morimori

神保町昨今 

神田・神保町で二つの店が閉店した。一軒は、交差点近くのカメラの「太陽堂」である。私は小さいときから、写真と本が好きだったから、この界隈に、よく遊びにきた。そして、高価なライカやローライをショーウィンドウ越しに眺めたのだった。だから、「皆様のご厚情をいただいて、今日まで営業を続けてまいりましたが」という貼り紙は哀しい。大正9年の創業である、という。90年の歴史はフィルムの歴史なのだろう。

「太陽堂」

東京堂の斜め前の、本と雑貨の「シェ・モア」も姿を消した。ここには、それ以前の店構えのころから雑誌を買いに、よく立ち寄った。「この度、勝手ながら6月30日(日)をもちまして閉店致しました」という貼り紙は淋しい。

シェ・モア

神保町は、テレビの街歩き番組などで、よく見かける。先日の『アド街ック天国』でも、古本、中華、ギョウザ、カレーなどの話題満載だったけれど、そのなかで、こんなふうに店仕舞いしていくところがあることも、記憶に残しておきたい。

 


耳ざわり

パンの耳

 

『食道楽』(上下巻・岩波文庫)を読んだ。作家でありジャーナリストの村井弦斎の作。和と洋、600種以上の料理をネタに、明治36年、1年間『報知新聞』に連載して大好評。後に続編も書いた。上流階級の台所からのぞいた世相、風俗+実用が見てとれて、面白い。その『食道楽』に、「パン料理五十種」という付録がある。わが国でも、中流以上の人は朝食をパンと牛乳ですます人か多い、と前書きにあり、いろいろなパン料理を紹介しているが、なかに「玉子のサンドイッチ」がある。

—– 先ず湯煮た玉子を裏漉しに致します。
それへバターと塩胡椒と唐辛子の粉があれば少し加えてよく煉り混ぜて薄く切ったパンへ思い切って厚く一面に塗ります。その上からまたパン一枚をピタリと合せて縁の硬い処を切捨てて中も四つ位に切ります。味もなかなか結構なものです。 —–

パンの耳は、もうこのころから、切捨てられていたのだ。耳ざわり、だったのだろうか。

 


耳を揃える

耳を揃える

 

パンの耳が、こんなに嫌われ者になったのは、イギリスのサンドイッチ伯爵のせいですよ、というひとがいる。伯爵は、大のトランプ好き。ゲームを中断しないで、食事ができるようにとパンに肉をはさんで食べたのが、サンドイッチの始まりで、1760年代である、というのは、有名な話。いや、それ以前に、ローマにもあったともいう。

さてその、口にいれたときの触感や味の違いを避け、断面の美しさを楽しませ、食べたとき、すぐにはさんだ具に到達できるように ……  そんなことからパンの耳を切り落とすようになった、という説がある。そういえば、伊丹十三さんの『女たちよ!』の「ハリーズ・バーにて」という章に、こんな文章がある。

……  ハリーズ・バーのクラブ・ハウス・サンドウイッチには変った点が一つあった。パンが丸く切ってあったのである。サンドウイッチには隅のところに、おかずがはいっていない三角のスペースができるものだが、丸くすればこういう不快は避けられる。着想というべきであろう。……

耳を揃える、とはこのことか。

 


茶碗は古道具屋に限る

「和洋アンティーク教本」塩見和彦

 

たとえば夫婦茶碗といったものに興味がない。茶碗は丼にちかいくらい大きな奴に少し飯を盛るというのでありたい。そのためには茶碗は古道具屋に限るのである。半端ものを買うのである。米ばかりを喰っていた奴の考えたもの、こしらえたものは、米の飯を喰うためには誠に都合よくできているものだ。 (『人生論手帖』山口瞳著・古道具屋で食器を買う)

 

山口さんのこの文章が記憶にあったから、『チルチンびと』76号・特集「昔家を、愉しむ」のなかの、次の記事を読んで、オヤ、どこか似ていると思った。

 

アンティークの良さは、時代を超えて生き残ってきた必然性にあります。長い間、捨てられず、使われ続けてきたのには理由があるのです。美しくバランスのとれた造形、使いやすいすぐれたデザイン、目的にあった贅沢な素材。そして何より、一緒に暮らしていきたいと思わせる、魅力に溢れているのです。 (「和洋アンティーク教本」塩見和彦)

 

古い道具を使う喜びや探す楽しみは、茶碗にもランプにもドアノブにも、共通しているのだと思った。

————— 『チルチンびと』76号は、ただいま発売中です。

 


『チルチンびと』は、語る

「チルチンびと」76号 昔家を、愉しむ~古民家・町屋・和洋アンティーク家具~

 

古いものから漂う温もりはいい。ただ、かつて生家に転っていた器や塗りの剥げた家具など、今骨董店で求めるとなると驚くほど高価だ。古さは贅沢になった。
(「a  day in the life 」安西水丸)

ただ歳をとるのではなく、経験の滲み出た年寄りに。ちゃんと生きてゆくことで魅力的になるのは、ものも人間も同じですね。
(「家も人も歳を重ねて美しく」)

小さい目を大きく見せるのも、大きな口を小さく見せるのも、化粧次第。家具が大きすぎたと思えば、照明を低く、小さく絞ってみる。そうするとまわりが気にならなくなり、空間がぐっとよくなります。
(「和洋アンティーク教本」塩見和彦)

こどもは体全体が感覚受容器なのだ。体全体が学習受容器なのだ。体全体で大地から学ぶ。
(「こどもと建築」仙田満)

日本家屋って、実は介護に向いてるんじゃないでしょうか。
(「『雨ニモマケズ』の心意気 – 岩手を背負う工務店、介護施設、製材所」)

