日日是アート!

日日是アート   ニューヨーク、依田家の50年

日日是アート   ニューヨーク、依田家の50年

 

『日日是アート ニューヨーク、依田家の50年』(三鷹市美術ギャラリー、9月8日まで)に行く。

〈1966年、26歳の依田寿久は横浜から2週間の船旅を終えてロサンゼルスに着きました。荷物は画材の詰まったトランクふたつ。そこで八ヶ月間働いて、本来の目的のニューヨークに向かいます。〉 …… と、展覧会の案内の文章は始まっている。
そして、そのあとを追うようにして、順子さんが、ニューヨークへ。そして、二人の間に、洋一朗さんが、誕生。ふたたび、案内の文章。
〈今、彼ら3人は、ニューヨークのローアーマンハッタンにある5階建てビルの4階ワンフロアを自宅兼アトリエとして、日々制作に励んでいます。
彼らにとって日常とアートを分けるものはなんでしょうか。そもそもそこに境界はあるのでしょうか。……〉

3人の画家の50年、それぞれの人生。

 


高畑勲の遺したもの

高畑勲展

高畑勲展

 

『高畑勲展』(東京国立近代美術館、10月6日まで)に行く。「日本のアニメーションに遺したもの」というサブタイトル。創作ノート、絵コンテ、その他、作品にまつわるいろいろが、たくさん展示されている。

〈 「太陽の王子  ホルスの大冒険」は、ぼくたちの青春の一時期の   すべてを注ぎ込んだともいえる  たいへんに思い出深い作品です。〉
〈子どもの心を解放し、生き生きさせるような本格的なアニメシリーズを作るためには、どうしなきゃいけないのかということを一生懸命考えた。〉
〈 日本人が日本のアニメーションを作る、とはどういうことか、いつも考えていました。〉
などなどの言葉が、パンフレットに見られる。

帰りに、ショップで、クリアファイルを買う。いろいろな作品のものがある中で、やっぱり『火垂るの墓』ですね。

 


『三国志』と正岡子規

三国志

三国志

 

『三国志』展(東京国立博物館、9月16日 まで)に行く。途中、入ったカフェで読んだ『うえの』というタウン誌(7月号)に、「三国志」にふれた文章がある。筆者は、市元  塁さん(東京国立博物館主任研究員)。

〈……  正岡子規が根岸にいて日刊紙『日本』に連載をしていた時のことです。病床にあって術後の痛みに苦しむ子規は、それを読書で紛らわすとして、三国志の英将・関羽を引き合いに出したのでした。(『墨汁一滴』より)。子供の頃に見た関羽が兵書を読む場面の絵と、関羽が碁を打ちながら腕の手術を受けた『三国志演義』の逸話からの連想のようです。なお、子規は「長き夜や孔明死する三国志」という句も詠んでいます。…… 〉

そして、子規にとっての『三国志』は、痛みや苦しみを乗り越える糧だった、というよりも、日々を豊かにする引き出しの一つであった、といえると書いている。

 


安西水丸さんの想い出

『安西水丸 1本の水平線』展

『安西水丸 1本の水平線』展

 

『安西水丸1本の水平線』展(ノエビア銀座ギャラリー、8月23日まで)に行く。このギャラリーは、並木通り、最中の空也の少し先にある。お久しぶりです。あの線、色、形、文字、みんな懐かしい。安西さんの文章には、哀感が漂っていて、千倉、母親、海が出てくる場面が好きだ。たとえば、花畑でのある日。
………

  海が銀色に光っていたのだ。ぼくがいつも海水浴をしている入江も銀色だった。水平線にはカモメの大群が飛んでいた。
「お母さん、海が光ってるよ」
「何でしょう」
ぼくたちは花を摘む手をとめて海岸へと向かった。そこに見たのはイワシの大群だったのだ。ぼくは母といっしょに両手で掬うようにしてイワシを獲った。
 土地の人に聞くと、それは「イワシが上る」といった現象でめったにないことらしい。(『a  day  in  the  life』「花のある生活、きれいな言葉だ」   安西水丸著・風土社刊)


メスキータ とエッシャー

メスキータ

 

『「メスキータ」ー エッシャーが命懸けで守った男 』(東京ステーションギャラリー、8月18日まで)に行く。メスキータは、19世紀末から20世紀はじめに、オランダで活躍した画家、版画家、デザイナー。美術学校で多くの学生を指導。その教え子の1人に、エッシャーがいた。そして…… 

〈…… ユダヤ人であったメスキータは家族もろともゲシュタポに逮捕され、ほどなくしてアウシュヴィッツで亡くなりました。アトリエに残された膨大な作品の一部は、エッシャーや友人たちが決死の思いで救い出し、戦争中も命懸けで守り抜きます。……〉と、 展覧会のパンフレットに書かれている。

