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カレーグランプリの覇者

神田小川町を歩いていたら、「優勝しました!」という看板が目に入った。ここか。「神田カレーグランプリ」で優勝した「上等カレー」というお店は。大阪から進出したと、きいたことがある。店の構えもそれらしく、神保町あたりの東京風カレー店とは、ひと味違っている。中を覗くと、カウンターいっぱいのお客さん。今日は、いただかずに失礼いたしました。なぜって、いま、ボンディーで食べた帰りなんです。来週、うかがいます。このグランプリにあわせて、「神田カレー川柳コンテスト」もひらかれていて、そこに、

次はここ決めて神田を後にする

という句が、あった。今日の心境は、これだった。

 


飛行機雲

飛行機雲

 

11月1日、晴れ。

「あの雲の上を、天使さまは歩いていくんだよ」「ホント」という幼い姉妹の話し声がした。上を見ると、空に飛行機雲。飛行機雲がすぐ消えるか、なかなか消えないかは、上空の大気の湿り具合によるのであって、乾いていればすぐ消える、湿っていればなかなか消えない。湿っている場合は、低気圧が接近しているからで、つぎの日は雨になる、と天気予報の時間に聞いたことがある。この日の飛行機雲は、ずっと形を保ち、しだいに太くなって、白い坂道が空まで続いていた、というユーミンの歌のようになった。

11月2日、朝から雨。

 


五郎丸ブーム

五郎丸

 

テレビを見ていたら、五郎丸という苗字の人がたくさん住んでいる村が、紹介されていた。かと思うと、福岡、西鉄甘木線に、五郎丸という駅があり、たくさんの観光客が訪れている、という。かと思うと、年末恒例『紅白歌合戦』の審査員に彼を、という声があるという。かと思うと、あのゴールキックまでの動きは、ルーティンとよばれ、祈るような恰好は、子どもも大人も芸人も、演じている。

何をいまさら。彼のよさなど、一昔前から知っている、と言う男がいる。私である。それが証拠に、写真のうちわを、見よ。10年前のワセダラグビーの応援用だ。左下が五郎丸選手である。アゴ下のヒゲなど、かわらない。その上は、当時の清宮克幸監督で、この夏、フィーバーした、早実・清宮幸太郎選手の父親である。これは、今年のエンギものである。

 


トーマスくん、お待たせ

「きかんしゃトーマスとなかまたち」展

 

「きかんしゃトーマスとなかまたち」展へ、やっと行く。(10月12日まで、東京都現代美術館)

7月からひらかれていたのは、知っていたけれど、夏休みは子どもたちで人気だろうし、それに、あの猛暑、豪雨。とうとう、会期の終わりに近づいてしまったというわけさ。

トーマスくんの生みの親、ウィルバート・オードリーは、イギリス、ハンプシャー州で誕生。幼いとき、町を走る鉄道を眺め、夜は汽笛を聞きながら、機関車が人間と同じように感情をもっていると思った、それがのちの絵本につながった。自分の子が病気になったとき、お話を聞かせたのが、トーマスくんの始まりだと、会場内の解説にあった。

今日も、小さな子どもづれが多く、みんな、原画をみたり、走る機関車に乗ったり、楽しそうだったよ。

 


「伊豆の長八」展へ

「伊豆の長八」展

「伊豆の長八」展が、武蔵野市立吉祥寺美術館で、ひらかれている。(10月18日まで) 長八の鏝絵、漆喰細工、塑像などを眺めていると、作品の深い奥行きに引き込まれる。小林澄夫さんの『左官礼讃』(石風社)の、こんな文章を以前に読んだせいだろうか。

〈長八に代表される自由闊達な職人達が、市井の堂や祠に、町屋の土蔵や銭湯に、民家の戸袋や客間に漆喰絵をえがくことの出来た時代、それは職人の誇りであるとともにそれらの絵で飾られた建築の場を提供した民衆の誇りでもあった。それらの漆喰絵には、画題はなんにあれ、市井の庶民の哀感が伝説となり、物語となって塗りこめられて、建物とともに民衆に語りつがれたのではなかったか?〉

入場料 100円は、安かった。

 


伊野孝行さん

わたしと街の物語その1 伊野孝行+大河原健太「神保町とロンドン」

イラストレーターの伊野孝行さんに、初めて会ったとき、彼はセツ・モードセミナーの生徒だった。ある日、セツの展覧会に行くと、まわりの絵とは違う雰囲気の絵があった。サムライが描かれていた。それが、伊野さんの作品だった。紹介されて、話をした。「ぼくはアルバイトで、神保町のKという喫茶店でコーヒーを淹れています」と、その店のチラシをくれた。

