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ハチミツとミツバチのはなし

ご近所にできたばかりのAu Bon Miel(オボンミエル)さんは、薄い檸檬色から焦茶色までのグラデーションカラーで日本や西洋のハチミツがずらりと並ぶ、小さいながらも充実の蜂蜜専門店。どれも試食もさせてもらえて、とくにニホンミツバチが集めた、香り豊かで濃厚だけど後味スッキリの国産ハチミツは、身体が目覚めるような美味しさ。ご店主は、養蜂家でもありミツバチのこと、ハチミツのこと、聞くと詳しくもらえる。はやくもミツバチを愛する人々が集まる場所となっている。中京区役所の屋上庭園でニホンミツバチを飼っていることもここで教わり、区のホームページでタイミングよく採蜜見学会参加者を募集していたので、行ってきました。

 

緑豊かな印象の京都でも中京区は緑が少なく、町の緑化推進のためにも区役所の屋上庭園にニホンミツバチの巣箱を設置して、区民ボランティア「京・みつばちの会」を中心としたメンバーがさまざまな蜜源となる植物を育て、ミツバチを飼育しているという。

この会の呼び掛けで、周辺のお店や学校、なんと二条城でも養蜂が始まった。ミツバチは一度刺すと死ぬと言われていて、命がけなので、めったなことでは刺さない。なかでもニホンミツバチは性質が穏やからしい。だから個人宅でもスペースがあれば飼うことができるし、実際飼っている人が増えて、養蜂の輪は広がりつつあるとのこと。だけど黒いものや不審な動きをするものには警戒心を抱いて刺すこともある。顏周りに飛んで来ても、振り払ったりきょろきょろ動きを追ったりせずにそっと見守るべし。実際、ニホンミツバチは小さくてまるっこくて可愛らしく、ブンブン近くに寄ってきても怖くない。

重箱式と呼ばれる巣箱を引き出すと、金色の蜜が詰まった巣が現れた。採れたてのハチミツを巣ごと試食させてもらう。濃厚で、ほのかな酸味と豊かな甘みが広がる・・・やはり採れたてはとびきり美味しい。一匹のミツバチが一生かけて集めるハチミツは、小さなスプーン一杯分だそうだ。貴重なミツバチの命の源を横取りしていると思うと、申し訳ないが心してありがたくいただきました。最後に、蜜源となる植物の苗も参加者全員に配られた。ミツバチとの共生の小さな一歩が踏み出せそうで、とてもいいイベントだった。



少し前に、これもAu Bon Mielさんで教わった映画「みつばちの大地」 を観た。最新の技術を用いて、飛行の様子、巣箱の中、交尾や誕生の瞬間、病源に侵されていく姿までも、等身大で映し出す映像には驚きの連続!太古から受粉という仕事を通じて、地球上のあらゆる生物の命を繋いできたミツバチの「超個人」な生き様には、感動しかない。

映画では、経済最優先でもはや養蜂家というより殺蜂家と呼びたくなるような乱暴なやり方でハチミツの量産をしているアメリカの養蜂家、毛沢東の時代に穀物を食べる雀を大量殺戮した結果昆虫が増え、あげくに大量の殺虫剤をまいてミツバチが全滅したので人間が手で受粉をしている中国の農家、昔ながらの在来種を愛し共生していこうとするスイスの養蜂家、ミツバチの未来を守ろうと懸命な努力を重ねるオーストラリアの研究家たちといった、ミツバチをとりまく人間たちの様子も追っていて、監督はこの映画を撮るために地球を4周半したという。

奇跡みたいに美しい映像に説教臭さはまるでなく、ただただ初めて知ることの連続で目からウロコをボロボロ落とすばかりだったが、ミツバチの大量死のさまざまな要因には、どれも少なからず人間の営みが影響していると思い知らされた。観ているうちに気持ちがどんどんミツバチ寄りになっていき、人間の傲慢さや横暴さに痛いほど気づかされ、もっと謙虚になって出来ることを考えようと思わずにはいられなかった。



「なりふりかまう」という美意識

 

