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火々の暮し

『チルチンびと』冬号 (12月11日発売)

 

・火のある暮しは憧れだ。暖炉の前のソファでの読書などまさに最高だ。(a  day  in  the  life  安西水丸)

・現代人の傲慢な願いを忠実に伝えてくれた火。しかし、その灰や煙は、もう恵みをもたらしてはくれない。 (始まりの火     近藤夏織子)

・「火の気持ちになれば美しく燃える暖炉は上手くできるのだよ」  数々の心地よい住宅作品を生み、時を過ごす場には必ずのように暖炉を添えた建築家の吉村順三先生から昔そう聞かされた。   (居場所、居心地、そして暖炉のこと    益子義弘)

・火鉢のまわりにはなぜか人が集まります。  (江戸の火鉢    菊地ひと美)

・「初めて行く家なら切り花を3本。ちょっと仲良くなったらロウソク2本。親しい人ならコーヒー1袋」   (フィンランドのロウソク文化を知る      橋本ライヤ)

『チルチンびと』冬号 (12月11日発売)
〈特集・火は我が家のごちそう〉から拾った言葉です。

 


チャンスをつかめ

 

ユカイな本だと教えられて「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー(高橋秀実著・新潮社)を読んだ。有数の進学校である開成が、東大ならぬ甲子園を目指す、ユニークな戦法である。ドサクサに紛れて大量点を取り、コールドゲームで勝つのが、監督の方針。練習は週一回。グラウンドでやるのは練習ではない、実験と研究だ、という。

—–「グラウンドを練習ではなく、『実験の場』として考えるんです。あらかじめ各自が仮設を立てて、それぞれが検証する。結果が出たらそれをまたフィードバックして次の仮設を立てることに利用する。—」この繰り返しでそれぞれがコツをつかみ、それをまた反復すると、監督はいうのである。

『チルチンびと 別冊42号・今こそОМソーラー』に、「ОМが求められる理由」という座談会があり、ОМソーラーの考案者と牽引者が語っている。そこに、奥村まことさんのこういう発言がある。「設計というのは、困った問題が起こった時がチャンスで、そこで考えるからアイデアが生れる。それが設計の楽しさですね。—- ピンチがチャンスなんです」

夜、寝た時、昼間読んだこの二つの話が、頭に浮かんだのはなぜだったろう。わからない。しかし、新しい世界に挑戦する楽しさを知ったのは、幸せな気分だった。

(『チルチンびと 別冊』42号は、11月28日発売です)

 


凧よ、揚がれ

今年の六月。高円寺の喫茶店で「凧」の作品展が開かれた。

作者は『チルチンびと』誌上でおなじみの建築家・大野正博さんの次男、研介さん。住宅街の喫茶店は、大勢のお客さんで賑わい、入っていくと「凧のお仲間ですか?」と声をかけられた。凧の人気の広く深いことを知った。

壁に飾られた凧。そこに描かれた絵。書かれた文字。丹念に張られた糸。「全部、実際に揚げたものだそうですよ」と、店の方が説明してくれた。「いい風、揚がるよ!  今日は」 という研介さんの声が聞こえるようだった。なにかの機会に、これをご紹介したいと思った。

研介さんは、幼いときから空中でヒラヒラする旗や凧が好きだったという。学校から帰ってこないので迎えに行くと、道端ではためく旗を、ずっと眺めていたという。

私は、どうかたくさんのひとに、このギャラリーの「凧名人展」を訪ねていただきたいと思う。研介さんを取りまくやさしさが風となって、凧を舞い上がらせているのが見えるだろう。

 

Chilchinbito  Gallery  凧名人-大野研介作品集

「Chilchinbito Gallery  凧名人-大野研介作品集」をご覧になる方はこちらから、どうぞ

 


怪談 消えたポスト

ポスト

 

都心の会社に勤める、私の相棒の話です。そ奴は、ある夕、一通の手紙を書き終えました。いまどき、メールでも電話でもない、手紙というのは、それだけこころを込めて、ぜひ先方へ伝えたいことがあった、と思し召せ。で、いつものポストへ急ぐと、オヤ、こんなところにもポストが。投函したあと、脇にあるプレートで最後の集配時刻が18時半であることも、確認。やれやれです。

