雪上バナナボート♪

~トマム旅行最終編~

 

トマムのホテルから、巡回バスで数分乗ったところに

いろいろな雪遊びができる施設がありました。

 

スノーモービルや、クロスカントリー

スノーラフティング、そしてバナナボート♪

 

水上でもやったことのないバナナボートに

雪上にて初挑戦!

 

振り落とされないように、しっかりとつかまって

右へ左へふられながらも、

体重移動しながらしがみつきます!

 

ときどき、でこぼこ道を走り

ふわっと宙に舞いそうになる事も…。

 

実際のスピードより体感速度は何倍も早く感じられ

かなりスリリングでした!!

 

雪上バナナボート

途中で一度、停車して、ホテルをバックに

写真撮影もしてくれます☆

 

10分1.5キロのコースでしたが

30分くらいは遊んだ感じがしました(^O^)

 

いっぱい遊んで

冷えた体には熱々の味噌ラーメン

味噌ラーメン

 

ものすごーく美味しかったです♪

北海道にしかないお店とのことだったので

お土産にパックのラーメンを買って帰りました(^_^)

 

夏のトマムは、雲海テラスやカヌーなど

冬とは違った楽しみ方もできるそうなので

また是非、旅してみたいamedioでした♪( ̄▽+ ̄*)

 


☆アイスビレッジ☆

 

※前回に引き続きトマム旅行記です。

 

トマムのホテルのすぐ隣ではアイスビレッジという

冬季限定イベントをしていました!

夕方17:00になるとオープンするこのアイスビレッジ。

氷の建物がライトアップするととても幻想的です♪

 

ビレッジ内には、氷の教会(挙式も可能とのこと)や、

氷のレストラン、BAR、体験施設などいろいろありました。

 

 

教会

寒さのあまりピンボケしましたが教会ですw

 

 

 

看板の隣にあった温度計にはマイナス9℃の文字…。

 

温度計

さすが、北海道…。寒いです。

 

そんなビレッジ内で、一番、大はしゃぎしたのが氷の滑り台!!

予想以上にスピードが出て、びっくりでした♪

 

 

アイスビレッジ滑り台

アイスビレッジ滑り台

 

最後は、ふかふかの粉雪に突っ込んでとまるのですが、

ふかふかとわかっていても、白い壁が接近してくると

思わず声を出してしまいます(笑)

そんなにたくさんの人もいなかったので、

子どもたちに混ざって2度3度滑りました♪(^O^)

子どもと一緒に滑っていたお父さんたちも

「うぉぉぉ!!」と声を出して滑ってきたりして…。

実は、大人の方が楽しんでいたかもしれないです…。

(なかなか滑り台とかやる機会もなくなるけれど、

大人だってたまにはこうやって遊びたいんだ~い!!)

 

マイナスの気温の中、外遊びをしたら、身体が冷えてきたので

氷でできたレストランにて、熱々のココアを注文。

飲めるかなぁ?なんて思っていましたが…

はい。大丈夫!…すぐ冷めました(笑)

そして、美味しかったです!!

 

レストランの中のイスやテーブルも全部氷でできていて

透明な氷に店内の光がキラキラとしてきれいでした。

 

氷のレストラン入口

氷のレストラン入口

 

 

 

氷のレストラン

氷のレストラン

 

 

氷の結晶を取ってきて、それを閉じ込めるペンダント作りや

暗闇の中のバナナボートなどなど

他にも体験できるものがたくさんあり楽しいエリアでした!

 

冬ならではの北海道の魅力に触れた1日でした♪

 

amedio(^O^)


飴細工職人

あめ細工 吉原

千代田線千駄木駅1番出口を出て、団子坂を登り切ったあたりにある「あめ細工 吉原」。
飴細工の店舗としては世界唯一とのこと。

見るからに人の良さそうな吉原さんが、飴細工の事をいろいろ教えてくれました。
今までのこと、修業のこと、飴細工の面白さ、作り方など。

飴細工いろいろ
こちらのお店では、メニューの中から好きなものを選ぶと直接目の前で作ってくれます。
うさぎ、犬、キリン、コアラ、カブトムシ、花…いろいろあります。
今回作って頂いたのはつるとさくら。

飴細工 つるを作ってもらいました。

透明の飴を、手でこねて白い色の飴を作っていきます。飴は結構な温度なので、最初のうちはやけどをしたそうです。その白くなった飴を丸めて、棒にさし、器用に鋏を使って仕上げて行きます。最後に色をつけてあっという間に出来上がり。所要時間はかれこれ2分~3分。飴が固まってしまう前に作り上げる、時間勝負の作品。見ている分には簡単に作っているように見えるんですが、多分素人ではこうはいかないでしょう。

飴細工 つるとさくら

飴細工職人詳しく知りたい方は、東京都のコラムにて掲載予定(初夏)です。お楽しみに!