それから何十年。かくも長きご無沙汰。一昨年、Kへ行く機会があった。ふと、店のひとに「伊野さん、まだいますか」と訊くと「ハイ、呼んできましょうか」。すぐに現れた彼は、短く刈った頭に手をやって「実は、今日でこの店をやめるんです」と言った。最後の日に訪れた、という偶然。明日から、一人でやっていくという決意。セツと神保町の間に流れた時間を思った。
 

今年の彼岸花

昨年も同じ頃、小石川植物園に、彼岸花を見にきている。

植物学者の牧野富太郎さんは、この花について、書いている。
〈さてこのヒガンバナが花咲く深秋の季節に、野辺、山辺、路の辺、河の畔りの土堤、山畑の縁などを見渡すと、いたるところに群集し、高く茎を立て並びアノ赫灼(かくしゃく)たる真紅の花を咲かせて、そこかしこを装飾している光景は、誰の眼にも気がつかぬはずがない。そしてその群をなして咲き誇っているところ、まるで火事でも起こったようだ。〉(『植物一日一題』ちくま学芸文庫)。

昨年とくらべると、気のせいか、花が少ないように思われた。あの過酷な暑さのせいか、大雨のせいか。植物にとっても、きっと、きびしい夏だったろう。

ただいま、撮影中 !

TOKYO ディープ!

昼に、神田小川町の「漢陽楼」に行った。靖国通りから三井住友銀行の脇の坂を上がる途中の左。周恩来が若い時分によく来た、肉団子スープが好物だった、という伝説の店、あそこです。中に入ると、いつもとフンイキが違う。何人かが、つっ立っている。そのうちのTシャツGパンスニーカー姿の女性が、「NHKです。申し訳けありません。番組の撮影中ですが、写るのはイヤですか?」と上の写真の紙を差し出した。「イヤです」。店の端のテーブルに案内された。そのテーブルの、なおかつ、端に寄って坐った。誰かが、インタビューを受けているらしい声が聞こえる。落ち着かないまま、食べ終えて外へ出る。10月12日夜の放送らしい。もし、ごらんになって「上海風卵焼き」を食べている人間が映ったら、それは、私です。

 


久しぶり、京橋・明治屋

京橋・明治屋

「京橋・明治屋ビル再開」のニュースを新聞で見つけた。
このビルは、1938年に誕生した。2009年に中央区の文化財に指定。大型再開発地区に入ったが、ビルの外観を保存して耐震補強工事を終え、再開されるという。9月16日からは、地階のカフェテリアも始まる、と書いてある。勤め先が近かったこともあり、以前の地階のレストランには、1000 回以上、通っている。ハンバーグステーキ、チキンライス、ワカサギのフライ、チキンカレー。チキンカレーは、大きいままの鶏肉で、おいしかった。ちょっとクラシックな、大人びた雰囲気の店で、なかなかよかった。……  などと思い出しながら、地下鉄・京橋駅から地上に上がると、薄茶色の外観はそのままだ。久しぶり。お変わりなく。

 


読書の秋、庭暮らしの秋(後篇)

読書の秋、庭暮らしの秋(後篇)

『チルチンびと』85号。特集 - 我が家の庭暮らし /  暮らしに農の風景を- にちなんで、ビブリオ・バトル、秋の読書会。

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M氏 私は、かの牧野富太郎博士の『植物一日一題』(ちくま学芸文庫)。80歳過ぎて、1日に1話ずつ書かれた。植物そのものだけでなく「茶の銘玉露の由来」という話も。〈製したお茶の銘の玉露は今極く普通に呼ばれている名であることは誰も知らない人はなかろう。ところがこれに反して、その玉露の名の由来に至っては、これを知っている人は世間にすくないのではないかと思う。〉好きな時に好きな話を読む。

Yさん 『戦下のレシピ』(斎藤美奈子・岩波現代文庫)。これは戦時中の女性誌から、当時の台所事情を集めている。なかに「戦下の野菜図鑑」があり、例えば〈カボチャ ー 葉は味噌汁の実、おひたし、炒め物に、茎は炊き込みご飯、漬け物、煮付けに、茎は甘味があって蕗よりおいしいと評判 ⁉︎  〉家庭菜園にも哀しい時代のあったことを忘れない。
G君    哀しい記憶なら、『沈黙の春』(レイチェル・カーソン ・新潮文庫)。アメリカのある町。〈ところが、あるときどういう呪いをうけたのか、暗い影があたりにしのびよった。 ……  かつて目をたのしませた道ばたの草木は、茶色に枯れはて、まるで火をつけて焼きはらったようだ。〉農薬など化学薬品の影響で生命の火は消えた。そのすべてを描いた名作。しかし、日本にも、 “沈黙の春” がきた。 - みんな、重い沈黙になった。

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『チルチンびと』85号は、9月11日発売予定です。お楽しみに。