今号の取材でまわった鳥取。安西水丸さん曰く、「砂丘に行かなくなったら、鳥取のプロですよ」
(「編集後記」)

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『チルチンびと』76号 (特集・昔家を愉しむ) からひろった言葉です。

『チルチンびと』76号は、6月11日発売です。

 


トルストイとパンの耳

トルストイ

 

土曜日の午後、ラジオを聞いていたら「食パンのまわりの部分は、耳というけれど、両端のところは、なんというんでしょうかね」という話が聞こえてきた。放送では、すぐにリスナーからの反応があり「あれは、ヘタとか表皮とか呼んでいます」というパン屋さんらしい人の答えが紹介された。「ヘタの横好き」というヘタな洒落が、私の頭に浮かんですぐに消えた。

 

それにしても「パンの耳」なんて、いつごろからいわれていたのだろう。昭和13年1月15日発行の『大トルストイ全集』12巻 (原久一郎訳・中央公論社)に、「悪魔の子分がパンの耳に対するヘマの償いをした話」という短編がある。それはこんな文章で始まっている。

 

—- ある貧乏な百姓が、ある朝早く、朝飯も食べずに、パンの耳を一片れ弁当に持って、野良へ耕作に出かけて行った。(本文は旧字旧カナです)—- これは、ロシアの民話に題材をとったもので、悪魔の子分が、そのパンの耳を盗むことから、酒の害へと話は及ぶのである。それはともかく、昭和13 年(1938)には、こんなふうに、普通に使われていたのだ。さて、パンの耳はロシア語で、フレープノイ=カローチキだと聞いた。これも、耳学問。

 

上を向いて歩こう

浅草の喫茶店にいたら、永六輔さんが入ってきた。あ、どうも。これから、天ぷらでも食べるつもりだ、と言うと、「それなら、アソコがいい」と言う。「アソコ?」「アソコ、アソコ」。とうとう店の名前が出てこないまま、笑って別れた。その翌日。一通のハガキが届いた。永さんからだ。その文面。「思い出しました。中清です」。中清は、老舗の天ぷら屋である。永さんのハガキは、いつもこんなふうに、素早く、短く、やさしかった。—- あれからもう、何年もたった。

 

『上を向いて歩こう展』(世田谷文学館・6月30日まで)へ行った。ウォウウォウウォウという坂本九の歌声が流れる。大震災のあと、たくさんの人に歌われたのは、なぜだったろう。レコードのジャケ ット、テレビ番組の台本、写真、楽譜、関連する何冊かの本。見ていると、思い出すことばかり多く、鼻の奥が、ツンときな臭くなってくる。

 

私も、涙がこぼれないように、上を向いて歩いた。

 


パンの耳学問

……    ま、おれはおかわいそうな皿洗いじゃない。ウェイターだ。それでも、五日間食うものがなかったことがあるんだよ。パンの耳さえ食わずに、五日間だ。ー   いやはや! …… (『パリ・ロンドン放浪記』ジョージ・オーウェル著・ 小野寺  健 訳・岩波文庫)

ジョージ・オーウェルの作品には、パンの耳が、出てくるよ、と教えてもらった。

…… 彼は長い午後の時間を費して男の子たちとごみ箱や掃き溜を漁って歩いたことを忘れていない、キャベツの葉の芯やジャガイモの皮を拾い集めたり、時には黴臭いパンの固い皮膚さえ拾って、注意深く黒焦げになった部分を削り落としたものだ。 ……  ( 『1984 年』ジョージ・オーウェル著 ・ 新庄哲夫訳・ハヤカワ文庫)

パンの固い皮膚 ?  この原文は、…… sometimes   evenscraps   of  stale  breadcrust…… であるという。crust  は、パンの耳さ、とも教わった。私は、これを 、耳学問とよびたい。

 


パンの小耳

壷井栄さんも、“ 耳好き” だったらしい、という話を小耳にはさんだ。

…… 羊かんだの豆腐だのの、まん中のよいところより、耳のかたいところの方を私は好む。同じようにパンの耳も大好きで、こんがりと焼いたのにたっぷりとバターをぬって食べる。パンの耳はハダが綿密でなかなかバターを吸収しないので、バター・ナイフでぶつぶつ穴をあけてバターを吸いこませる。……( 『 壷井栄全集』 11 ・ 壷井栄著・文泉堂出版)

小説『二十四の瞳』や、その映画で、壷井栄さんは、おなじみだろう。これは、「パンの耳」と題したエッセイである。このあと、耳は家中で奪いあいで、時には順番制をとったこと、こんなにみんなが好むのは、希少価値のせいかもしれない、などと書いている。

映画『二十四の瞳』は、いまだに、あの、ひとり修学旅行に行けなかった子は、可哀想だったなどと、あるシーンが話題になったりする。その作家にして、この好みあり。なんだか、うれしいじゃないですか。


パンの初耳

パンの耳

「パンの耳」とは、どこを指すのだろう。私は、写真左の部分だと思っていたら 「違う」というひとがいた。写真右のパンの周囲のことだという。私が耳というのを、「背中」とか「カカト」というふうに、うちでは呼んでいましたよ、というのである。『パンの耳の丸かじり』(東海林さだお著・朝日新聞社)に、耳についてのフカイ考察がある。それによると、耳愛好家や耳フェチは、耳を単純に、耳と総称しないとして、天井耳、両側両耳、底耳、とファンが分れる、と書いてある。そして、

…… 天井耳ファン、両側両耳ファン、底耳ファン共通の憧れの部分は、食パンを切るときの最初の耳。ファンの間で「初耳」と呼ばれている(たぶん)部分だそうだ。……(「パンの耳はお好き?」の章から)

へえ。写真左は、初耳といい、写真右も、その部分によって呼び名があるらしい。それにしても、初耳とは、初耳である。