セツ・モードセミナー

セツモードセミナー

 この゛広場゛の制作スタッフのМさんと、初めて会って話したとき、彼女は「わたし、セツに通っていました」と言った。その途端、あの学校の風景が目に浮かんだ。校舎脇の階段。休み時間の賑わい。聞こえてくるセツ先生の大きな声。あの雰囲気のなかで育ったひとが始める仕事なら、手伝わないわけにいかない。
 私は、絵を描くのは苦手だったけれど、学校には、よく遊びに行った。おかげで、たくさんの「才能」と知り合った。みんな、気持ちのいい人ばかりだった。雑誌の編集部にいたとき、若い人がイラストを持って、訪ねてきた。セツの生徒だとわかると、私はかならず喫茶店に誘って、学校の話をした。そして、たくさんの若者たちと知り合った。— そんなことを思い出したのは、「長沢節さんが残したもの」(『天然生活』4月号)を読んだからだ。その記事で、セツ先生のよきパートナーだった星信郎先生が、話している。


 「生活全般において、美意識をもって生きるということを、身を挺して教えてくれた人だったね。人は生まれてきてだれに出会うかで人生が決まるところがあると思うんだよ。そういう意味で、僕たちが節先生に会えたのは、とても大切なことだったんだよ」