morimori

読書の秋、庭暮らしの秋(前篇)

読書の秋、庭暮らしの秋

『チルチンびと』85号の特集 ― 我が家の庭暮らし / 暮らしに農の風景を―  に、ちなんで、ビブリオ・バトル、秋の読書会。

………

C君 いまさら、と仰るでしょうが『園芸家12カ月』(カレル・チャペック・中公文庫)。九月なら、こういう言葉〈九月は、われわれが植物を植えることができるように、大地がもういちど入口をあける月! 春までに根づくものは、いま土におろさなければならない。〉というふうに、その月ごとの呼び掛け。これがいい。魅かれます。

Uさん またかと、仰るでしょうが『富士日記』(武田百合子・中公文庫)。ご存じ、武田泰淳さんとの日々をつづるところどころに、草や木の描写。なんともステキ。〈庭の花は終ってしまった。咲き残っている松虫草の花びらは、白っぽく紙のようになってしまっている。赤い実がなるトゲトゲのある木が、今一番元気がいい。リスかイタチのくる足音かと思うと、一枚ずつ木の葉が落ちる音だ。〉 ねっ。

S氏 宮沢賢治が、花壇や造園に熱心だったことは、知ってるよね。その賢治のスケッチふうの設計図からうまれた、盛岡少年院の花壇「涙ぐむ眼」誕生のいきさつが、書かれています。『宮沢賢治と植物の世界』(宮城一男、高村毅一・築地書館)。瞳のところは、目尻は、何の花を植えるか? などのアイデア。賢治の作品と植物との接点が、読めるんだ。

………

『チルチンびと』85号は、9月11日発売予定。お楽しみに。

 


柳原良平さん

柳原良平さん

 

柳原良平さんが、亡くなられた。

いまから、40年以上も前、日本ペンクラブの活動資金を集める催しが、あった。会場には、いろいろな作家の色紙が、並んでいた。柳原良平さんの絵 + 山口瞳さんの書 + 大伴家持の歌。迷うことなく、これにきめた。

柳原良平さんついて、山口さんは『男性自身』のなかで、こう書いている。 〈柳原さんは不器用なのである。あんなに巧緻な切紙の絵を見たり、複雑な船の模型を見たりすると、とても信じられないけれど、実際は大変なブキッチョである。切紙には片刃の剃刀を使うが、切り傷が絶えない。〉 〈むかし、二人でトリス・バーで飲んでいたときに、勘定書を見ると、Tハイという欄に書かれた正の字が欄外にはみだしていて、それがずっと下のほうまで続いていて、そこからさらに左に曲り、裏面まで続いているということがあった。正の字が一字で五杯だから、何杯飲んだか見当がつかない。〉

この色紙を持って、近くの公園へ行き、ベンチに置いて写真を撮った。「オジサン、この人、だあれ?」と遊んでいた子どもが聞いた。

 


太宰治と碧雲荘

碧雲荘

夜。ラジオを聞いていたら、太宰治『富嶽百景』の話だった。そのなかで、この作品に書かれたアパートは、荻窪の碧雲荘といい、近々、取り壊されることになり、現在、保存運動が行われている言っていた。明日になったら、碧雲荘を見に行こう、『富嶽百景』をまた読んでみよう、と思って寝た。

荻窪税務署の裏側の路地を入ると、すぐ右に木造の二階家が、見えた。玄関脇の植え込みは、伸び伸びと大きく育っている。いまは、だいぶ疲れた感じの二階が見える。その八畳間に、太宰治は、住んでいたという。

帰りに『富嶽百景  走れメロス』(岩波文庫)を手に入れて読んだ。
〈東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はっきり、よく見える。小さい、まっ白い三角が、地平線にちょこんと出ていて、それが富士だ。なんのことはない。クリスマスの飾り菓子である。…… 〉

碧雲荘の取り壊しに反対する催しが、9月14日6時半から、又吉直樹さんらを招いて、杉並公会堂で開かれるという。

 


トナリノ・8B・collection’s

トナリノ・8B・collection's

エンピツHBのシェアが落ち、2Bにその座を譲った、というニュースがあった。その理由は、小学生の筆圧低下にある、という。また、エンピツ利用者層の多くが高齢化し、体力低下、筆圧低下、視力低下で、やはり濃いめの2Bへと移っているそうだ。

エンピツを買いに「トナリノ」へ行く。西荻窪駅南口を出て、少し歩くと西武信用金庫。その角を左折。この道は神明通りといい、やがて右に、夜分ならたくさんの灯りが美しく光っている店が見える。そこが「collection’s」で、いまならココから、店主の痛快なアンティーク論を読むことができる。その少し先が、文房具の「トナリノ」だ。サッパリしたカンジの店内で輸入文房具を眺め愉しみ、「LYRA  8B 」と消しゴムを購入。8Bは、デッサン用ですよと、店のひと。デッサンするように文章が書ければいい、と思った。

 


ブルームーン

ブルームーン

 

7月31日。
女の気象予報士が、熱心にその夜の満月の話をしていた。ひと月に二回、満月が見られるとき、ブルームーンということ。英語でいうと   once  in  a  blue  moon   であり、キワメテマレナ  という意味であること。この月に向かって願いごとをすると、願いが叶うこと。

