上原六四郎というのが私の祖父である。浅草の屋台に3日間通い詰めてカルメ焼きの研究をした。3日目の夕方秘伝を教わった。銅製の鍋にザラメを溶かし115度になると重曹を水で溶いたものを小さなすりこぎの先にチョイとつけて、火からおろした鍋の中でうまいぐあいにかきまぜ、膨んだところで手をとめて抜くとカルメ焼きができる。秘伝は重曹を溶くのに水ではなく卵の白身を使うというものであった。秘伝を買うのに1円払ったというが、1円はしなかったのではないか。六四郎さんは何百人もの人に秘伝を教えたので家中にカルメ焼きの山ができた。
「なかきよの、とうのねふりのみなめさめ、なみのりふねのうとのよきかな。」
これは回文であり初夢のために枕の下に敷いて寝るお宝という絵に添えられるしきたりの言葉である。
橋田邦彦というのは敗戦時の文部大臣であり、戦犯の裁判に出席する日の朝自決した、私の父親の師である。彼が残した言葉で「百聞不一見」の対語として「百見は一試にしかず」。
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いろんなことを思いだした。
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