セツ・モードセミナー

セツモードセミナー

 この゛広場゛の制作スタッフのМさんと、初めて会って話したとき、彼女は「わたし、セツに通っていました」と言った。その途端、あの学校の風景が目に浮かんだ。校舎脇の階段。休み時間の賑わい。聞こえてくるセツ先生の大きな声。あの雰囲気のなかで育ったひとが始める仕事なら、手伝わないわけにいかない。
 私は、絵を描くのは苦手だったけれど、学校には、よく遊びに行った。おかげで、たくさんの「才能」と知り合った。みんな、気持ちのいい人ばかりだった。雑誌の編集部にいたとき、若い人がイラストを持って、訪ねてきた。セツの生徒だとわかると、私はかならず喫茶店に誘って、学校の話をした。そして、たくさんの若者たちと知り合った。— そんなことを思い出したのは、「長沢節さんが残したもの」(『天然生活』4月号)を読んだからだ。その記事で、セツ先生のよきパートナーだった星信郎先生が、話している。


 「生活全般において、美意識をもって生きるということを、身を挺して教えてくれた人だったね。人は生まれてきてだれに出会うかで人生が決まるところがあると思うんだよ。そういう意味で、僕たちが節先生に会えたのは、とても大切なことだったんだよ」


北海道トマム旅行♪

旦那さんが2月29日生まれというレアな誕生日のため、

4年に1度、お誕生日がある時は、ちょっぴり盛大です。

 

今年は、リクエストにお応えして、スノボ旅行に決定。

 

…といっても、わたくし、amedio運動神経悪いのです…。

リフトから降りられず、反対側に行きかけて

止めてもらったこともあるし…。

バタリと転んで、頭の上をリフトが通過という

ヒヤヒヤ体験も2度3度の話ではございません…。

 

 

今年こそは!「リフトを降りられるようになる」という

恐ろしく低い目標を持っていざ北海道へ!

 

シーズンから少し外れていることもあり、

個人レッスンが、とてもお安く受けられるとのことで

数時間レッスンも受けました!

 

スパルタ先生にあたってしまい…

一度だけリフトを助けてくれましたが

その後は、ゴンドラへ乗りてっぺんへ…。

ヒドイ…・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

 

しかも、私気付きました…。

高所恐怖症だということに…→遅い…。

 

スパルタ先生は、中級を滑ろう!!と何度も誘っていましたが

本当に足がすくんで無理だったので、

クロスカントリーのコースをゆっくりスノボで下山…。

これは、もう滑るというより本当に下山です。

 

時間もちょっとかかったけれど、

このスパルタレッスンのおかげで、少し滑れるように

なりました(^_^)

そして、気が付いたら、リフトも降りられるように

なっていました!!

 

スノボ中

 

うんうん!目標はクリア…。

 

なだらかなところをマイペースにゆっくり滑る方が

私には楽しいみたいです…。

パウダースノー

年齢を重ねると、いろいろなことへの挑戦に腰が引けて

しまうこともありますが、ほんの些細なことでも

できることが増えるというのは嬉しいですね(^_^)

 

毎年、何か1つずつできることを増やしていきたいものです♪

 

自分に見合ったハードルを見つけて

飛び越えて飛び越えて、

これからも元気いっぱい前へ進みたいと思いました♪

 

amedio(^_^)

 

 


境野米子さんからの手紙 ~子どもを放射能から守るレシピ77~

 

あの震災から 早一年が経とうとしています。

 

思いもかけない放射能の拡散に、我が家はすべての豊かさが失われたばかりか、子どもたちが帰ってこれない家になってしまいました。この一年、この汚染の地で自分に何ができるだろうか、残っている子どもたちのために何ができるだろうかと、模索し続けてきました。また、多くの人たちから温かい励ましや支援の品々を送っていただき、この震災が災いばかりではないことを実感してきました。

