その他

たわしの伝道者あらわる

金曜の晩、東京にくる用事があったということで、高田耕造商店の3代目、高田大輔さんが事務所に遊びにきてくれました。

 

たわしそっくり!?な高田大輔さん

 

棕櫚はかつては紀州の重要な産物だったのが、いまでは輸入品の棕櫚やパームヤシのたわしにとって代わられ、需要がどんどん減って棕櫚山もなくなっていったのだとか。ここでもまた杉や檜と同じく、大量生産大量消費の波に飲み込まれ、衰退する産業、荒廃していく山・・・高田さんは、それまでやっていた調理師を辞め、家を継ぐことになってから、国産の棕櫚たわしの良さをあらためて学んだそう。これなら「たわしは固くて痛くて」という一般的なイメージを払拭していけるという思い、また実際使う人々からの反応があまりにもいいことなどから、数々の失敗にもめげず良質の国産棕櫚の皮を求め、安定的に供給をしてくれる人を確保し、地道に国産棕櫚たわしの普及に勤しむ情熱の3代目! その活動が色々な他分野の職人さんとの繋がりを産み、棕櫚山の再生活動にも繋がっています。

 

国産の棕櫚でつくったたわしの手触りは最高。いつまでも触っていたくなるほど、滑らかで程よい固さで、身体を洗ってもさぞかし気持ちよさそう。実際、頭をシャンプーなしで洗ってもツヤが出るのだとか。その他、料亭で野菜を洗うのにつかわれたり、染物職人さんが布を洗うのにつかわれたりと、良い物を求める人々に「このたわしでなくては」と言わせる、極上の使い心地なのです。もしお近くで見つけたときは、ぜひ手に取って触ってみてくださいね♪

 

 

色々な形のたわし。職人の技でできる最小のものは、ストラップに。かわいい!

 


秋旅3/3[長野県・白骨温泉/諏訪大社]

[長野県・白骨温泉/諏訪神社]

秘湯はたいてい、しつこい山道をクリアしなければ到着しない。ひとつ間違えれば、転落してしまいそうな、細くうねる山道を、ひたすら進み、やっとたどりついた白骨温泉。このホッとする感じは、歓楽街としてではなく、江戸・元禄時代に湯宿が建ちはじめ、多くの湯治客が訪れたという、湯治場としての温泉だからだろうか。湧き出したときには透明な湯が、空気に触れて白濁する、湯が豊富で、新鮮な湯がとてもぜいたくだ。この温泉で炊く温泉粥は名物でもあり、消化器系の臓器の血流と、働きを良くするそう。しみわたるようなお粥は、じんわりとおいしかった。以前、温泉偽装で話題になってしまったことがあったが、現在は信頼を回復しているようだった。旅を重ねて最近は「露天や野天」より「内湯」の方が好きかもしれない、と感じている。

諏訪大社は、長野県諏訪湖の周辺に上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮の4つの境内がある神社で、7年目ごとに行われる御柱祭でも有名だ。なんと、こちらの手水舎は湯気のたつ温泉だった。東参道から布橋と呼ばれる67mもの長い廊下を渡って、上社本宮に参拝し、ご朱印をいただき、旅のしめくくりに感謝した。

今回の旅では、その土地土地の、歴史ある旅館に宿泊させていただいたのだが、夜はその歴史の深さゆえ、いろいろと想像をめぐらせ過ぎ、根拠のない恐怖と、病み上がりという体調のため、眠れない夜が続いてしまった。想像するより、断続的な木のきしむ音は恐ろしいものだ。次回の旅は、ホテルに泊まろうかな…と思ったのでした。


秋旅1/3[富山県・五箇山/岐阜県・白川郷]

猛暑のおかげで、今年の紅葉は例年より遅れているそうだ。まだまだ美しい緑が残る10月上旬、富山・岐阜・長野の秋の旅に出かけた。[富山県・五箇山/岐阜県・白川郷][岐阜県・飛騨高山美術館/高山の古い町並み][長野県・白骨温泉/諏訪大社]の3編に分けて記そうと思う。旅の途中で一気に秋がやってきて、季節の入れ替わりを肌で感じる旅になった。

[富山県・五箇山/岐阜県・白川郷]

1995年、ユネスコの世界遺産に文化遺産として登録された、白川郷・五箇山合掌造り集落。五箇山は富山県南砺市にあり、山を背に並ぶ合掌造りの集落は、ほんとうにひっそりと、寄り添っているようだった。養蚕業が有名な五箇山だが、江戸時代、加賀藩の火薬として使用される、塩硝や和紙などが主要産業だったといわれている。また、加賀藩の流刑地となっていたということで、復元された流刑小屋が、全国でも珍しい民族文化財として保存されている。朝、宿から見える山々には、幾層もの真っ白い雲がかかり、雲上にいるかのようか気分になった。日中は、たくさんのとんぼが、川べりをすいすいと泳ぐように飛び回っていた。ほとんど観光地化されていない、この素朴で、のどかな風景が、後世に繋いでいかれるようにと思う。

岐阜県にある白川郷では、ちょうど屋根の葺き替えをしているところを見ることができた。果てしない作業の連続だが、見ごたえがあった。屋根は60度近い勾配で豪雪に耐えられるように形成されている。間近に見た、茅葺き屋根の厚さには圧倒された。日本を代表する村のひとつとして継承していくことは、現在もこの村で生活されている方々の、ご苦労なくして決して成り立たないんだなと思った。

ところで、五箇山も、白川郷も、旅行客の大半が、日本人以外の方々だったのが、なんとも印象的だった。


沈黙の秋

沈黙の秋

 

