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ミツバチの日のお話会

 

3月8日(ミツバチの日)にAu Bon Miel さんで開催された、京都大学名誉教授で生態学研究者の清水勇先生によるミツバチのダンス言語についてのお話会に行ってきました。

 

「こんな用途に使いたい」という具体的なのから「なんとなく美味しいの」という漠然としたリクエストまで、ご店主の大久保さんは、いつも気分や季節や体調にぴたりとあった、とても美味しい蜂蜜をすすめてくださるので信頼度大。養蜂家でもあり、ミツバチにも大変詳しくて、いろいろと興味深い情報を教えてもらえる。初めてお店にうかがった日に「ミツバチを飼ってみませんか?」と言われたときはびっくりしたけれど、お店でアマチュア養蜂家の方々にも出会い、そんな方が増えつつあることも知り、飼うには至っていない私もだいぶミツバチとの距離が以前よりも近く感じられるようになった。そんな大久保さんも、最初からミツバチに詳しかったわけではなく、京都大学で働いていた時に清水先生に出会って、ミツバチの生態を愛情こめて情熱的に語られるのを聞いているうちに、どんどん知りたくなっていったのだそう。ミツバチのことを知りたいと思う気持ちはなぜか伝染するらしい。

 

ハチとヒトの関係はかなり古く、なんと紀元前6千年ごろのスペインの洞窟壁画に人間がミツバチの巣を取っているらしい図が残っている。紀元前1450年ごろには、ミツバチの巣を飼育、彩蜜している壁画がエジプトの王墓で見つかっている。清水先生の著書『日本養蜂史探訪』には、明治の初めにウィーン万国博覧会のために編纂された『教草』第24「蜂蜜一覧」にある江戸期の養蜂技術が紹介されている。このころから日本でも、今と同じく人々が蜂を研究し、知恵を駆使して貴重な蜂蜜を集めてきたことがわかる。そして、いまやアメリカでは農作物の送粉者の80%がミツバチであり、一年間の経済価値1600億ドルと言われるのだとか。

ミツバチは社会性昆虫と言われていて、郡単位で動く。この群がひとつの生命体になっていて、この中の一匹の女王蜂に産卵能力が集中する。女王蜂が産む卵は一日1000~2000個。群を維持するため雄雌の産み分けができるのだ。女王蜂以外の雌蜂はすべて産卵の機能を失って働き蜂になり、巣づくりや掃除や子育て、花粉と蜜集め、新しい蜜源探しや、女王交代期の新しい巣探し(分蜂)にと忙しく働いて、約1か月の一生を終える。ちなみに雄蜂は交尾のためだけに存在し、受精が終わると死んでしまうそうです・・・。この、新しい蜜源や巣となる場所をみつけた偵察役が、仲間たちにそのありかを知らせるために行うのが「ミツバチのダンス」。

動画を見ていると、巣の表面で数匹のミツバチが八の字にくるくると回転し、八の字が交差するところでお尻をフリフリッと動かすのがわかる。オーストリアの動物行動学者、カール・リッター・フォン・フリッシュという人が、このミツバチのダンスを観察し何度も何度も繰り返し蜜源との距離を測る実験を行って、どうやらこのダンスを行う角度が太陽の位置と関係し、また15秒間にどれだけ回転するかで、蜜源や巣の方向と距離を仲間に知らせているのではないか、ということを発見した。1973年にはノーベル生理学・医学賞も受賞している。さまざまな未解決の謎を残しつつ、この法則は現在でも通用している。「このダンスを、長いときはずーっと3時間もやっているのがいますけれど、よっぽど疲れるでしょうけど、まあ人間だって中には変わり者もいますからね」と先生のお茶目な見解も挟みながら、複雑なミツバチのダンスについてわかりやすく解説してくださった。

 

質問コーナーでは「分蜂するときの兆候はありますか?」という、さすが養蜂家さんならではの問いが出たり、それに対し、まさにそのことを研究中の学生さんから「音によって感知できるのではと言われています」と現在進行形の研究課題に話が及び一同「おおおー」と感動。その後もあちこちで蜂談義が止まりません。お話しながら、たっぷり蜜のつまった巣蜜をいただきました。濃厚なのにしつこくなくて、自然の豊かさを味わえる。唸ってしまう美味しさ!

こうやってバクバク食べていると、あれだけミツバチたちが苦労して作った巣、集めた蜜を横取りしているようで悪いけれど、やっぱり美味しい。栄養抜群、ときには薬にもなる蜂蜜。今後もずっとお世話になると思います。そうでなくても受粉を担うミツバチから受ける恩恵ははかりしれない。ミツバチたちが安心して蜜を集められる環境をつくれるのは人間しかいないということを、心に留めていたいと思う。

 


「準と早織のディス古」に行ってきました

 

一昨年、Routes*Rootsでお会いした奥田早織さんは、古布を生かした作品づくりやアトリエづくりのお話をとても楽しそうにしていたのが頭に残っていて、またお話を聞いてみたいと思っていた。今回‘大森準平X奥田早織 「考える古 伝える古」展’に先駆け「準と早織のディス古」という、何やら変わった名前のトークイベントが開催されるというので行ってきた。会場となる恵文社コテージには本物の縄文土器(大森さん私物)と、超合金ロボットみたいなカラフルな大森さん作の火焔式土器が並び、ミラーボールがキラキラし、DJ大爆笑さんのかけるプリミティブな音のBGMが流れる、不思議なムードが漂う。

