これ以上の贅沢はないような気がしてくる。「こういう時間が非日常で、殺伐としているほうがあたりまえになってしまうことが、なんだかおかしい。だから私はできるだけ茶の湯を生活に取り入れて、日常に近づけていきたいんです」と話す中山さん。伝統を継承しながら新しい歴史を作っていく人なのだなあと感じた。完璧なお作法を身に着けた人にだけ許された世界、という茶の湯のイメージが少し変わる、楽しく寛いだ時間だった。