 

それでも、「この放射性物質さえなかったら・・・」「一年ぐらいで消えてなくなるものだったら・・・」との思いは、県民共通の思いです。咲き乱れる花々、青々した木々の葉や、山々の美しさに、透き通った風の爽やかさに感動すればするほど、不気味な放射性物質への恐怖はいや増します。

 

子どもたちに、孫たちに残していく、この放射性物質こそは人災ではすまされないものです。残される子どもや孫たちのために、放射性物質と闘う対処法を各地で講演してきましたが、多くの方々と少しでも共有していきたいと願い、一冊にまとめました。

 

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じぶんらしく、コスメの著者 境野米子さんが、感受性の強い子どもたちを守るため各地での「放射性物質と食生活」についての講演、料理研究家としての知識を集結し、上梓された『子どもを放射能から守るレシピ77』(コモンズ)は3月末発売予定です。

料理の基本や放射能の基礎知識からチェルノブイリで子どもたちを守ったレシピや、食材別・産地別の対応法などが簡潔でわかりやすく解説されています。自分でできる、すぐはじめられる放射能対策の知恵がつまっています。

 

 

 


ずっと、居たくなるサイト

チルチンびと 71号 ずっと居たくなる家

 3月10日発売の『チルチンびと』71号の特集は「ずっと、居たくなる家」。居心地とデザインのからくりが、楽しめる。
 なかに「デザインで解く木の家の歴史」という、三浦清史氏の文章があり、そのしめくくりに引用してある、吉田五十八氏の言葉が目にとまった。

「新築のお祝ひによばれて行って、特に目立って賞めるところもないしと云って又けなす処もない。そしてすぐに帰りたいと云った気にもならなかったので、つい良い気持ちになってズルズルと長く居たといったやうな住宅が、これが住宅建築の極致である」

 これは、ウエブサイトの極致について、語っているように、思った。訪ねてくる。つい、よい気持ちになり、ズルズルと長く居る。いいじゃないですか。

 この゛広場゛も、そんなふうでありたい、と思った。


九州出張 最終日 鹿児島編

最終日は鹿児島。また雨だ。鹿児島は両親の故郷なので祖母がまだ生きていたころはよく訪れた。晴れた空に横たわる桜島を見たかったのだが、残念。雨の中、最初に訪れたのはトロイメロイさん。静かな山深い住宅地の中の広々とした一軒家に、所狭しと家具屋小物がたくさん詰まっている。食器棚などはほとんどSOLDOUTが貼ってある。素敵なお店でした。

 

次に訪ねたのはしょうぶ学園さん。広々とした敷地の中に、パン屋、お蕎麦屋、ギャラリーなど、木造りやユニークなペイントがされた洒落た創りの建物などが建ち並ぶ。きちんとアポとりもしていなかった我々に学園長の福森さん自らいろいろなお話をしてくださった。

 ここはアートありきの施設ではなくて障がいを持つ人々が無理せず、それぞれの個性に合った仕事を見つけて自分の力を存分に発揮することができる場所であること。嫌なことや我慢することが根本的に理解できていないのに無理強いするのはすっかりやめてしまったこと。皆ただ一心不乱でものづくりに集中していていること。結果出来上がったものが、驚くほど凄いものができたりするのだが、造っている本人は対価や評価を求めておらず、作品への興味もないこと。そのピュアな精神はものづくりの原点で、感動させられるし本当にカッコイイなと思う。と。また布、木、紙など、どの素材がどの人に向いているかの見極めや、つくり始めと止め時がわからない人もいる、そんなときには手助けが必要なこともあり、スタッフがそのサポートをしていること・・・

 

その後実際にギャラリーを見て、たまげた。ちょっと鳥肌がたった。想像も限界も軽く越えていくような感じの、凄い作品ばかりだった。どれだけ天才的な感性なのだ!いただいたライブイベント映像のDVDを戻ってから見てみたが、こちらも素晴らしくてプリミティブなエネルギーが画面を通してもガンガン伝わってくるような熱いライブ、ノリに乗っている指揮者をよくよく見やれば、なんと学園長!多彩なお方だったのだ。こちらからも少しご覧いただけます。

 