「チルチンびと広場」のオープン前の2011年頭に、『チルチンびと』地域主義工務店の勉強会で、建築家の吉田桂二さんと巡る内子見学ツアーに参加した。伝建地区の復興を手掛けたご本人自らの案内で、私のような素人にもわかりやすく解説してくださるので、木造建築を面白く感じるようになり、以来、出張や旅行のたびに伝建地区が近くにあると聞けば行ってみたりと、自然に意識するようになった。そんなこともあり、帯の「内子町」「町並み村並み保存」というコピーが目に留まって手に取った『反骨の公務員、町をみがく』(森まゆみ著/亜紀書房)。これは内子の町並み保存をゼロから支えてきた一人の公務員、岡田文淑さんへのインタビューで構成された本で、聞き手は地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を創刊した森まゆみさん。この方も東京の町屋保存のため尽力してきた人なので、共に闘ってきた者同士、深い尊敬と信頼があればこその本音トークが繰り出され、町づくりに対する本気の言葉が綴られた貴重な記録となっている。

周囲から反対されようが、同僚からの協力を得られなかろうが、住民から理解されなかろうとも、全然あきらめない。ある意味変人の岡田さんだが、誰よりも町と人を愛する熱いハートの持ち主であり、繊細さと大胆さを併せ持つ策士でもあった。地区の住民を一同に会して上から説明するようなことはせず、戸別に丁寧にそれぞれの気持ちを汲みながら町並み保存の説得にあたった。スクラップ・アンド・ビルドの時代に、木造建築が検証もなく冷やかに評価されることに疑問を持ち、壊さないで残すという選択をし、研究した。いまでは地区のシンボルともなっている内子座の復元や建築家・吉田桂二さんに依頼した石畳の宿を拠点とする村並み保存。“公務員=住民のために働くプロフェッショナル”という信念を貫き、自分の時間と身銭を使ってでも、行政と住民とのコミュニケーションがうまくとれる仕組みを考え続けた。

岡田さんは、「これほど幸福な職業はそうそうないよ」と言い、「しかし僕のやったことがいいこととも思っていない。時間とともにさびるんだから」とも言う。40年間、岩をも砕く情熱で仕事に全力を注いできた人の、清々しくリアルな言葉が全編にわたり溢れている。置き去りにされてきた引き算の美意識を、「なりふりかまう」と表現されていたのが印象的だった。

 

“「ないもの探しより、あるもの自慢」と言ってきた。文化というのはなにか。難しい質問だけど、僕は「なりふりかまう」ことだと思う。隣の家のこと、近隣の住民のことを考えずに、とんでもない大きさや形や色の家に建て直すとか、隣の畑のことを考えずに、農薬や殺虫剤をまくとか。人の眼に自分がどのように写っているか「なりふり」を少し考えてみる必要があるな。(中略)我が村は、「なりふりをかまう」ためには、これからはいらないものを精査して、消していく作業が大事ではないか。あの看板はみっともない、あの道にガソリンスタンドは似合わない、そういって消していくと、もとの美しい町並みと村並みが戻る。”

 

久しぶりに内子の風景を見に、石畳の宿へ泊まりに行きたくなった。

 


九州へ行ってきました その4 福岡編

日田から博多へは、前回乗りそびれた「ゆふいんの森」で行きたかったのだが、この日は運行しておらず「ゆふ号」で向かった。JR九州のサイトでチケットを取ると1650円とおトクでした。

ここで充電をしてきたはずの携帯電話の電源が残り30%になっていることに気付く。しかも手帖に挟んでおいた行きたいお店のリストアップメモをどこかで無くすという痛恨ミスのダブルパンチ。帰りの新幹線まで4時間ぐらいしかなく、充電する暇もないので残りの電池とおぼろげな記憶を頼りに街をうろうろした。まずは、多方面からおすすめされたpapparayrayさんに伺ってみる。木に囲まれた落ち着きのある民家で、落ち着きのある雰囲気。わかりづらい場所にあるのが、また秘密めいていいのです。連休初日のお昼時ということもあってか満席。このあたり、閉まっていたりして寄れなかったけれど気になる店が他にもあり。今度はきちんと予約して、余裕もって来てぶらぶらしよう。

次に向かったのは151E。こちらは九州7県のお茶を集めたお店で、八女茶や知覧茶は知っていたけれど、他県のお茶はあまり知らなかったので面白い。飲み比べ、やってみたくなります。同ビルの2階には福岡宗像産の野菜メニューを中心としたORTO CAFEがある。この辺にはお店が多そう、と思い携帯をふと見ると完全に電池が切れていた・・・とにかく歩く。道の横にあった“Antiques VOILA!”と描かれた看板に呼ばれ空き地の奥の古いアパートに行ってみた。ヨーロッパの古いものでうめつくされた非日常な空間。面白い顔のパペットもいろいろある。奥に可愛い女の子がちょこんと座っていた。「あ、すみません。ちょうどご飯の時間で」とハンチングを被ったご店主が女の子の口にスプーンを運んでいるところ。食事光景までもが店の一部のようで自然だった。