新聞を開いたら「古民家除染できず/豊かな里山暮らし奪われた/福島のレイチェル・カーソン/境野米子さんの告発/築170年かやぶきホットスポットに」という見出しが、目にとまった。(『東京新聞』10月9日) 境野さんは『チルチンびと』73号にも、原発事故後、一変した、福島暮らしを描いた。かやぶき屋根の古民家に住む。その、かやの汚染については、この新聞記事でも、こんなふうに、ふれている。

—–「立派なかやぶきですね」と褒められるたびに境野さんは「これが困りものなの」と話しだす。—- 事故後、境野さんは線量計を購入した。周りの地表面が毎時一・二~一・五マイクロシーベルトに対し、カヤ屋根は放射性物質が吸着しやすく二~三マイクロシーベルトと倍近い。庭の木を切ると線量が少し下がったが、現在でも囲炉裏近くや居間は〇・四マイクロシーベルト前後あり、トタン屋根の台所の線量は低い。「かやぶきがホットスポットなんです」—-境野さんは、困り果てて言う。「中間貯蔵施設ができないと、屋根替えもできない。自然に近い暮らしをしてきた人ほど打撃は大きい。うちの暮らしの魅力も九割減です」——

この記事からも、静かな悲しみと怒りが聞こえてきた。


哀しい予感

「今すぐ、ここで、大声で泣きたい」

突然のニュースに、私はそう叫びそうだった。

前職場でお世話になり、尊敬していた方が、30歳そこそこの若さで、先月亡くなった。

どれだけ思い出しても、欠点が見つからない。

穏やかで寛容、決して威張らず、それでいて自然体。

迅速かつ丁寧で的確な仕事っぷりは、上司からも部下からも信頼が厚かった。

長丁場の打合せも一糸乱れず、沈着冷静に問題を次々と解決。

他人の失敗をさらりとフォローし、無意識に弱い立場の人の存在を受け入れ、真摯に接する姿勢は、本当に頭の下がる思いだった。

短い間だったけれど、一緒の仕事に携わることができたことを、心から感謝している。

今までありがとうございました。どうか、ゆっくり休んでください。


明治生命館へ

1934年に施工された丸の内にある明治生命館に行ってきた。

外観は花崗岩でつくられた柱が並び、巨大な箱のよう。

館内は「しん」としていて、大理石がひんやりと感じる。

対日理事会の会場となった執務室、会議室や応接室、食堂などを見学することができる。

マッカーサー総司令官も、この会場で開催された会議に何度も出席しているのだそう。

街には、どれもこれも、似たようなガラス張りのビルが立ち並んでいる。

それにしても「ぶらり重要文化財めぐり」って楽しい。


混ぜる・刻む・泡立てる

ずっと気になっていたハンドブレンダ―。Takekoのすすめで、とうとう購入した。

つみれ、しんじょう、ムース、カリフラワーのスープ、根菜のポタージュ……

いろいろつくってみたいです。

購入後、vigoが同じメーカーの同じ機種を持っていることがわかり、ちょっと驚きました。


雨に咲く

チルチンびと73号 花と緑と暮らす

 
  移植した紅葉の枝は、雨をふくんで、大きく垂れさがっていた。私はその風情に満足して、溜息をついた。ヤマボウシも同様だった。枝が垂れていて、そのために、満開の花が、こちらをむいている。私は、朝から酒が飲みたいような気分になった。
  何もしないでいる人生がある。また、国事に奔走して、紅葉の花(実はそれが花であるかどうかハッキリとは知らない)やヤマボウシの花の美しさに気がつかないでいる人生がある。そんなことをボンヤリと思っていた。(『旦那の意見』中公文庫から)

山口瞳さんは、かつて、こういうエッセイを書いた。『チルチンびと』73号を読んでいて、この文章を懐かしく思い出した。それはたぶん、今度の誌面が、庭、花、緑、脱原発の記事でいっぱいだったせいだろう。エッセイをまた読み返していると、雨に濡れたヤマボウシの白い花が、見えるような気がした。そして、国事に奔走しているだろう人の顔も、ついでに、思い浮かべたのだった。


青緑色

 

渋谷区にある伝統文化リサーチセンターに行ってきた。

こちらは文部科学省オープン・リサーチ・センター整備事業「モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践」を推進し、国学院大学の国学を明らかにする建国以来の研究成果を、無料で一般公開している資料館だ。

常設展は「祭祀遺跡に見るモノと心」、「神社祭礼に見るモノと心」、「國學院の学術資産に見るモノと心」の3つのゾーンに分かれ、テーマごとに設置された展示品は驚くほどの数だ。また、遺跡や祭鯰曳き物、御輿の復元模型、折口信夫の書斎・叢隠居を再現した展示など、空間を体感出来る展示も多い。

弥生時代の銅鐸の青緑色で、不思議と涼やかな気持ちになった。


南仏アンティーク散歩

南仏 エアメール

 

エアメールが届いた。プロヴァンス発。西荻窪の「Le Мidi」の小林尚子さんからだった。小林さんのことは『チルチンびと』72号の「西荻窪アンティーク散歩」や、この゛広場゛の『今日もアンティーク日和」で、おなじみ。南フランスの古道具を扱っている。
— 以下、その手紙から。

 

こちらも、たいそうな暑さで、骨董をみてまわるには、午前が最適。14~17時は、思考回路が止まります。ところで、本日、地元紙 La Provenceに写真入りで、私のこと、紹介されました。いつもの Hotelの方に『チルチンびと』を渡したりしたのが、きっかけです。—8月24日に帰り、25日からお店です。

そういえば、商品の買い付けに行く、という話だった。そのとき、それって、シゴトですか? シュミですか? と私は訊き、小林さんは、笑って答えなかった。