しょうぶ学園 nui projectの展示

 

昼ごろwhite galleryさんへ。少し晴れてきたが、桜島には雲がかかっていた。晴れていたらさぞかし素晴らしい眺めだろう。高台で、美術鑑賞しながらご飯もいただける、絶好のランチスポットです。館長の三坂さんから、次は何処にいくの?と聞かれ、RHYTHM -リズム-さんにおじゃますることを伝えると、「ちょうど3月17日からここで展示をするんだよ。よろしく伝えてね」と。先ほど訪ねた福森さんともよく御存じの仲らしい。繋がっている。RHYTHMさんではPandAの早川さんともお会いできたり、知り合いのお店や作家さんを数々ご紹介いただき、また、かなり読み応えのある小冊子under’s highという冊子をいただいたりして、鹿児島のものづくりびとたちのネットワークの強さ、熱さを垣間見た気がした。

 

今回は作家さんの多かった長崎や佐賀へも行けず、訪ねた県にしてもあまりに移動距離が長くて効率的に周れたとはいえず、次回への課題は残してしまったけれど、また何度でも足を運びたくなるような魅力に満ち満ちた九州縦断でした。突然の訪問を温かく迎えてくださった皆様、ありがとうございました!タイルびと、運転おつかれさまでした。またよろしくお願いします!

 

 


九州出張 3日目 熊本編

3日目。レンタカー乗り換えのため福岡空港へ向かう。前日の雪が嘘のような晴天。九州北部への高速道路はほぼ通行止めだったが我々にはさほど影響なく、すいすいと熊本方面へ進む。大牟田市を周る途中、三池炭鉱跡に行ってみた。飄々とそびえたつ赤レンガの煙突からは、高度成長期を支えたという堂々たる存在感を感じると同時に、救急車、負傷車…と書かれた人車を見ていると犠牲になった多数の死者や中毒患者、閉山後も何十年にもわたり後遺症に苦しんだり寄る辺を失った人々の怨念のようなものも感じて、昨今の原発事故とも相まって複雑な気持ちだった。人間は権力に抗えない生き物、そして同じ過ちを何度でも何度でも繰り返す生き物なのだと突きつけられているようだ。知ろうとする気持ちと忘れないという意志を持ち続けていないと、簡単に自分本来の思いとは違う所へ連れて行かれてしまう。人も物事もいい面だけでも悪い面だけでもなくて、置かれた立場でも善悪変わったりもするけれど、黙っていたら偏って知らされることばかりが多い世の中で、自分は無知だと知る前に何かを選択するのはとても危険だ。実際に足を運んだり体験談をきいたり、本を読んだり映画を見たりと、同じ出来事をいろんな角度から見て初めて、知らなかったことに気づくこともある。

 

お昼は山鹿市のいつものごはんji-uさんで頂いた。塩麹をつかった蓮根ハンバーグや呉汁、キンカンと生姜シロップのデザートなど地元の材料を存分に使った優しい味に癒される。山鹿も素晴らしく風情のある街で、少し散策してみると造り酒屋さんや麹屋さんが軒を連ねている。こうじ専門店木屋本店さんの前を通ると、勝手に見学してもいいというので入らせていただいた。米粒の中にある汚れを箸で取り除く作業をしている人がいたり、麹を入れた箱が積み重なっていたり、昔のテレビや人形がならんだりと博物館のようだ。ここで念願の塩麹を買ったり美味しい甘酒をいただいたりしてとまたまた道草を食ってしまったので、急いで熊本市内へ向かう。

 

観光ばかりしているようで恐縮なのだが、熊本城の石垣は熊本出身のモザイク職人荒木さんにお薦めされたマストポイント。噂の石垣は、それはそれは見事で、確かに忍者ぐらいしか登れないだろう。カラスも停まろうとして滑り落ちていた。延々と連なる石垣を眺めていると、モザイクの道に進んだ荒木さんの原風景を見た気がした。島田美術館さんやミドリネコ舎さんなど市内数軒のお店を巡った後、金子典生工房の金子さんに会いにいく。

 

金子さんとは前からお会いしたいと思っていた。その温かい人柄は常々みじかいメールの文章や電話口の一言で伺われていて、一度お会いしてみたかったのだ。想像通りの方で、いきなり私は「タケチャンマン」という懐かしくも恥ずかしい小学生以来のあだ名で呼ばれた。新鮮なヒラメ、タイ、オコゼ、タコ・・・とびきり新鮮ないけす料理や馬刺し、辛子蓮根など食べたかった郷土料理が全部ここに・・・そして美味しいお酒とお茶目な金子節で笑いに笑って楽しい夜を堪能しました。忙しい時間の合間に、心づくしのおもてなし、本当にありがとうございました!!