話につられて、月を見た。
そのとき、月見る月はこの月の月、という歌が思い出され、しかし、その上がでてこない。えーと。なんだったかな。そうだ。月月に月見る月は多けれど、だ。月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月、だ。7月の月見は、こんなふうに終わった。

 


スターバックス賛江

スターバックス

 

7月24日。都心に、ゲリラ豪雨の日の話。神田小川町のあたりを歩いていたら、雨が落ちてきた。大粒で、直径1cm はあった。慌てて、スターバックスのモスグリーンのひさしの下へ。雨宿りの客は、どんどん増える。右には、就活中らしき紺スーツの女性。さかんにスマホを操作する。その横は、中年夫婦。その向こうは、ワイシャツ姿のサラリーマンたち……。

10分、20分。雨は止むどころか、激しく音を立てる。右上空から、雷鳴が響く。そのとき、ドアが左右に開き、店の人が顔をだした。そして、ちょっと見廻して引っ込んだ。ジャマなんだろうな、と思った。店の前に何人も立っていられたら、営業妨害とまでは言わないまでも、ユカイなことではないだろう。…… そのとき、さきほどの店の人が再び顔を出した。見ると、その手には、雨宿り人数分のアイスコーヒーをのせたトレイ。「さ、どうぞ。どうぞ」。驚くような、申し訳ないような、うれしいような、恥ずかしいような。そこにいた、みんなも、たぶん同じ気持ちだったろう。しみじみいただいた。

ごちそうさまでした。

 


火花ブレンド

武蔵野珈琲店

芥川賞受賞作『火花』についての『スポーツ報知』の記事に、武蔵野珈琲店のマスター・上山雅敏さんの話が、書かれていた。『火花』の29ページに武蔵野珈琲店は登場する。

〈小説が出版されてから来店した又吉はボソッと「(お店のことを)勝手に書いちゃってすみません」と頭を下げたという。上山さんは「それから又吉さんが好きになっちゃって、十数冊は買いましたよ。店が出てくる場面にアンダーラインを引いてお客さんにプレゼントしたんです」。〉

珈琲を飲みに行ってみようと思った。ここに行くのは、初めてではない。静謐な雰囲気が、気持ちよい。吉祥寺駅井の頭公園口を出て、丸井の右横の通りを行き、左手二階。
〈『火花』を執筆する時にも店を利用。奥の席に座ってパソコンのキーボードを打っていた。〉そうだ。
私も登場人物と同じように、ブレンド珈琲を飲んだ。

 


写真家としてのル・コルビュジエ

「写真家としてのル・コルビュジエ」展

 

まだ、大学は夏休み前。学生で混み合う道をかきわけて、早稲田大学會津八一記念博物館へ。「写真家としてのル・コルビュジエ」展( 8月2日まで)を見にいく。ル・コルビュジエは、16ミリのカメラで、画像を撮っていたという。1936年ころの作品だ。

ブラジルでパリでスイスで船の上で街で港で浜辺で林で自宅アパートで母親の住む小さな家で ……  とまあ、こんなふうに、壁面ぎっしり350点。

16ミリフィルム独特のボケ味と、セピアと黒の昔なつかしい色調。眺めていて、厭きるということがない。これで入場無料とは、ヤスイ。帰りに、高田牧舎でカレーライスを食べながら、購入したパンフレットを読む。〈 ああ、写真という奇跡 ! 正直なレンズ、なんと貴重なもう一つの目だろう。〉というル・コルビュジエの言葉があった。

 


島育ちのやさしさ

The  TAKASAGO  Times

 

「小笠原からの手紙」でおなじみ、植物学者・安井隆弥さんから、メール便。開けてみると『The  TAKASAGO  Times』誌(高砂香料工業株式会社)。表紙に「特集・小笠原」とある。安井さんは 「小笠原の野生植物について」こう、書いている。

〈 海洋島の植物は草食動物の食害を全く受けなかったので刺をつけたり、毒を持つなど身を守る機能を進化の途中でかなぐり捨てたかのようである。そこへヤギが入って来て瞬く間に食べつくす。また大陸からの外来種は競争力が強く、小笠原本来の林を占拠しアカギやモクマオウの林にしてしまう。このように外来の生物の侵入によって、固有種をはじめ既存の植物は追いやられ、細々と生きている。〉
〈小笠原の自然はユニークであるが脆弱でもある。外来の動植物により小笠原の固有種をはじめ在来の生物が圧倒されようとしている。私たち小笠原野生生物研究会では細やかながら植生回復の作業に参加し、美しい自然を次世代へ伝えようとしている。〉

島育ちのやさしさ。外部勢力の圧力。その中にあって、世界自然遺産を守るご苦労 …… お疲れさまです。

 


西江雅之さん

西江雅之さん

西江雅之さんの訃報を、新聞で知った。『チルチンびと』32号で「住まい観」を語っていたのを、思い出して読んだ。

「僕はモノとしての家にはあまり関心がないですね。『ハウス』より『ホーム』ですよ、家庭としての家ね。それから、そのへんを歩いていて、ざわざわ、人の匂いがしたほうがいいな。旅から戻ってきても、街の灯、行きつけの飲み屋の明かりを見ると、ふと元気になる。僕は文化人類学をやっているけれど、人間のことは、学問の本からよりは隣近所からいちばん学んだし、今も学んでいるんです。……」

6月19日。また雨になった。