建築

続・人の集まる家のメニュー

山口瞳家

 

『チルチンびと』88号 ― 特集・人の集まる家にしたかった ― のタイトルから、かつての山口瞳家(つまり、変奇館)の新年会を思い出した。100人も元日の客のある家のご馳走は、こうなる。山口瞳さんは、『男性自身』に書いている。

〈正月の料理というものは、大皿に盛っておけば、なんとなく足りてしまうものである。もっとも、マグロのトロのところとタコは夕方に売り切れてしまった。私が本日の目玉商品だといって推奨したせいもあるけれど、うまいものは皆がよく知っている。キントンは深夜になくなった。

そして、この宴の盛りあがりについても、山口さんは、やはり、エッセイで、こう書く。

〈近くに住む人で、元日でも夜中にマラソンをする人がいるが、その人の話によると、私の家に近づくと、家自体が一箇の巨大な楽器のように思われたという。〉

人が集まるということは、楽しさを奏でるということだろう。


……
『チルチンびと』88号、特集・人の集まる家にしたかった ー は、 6月11日発売です。
また、“ チルチンびと広場 ” 連載 「変奇館、その後 (山口正介)」は、コチラからごらんいただけます。

 


人の集まる家のメニュー

変奇館

 

『チルチンびと』 88号の「人の集まる家にしたかった」という特集タイトルを見て、かつての山口瞳家(つまり、変奇館です)の元日の賑わいを思い出した。この新年会は、競馬の騎手、棋士、漫画家、芸能関係者、編集者などマスコミ関係者 …… と、100人近い人が訪れた。山口瞳さんは、エッセイ「暮、正月」で、接客の心得を書いている。これは、人を招くときに役に立つのではないか。

〈……そこで、私は、客室の壁にメニューを書きだしておく。これは具合がいい。大勢の客のあるときは、こちらで気を使うよりも、私も女房も使用人だと思ってもらって、どんどん命令したり注文したりされたほうが動きやすいものである。……〉

例えばある正月。貼り出されたメニューは、山口さんの筆で、こう書いてあった。
生がきのカクテル フランス風 / カレーライス / かにの味噌汁 / ニシン漬  北海風 / 花咲がに / シュウマイ / チャアシユウ / まぐろ / たこ / かずのこ / 珈琲 コーヒー / アイスクリーム / 葛きり / 雑煮 / シチュー / 右ご遠慮なくお申しつけ下さい。

元日にいただくカレーライスは、とてもおいしかった。


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『チルチンびと』 88号 「特集・人の集まる家にしたかった」は、6月11日発売です。お楽しみに。また  “ 広場 ”連載中の「変奇館その後 (山口正介)」は、コチラからごらんになれます。

 


追悼・奥村まことさん

奥村まことさん

写真:輿水 進

 

85歳の女性建築家、奥村まことさんが亡くなられて、一カ月。『チルチンびと』87号に、追悼のページがあり、田中敏溥さんも、こんな想い出をよせている。


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ウェブ「チルチンびと広場」に連載の「奥村まことの方丈記」を楽しみにしていました。第1回〈新国立競技場・私案〉の最後の一文「常に建築家は護りの姿勢ではなく、前進しなければいけない。」は、強く心に残ります。まことさんは、強くてやさしい、大らかにして繊細な人でした。
……


「奥村まことの方丈記」は、コチラからごらんいただけます。

 

『チルチンびと』87号


『チルチンびと』87号は、〈特集・この家具と、暮らす〉。山裾の家具工房から / この家にこの家具 / 子育てから考える 木の家具、木の家、木の道具 / 家具と一生つきあう方法 / 美しい木の家具カタログ / 東日本大震災・木造仮設住宅の記録- フクシマからのたより 2016 -孤独死を防げ。仮設からコミュニティデザインを問う-震災で問われた 木の家づくりのネットワーク - 届け、国にこの声が。大工力で国を動かし、つくった仮設 / 追悼・吉田桂二さん - 奥村まことさん / 第4回2015年度 チルチンびと住宅建築賞受賞者発表 ほか、充実の 256 ページ。定価 [本体917円 + 税]。3月11日発売です。

 


85歳女性建築士 奥村まことさんの遺した言葉

奥村まことさん
 
 
リチ・キタイという詩を70年前に読んだ。すごい!  詩人になりたいと思った。その後、材質と寸法と色の世界に入ったので言葉と決別した。感性は言葉では表せないと思ったからだ。病を得て、感性の世界から言葉の世界にちょいと飛び移ってみた。1回で終わるか、2回で終わるかわかりませんがよろしく。チャペックのようなコラムニストになりたい。なんちゃッて。
85歳女性建築士 奥村まこと
 