 

あまりに楽しすぎてノリで帰り道に熊本ラーメンを食べてしまった。きくらげとねぎがたっぷり、コクがあるのに後味すっきりでペロリと入った。酔って満腹中枢がおかしくなっていたせいではないと思う。過酷なドライバー業務に疲労困憊気味だったタイルびともすっかり回復して「なんていいとこなんだ!熊本大好き!俺は熊本に住む!」と言い出す始末でした。

 

(最終日 鹿児島編に続く)


九州出張 2日目 大分~久留米編

 

2日目は大分からスタート。wakako ceramicsさんを訪ねて杵築市へ。予備知識がまるでなかったので着いてみてびっくり、とても情緒ある坂の城下町だった。「綾部味噌店」の前に車を停め、聞けばこちらは昔お酢屋さんだったそうで、石畳の坂道から、武家屋敷の風景を一望できる「酢屋の坂」というのがすぐそこにありますよと教えてくれた。「私のぬりかべ散歩」の小林澄夫さんにも帰ったら聞いてみようと特徴ある土壁を写真にとったりしながら、杵築城まで散策した。その後大分市に入り、商店街を歩いているとぶんごという一子相伝の小鹿田(おんた)焼を中心に扱う民芸店を発見。囲炉裏を囲んでコーヒーも飲めます。大分県も結構いろいろなお店やギャラリー、作家さん、いらっしゃるけれど場所がばらついていて、大体来る人もビルの2階以上にはあんまり行かないそうなのだ。もっと素敵なお店がこのあたりにも増えるように、大分もがんばらんとねーと、とあるギャラリーの女主人が言っていました。

 

大分市を後にし、朝からほとんど何も食べていないことに気づいて栄養補給に温泉卵を食べるか!と別府の道の駅に立ち寄ると、大きなスピーカーから「ONLY You~~♪」と繰り返しエルビスの甘い歌声が。すかさずタイルびとが「そういうことか!」とウレシそうな顔をしている。別府は町中からもうもうと煙が出て、硫黄の香りがして、まさしくONLY湯~。温泉天国?地獄?の景色が広がっていた・・・

 

日のあるうちに未来工房さんのある久留米市へ到着のはずがもう夕方。しかし途中うきは市には訪ねたかった四月の魚さんとぶどうのたねさんがある。ご主人の田中さんは突然の雨でびしょ濡れの私たちに、手染めのタオルを貸してくれ、反物の並べてある美しい部屋に招き入れてくれた。元は呉服屋さんからはじまったというお店の由来などお話を伺っているうちに、ご主人の独特のゆったりした器の大きさに、このままお酒でも酌み交わしたいような気分になってきたが、先を急ぐ。未来工房さんにたどり着いたのはそんなこんなで夜の7時。すっかり真っ暗になってしまった。待ちぼうけさせてしまったが金原社長、馬場さん、武下さんのお三方が待っていてくださり、モデルルームをたっぷりと紹介してくださった。古材を使った天井のあるカントリー風キッチンや、屋根裏とはしごで繋がる子供部屋、隠れ家のような和室など、これが同じ1軒の中にあると思えないくらい、いたるところに遊び心のある「やかまし村の家」。未来工房さん、本当に待ちくたびれさせてしまって申し訳ありませんでした。ありがとうございました。

 

次の日レンタカーを福岡空港で乗り換えるため、久留米ラーメンをかっこんでまた福岡市に戻る。雨はみるみる雪に変わり、市内につくと牡丹雪が降っていた。九州でこんな雪に遭うとは驚きだ。あまりに寒いので中州まで出歩く勇気もなかった。丸一日、ゆで卵と久留米ラーメンだけで終日運転をしてくれたタイルびと、あたりまえだがヘトヘトのご様子。仕事よりもハードだった模様。本当にお疲れ様でした!!!

 

(九州訪問 3日目熊本編へつづく)