チルチンびと広場の説明をすると、ご近所に面白い店主さんがいます、と地図を描いてくれた。「monoglim」という、こちらもやはりヨーロッパのアンティーク雑貨、玩具、古着やアクセサリーなど珍しいものがいろいろ置いてある。

リレーのようにご店主が「るごろ」をご紹介くださり、また丁寧な地図を描いてお店に電話までしてくれた。さくら荘という古いアパートを改築した店内に、日本の古き良きモノが並ぶ。るごろのご店主は、護国神社蚤の市や、フクオカクラフトマーケットなどものづくりの人々が集まる場を作っている方でもある。福岡に限らず、周辺の面白いことをやっているお店のことも教えてくれたりして、頑張っている小さなお店をそっと支える存在でもあるのだ。

つくづく古道具店主って面白い方ばかりだと思う。古いものを集めて、それがいつしかお店にまでなっていくというのは、ひとつひとつのものに対する思いやストーリーが人よりも強く在るということで、その感受性からすると当然かもしれないけれど。飄々としていながらじつは熱い人、面倒見のいい人が多い。みなさんのあたたかい道案内で本当に助けられました。途中で見つけた「福岡生活道具店」は福岡を中心に九州のいいものを集めたお店。

こちらでもご店主に地図を描いていただき、行きたかった「sirone」までたどり着くことができた。古いマンションの一室で、丁寧な服作りをされている。

このマンションには面白そうな本屋さんもあるそうなのだが、残念ながらこの日はお休み。そして気づけば時間が迫っており、博多にやっとかっと着いて新幹線に飛び乗ったのが出発1分前、ぎりぎりセーフ・・・携帯の電源が切れたおかげでいろいろ危うかったけれど、おかげで新たな発見もたくさんありました。アナログ万歳!と完全に自分のミスを棚に上げて、人々のご親切に頼り切った街歩きでした。

みなさま、お世話になりました。ありがとうございました! (終)

 

 

 


九州へ行ってきました その3 日田編

 

別府から日田へ向かう途中、大平山(扇山とよばれている)が見えた。4月に野焼きをするのだそうで、生えたばかりの爽やかな黄緑色が目にまぶしい。杉林の濃い深緑の部分とくっきり分かれていて、よけいに緑が瑞々しく見え、ずっと眺めてしまう。由布岳の雄大でなだらかな稜線を見ていると登ってみたくなる。今回その暇はなく、1時間ちょっとで日田に着いて、ヤブクグリ御用達の老舗レストラン「ダイヤル」でお昼となった。ハンバーグ、ナポリタンなど昭和ムードたっぷりメニューを頼む。わたしはまだ朝のパンと地獄蒸しがお腹に残っていたので、あずきアイスを選択した。アイスというより氷あずきミルクみたいなもの。これだけでおなか一杯になるボリュームだった。去年初めて来て、今回が二度目なのに「小さい頃ここでよくこれ食べたよねー」と言いたくなるような懐かしい雰囲気のダイヤルだった。

イベントのリハーサルや打ち合わせで三々五々に別れ、昨年の日田訪問で帰る寸前、手際よく日田焼きそば案内をしてくれたステーキハウス和くらの古田嘉寿美さんに連絡してみると「イベントまで時間があるから、近くのお寺で納骨堂の上棟式の餅まきにいかない?」というお誘いをくれた。お寺の上棟式を見る機会などめったにあるものじゃないので、古田さんの子どもたちと連れ立って出掛けた。日差しが強くてかなり暑い日だったけれど、上棟式のためかお餅のためか、近所の人たちがたくさん集まっていた。一人の大工さんが地面で旗を振って合図すると、塔のてっぺんにいる大工さんたちが木槌を振りかざし、大きな棟木に打ち込む。「コーン」「コーン」と心地よいのびやかな音があたりに鳴り響いた。

