morimori

嬉しか

ウレシカ

二月、テレビ東京の『アド街ック天国』で、西荻窪が、特集された。そのなかで、坂本屋という店のカツ丼が、登場。お客さんの注文があってから、カツを揚げ、タレに浸し…… と、おいしそうに、手順が放映された。それから約1カ月。店の前を通ると、ナント、行列30 人。寒風に肩をすくめて立っている。私は、それを横目に通り抜け、坂道を下って「ウレシカ」へ。絵本 + 雑貨 + ギャラリーの店である。

世田谷の経堂から引っ越してきて、今日が、開店だ。この “ 広場 ”でもおなじみである。12時少し前につくと、ナント、店のあくのを待っているひとが何人かいる。新しい場所にきて、商売を始めるとき、これは「嬉しか」ではないだろうか。私は、「行列ができるのは、カツ丼とウレシカくらいですね」と、店のコバヤシさんに、つい余計なことを言った。そして、小さな姪のために、  『どうぶつだいすき』(イジー・ジャーチェク)と『チキンスープ・ライスいり』(モーリス・センダック)の二冊の絵本を買って帰った。


続・「きいち」のぬり絵

続・「きいち」のぬり絵

たまたま、きいちのぬり絵を見て、その画家の蔦谷喜一さんにお目にかかったときのことを、思い出した。ご自分のぬり絵に、色をぬったことはありますか、と私は訊いた。「一度もない。ぼくは、ぬり絵を描いていたんじゃない、少女画を描いていたんですよ」と蔦谷さんは、言った。しかし、少し悲しそうに、「非難されたこともありました」と、言った。「絵画教育の上でマイナスになる。この絵は俗悪だと。そして、大家といわれている画家が、ぬり絵を出したんです。大々的に宣伝したんです。だけど、売れなかったらしい。だって、ぬり絵は、教育じゃなくて娯楽なんですから。与えよう、教育しようでは、ムリなんですよ」。

このインタビューが、雑誌に載ったあと、ある画家から、一通の手紙をいただいた。そこには、激しい調子で、なにが大家だ、なにが教育だと、蔦谷さんを擁護する言葉が激しい調子で書いてあった。私は、いま、そのことも、思い出した。蔦谷さんは、最後にこんなことも言った。「振り返ってみて、自分のやってきたことがそれほど価値のないことじゃなかった、よかったんだなあと、いま思うんですね。人の気持ちのなかに、少しでも残っていてくれたら、救われますよ」。蔦谷さん、残っていますよ、みんなの気持ちのなかに。

 

 


a day in the life

a  day  in  the  life

 

“  ア・ デイ・イン ・ザ ・ライフ ”  はビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーの作で、ぼくは1969 年の1月 、この曲をウェス・モンゴメリーのギターで初めて聴いた。…… (ハドソン川の夕日とラピスラズリ色のコーヒーカップ)


安西水丸さんの 「 a day in the life  」が、本誌で連載の始まったのは、13 号(2000年夏)からである。その第一回の書き出しが、冒頭の文章だ。そして、最新の79号まで、14年間。これだけ長くつづいていると、ビートルズよりも、安西さんのタイトルとして、頭に住みついてしまう。ところが、競走馬にこのタイトルをつけた方がいる。3月8日。中山の11レース。報知杯弥生賞に、アデイインザライフは出走した。安西さんの愛読者としては、応援しないわけにはいかない。スタート。中団につけたその馬は、直線、抜け出しをはかる。アナウンサーは、少し言いにくそうに「アデイインザライフ、三着」と叫んだ。


………
『チルチンびと』 79号〈特集・手仕事のある家〉は、好評発売中です。


きいちの「ぬり絵」

きいちの「ぬり絵」


「ぬり絵美術館」へ行ってきましたと、編集部の Y さんが、なん冊かの、ぬり絵の本を見せてくれた。美術館は、東京・町屋にある。昔、ぬり絵で遊んだという方は、「きいち」の名前をご記憶だろう。その画家、蔦谷喜一さんの作品が展示されている美術館である。私は、以前、蔦谷さんに、お話をうかがったことがある。そのときの、メモから。

…… コドモの世界のことばかりでなく、オトナの世界のものを、コドモの顔で描けばいいんです。コドモは、かえってそういうのを喜ぶんです。ファッションでも、顔だけがコドモで、スタイルがオトナというのが、喜ばれます。そこに、コドモの憧れとか夢があるんですね。コドモの顔にコドモの服じゃあダメ。着物は、いまのコには、なじみがないから、ウケません。藤娘なんか、いまはもう、なにがなんだかわからない。それにしても、夢みるような夢、というのが、なくなってきたんですねえ。……

あの、独特の線のうしろに隠されていた想いを、こんなふうに、語った。(つづく)

 


消しゴム党

消しゴム

漫画家というものが、どのくらい消しゴムを消耗するかというと、私の場合、だいたい一作品で一個、である。一学期間に二個買えば間に合った小学生時代に比べ、それは破格の量である。……(『書斎の宇宙』ちくま文庫 「消しゴムのよしあしは消しカスの量で決まる」柴門ふみ)

 

寺山修司、楠田枝里子といった方々も、消しゴム好きで知られている。建築家の大野正博さんも、そうであって、写真中央の消しゴムは、昨年、「クリスマスプレゼント」と言って、大野さんがくださった。その右はチェコ、左はロシアの消しゴムで、私はこれを、経堂のハルカゼ舎で買った。大野さんに、さしあげるつもりだ。そして、そのときに、家一軒をつくるのに、消しゴムが何個必要だったかを、聞いてみようと思っている。