学生時代、縄文土器を研究するうちに、火焔式土器に興味が沸いたのを機に、どんどん作品作りが進化して現在のようなポップな火焔式土器を作るようになった大森さんと、古道具屋さんをしながら、古布を使った服やカバンの制作をしている奥田さんは、作風は全く違うけれど、学生時代からの長い付き合いで、よくお互いの作品と人柄を理解している雰囲気だった。


大森さんは、建築家であるお父様が作った、当時はかなりモダンで斬新なデザインだったという家にいまどき珍しい4世代同居スタイルで暮らしている。好奇心旺盛で少々エキセントリックな父を大らかに見守る元気のいい祖母が一家を明るく照らす存在であったという。とにかく家族みんながポジティブだったそうで、確かにそんな雰囲気が作品にも表れている。奥田さんは、祖母が和裁洋裁となんでもこなし、たいていのものは作ってくれる人で、それを見て育ったことがいまの作品づくりの根っこにあるという。家族や生活環境が、意識せずとも作風に影響を及ぼすことが、話を聞いているとよくわかる。

奥田さんは古いモノを心から愛しんでいる。理屈ではなく「なんか良い」んだそうだ。戦争をくぐりぬけて残った古いものは運が良いという話を聞いて、とても納得したとお話していた。けれど、彼女の創る服は、「古さ」を超えて進化している。シンプルで着心地が良く、心に余裕が出てくるような安心感と力強さがある。ものづくりを始めた当初、お金が本当にない時期に苦しみつつも、妥協なくいいものをつくることと豊かな生活をすることの両立を、知恵と行動力を駆使して実践してきた。その発想や技術を、誰でもできるよ、と惜しみなく周囲に分け与える感じも清々しい。

彼女は祖母から学んだ「なんでも自分でやってみる」という姿勢が今の仕事や生活に非常に役立っているので、ワークショップを通じてそのことを伝えていきたいという。逆にワークショップで子供たちから学ぶことも多い。大量の情報に浸されてすぐに器用で効率的なやり方を選びがちな大人たちが、決してやらないことを、子供たちは思いつきですぐにやる。頭で考えずにぱっと手を動かしてやりたいことをやるから、面白いものが生まれるという。古いものに新しい命をそそぎこんで洗練を感じる作品へと蘇らせる、ものすごいパワーの源は彼女の「暮らし力」にありそうだ。

全く異なる個性の二人を、「古」というキーワードで結んだRoutes*Rootsのご店主安井くまのさんのセンスと、ご主人で建築家の安井正さんが、ご自身の古材を取り入れた家づくりのお話を踏まえつつ二人の魅力を引き出す話術も素晴らしく、あっという間の二時間だった。

 

大森準平X奥田早織 「考える古 伝える古」展は、3月1日(日)までRoutes*Rootsで開催中です。

 

 

 

 


春の香りのする茶会

みたてさんで展示中の、全日根さんの器を使った茶会に伺いました。

 

全日根さんの作品は川口美術さんで拝見したのが始まりで、窯見学にもご一緒させていただいたり、その後も数回の回顧展に伺い、観るたびに新たな魅力を発見して惹きこまれていく作家さんです。今回のみたてさんでは花入れと人形を中心に、また全さんの未知なる魅力が引き出された素晴らしい展示をされています(~2月15日まで)。

会期中のイベントとして陶々舎の中山福太朗さんが選んだお抹茶椀で、川口美術の川口滋郎さんのお話を伺い、みたてさんが花入れにお花を活けるのを眺めるという趣向の一日限りのお茶会。全さんの器とお茶とお花を存分に楽しめて、ド素人の私でも冷や汗をかかずにすむような、気楽で遊び心たっぷりのお茶席をつくっていただきました。

 

待合では梅の枝にお湯を注いで、ふんわりと梅の爽やかな香りたつ白湯をいただきつつ春の山野草を眺めます。お茶席に入ると、まずお菓子が配られますが、その前に今回は、楊枝用になんと本物の黒文字の枝を自分で伐ります。枝を持って帰ってもいいということで少し大きめに。本日のお茶菓子はふきのとうの入ったお味噌を包んだもっちりとしたクレープのようで、フキの香りが漂う季節感あふれるもの。

お抹茶椀は、一人一人全然違うもので、骨董のようにも、モダンなものにも見え、どこかしら可愛らしくお茶目で、空にも海にも大陸の景色のようでもあり、アジアやアフリカの香りがしたり、描かれた生き物たちが踊り出しそうであったり。どれも亡くなられたとは未だ思えない躍動感が作品に宿っています。飯椀かお抹茶椀か、どちらだろう?と少し考えるような形のものもあり、その形式にこだわらない自由な解釈や豊かな表情に惹きつけられ、どれを持ってこようか迷った。とお話されていた福太朗さんも、普段の暮らしにもっとお茶を取り入れたいと、自由なお茶席を提案し続けている方。品が良いのに少しとぼけた味わいがあって、使うこちらを緊張させない全さんの器と、とても相性がいいのも納得です。

 

 

長年、全さんとお付き合いのある川口さんはもちろん、生前には面識のなかった福太朗さんとみたてさんからも、器を通して感じられる全さん像が様々に浮かび上がり、それを聞きながらいまだ星山窯にいらっしゃって作品が生まれ続けているような気がしました。誰かを偲ぶことにも様々な形があるけれど、こうしてその人を愛する人たちとともに魅力を語り継ぐことは、ほんとうに心慰められるものがありました。

