高校時代は悪ガキで劣等生だったんですけどね、卒業間際の英語の授業の時、英文法の先生から Life is my college で始まる文章を、卒業の餞として贈られました。英語の長文だったので、もう、この頭の部分しか覚えていないんですけど、それがずっと頭から離れない。この英文の意味を、逆から言い換えると、勉強しなくなったら、私の人生も終わり、ということ。だから、いまでも勉強することは、全然、苦にならない。前にお話しした、修理の方法を学ぶのも苦にならない。もっと知りたい。そして知ると、これまで出来なかったようなことが、出来るようになる。それが、楽しくて、もっと知りたくなる。
他に、楽しみ? 綺麗なものを、沢山、見てみたい・・・特に、人が、これは綺麗だ、というなら、それは、兎に角、手にしてみたいし、見てみたい。ただ、ぼくは一度手にすれば、それでいいんです。それだけで、満足します。ぼくはハンターであって、コレクターじゃないですから。コレクションとして並べておくことで満足感を覚えるとかはあまりありません。確かに、若い頃は、そうでもなかったと思いますが。いまは、ターゲットを絞ったら、探して、探して、探しまくる。そして、もし上手く入手することができたら、自分の手と目で、それを確認する。なるほど、って思えたら、それで満足ですね。勿論、それを独占する気も起きません。
アンティークというのは、その物に内在する文化・・・それを伝えることが大切なんです。その文化には、当然、歴史と関係する“時代的な文化”と、反対に、歴史とはほぼ無関係で、どちらかと言えば、過去の所有者の“個人的な文化”とがありますけど。まあ、どちらも面白いし、アンティーク、そのものが、すごくロマンティックなものなんです。例えばね、ここに鏡がありますね。オランダからこの鏡が到着した時、この鏡の裏側の隙間のところに、インクで「Lady」って書いた紙が挟んでありました。なんか、それがすごく気になって、調べてみることにしたんです。そして、結局、その鏡の入手先、つまり現地の骨董商にレターを打つしかなかったんですが、そしたら、鏡の裏側にその名前のメモを付けた理由や、何と、元の所有者・・・女性だったんだけど、どこに住んでいた、どういう人物かまで、ほんの僅かだけど、解ってきた。それで充分。後は想像力を広げるだけ。これが、アンティークの本当の楽しみなんじゃないかと、思うんですね。断片のような情報を集めて推測し、組み立てていくところが。それをしないで、棚に収めているだけでは、アンティークの面白味なんて、部分的にしか解らないかもしれない。オイ、お前、どこから来たんだい?って、問いかけてやらないと。どんなに綺麗なものだって、それだけで終わらずに、もっと興味を深めなくてはね。