茶碗は古道具屋に限る

「和洋アンティーク教本」塩見和彦

 

たとえば夫婦茶碗といったものに興味がない。茶碗は丼にちかいくらい大きな奴に少し飯を盛るというのでありたい。そのためには茶碗は古道具屋に限るのである。半端ものを買うのである。米ばかりを喰っていた奴の考えたもの、こしらえたものは、米の飯を喰うためには誠に都合よくできているものだ。 (『人生論手帖』山口瞳著・古道具屋で食器を買う)

 

山口さんのこの文章が記憶にあったから、『チルチンびと』76号・特集「昔家を、愉しむ」のなかの、次の記事を読んで、オヤ、どこか似ていると思った。

 

アンティークの良さは、時代を超えて生き残ってきた必然性にあります。長い間、捨てられず、使われ続けてきたのには理由があるのです。美しくバランスのとれた造形、使いやすいすぐれたデザイン、目的にあった贅沢な素材。そして何より、一緒に暮らしていきたいと思わせる、魅力に溢れているのです。 (「和洋アンティーク教本」塩見和彦)

 

古い道具を使う喜びや探す楽しみは、茶碗にもランプにもドアノブにも、共通しているのだと思った。

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