ひと足早く、爽やかな春を感じるような朝の豊かな時間を、楽しませていただきました。

 


家具から生まれる、豊かな暮らし

 

第13回の彩工房 暮らしと住まいのセミナー「山の家具工房」田路宏一さんを迎えて、家具作りや家具の選び方、お手入れ方法、家具との暮らしなど、多方面からの家具のお話をうかがった。

田路さんは京都市旧京北町というところで無垢の木を使って家具や木の道具を作られている。庭には大きな栗の木があり、大きなヤギが3匹いて、工場跡地のような広い建物の中に工房と自宅があり、自宅内装はご自身の手による木のぬくもりが感じられるとてもすてきなお住まい。仕事の合間を縫って少しずつ変化しながら完成中だ。工房には木をストックしたり加工するための場所と道具が揃っていて、たいていのことはお願いすればできるような理想的な環境で制作をされている。(詳しくは田路さんのブログから)

そんな田路さんがつくる家具は、洗練されたフォルムを持ちながら、触ってみると柔らかく、素朴さ、強さ、温かさが感じられて、どれも使ってみたくなる。椅子の心地のよさと扱いやすい軽さ、テーブルの角の部分、足の部分のカーブや天板の裏に設置された反り止めなど匠の技が目立たぬようさりげなく生かされていて、見えないところまで美しく機能的。眺めているだけで家具が本来持つ意味を教えてくれるような作りになっている。木は生き物なので、必ずしも人間の思い通りにはならない、そのことを十分理解し木の命に尊敬を払った家具作りは、手間や時間がうんとかかるけれど、その木が本来持つ強さ、しなやかさや色合い、木目の美しさ、など性質が生かされ長持ちする。

それは木の家づくりとまったく同じ、と彩工房の森本さんも頷く。速さや安さを求める世の中の流れは止められないとしても、置いてきてしまったものは大きい。無垢の木の家や家具は使うほどに味わいと美しさが出て、壊れても直して使えるし、暮らし方の変化に合わせてリメイクやリフォームがしやすい。大切に育てていくという楽しみ方がある。まずはお気に入りの家具をひとつ探して使ってみることから、無垢の木のある生活をはじめてみるのがいいかもしれない。お二人からはそんな共通の課題や提案が出ていた。それもハードルが高そうだったら、器など生活雑貨から取り入れて、お手入れの仕方や木の特性を知るのも楽しいと思う。

修行時代にシェーカー家具の師匠のところで教わった、美しいチェストをひとつ持ち、その中に納まるものだけで生活していく、という話は田路さんにとても影響を与えたという。家具作りだけでなく、そこから生まれるシンプルな暮らし方を教わったことは、いまの田路さんご一家の暮らし方とご自身の家具作りに繋がっているそうだ。それでも、独立したてのころは、自分の好きなものを作っていていいのか、お客さんの希望はなんでも叶えてあげるべきなのじゃないかと迷うこともあった。いまは自分の作りたいものがわかってきた。信念を持って好きなものを作っているとそれが形に表れ、しっかり言葉にできるようになるし、相手にも伝わる。大切な家具ひとつ持って、そこから始まる暮らしがあってもいい。というお話が心に残った。

 


奈良「古梅園」さんに行ってきました

先月、「和の手ざわり」の取材で奈良の 「古梅園」さんに伺った。こちらは、かの夏目漱石が「墨の香や奈良の都の古梅園」と詠んだことでも有名な、奈良の誇る墨づくり400年余という由緒ある老舗。近鉄奈良駅から徒歩10分ほど歩くとひっそりと静かな路地に、風格のある看板が見える。


店舗兼、事務所兼、作業場、窯、倉庫も兼ねる大きくて重厚なお屋敷は、そこだけちがう時代の空気を纏っているよう。やや緊張しながら戸を開けると、おなじみの長方形の墨の他に、細工が施してあるもの、色付けしてあるもの、丸いものや硯を模ったユニークなものなどさまざまな墨が並んでいる。師走はとくに製造、販売ともに繁忙期と伺って、かなりの慌ただしさを想像していたけれど、ほのかに墨の香りが漂い、喧騒を微塵も感じさせない静謐さに気持ちが鎮まる。さらに、広報ご担当の袋亜紀さんが、とても気さくに朗らかな雰囲気で対応してくださったので、すっかり緊張が解けてしまった。

店舗から奥の煤取蔵を案内していただく。荷車用のレールが、敷地の奥まで続き、歴史を感じさせる。

香ばしい胡麻油の香りがしてきた。古梅園さんでは、菜種油を主に、椿油、桐油など植物性の油を使って採煙をしているのだが、この日はちょうど珍しく胡麻油とのこと。煤取蔵では、土器に灯芯を挿して火を灯し、蓋に付いた煤を取って、これが墨の原料となる。

この灯芯の太さが墨の質を左右する。細いほど煤の粒子も細かくて品質の高いものになるそう。この灯芯をきっちりと作れるようになるだけでも、個人差はあるものの何年もかかる。また、火を灯して放っておけばいいのではなく、均等な質の煤をつくるために15分ごとに45度ずつ蓋を回しながら、まんべんなく煤を付着させていく。200もの器を、むらが出ないように回す。気の抜けない作業の繰り返しとなる。