たっぷり1時間ほどをかけての儀式が終了し、お待ちかねの餅まきタイム。紅白の丸いお餅や赤い紐を通した5円50円が気前よく撒かれると、もうもうと土煙をあげ、暑さも忘れてみな走る!拾う!こどもたちもお餅をいくつ拾ったか競い合ったり、ぴょんぴょん跳ねて走り回って元気。昔ながらの地域行事という感じ。汗もかいたし涼を求めて三隈川へいく。ちょうどいいタイミングで、この日から鮎のやな場がオープンしていた。三隈川は相変わらず水が透明で美しく、空と川が近く、広々として気持ちよかった。鮎もまったく臭みがなく、とても美味しかった。

夜、ヤブクグリのホームグラウンド「寶屋」さんでの朗読&演奏会は、前日よりもさらに会場も人数も規模が大きくなり、メンバーの田中昇吾さんと町谷理恵さんが朗読で参加ということで地元盛り上がりムードの中スタート。日田での書き下ろし小説「日なたのふたり」は、幼馴染の男女3人のすこし切ない話。別府のときと同じく、その土地の空気を丁寧に掬い取る石田千さんの文章は、朗読によってさらに豊かに膨らみ、日田の川と空が広くて近い清々しい風景が浮かんだ。

続く柳家小春さんのライブでは、歌声に艶と粋と可愛さが増して、聴いている皆の口の端々に笑みがこぼれた。コツコツ節は梶原償子さんの練達ならではの無駄なく優雅な踊りで一層コツコツ節らしくなった。最後は市長さんを皮切りに、続々と独自のコツコツ節が披露され、賑やかな夜になった。

本当に終わってしまうのがさみしい朗読&演奏会で、明日もまたあればいいのに、と思った。余韻を引きずりたいので本とCDを買って帰った。記念に、という意味もあったけど、それを抜きによかった。帰りの電車でもずっと読んでいて、帰ってからも繰り返し読み、聴いている。イベントに行ってなかったら買い逃していたかもしれないから、本当にこんなのも一つの出会いだと思うとありがたい。素敵な絵を添えたサインもいただき、宝物になりました。

懇親会では日田杉の原種ヤブクグリの製材をしている佐藤さんとも新たに知り合えた。製材だけではなく、現代の住まいに合うような形の杉の用途を研究開発されているという。次回は「森からの手紙」の田島さんと佐藤さんを訪ねてみたいと思った。

 

この日は、深夜に翌週の「日田祇園祭」山鉾巡行に先駆けて三隈川で神輿洗いがあるという。眠気もピークだったが、法被を着た若者たちが溢れる熱気で神社に集まり、神輿タイムレースをするのを見ていたら目が冴えてきた。川まで歩き、神輿が戻ってくるのを待った。水しぶきをあげながらお神輿を洗う姿が力強く、結局最後まで見届けた。

翌朝、駅で日田彦山線に乗り小倉へ向かう牧野さんたちと別れ、前回乗りそびれた「ゆふいんの森」で博多へ。ホームで、寶屋のご主人とおかみさんにまたすぐに戻ってきたくなるような、親戚みたいな温かいお見送りをしてもらった。

日田のみなさま、ありがとうございました!

 

福岡編へ続く

 


九州へ行ってきました その2 別府ヤブクグリイベント編

 

夕方、宿に戻った。山田別荘は、昭和5年に保養別荘として建てられたものを戦後温泉旅館として衣替えした、古き良き時代の面影が残る優美な宿で、女将さんの山田るみさんは初めて会ったのにただいま! と言いたくなるような、朗らかで気さくな雰囲気の方。

ロビーに通されると、和洋折衷の瀟洒な内装で、まさしく別荘に来たようなちょっと贅沢な気分になる。テーブルではすらっとしたかっこいい女性がせっせとなにか書いていて、朗読会のための書き下ろし小説を推敲中の石田千さんだった。小説が産まれる現場にいる!と密かにテンション上がりながら会場へ行くと、ヤブクグリの牧野さんや黒木さん、原さんが設営に忙しく、どこにいても邪魔しそうなので内湯に入った。やはりとても熱くて、でもこの熱さが早朝から歩き疲れて朦朧とした気分をさっぱり流してくれる。そうこうしているうちに、お客さんは続々とやってきてお座敷は満席になった。