今年、没後75年であるという。

 


台所は遠くなりにけり

台所見聞録  ー  人と暮らしの万華鏡

 

『台所見聞録 ― 人と暮らしの万華鏡 』(東京 LIXIL ギャラリー、8月24日まで )に行く。

〈世界の伝統的な台所と  日本の台所史をめぐる  住まいに欠かせない  空間のはなし 〉ということである。ロシア、インド、ドイツ、北極圏、日本、ネパール、などの台所を拝見。 

〈 …… 世界各地の伝統的な台所に目をむけた俯瞰的見聞、日本の近代化という時間軸で捉えた台所見聞の記録は、人の暮らしに必要不可欠な空間における適材適所の多様性と人々の創意工夫の積み重ねがあることを私たちに伝えてくれることでしょう。……〉と、会場内の解説にあった。

それにしても、台所という言葉は、遠くなりにけり、ですね。

 


遊びをせんとや生まれけむ

遊びの流儀    遊楽図の系譜

遊びの流儀    遊楽図の系譜

 

『遊びの流儀 遊楽図の系譜』(サントリー美術館、8月18日まで)に行く。「浮世の憂さの晴らし方。」というサブタイトル。

〈  「遊びをせんとや生まれけむ」とは、平安時代末期の『梁塵秘抄』の有名な一節です。この展覧会は、日本美術史における「遊び」の造形に着目しながら、野外遊楽や都市風俗を描く貴重な「遊楽図」を一堂に集め、その系譜をたどります。  花見や紅葉狩りにはじまり、見世物や芝居見物、あるいは双六盤やカルタ、三味線や煙草、舞踊やファッション、さらには男女をとりもつ文使いに至るまで ……   〉とは、パンフレットご案内の文章。

そして、作品解説にそえられた、短い文章はかくのごとし。
〈三味線が奏でる浮世のリズム。運命はサイコロまかせ。君子のたしなみ、琴・囲碁・書・絵画。芝居と見世物、物見遊山。アウトドアでの娯楽尽し。異国から伝わったカードゲーム。…… 〉

ショップで、君子、クリアファイルを買う。


水をいける

チルチンびと100号

 

『チルチンびと』夏 100号の連載「花に聴く」(花・文    道念邦子、写真   ニック・ヴァンデルギーセン)を、読む。ここに、こういう文章がある。

〈  玄関先に水が打たれていると、それだけでも涼を誘う夏。いけばなも「夏は水をいける」という気持ちも添えて花と器を見立てなければね。と言っても何を、というわけではなく、たとえば広口の器を選んだとすれば、水際から立ち上がる花の姿に相当配慮することになる。そうやって「いける」ことに戸惑う自己自身を水面に映していると、水に流せない幼い日の記憶が呼び戻される。…… 〉

この記事のタイトルは、「夏は来ぬ」である。

………


『チルチンびと』100号は、好評発売中。お早めに、書店へ。

 

 


ショーン・タンの世界

ショーン・タンの世界展   どこでもないどこかへ

ショーン・タンの世界展   どこでもないどこかへ

 

『ショーン・タンの世界展どこでもないどこかへ』(東京 ちひろ美術館、7月28日まで)に行く。 

〈……  彼の作品が持つエキゾチックな魅力や個人的なナーバスさは、どこにルーツを持つのだろう。私にはそれがオーストラリアでもマレーシアでもなく、とても個人的な場所にふと生まれたものに思える。それはたとえば展示室に表現された彼の作業場を思わせる一角、この美術館がかつてそうだったというアトリエに宿った意識のような。〉(『東京新聞』6月21日夕刊・美術評・異質な他者の視点で語る・高山羽根子)

2枚の絵葉書を買って帰る。外は梅雨空。

 


フィンランドの女性芸術家たち

Modern   Woman  モダン・ウーマン展

Modern   Woman  モダン・ウーマン展

 

『Modern Woman モダン・ウーマン』展(国立西洋美術館、9月23日まで)に行く。「フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」というサブタイトル。なぜ、フィンランドの女性?  パンフレットに、こうあります。

〈 19世紀後半から20世紀初頭のフィンランドでは、ロシアからの独立運動、そして1917年に誕生する新しい国家の形成と歩調を合わせて、社会における女性の立場や役割に大変革が起こりました。美術界においても、19世紀半ばに設立されたフィンランドで最初の美術学校は、当時のヨーロッパではめずらしく、創立当初から男女平等の美術教育を奨励しました。この時代の女性たちは、奨学金や留学のチャンスを掴み、国際的な環境で研鑽に励みながら、芸術家としてのキャリアを切り開くことができたのです。 …… 〉