蓋のうらにまんべんなくついた煤

こうして集められた煤を、江戸期から使われているレンガ造りの窯で煮溶かした膠と混ぜ墨玉をつくり、香料を混ぜる。


動物の骨や皮からつくられた膠を延々と煮るのだから、相当な匂いを放つのではないかと思ったら、これが驚くほど匂わない。

数代前のご店主が手に入れ保存してあるものを使っていて、ここまで良質のものはいまではつくられておらず、今後の課題とのこと。

こうしてできた墨玉を練り上げていく様子が、奥の作業場で硝子戸越しに見学できる。新しい職人さんがこの作業を初めてするときは、しばらくは腰が立たなくなるほど身体を酷使するものだという。寒さの中、黙々と墨玉を練り上げ、踏みしめる姿は静かで厳かで、写真一枚撮るのも申し訳なくなるほど。といいつつ撮らせて頂く。

練り上げられた墨は梨の木型に入れる。梨の木は非常に強くて、江戸時代からのものもまだ実際に使えるものが残っているそう。昔の人は情報もないのによくそんなことを知っているなと不思議に思った。

成型された墨は木灰をかぶせ乾燥させるのだけれど、これも昔から使われている木箱に入れ、水分を吸い取ったら、水分の少ない木灰の入った木箱に移し替える・・・という作業を繰り返し、これを大きさにもよるけれど一か月ほど繰り返すという。代々の墨の香りを吸った木灰でうっすら曇った作業場にいると、タイムスリップした気分になる。

灰乾燥が終わった段階で、約7割の水分が抜け、残りは藁で編んでつるして自然乾燥。こちらも木の倉庫で3カ月から半年ほど。



すべての工程が効率とは正反対の恐ろしく手間暇のかかる、けれどその手間が墨のよさを磨く重要な要素。そのことを実際すべての工程を自分の目で確かめ、また何度も何度も訪れる方に同じ説明をしているだろうにもかかわらず、しっかり熱のこもった袋さんの説明を聞いて、すっかり納得してしまった。

私がいま通っている書道の先生は、この工程や背景を知らなくとも「いろいろ試したけれど墨は古梅園さんのものがいい」とおっしゃるので、いわれるがままこちらの墨で稽古をしているけれど、この見学を経て改めてそのことがありがたく思えたし、ずっとこの技術と品質を絶やさないように使い続けようと心に決めた。

 

本年もよろしくおねがいいたします

 


焚火を囲んで薪割り大会

 

 

彩工房 暮らしと住まいのセミナー」の第12回は、昨年も12月第1週末に開催して好評だった薪割りイベント。好天に恵まれて薪割り日和となり、参加者スタッフ合わせて50名近くが集まって、賑やかにスタートしました。

まずは山から木を伐り出すところを見学。作業場まで運び、チェーンソーで薪割り用の丸太にしていきます。細かい枝は、たき火用や工作用に。

この丸太づくりや枝払いも体験できます。実際に伐ってみる、触ってみることで、木の固さ、湿り気、匂いなどを感じて、眺めているだけではわからない感触を味わうことができました。参加者の皆さんは、木の扱いに手慣れた感じの方も多く、子どもたちもびっくりするほど集中力があってよく動き、働き、全員がスタッフのよう。どんどん丸太が運ばれて、経験者の手際よく薪を割る姿に感心の声があがったり、初心者は薪割り指導の下、苦心しながらも徐々にコツがのみこめて歓声が上がったりと、盛り上がります。


お昼は、焚き出し隊が作ってくれた釜焚きご飯とトン汁をいただきました。青空の下、よく動いた後のあったかいご飯が身に沁みます。

食べ終わると皆何も言わなくてもさっと作業開始。枝を刈り、丸太を伐り、薪を割り・・・働き者なのです。一方で、細くて長めの丸太を使った椎茸の菌打ちコーナーが設けられました。うまくいくと5年ぐらい立派な椎茸が生え続けるのだそう。他方では、小さな木の小枝をつかった手芸教室が始まりました。一本の木で、こんなに大人も子供も夢中になって遊べるとは。

作業もひと段落ついたころ、製材所の見学へ。倉庫も杉板張りで美しいのです。伐り出した木を、製材で出た木くずを燃やしたリサイクル熱源でじっくりと乾燥させる、燻煙乾燥庫も見せてもらいました。木の強さと美しさを保ち、防虫や防腐のためにもいいとのこと。

 

見学が終わると、焚き出し隊がこんどはおやつを作って待っていてくれました。焼き芋、焼き林檎、焼きバナナ。じっくり焼かれて甘みの増したお芋や果物は、ほかほか、トロトロ!美味しい!冬の野外活動の醍醐味はやっぱり焚火料理!

たった一日とは思えないほどいろいろな経験をさせてもらいました。木は偉大。火も偉大です。木や火を扱うには、体力や想像力や共同作業と、さまざまな能力が必要で、一人ではできないことだらけ。森の仕事をしている方々への敬意が改めて沸きました。私はお手伝いで行ったつもりが、参加者の皆さんのほうが、ずっと知識と経験も豊富で「暮らし力」の高い方が多く、教えられることばかり。何時間も黙々と小枝を運び続けたり、小さな薪を作り続けたり繰り返して、疲れたとか飽きたとか言わない子供たちの集中力と好奇心にも拍手を送りたいです。

12月恒例になりそうなこのイベント、いまから来年が楽しみ。彩工房さん、参加者の皆様、ありがとうございました!