前半の書き下ろし小説「べっぴんさん」の朗読会は、私が初の別府で感じた、懐かしさと温かさに満ちた街の印象がそのまま再現され、改めてこの場所にゆっくりと錨をおろしたような気持ちになれた。これはどんなに詳しく写真やメモで旅の記録をとどめても味わえない感覚で、改めて小説や朗読は、人間に必要な心の栄養なんだなと思った。石田千さんの声は、ご自身の小説と同じトーンで、落ち着いてさらりとしているのに、どこかはにかむような初々しい感じもある。地元の男女役の、佐藤正敏さんと時枝霙さんの御二方も、温かさがあって役にぴったりでとてもよかった。朗読が終わると、感動に満ちた静かなため息が会場のあちこちで漏れ、別府の人たちこそが小説に深く共感していたことがよくわかった。千さんも別府は初めて、かつ、私よりも街めぐりの時間が圧倒的に少なかったはず。なのに場所や人をこんな風に立体的に捉えて、こんなに豊かな短編小説に再現できるなんて。こういう人が存在しているんだなあ。涙が滲んできた。

 

休憩中。女将さんからこんな素敵な御膳が全員へ

 

後半の柳家小春さんのライブは、素晴らしく粋で、可愛くキレよく艶っぽく、心から日本人でよかったと思った。さっきまで言葉に感動していたくせに、もうこの歌さえあれば大丈夫だね・・・と、また涙が滲んできた。

イベントの余韻を引きずって、打ち上げ、二次会とも、昭和風情の漂うお店で食べ、飲み、歌い、気持ちよく酔っ払うことができました。

 

翌朝、石田千さんがBEPPU PROJECTの平野拓也さん、熊谷周三さんのお二人の案内で朝ご飯ツアーに行くのに便乗した。「友永パン」は創業大正5年、大分県で一番古いパン屋さん。静かな一角に整理券が配られるほどたくさんの地元の人が並び、老舗というだけではない、こちらのパンの普遍的な美味しさを物語っていた。

 

詳しい別府温泉情報をくれた豊島さんからもおすすめがあった「バターフランス」をまず確保。基本の餡ぱん、そしてすすめられるがまま、シンプルなコッペパンみたいな「味付けパン」も買い、次に「杏」という老舗のかまぼこやさんで「お魚コロッケ」を買った。別府港獲れたての新鮮な魚のすり身に、枝豆や玉ねぎなどを練りこんで衣をつけて揚げたもの。さきほどの味付けパンを手で割り、こいつを挟んでパクリ。ウマい!!美味しいものは地元人に聞くべし。海辺の堤防での朝ご飯は、子どもの頃の夏休みに戻ったようなひと時だった。だいぶ満腹だったけれど、朝ご飯ツアーは続く。

昨日素通りした「地獄蒸し工房 鉄輪」へ。人体を蒸すのではなく、自分で食材を選んで温泉の蒸気で蒸して食べることができる。野菜は甘く、イモ類はほくほく、ゆで卵はちょうどいい半熟。卵の殻をむいたり、カニの身をほじくるのに必死で最後には無言になって食べた。食後は食器と蒸し器を洗って、片づける。キャンプに来た気分。ここで温泉も飲める。ちょっとしょっぱくて不思議な味がした。「このお湯と、ここで蒸した野菜でカレーを作ったらきっと美味しいよ」と千さんが言い、他の二人は「うーん、そう、かも?」と答えた。別府温泉カレー、試してみたい。

たった2時間とは思えないほど充実の、楽しい朝旅だった。平野さんと熊谷さんは、それぞれ茨城、北海道のご出身だけれど、別府を心から愛する最高の案内人でした。山田別荘に戻り、おかみさんや皆さんにお別れして、日田へ向かった。 みなさま、ありがとうございました!

 

日田編へ続く

 


九州へ行ってきました その1 別府街歩き編

昨年参加した「ヤブクグリ」の会は、この1年半でまた進化しているようで、今回は別府と日田の二会場で「石田千さん書き下ろし小説朗読会+柳家小春さん演奏会」という豪華二本立てイベントが行われるという。「絶対面白いよ。関西からだったら、バーナードリーチが小鹿田を訪ねたのと同じルートで、船で行けるよ。移動と宿泊を兼ねていて新幹線より安いし」という仕掛け人牧野画伯の旅心をくすぐる殺し文句で船にて別府へ向かった。大阪港から「さんふらわあ」に乗って、別府港への約半日の船旅はとても快適。お風呂に入って甲板でビール飲んだりご飯をたべたり、穏やかな瀬戸内海を渡るルートで揺れもなく、雑魚寝のレディースルームでもぐっすり眠れた。