“ 広場 ”の連載コラム「奥村まことの方丈記」の始めに 、こんな言葉が寄せられた。なにかを、予感されていたかのように、連載の2回目がアップされた翌日、残念ながら、まことさんの訃報に接することになった。お付き合いいただき、ありがとうございました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 
※「奥村まことの方丈記」の連載は、こちらから、ご覧いただけます。
※写真・輿水 進
  

久しぶり、京橋・明治屋

京橋・明治屋

「京橋・明治屋ビル再開」のニュースを新聞で見つけた。
このビルは、1938年に誕生した。2009年に中央区の文化財に指定。大型再開発地区に入ったが、ビルの外観を保存して耐震補強工事を終え、再開されるという。9月16日からは、地階のカフェテリアも始まる、と書いてある。勤め先が近かったこともあり、以前の地階のレストランには、1000 回以上、通っている。ハンバーグステーキ、チキンライス、ワカサギのフライ、チキンカレー。チキンカレーは、大きいままの鶏肉で、おいしかった。ちょっとクラシックな、大人びた雰囲気の店で、なかなかよかった。……  などと思い出しながら、地下鉄・京橋駅から地上に上がると、薄茶色の外観はそのままだ。久しぶり。お変わりなく。

 


写真家としてのル・コルビュジエ

「写真家としてのル・コルビュジエ」展

 

まだ、大学は夏休み前。学生で混み合う道をかきわけて、早稲田大学會津八一記念博物館へ。「写真家としてのル・コルビュジエ」展( 8月2日まで)を見にいく。ル・コルビュジエは、16ミリのカメラで、画像を撮っていたという。1936年ころの作品だ。

ブラジルでパリでスイスで船の上で街で港で浜辺で林で自宅アパートで母親の住む小さな家で ……  とまあ、こんなふうに、壁面ぎっしり350点。

16ミリフィルム独特のボケ味と、セピアと黒の昔なつかしい色調。眺めていて、厭きるということがない。これで入場無料とは、ヤスイ。帰りに、高田牧舎でカレーライスを食べながら、購入したパンフレットを読む。〈 ああ、写真という奇跡 ! 正直なレンズ、なんと貴重なもう一つの目だろう。〉というル・コルビュジエの言葉があった。

 


吉田桂ニ賞と芥川賞

吉田桂ニ賞

あれは、どなたでしたか。吉田桂ニ賞は.、文学でいうと、芥川賞ですかね、といった方が、いたのである。昨年7月4日。第一回吉田桂ニ賞の授賞式がおこなわれた。その会場で、だった。それから、やがて一年になる。

……
そういえば、芥川龍之介は、生まれて最初の記憶は、大工仕事だと、書いている。
〈僕の記憶の始まりは数え年の四つの時のことである。と言っても大した記憶ではない。唯広さんと言う大工が一人、梯子か何かに乗ったまま玄能で天井を叩いている。天井からはぱっぱっと埃が出る  ー  そんな光景を覚えているのである。〉(『芥川龍之介随筆集』岩波文庫)
……

4月27日。第二回吉田桂ニ賞の選考委員会が風土社で、ひらかれた。吉田桂ニ、平良敬一、内田祥哉、三井所清典、益子義広、横内敏人と6氏の選考委員 。議論は熱く進み、第一次審査を終了。受賞作は、第二次審査を経て、後日、発表される。

吉田桂ニ賞と芥川賞


「チルチンびと住宅建築賞」授賞式

「チルチンびと住宅建築賞」授賞式

3月12日。風土社で、第3回 2014年度「チルチンびと住宅建築賞」の授賞式が行われた。

まず、審査委員長・泉幸甫氏の挨拶から。……「設計の上手な工務店、そうでない工務店とありますが、全体的には上がってきていて、うまいところは、本当にうまいです。でも、なぜ、工務店の設計が、なかなか上達しないかと考えると、やっぱり個人の名前を出さないから、工務店の中に埋没しているんです。ぼくは、工務店に勤める設計者に光を当てたいと思うんですね。野球だってそうでしょう。新聞に誰がホームランを打ったとか、書いてあるからおもしろいので、巨人と阪神どっち勝った、というだけでは、おもしろくない。個人の名前が出てくると、そこに花が開くんですよ。建築だって、そういうことがあるから、個人の名前を大いに表に出してあげたい。工務店は、それを大事にする。そういう仕組みをぜひつくってもらいたいなと、ぼくは思っているのです……」

優秀賞 渡部要介さん(左)と審査員・藤井章さん

優秀賞 渡部要介さん(左)と審査員・藤井章さん

優秀賞 西浦敬雅さん(左)と審査員・大野正博さん

優秀賞 西浦敬雅さん(左)と審査員・大野正博さん


今回は、優秀作が、家工房/渡辺要介氏と建築工房en/西浦敬雅氏 の2作だった。なお、受賞作品、審査員の講評は、発売中の『チルチンびと』83号に掲載されています。ぜひ、ご覧ください。

 


「変奇館、その後 ー 雑木林の庭」公開中!