 


食べた!出会った!感動した! ― 舞鶴・綾部の旅 ―

 

ご近所のオーガニック八百屋スコップ・アンド・ホーさん主催の、週末1泊2日舞鶴&綾部ツアーに行ってきました。小雨模様の中、大人9名子供5名、車3台で出発! まずは東舞鶴で自然農をしながら、ご夫婦で古民家タイ料理店&ギャラリーを営む FonDin(フォンディン)さんへ。途中、大雨になったり凸凹道があったりと、なかなかハードなドライブも昼が近付くにつれて雨も上がり、海も見え、テンションが上がる。

FonDinさんのお料理は、しっかりとスパイスが効いた紛うことなきタイ料理だけれど、自作の野菜を使ったペーストを使っているので後味爽やか。鳥やキウイを使ったサラダ、バジルやタマリンドのソースでいただく鯛と蒸し野菜も、見た目も美しく、香り豊かで優しい味わい。元は奥様の曾祖父様のお宅だったという、ゆったりしたお座敷で味わえるのも嬉しい。

お次は『チルチンびと65号』の障子特集でもご登場いただいた、ハタノワタルさんの工房&ギャラリーへ。ハタノさんは紙漉きのみならず絵も描き、書も画き、空間も創る多彩な人。工房にもいろんな道具や工夫がありました。



奥の小さな階段の上には、和紙の温かみや風合いを存分に味わえる美しい小部屋が。しばらく瞑想にでも耽りたいような気分になる。

奥様のユキさんがハタノさんの和紙で作ったカバンも、可愛くて軽くて使いやすそう。意外と水にも強くて丈夫で、修理もしてくださるので、かなり長く使えるそうです。

その後、サンチャカフェで、フランク菜ッパさん、若狭でお米を作っているニコ百姓さん、ご近所の陶芸家ハトヱビスさんらと合流。畑を望む、眺めのいい場所でしばし団らんする。

京都市左京区でオーガニック八百屋を開く菜ッパさんは、週の半分は福井県小浜市に住んで農業をしながら、若狭周辺の小さな農家さんを回って米や野菜を仕入れたり、農業や八百屋をやりたいという人があれば応援したり、あっという間に人や野菜を繋げるオープンでピースフルなお人柄。80年代に住んでいたカリフォルニアで知ったパーマカルチャーの影響を受け、野菜にも「ニラ・バーナ」「フレディ・マーキュウリ」「キャロット・キング」・・・とロックなネーミングをしてしまう。私にも「取材で面白い人に会うやろ、そしたら『チルチンびと』ならぬ『知る珍びと』や。スピンアウト版、つくったらええやん」とさっそく面白い提案をくださった。原発銀座といわれる福井で小さな農を支え、広げ、次世代へと繋げていくため、反原発や反核運動にも積極的。頭も体も高速回転の熱い人である。会話は尽きないが日も暮れてきたので、菜ッパさんが案内してくれた「あやべ温泉」でひとっ風呂浴びて、今宵の宿「ぼっかって」さんへ。

 

ぼっかってさんは綾部の志賀郷で自然農をしながら、ご夫婦で小さな宿をひらき、手作りのおやつをつくったり、手仕事をしている。お隣には「あじき堂」さんという蕎麦の職人さんご一家が住んでいて、この夜のメニューは出張お蕎麦コース。もりそば→あげ蕎麦→おろし蕎麦→そばがきぜんざいと蕎麦づくしだ。やはり同じ志賀郷に住む水田さん夫妻、こめがまという屋号で久谷焼仕込みの器を作っている稲葉さん夫妻が美味しいお惣菜を持って合流してくださり、にぎやかな晩餐となった。しゃべる、食べる、しゃべる、食べる・・・。

ところであじき堂さんの長男、楓人君という人がすごくて、小学校1年生から現在の6年生にいたるまで、一貫してほとんど毎日のように妖怪をテーマに漫画を描き続けている。その妖怪たちのネーミングセンスには、フランク菜ッパさんも舌を巻き、食卓の話題のほとんどを彼がさらっていったといってもいい。小説も書いていて、書きたいことが溢れてしょうがないのだそうで、天才とはこういう人のことなのかと思う。

朝もはやくからご飯を作る音といい匂い。少し散歩に出てみる。このあたり朝は霧がちで10時頃にやっと晴れてくるのだそう。朝靄の田園風景も幻想的だった。

飯は、おくどさんでふっくらと炊かれた五分づき米、モミジの飾られた綺麗なおかずのプレートをこたつにはいりながらいただいた。

さらにご近所のオーグロリア農園さんからオーガニック葡萄の差し入れが届いたりと、朝から豪華で大所帯のお正月みたいになっていた。

朝ご飯の後「こめがま」さんの豆皿を見せてもらう。「福」をテーマにした絵柄はどれも愛らしく、裏にまで細かい模様が施してあって、ひとつ選ぶのにえらく迷ってしまう。少しずつ集めたくなる。

そんなこんなで、もう出発の時間。名残惜しやとお別れをして、コニチャン農園さんへ。

小西さんとピレネー犬ボンちゃんがお出迎え

神戸から移住してきた小西さんご夫妻は、サラリーマン時代「里山ねっと・あやべ」の米作り塾に参加したのをきっかけに、周りの人との出会いに恵まれて、あれよあれよと本格的に農業をやることに。有機栽培のお米や様々な種類の野菜を作られている。ハウスには立派な黒豆が育っていたけれど、商品化できるのはこのうち6割程度だそう。その残りで作ったという黒豆味噌を買って帰ったら絶品で、お味噌汁に煮物にカレーの隠し味にと、何に入れても甘みとコクが増す万能選手です。