朝7時ごろ到着。梅雨明け前だったけれど、太陽がジリジリと照りつけて、空に浮かぶ入道雲は完全に夏の到来を宣言していた。まずは荷物を預けに「山田別荘」さんへ。蝉の鳴き声がよく似合う風情のあるお屋敷だった。まだ観光案内所も開いていないので志高湖キャンプ場の豊島桐子さんからの情報を元に、別府駅からバスで30分ぐらい山の方へ上がったところにある明礬温泉へ行ってみた。「地獄蒸しプリン」という看板などが気になるが当然まだ開いていない。

バス停からさらにすこし山を登って日帰り湯のできる宿に立ち寄ると、開店まで1時間以上もあったのに入れてくれた。強い硫黄の匂いが立ち込める白濁した湯は、足先を浸けただけで「ぎゃ!!」と叫ぶぐらい、想像をはるかにこえて熱い。10数えるくらいまで入っては出て涼み、を何度かやってフラフラになりながらバスで山を下り、鉄輪温泉に向かった。源泉温度100度の蒸気を生かして調理をする「地獄蒸し工房」の施設の横に足湯と足蒸し場があった。蒸気の上がる穴に足を膝まで突っ込んで蓋をせよ、と書いてあるけれどこれがまた死ぬほど熱くて膝まで突っ込む勇気はなかった・・・

すぐそばの「上人湯」という温泉に入る。向かいの「まさ食堂」で100円の入浴札を買って入るシステム。先客が一人。地元の方で「ここに札かけたらいいよ」「扇風機つけたらいいよ」「最近物騒だから女の一人旅は気を付けて」と話しかけてくれた。バスが来るまでぶらぶらしていると発見したのがこんな装置。眺めていたら再び汗が噴き出してまたひとっ風呂浴びたくなった。

 

「湯雨竹(ゆめたけ)」という竹製の温泉冷却装置。これで湯を約45度に冷やす。さすが竹の産地

 

街へ戻り、ネットで見つけて気になっていたhibinoさんに行った。人が続々とやってきて、洒落た竹かごに盛られた、見るからに美味しそうなパンが次々になくなる。この竹かごもご店主作と聞いて驚いた。別府は市をあげて竹細工を守り育てる活動をしており、専門の訓練校もあるし、市民に無料で教えてくれるところもたくさんあるのだそう。子供や若者も竹細工に触れる機会が多い。話していると、なにか雰囲気のある、賑やかな二人連れがやってきた。聞けば自宅でお菓子作りやマルシェをされている方たちだった。

 

和気藹々の元気な三人を、パチリ

 

 

次に向かったのはPUNTO PRECOGという期間限定で店主が変わるフリースペース。この日はÖkodorf(エコドルフ)というマクロビカフェをやっていた。ご店主の高橋実紅さんは立命館アジア太平洋大学の学生さん。留学生が日本一多いのだそう。アジア太平洋地域の環境と経済開発、行政や観光などを国際的な視野で学んでいる。学びながら実践する行動力が素晴らしいなと思う。ここで教わった、近くの築100年の古民家を改築したshop&ギャラリー「SelectBeppu」を訪ねた。こちらはBEPPU PROJECTというアートNPOの運営で、別府の作家さんの作品を中心に扱っており、スタッフの福嶋さくらさんも「清島アパート」に所属するアーティストだった。

 

豊泉堂さんの土人形、和みます

 

2軒隣にある別館で、ちょうどこの日から「けはれ竹工房」の林まさみつさんの展示が始まり、運よく作家さんもいらっしゃるというので寄ってみた。赤く染まった竹は、茜染め。化学染料を用いず竹の材を草木染めしてつくる、大変な試行錯誤を重ねて生まれた深みのある赤が印象的だった。チルチンびと広場のカードをお渡しすると、以前、日田の杉板を購入された際に『チルチンびと』を読んで参考にしていただいたのだそうで、とても喜んでくださった。

ぶらぶらと宿へ戻る途中に寄ったコバコさんで、北高架商店街を教えてもらった。真っ昼間からすごい音量でおじさんが歌っているオープンカラオケ喫茶があり、向かいにカフェ、パン屋、服屋、美容院、ギャラリーみたいなレコード屋・・・雑多な感じで面白い場所だった。

昔ながらの建物や風景を残しつつ、若い世代や他県からの移住者が新しい風を吹き込んでいる別府。のんびりしつつも活気のある街でした。旅の途中に出会ったみなさま、ありがとうございました!