 


手創り市初場所

手創り市初場所


ウー、サムイ。1月19日 (日曜日)。鬼子母神の手創り市に行く。こう冷えこんでは、人出も少ないだろう、と思ったら、トンデモナイ。賑やかだった。

自然派「道草庵」の山本さんに、昨年末、プレゼント企画に協力していただいたお礼をいう。「仕事どころか、昨日まで、耐寒用に脚と腕のウォーマーを編んでいた 」そうだ。「こんなに寒くては、二月が思いやられますね。来れるかなあ」。 木の玩具でおなじみの「キッコロ」のお二人にも、ご挨拶。「お正月は、食べて寝るのくりかえし。外の仕事は今日がはじめて」と笑う。お店をのぞきながら、言葉を交わすのも、市の愉しみだが、それにしても、北風が強すぎる。並べた品物が飛び散る。帰り際、門のところに「節分」の文字。春よ、来い。早く来い。

 


金沢の不思議

金沢の不思議

 

その“影笛 “ は、ひがし、にし、主計町という金沢の三茶屋街の中の、にしの茶屋街にある「美音」という料亭の女将が、師匠のあとを継ぐようにして残しているのだという。……

話は、この“影笛” に好奇心をそそられることから始まる。『中央公論』 で、村松友視さんの小説の連載が始まった。題名は『金沢の不思議』。金沢の、どこがそんなに不思議なの? という私の間の抜けた質問に、答えてくれた。前田利家について。どじょうの蒲焼きについて。そのどじょうのさき方、蒸し方について。『婦系図』の泉鏡花。自然派の徳田秋声。小説と詩の室生犀星。この金沢生まれの三人の作家の作風について。町に流れる川、住む人のけはい。…… たくさんの不思議を語って、つきることがない。

「ぼくは、エトランゼ。金沢の見物客だからね。住んでいる人とは、違う不思議が、見える」と、うれしそうに言った。そうか。私も “金沢の不思議” をしばらくは、見物して楽しむことにしよう。

 


初夢

初夢

 

暮。この「広場」で、お世話になっている方々に、ご挨拶にうかがった。そのうちの一軒「西荻案内所」で、所長の奥秋さんから、これをお持ちください。枕の下にいれると、いい初夢がみられますよ、と、この「宝船」の紙を渡された。ありがとうございます。裏には、こういう文があった。

 

長き夜の
疾うの眠りの
皆目覚め
波乗り船の
音の佳き哉

 

そこには、なかきよの  とおのねふりの  みなめさめ   なみのりふねの   おとのよきかな   、という読み方があり、これは回文 だ(前から読んでも後ろから読んでも、同じ言葉) と説明があった。どこからみてもよき夢のシャレである、という。どうか、みなさまも、よい初夢を。

 


寒さいろいろ

『チルチンびと』78号「拠り所としての、火」(設計・益子義弘 、写真・輿水進)

『チルチンびと』78号「拠り所としての、火」(設計・益子義弘 、写真・輿水進)

 
 
山口瞳さんに「寒さかな」 というエッセイがある。こういう話だ。

昔、山口さんが大家族で麻布で暮していたころ、部屋の中央にルンペン・ストーブというのがあった。そこで、石炭でも材木でも紙でもジャンジャン燃やす。部屋の隅の寒暖計は34度になっている。暑いので裸でビールを飲む。それは、はなはだ刹那的で、そのときだけは愉快だった、という。…… そして、こう書く。

寒さという言葉には、肌身に感ずる寒さのほかに、こころの寒さがあるからである。フトコロが淋しいという寒さがある。さむざむとしたというのは、風景であり、人の情であり、時の移り変りにも通じてしまう。…… そして、こう書く。

私が部屋のなかを暑くしようとするのは、こういう寒さから逃げようとしているためではないかと思われることがある。そうして、十二、三年前に、崩潰寸前の麻布の家でストーブをがんがん燃やしたのは、その最たるものではなかったかという気がしてくる。

ストーブの炎を見ると、いつも、このエッセイを思いだし、少し苦いようなすっぱいような懐かしいような気分に浸るのである
 

 
『チルチンびと』78 号  〈特集〉火のある暮らしの豊かさは、12月11日発売。定価 980 円です。
 

マッチ擦る

いまだ知られざる寺山修司展

「いまだ知られざる寺山修司展』が、(~ 1月25日・早稲田大学125記念室)開かれている。かつて、話題になったテレビインタビュー番組『あなたは……』が流れていて、懐かしく楽しかった。


マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありやは、有名な寺山修司の歌だが、『チルチンびと』78号の「火と調理が脳を活性化する!」を読んでいると、現実に驚かされる。山下満智子さん(大阪ガスエネルギー・文化研究所)の話は、こうだ。


近ごろの子どもは「火が熱いことも知らない」という話を聞いて、子どもが火を扱う様子を観察することにしたのだ。それは、「七輪でじゅうじゅう焼いて秋刀魚を食べよう」という実験である。しかし、参加した多くの子どもがマッチを持って「シュッ、シュッ」と口では言いながらも、なかなか擦ることができない。マッチに火がついても、七輪の火をおこすためには、新聞紙に移さなければならない。それもまた、ままならない。そういう子どもたちに火を教える必要を思い「火育」と名づけるのである。「カイク⁈」という寺山修司の声が聞こえる。

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『チルチンびと』78号は、定価980円。特集・火のある暮らしの豊かさ。12月11日発売です。