お次は、庭師の霜鳥氏と画家のトリコネさん夫妻のお宅へ。数日前に京都市内で会って、週末綾部に行くのだと言うと「近いから寄ってください」と誘ってくれたのを真に受けて、本当にゾロゾロとお邪魔してしまった。移住して1年、まだ家づくり進行中という若きトリさん夫婦は、自然のこと庭のこと、会うたびに教わることばかりの素晴らしいセンスの持ち主。住まい方にもそれが表れていて、これからどんなふうに進化していくのか楽しみです。


親戚の家に来たようにくつろぎ始めた矢先、おうどんを茹で始めちゃってます!という緊急コールを受け、一路竹松うどん店さんへ。「せせりうどん」「こんぶの天ぷら」をいただいた。腰のある美味しい麺と、香り豊かな薄味のお出汁。ご店主は香川でうどん修行を3年、その後日本一周うどん武者修行を2年したのち、こちらを構えたそう。土壁も自分たちで塗ったという、手作りの店。

うどんを食べ終わったころ、あじき堂さん一家が立ち寄ってくれた。マラソン大会を終えたばかりの楓人君、半ズボンである。元気。この後、私が宿に忘れたポーチを稲葉さんご一家が届けてくれたりして、こういう感じがまた大家族的でいいなあと感動してしまったのだけれど、実際はみなさん忙しいのだ…ご迷惑おかけしました。

食べてばっかりなので、腹ごなしにお散歩した。今回の旅が実現したきっかけでもあるヤマケイさんに教えてもらった、とっておきの牧歌的スポットへ。子供たちは、どこでもよく遊ぶ。



旅の締めくくりは、京丹波のビオスイーツ店菓歩菓歩さんでお茶をした。こちらのご店主石橋さんは、スコップ・アンド・ホーのご店主、井崎さんの幼馴染だそう。それがいまでは同志という、うらやましいような関係。二人とも懐が深くて面白くて、類は友を呼ぶ。少し雨が降って来たけれど、由良川のほとり長閑な風景が広がる気持ちのよいテラス席で、美味しいケーキとカフェラテをいただいた。

 

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美味しいものばかり食べ、素敵な人ばかりに出会い、美しい風景や手仕事を見て、いつのまにか親戚みたいに感じてしまうほど素晴らしい旅メンバーにも恵まれ、ずっとこの時間が続いてほしいと思うくらい楽しいツアーだった。

そして旅先で出会った、農的生活を送りながら得意なことや好きなことを活かした仕事をする人たちも、みんな魅力的だった。田舎暮らしは、ちっとものんびりしていない。思い通りにならない自然を相手に頭も体も目いっぱい使って、手間を惜しまず誠実に、丁寧に暮らしと向き合うしかない。やってみなけりゃわからない大変なことがたくさんありそう。でもそんな生き方を選択した人たちの姿は、まぶしくてかっこよかった。自分の手の届く範囲で何かをするということはとても納得ができて気持ち良いものだし、そのスッキリとした感じが外見にも表れていた。つつましくも力強い、こんな小さな暮らしがどんどん繋がって、いい出会いがもっと広がればいいなと思う。

今回尋ねた志賀郷町では、コ宝ネットという移住者と地元の人で構成しているチームがあって、移住者と地元住民の積極的な交流を図っているそうだ。これから移住先を見つけたい人たちにも相談しやすい雰囲気がある。空き家を探している人、有機農業をやってみたい人たちは増えているのに受け入れ体制が整わない地域も多いと聞くけれど、ここ志賀郷の取り組みは、とても参考になるのじゃないかと思う。やっぱり人、です。

 

スコップアンドホーさん、ツアーをご一緒していただいたみなさま、旅で出会ったみなみなさま、本当にありがとうございました!


 

 

 


安曇野もよいとこ

松本から穂高までは大糸線に乗って20分ほど。駅前の「ひつじ屋」さんで車を借りた。カフェとギャラリー併設で、レンタサイクルもできる。周辺のギャラリーやカフェとも提携した手作りクーポンをくれたり、ほのぼのムードのレンタカーやさん。ここでもらった、開催中の「安曇野スタイル」のパンフレットで、こんなにアートやクラフトが盛んな地域だと初めて知った。10周年になる今年は、121会場141組が参加というからすごい数。作家さんの工房が公開されたり、ギャラリーやカフェで関連イベントや特別メニューのサービスがあったり、安曇野のものづくり活動を散歩しながら見学できる。

小腹を満たそうと入った「Blé Noir」(こちらのガレット絶品です!)の併設ギャラリーで開催されていた玉野綾子さんのビーズ詩集絵展も、「バナナムーン」で出会った野村剛さんの粘土絵展も、独自の世界が広がって、ふらっと寄ったのにしばらく釘付けになった。IIDA・KAN、安曇野絵本館、禄山美術館などは、建物も展示もとても美しく充実していて面白かった。安曇野にはこんな小さな美術館が、まだまだたくさんあって、とても1日では足りない。