 

ヤブクグリイベント編へつづく

 


ある精肉店のはなし

元・立誠小学校特設シアター「ある精肉店のはなし」を観た。江戸時代から7代に渡って牛の飼育から、屠畜、解体して精肉するまでをすべて一家で、手作業で行ってきた大阪にある北出精肉店の人々の日常を追った、ドキュメンタリー。

映画は、体重5~600キロもあろうかという大きな牛を、牛舎から屠場に連れてきて、ハンマーで急所を打って倒し、そこから一気呵成に血を抜き、ぶらさげて解体し、内臓の汚物や血液を洗い流し、包丁一本で売り場に出せる大きさに切り分けるシーンからはじまる。鮮度が命の現場なので、この一連の作業は驚くべき速さで手際良く行われていく。剥がれた皮はなめしてだんじりでつかわれる太鼓になる。すべての工程は家族の手でなされ、その姿は観ているこちらが汗をかいてしまうほどにエネルギッシュで、相当高度な職人技を必要とするものであるとわかる。

こんなハードな仕事の合間に、入れ替わり立ち代わり皆が食卓に集い、年に一度のお祭りで地域の人たちと仮装をして踊り、おばあちゃんの頭を息子たちが洗って散髪し、近所の人や親戚が大勢来て焼き肉パーティや年末の宴会を行う賑やかでパワフルな一家とその周辺の風景が描かれる。全編を通じて少しずつ出てくる長男の新司さんと奥さんの静子さん、二男の昭さん、長女の澄子さん、おばあちゃん、新司さんの息子さん夫婦へのインタビューが映画の軸になり、脈々と続いてきた家業への誇り、家族や地域を大切にする思い、被差別部落についての問題、と家族にまつわるさまざまな出来事をまっすぐな言葉で語る。それぞれの明るく楽しいキャラクターのせいもあるけれど、「いま」をしっかりと生きている人たちだからこそ伝わってくるものがある。

新司さんは思春期に「ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった」という水平社宣言の言葉に出会い、これは自分の家のことだと思いいたって解放運動に参加する。差別に反対する言葉によって差別を知ることになるジレンマも感じたけれど、正しく知ることなしには根本から差別を無くせないというのもまた事実だと思う。新司さんの言葉はいつも問題に真正面から取り組んできた人の哲学があり明確で、説得力に満ちていた。

2012年にこの屠場が閉鎖される直前に監督が一家と出会ったのも、何かの運命かもしれない。本当に貴重な、いま観ておくべきドキュメンタリーだと感じた。同じ食べるなら、こんな風に信頼のおける肉屋さんの出所のはっきりしたお肉が食べたいと思った。命をいただくありがたさが身に沁み、誇りをもって仕事する人々の輝きが心に残った。

 

今後の上映スケジュール、上映会はこちら→映画館 その他の会場

上映会向け貸出もされているようです→上映会を開催しませんか?

 

会場となった元立誠小学校は、明治2年に開校された日本最古の小学校の一つなのだそう。建物1階の廊下には、明治~廃校になるまでの卒業写真が展示され、時代の変遷を観ることができて面白い。この地は明治30年に日本で初めて映画が上映されたという由緒ある場所で、ここで観ると映画の余韻が一層深まる思いがします。


鳥いろいろ

『川上嘉彦 木工展 ~鳥の語らい〜』を観にMOTTAINAIクラフトあまたさんへ。以前「今月のプレゼント」でもご紹介させていただいた鳥の栞を作られた元インダストリアルデザイナーの川上さんの作品は、家具や建築材料の端材を使った「もったいない精神」溢れるもの。機能的でいて温かみがあり、美しく自然で、流れるようなラインは一度触るとしばらく撫で続けてしまう。さすが工業デザイナーさんの作品です。

川上さんは『原風景を歩く』という本も上梓されたそう。丁寧な文章とご自身で撮られた写真で日本各地の風景を綴った、とても美しい本です。川上さんの展示は6月末まで。常設作品もあります。あまたさんではいつも作家さんのことや京都のこと、いろいろ教えてもらって長居してしまいますが、京都たよりも同じく話題豊富で面白いのです。

 