変奇館、その後

“広場” コラム所載の「変奇館、その後 」(山口正介)は、第2回「雑木林の庭」です。前衛建築の家が誕生した。では、庭はどうなる。そのあたりのイキサツが、今回のテーマです。ところで、その庭に植える木を仲間の方たちと山へ採りに行く話を、『男性自身・山へ行く』で、山口瞳さんも書いています。

………

四月のはじめに、馬鹿に暑い日が続いたのをご承知だろう。空は青く晴れて、遠い眼下の多摩川も青かった。満開の桜と巴旦杏の花が見おろせた。
ジュニアが、ぶったおれて寝た。私も隣に寝た。林のなかから、森本とアオヤギの声がする。カニカンが椿の根を切る力強い音がする。ドストエフスキーが、こっそりと蘭を掘っている姿が見える。虻の羽音。
私は、この瞬間に、死んでもいいと思った。

………

この最後の1行は、シビれる。

「変奇館、その後 ー 山口瞳の文化遺産」は、コチラからごらんいただけます。

 


家具から生まれる、豊かな暮らし

 

第13回の彩工房 暮らしと住まいのセミナー「山の家具工房」田路宏一さんを迎えて、家具作りや家具の選び方、お手入れ方法、家具との暮らしなど、多方面からの家具のお話をうかがった。

田路さんは京都市旧京北町というところで無垢の木を使って家具や木の道具を作られている。庭には大きな栗の木があり、大きなヤギが3匹いて、工場跡地のような広い建物の中に工房と自宅があり、自宅内装はご自身の手による木のぬくもりが感じられるとてもすてきなお住まい。仕事の合間を縫って少しずつ変化しながら完成中だ。工房には木をストックしたり加工するための場所と道具が揃っていて、たいていのことはお願いすればできるような理想的な環境で制作をされている。(詳しくは田路さんのブログから)

そんな田路さんがつくる家具は、洗練されたフォルムを持ちながら、触ってみると柔らかく、素朴さ、強さ、温かさが感じられて、どれも使ってみたくなる。椅子の心地のよさと扱いやすい軽さ、テーブルの角の部分、足の部分のカーブや天板の裏に設置された反り止めなど匠の技が目立たぬようさりげなく生かされていて、見えないところまで美しく機能的。眺めているだけで家具が本来持つ意味を教えてくれるような作りになっている。木は生き物なので、必ずしも人間の思い通りにはならない、そのことを十分理解し木の命に尊敬を払った家具作りは、手間や時間がうんとかかるけれど、その木が本来持つ強さ、しなやかさや色合い、木目の美しさ、など性質が生かされ長持ちする。

それは木の家づくりとまったく同じ、と彩工房の森本さんも頷く。速さや安さを求める世の中の流れは止められないとしても、置いてきてしまったものは大きい。無垢の木の家や家具は使うほどに味わいと美しさが出て、壊れても直して使えるし、暮らし方の変化に合わせてリメイクやリフォームがしやすい。大切に育てていくという楽しみ方がある。まずはお気に入りの家具をひとつ探して使ってみることから、無垢の木のある生活をはじめてみるのがいいかもしれない。お二人からはそんな共通の課題や提案が出ていた。それもハードルが高そうだったら、器など生活雑貨から取り入れて、お手入れの仕方や木の特性を知るのも楽しいと思う。

修行時代にシェーカー家具の師匠のところで教わった、美しいチェストをひとつ持ち、その中に納まるものだけで生活していく、という話は田路さんにとても影響を与えたという。家具作りだけでなく、そこから生まれるシンプルな暮らし方を教わったことは、いまの田路さんご一家の暮らし方とご自身の家具作りに繋がっているそうだ。それでも、独立したてのころは、自分の好きなものを作っていていいのか、お客さんの希望はなんでも叶えてあげるべきなのじゃないかと迷うこともあった。いまは自分の作りたいものがわかってきた。信念を持って好きなものを作っているとそれが形に表れ、しっかり言葉にできるようになるし、相手にも伝わる。大切な家具ひとつ持って、そこから始まる暮らしがあってもいい。というお話が心に残った。