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回の旅のいちばんの目的は、「シャロムヒュッテ」に泊まること。ここはセルフビルドの自然素材の建物で、自然農の野菜メインの美味しいごはんを味わい、スタッフと語らい、自然農塾や野外保育など農的暮らしを体験できるユニークな宿。着くと外は真っ暗だったが、中に入るとヨーロッパの山小屋みたいな暖かい雰囲気。ロビーには大きな薪ストーブと本棚があり、興味深い本がたくさん並んでいる。部屋に持ち帰って読んでもいい。部屋はちいさな洗面台があるのみ、トイレやお風呂はないけどぱりっと清潔で気持ちがいい。

夕食は食堂で皆でいただく。各テーブルから「美味しい」の声が聞こえてくる。夕食には動物性蛋白質がないと淋しがるタイプの夫が、これなら肉も魚もいらない。毎日野菜でいいという。こんなの作れるかー!と思いつつ、ソースのレシピを聞いてみた。本当に驚くほど油や調味料を使っていない。素材一本勝負。ここで採れた野菜と絶妙な火加減がこの感動的な味わいを生んでいる。再現はできないけど記憶に残る味。

 

 

 

 

 

 

この日は「安曇野スタイル」でコンサートをされた演奏家さんたちも泊まっていたので、夕食後にサプライズで小さな音楽会をしてくださった。秋の夜、山小屋で生演奏が聞ける幸運に恵まれた。

 

翌朝は見事な秋晴れ!

色づく山々を背に、草原と畑が広がって清々しい。空気が、比喩ではなく美味しい。朝のエコツアーに参加した。まだこちらに入って1~2年ほどというスタッフさんが、一緒に散歩しながら宿についてのあれこれを丁寧に解説してくれる。オーナーの思い、建物、野外保育、コンポストトイレについて。自然農について。実際に観察して触れて、どれだけここで実践されていることが理に適っていて心地よいことか体感できる。朝ご飯もここで採れた野菜をふんだんに使ったバイキング形式で、テラスで食べたり、めいめい自由に。

つくってくれた方は、京都から一か月住み込みで働きにきたという。同じ年だと判明してびっくり。もっと若そう。生き生きしていた。スタッフ皆さんここが大好きで、気持ちをこめて働いているのが隅々から伝わってきた。何度も訪ねたくなる、気持ち良い場所だった。

 

旅のしめくくりは、穂積神社の鳥居の横にあるその名も「とりい」さんでお蕎麦をいただいた。細くてキュッとしまって、香りが高くて、こんなの待ってました!という味。蕎麦のお菓子も手作りで、取り寄せたくなるほど美味しい。安曇野スタイル企画でひょうたんランプとお面が飾られた店内は、土壁と木のぬくもりがあって、小さなギャラリーみたいだった。若いご夫婦二人で頑張っている素敵なお店です。

 

帰りの電車中から、どこまでも続く豪華な錦の絨毯のような山肌を眺めながら、この紅葉を求めて山に登って命を落としてしまった方々のことを思った。ご冥福を心から、お祈りします。雄大で美しく静かに燃える山はいまは穏やかに見えるけれど、想像もつかないような怖さや厳しさを秘めている。自然を大事にしているひとほど、容赦なく命を奪われるかのようにも思える。それでも人は山に憧れて、山に癒される。京都に戻り、四方を囲む山々をみて、ああ帰ってきた。とやっぱり安心した。


松本よいとこ

 

理由もなく旅に出るのは憧れで、行ってみたい場所も山ほどある。けれど実際行くとなると少し意気地がなくなり、なにか理由が欲しくなる。誰かの誘いに乗ってみたり、本や映画に触発されたり、お祭りや旬の食べ物などその季節その場所でしか出会えないものを求めたり。縁とタイミングによるところも大きい。

 

松本へは、今年の頭に京都で出会った写真家の疋田千里さんの個展を観るため、お盆に夫の実家の山梨に帰省する途中、少し寄り道した。会場の栞日さんは古いビルを改装したブックカフェ&ギャラリーで、旅する写真家疋田さんの切り取る緩やかなブラジルの風景とぴったりの雰囲気で、とても印象的だった。その後少し見て回った町の感じや、展示の間ずっと常駐して松本暮らしを楽しんでいた疋田さんのお話を聞いて、また必ず来たいと思っていた。

その後松本に行った話をすると、たいてい「『まるも』に泊まった?」「民芸館には行った?」と聞かれる。まだだというと、ぜひ次回は行ってと口を揃えて言われる。松本好きの人がこんなに多いことに驚いた。さらに夫が通う美容師さんに安曇野の宿を勧められたこともあって、11月の連休、ふたたび松本、そして初の安曇野へ行くことにした。

 

初日は秋晴れの日々から一変しての雨。列車の窓からの紅葉も曇っている。松本に着いて蕎麦を食べ、松本城まで散歩という初心者コースを辿る。雨というのに天守観覧は60分待ちだったので、翌朝来ることにして松本民芸館へ。お城の近くからバスで15分、バス停からの細い道を進むとすぐ、なまこ壁の建物が見えてくる。門から見える庭の木々の紅葉が雨に濡れてしっとりと色濃く風情を漂わせ、入る前から期待が高まる。

可愛い道案内の石碑やお地蔵さん、壁に飾られた開催中のかご、ざる展の一部、すべてが静かに美しくあるべきところに収まっていて、心地よい。外の光を柔らかく受け止めるどっしりとした造りの静謐な空間が心をすうっと静めてくれる。展示の入り口に創設者の丸山太郎氏の言葉があった。

 