今月は天神さんでも、鳥を見つけました。インド更紗の版木。いろいろな版木がある中から、なぜか鳥ばかりに目が惹かれましたが、いちばんいい(と思う)のを見つけました。

 

nowakiさんで昨日から始まった増田勉さんの個展にもいました。鳥。元美術教師をされていた増田さんは、古陶をお手本にしながら独学で陶芸を学び、10年前に退職されて独立し、神奈川県で作陶をされています。粉引、刷毛目、黒釉、灰釉などシンプルなものが並ぶ中、ところどころに愛らしい鳥柄に目がとまります。はじめは朝鮮の古い陶器に見られる野趣溢れる鳥を模写していたのが、だんだん可愛らしく変化してきてしまったのだそう。気は優しくて、力持ち。という形容詞がぴったりの増田さんのお人柄が、描く鳥に表れています。しっかりと焼きしめられた、丈夫で使い心地のよさそうな器がたくさん並んでいました。nowakiさんでの個展は7月6日(日)まで。

 


ひこ遠足のこと

 

アトリエひこは、ダウン症と重い心臓疾患をもつアーティスト・ひこくんのお母さんが、1994年に自宅でスタートし、ひこくんと同じように長時間の作業や活動が困難な仲間たちが集まって絵を描いたり、遠足にいったりする自主運営のアトリエ。縁あって、こちらの遠足に何度か参加させてもらっている。

ひこ遠足は、本当は絵の先生だけどみんなの保護者でもあり友人でもある史子せんせい、81歳ながら往復の運転をしてくれ、釣りや山菜摘みを教えてくれ、なんでも自作してしまう武爺せんせい、好奇心が旺盛で明るくストレートなひこくん、ひこ母さん、寡黙な釣り好きのなかくん、伝統、美、紙と文字にこだわるくにちゃん、慈愛に満ちた笑顔の癒し系せっちゃん、おしゃれお嬢様のかよちゃん、という個性豊かなメンバーが入れ替わりながら、午後から夕方の数時間、毎週どこかへ出かける。大阪近郊中心に、京都や奈良や和歌山などいろいろな場所で、お花見や、山菜天ぷらパーティーや、野点をしたり紙ヒコーキとばしたり。彼らは先天的な身体の障害もあり、山道を歩いたり言葉のやりとりが難しいときもあるれど、二人のせんせいが、それぞれの心身のコンディションを本当によくわかっているからみんな安心して個性全開で過ごしている。それぞれやりたいことを素直にやって、かなりマイペースだけどやさしくて、居心地がいい。それは作るものにもそのまま表れている。

世間は狭いもので、ある日奇遇にも、史子せんせいと田中茂雄さん がお知り合いだとわかった。ちょうど田中さんのところでなかくんの作ったものを焼いていただいたというので、先週作品を受け取りがてらgallery其無が遠足のコースになった。明日香村に溶け込み、田中さんの手仕事がすみずみに生かされていて、人間本来の暮らしを思い出すような素敵なところだった。

田中さん邸は『チルチンびと 80号』にも8ページにわたって掲載されていますので、ぜひご覧ください。記事は「7代先につなげたい、先人の心」 の近藤夏織子さんによるもの。風土と歴史に根差した田中さんの暮らしぶりが、近藤さんならではの視点で書かれています。チルチンびと広場からもこちらで冒頭部分を ご覧いただけます。

 

 

くつろぐくにちゃん

 

 

焼きあがったなかくんの作品は、とても面白かった。

 

予想のつかないかたち

 

 

ひこ画伯はいまアトリエで、田中さん邸で別れ際まで離れがたそうに撫でていたグレーの猫のことを描いているらしい。

 

 


奈良井宿の藤屋さん

先日「和の手ざわり」取材で伺った奈良井宿の手作りの店 藤屋さんで一目ぼれした土人形。

棚にちょこんと飾った、おかめひょっとこの仲睦まじい?姿を見るたびに、ニンマリしてしまう。

お店にあった木のからくり人形や、版画や絵などもすべてご主人の手によるものだった。あまりの愛らしさに道行く人が次々に足を留めて見入っていく。とても時間をかけて、最初から最後まで一人の手で生み出される、とても時間も労力も使う作品だけれど、これはあくまでもおもちゃだから、といって何十年もの間良心的なお値段で売り続けていく姿勢がかっこいい。店をきりもりする奥さんは言葉少なめだけれど包容力があって、ご主人とご主人のつくる作品と、奈良井宿の人や街がほんとうに大好きなのがじんわり伝わってきて、また戻ってきたくなった。

何かを守っていくことの方が大変になってきた時代に、この美しい町並みが一層ありがたくかんじられる。