ひとつひとつのものと近くでゆっくり向き合えるような展示も、よくよくこの言葉に基づいたものであることが感じられる。展示の中には丸山太郎氏による作品、絵や文章なども展示されていて、目を惹かれた。収集家としてモノのもつ可愛らしさ美しさを見極め、作家としてその感受性の豊かさ、ユーモアと愛情が感じられる温かな作品を生み出し、こんなに素敵な場所を後世に残してくれて、すばらしい人生だなあと思う。

中心地に戻ってひとやすみ。今宵の宿「まるも」は併設の喫茶店も人気なのだ。松本民芸家具で統一され、落ち着いた店内でくつろいだ。

町には、土蔵が並ぶ中町通り、川のほとりの縄手通り、昔ながらの人形店が並ぶ高砂通りとそれぞれに少しずつカラーの違う通りがあり、本屋やレコード屋、雑貨屋、それぞれに個性のあるお店が並ぶ。歩いても歩いても楽しい。夕飯時となり、建物の灯りと賑わいに惹かれて創業昭和8年という老舗の洋食屋「おきな堂」に入った。ここもやはりクラシカルな内装と家具でリラックスできて、松本らしさを感じる場所だった。ワインとボリュームたっぷりの昔懐かし洋食ですっかり満腹。

まだ宿に帰るには名残惜しくて通りをうろうろ歩いていると、夜10時までやっていてコーヒーも飲める本屋さん「想雲堂」を発見した。


民俗、美術、哲学・・・と心くすぐる背表紙が並ぶ。民芸館にあった丸山太郎さんの小冊子や本もあった。ここで珈琲を飲みながら今日一日を振り返りたかったので『松本そだち』を手に取った。

「いい本ですよ。民芸館にはいかれました?」とご店主が話しかけてくれた。話しているうちに偶然にもご店主は夫と同郷の山梨生まれと判明し、方言の話題など意外なところで盛り上がる。このお店を始めたのは去年のことだそう。なのにもうずっとここにあったような安心感がある。楽しい夜を過ごせた。

今回泊まった「まるも」はこぢんまりとして、広くはないけれど、街歩きにはぴったりの宿で、誰かの家に泊めてもらうような温かい雰囲気、そしてなにより朝ご飯が魅力。

普通のごはんを丁寧に。それが一番美味しいんです。と教えてくれるような理想的な朝ご飯だった。ご主人が子供のころから、このメニューはずーっと変わらないんだそう。変わらなくていい。明日も明後日もこれが食べたいと思う。

朝食後は朝いちばんで松本城へ。どこからみてもきちんとして、写真に撮ると絵葉書か合成写真に見えるほど端正なお城だ。北アルプスを背にするとさらに美しく堂々としている。

天守への入り口にまだ行列はなかったが、朝も早くから、続々と人がやってくる。登るごとに階段が急になる。最上階の天井の梁はすごい密度。ここに松本城の守り神「二十六夜神」が祀られている。

 

お城を出てから出発の時間ギリギリまで街歩き。まだ見ていないところがたくさん。次回への楽しみにとっておく。途中いい感じの空き物件を見つけて、もしここに住んだら・・・なんて妄想を膨らませつつ、最後に少し栞日さんに立ち寄った。ギャラリーではカレンダーづくりのワークショップが行われていて楽しげで、変わらず緩やかな感じにほっとする。ご店主の菊池さんは、年に2,3度京都に来るのだそう。「じゃあまた京都か、松本で」と別れて列車に乗った。おやつに買った栞日さんのドーナツは、小ぶりながらもぎゅっとつまって食べ応えあり、素朴な甘みで品が良く、松本生まれの味がした。

 

安曇野旅へつづく

 


秋の実りのお弁当

彩工房 暮らしと住まいのセミナー」の第10回は、今年2月のお出汁の料理教室が大好評だったRelishの森かおるさんを再び講師に迎えての会。前回のレッスンは、受けたその日から食生活が変わってくるような、即日実践、簡単だけれど中身が濃い内容だったので、今回もとても楽しみにしていました。

 

今回は「秋の実りのお弁当」というテーマで、二種類のおにぎりと、サンマ、サツマイモ、レンコンといった秋の食材の豊かな味わいを生かした、美味しくてほっとするお弁当レシピを教えていただきました。

知っているようで意外と自己流、固すぎたり、柔らかすぎて崩れやすかったり、いびつな形になってしまうおにぎりの上手な握り方、サンマの三枚おろしのやり方や、色々な食べ方、添加物たっぷりのインスタントではなく、水筒で運ぶ時間を利用して出汁をとり、味噌と具をいれたタッパーでつくる本格味噌汁。今回も、今日からすぐ、しかもずっと続けて実践したくなるような料理のコツの数々が繰り出されます。「鮭の身ほぐすときね、そんなに神経質に骨とらんでええよ。子供が自分で、あ、骨があるって口から出せるということを覚えることも大切なんよ」「この昆布と削り節にお湯注いで出た出汁を飲むだけでも、なんかね、ほっとするんよね。何よりのサプリメントやね」・・・一言一言が目から鱗。明るく元気に面白く!の森さん節と、参加者の皆さんの協力的なムードのおかげで、台風直撃間近の連休初日にもかかわらず終始和気藹々と賑やかで、笑顔の絶えない会になりました。

むりやり色とりどりにしなくても、本当にしみじみ美味しく、滋味溢れるお弁当。こんなごはんが、ずっと食べ続けられたら幸せだなあと思います。ごちそうさまでした。