さてつぎの週。その道を通りかかると、ポストがない。ない。急ぎ会社に戻り、同僚に確認すると、「毎日あそこを通るけど、ポストなんか見たことない」「疲れてんじゃないですか。幻覚ですよ」と冷たい。郵便局に訊いた。「ポストが現れて、消えた? いやあ、ポストの設置や移動には手続きが必要で、必ず記録を残しますが、それも残ってないし」と局員。で、その角にある店を訪ねた。おばさんが、いう。「ここにポスト? 見たことないわねえ」 それでも、と食い下がり「なんかこの辺、変わったことなかったですか」「ああ、そういえば、先週ドラマの撮影があったわね。私の店も貸してあげたけど。そのとき、ポスト? ウーン、そういえばロケ隊の荷物に、赤い箱があったような……」 それだ。

店にあった名刺を頼りに、制作会社に連絡する。「ええ、確かにロケでポストは使用しました。ポストには撮影直前まで注意書きを貼り、終了後には、すぐ撤去するはずなんですが。いやでも、そーですか、あなたは、それに手紙を入れた。そーですか。いますぐ、そのポストから手紙を探して、私のほうで投函しましょうか」

それから半月後の夜。くだんのドラマは放映された。ポスト? もちろんありましたよ。赤い姿が主役に見えましたね。

(写真のポストは、当゛事件゛とは関係ありません)


ナンという日

ナン

 

「ここの店、神田カレーグランプリで優勝したはず」「でも、表にナンも出てなかった」「奥ゆかしいんじゃないの」「あ、このナンおいしい」「ナンともおいしい」「ナンとなくおいしい」「ナンかおいしい」(大笑)  私は、神保町のマンダラでカレーBセット1155円を食べている。隣の席のОLふたりの会話だ。ナンだよ、その冗談。

外へ出る。おりから、古本まつり。沿道の屋台を見ると、ナンと『カレーライスの話』(江原恵)がある。100円。喫茶店で読んだ。1872年、福沢諭吉が『学問ノススメ』を発表した年、日本に料理本が出始めた。『西洋料理通』(仮名垣魯文)、『西洋料理指南』(敬学堂主人)がそれで、カレーの料理法も初めて紹介されたとある。

「カレーノ製法ハ、葱一本、生姜半個、ニンニク少シヲミジンニ刻ミ、バター大匙一デ炒リ、水一カップ半ヲ加ヘ、鶏肉、エビ、タイ、カキ、赤蛙等ノモノヲ入レテヨク煮ル。ソノ後、「カレー」ノ粉小匙一ヲ入レテ一時間ホド煮ル。ヨク煮エタトキ塩ヲ加ヘ、又小麦粉大匙二ヲ水デ解イテ入レル。(『西洋料理指南』)

ナンだか疲れた。


沈黙の秋

沈黙の秋

 

新聞を開いたら「古民家除染できず/豊かな里山暮らし奪われた/福島のレイチェル・カーソン/境野米子さんの告発/築170年かやぶきホットスポットに」という見出しが、目にとまった。(『東京新聞』10月9日) 境野さんは『チルチンびと』73号にも、原発事故後、一変した、福島暮らしを描いた。かやぶき屋根の古民家に住む。その、かやの汚染については、この新聞記事でも、こんなふうに、ふれている。

—–「立派なかやぶきですね」と褒められるたびに境野さんは「これが困りものなの」と話しだす。—- 事故後、境野さんは線量計を購入した。周りの地表面が毎時一・二~一・五マイクロシーベルトに対し、カヤ屋根は放射性物質が吸着しやすく二~三マイクロシーベルトと倍近い。庭の木を切ると線量が少し下がったが、現在でも囲炉裏近くや居間は〇・四マイクロシーベルト前後あり、トタン屋根の台所の線量は低い。「かやぶきがホットスポットなんです」—-境野さんは、困り果てて言う。「中間貯蔵施設ができないと、屋根替えもできない。自然に近い暮らしをしてきた人ほど打撃は大きい。うちの暮らしの魅力も九割減です」——

この記事からも、静かな悲しみと怒りが聞こえてきた。


天丼物語

三宅菊子さん著書

 

三宅菊子さんが亡くなった。新聞の訃報欄に、『アンアン』などで活躍したライター、という紹介記事があった。私の手もとに、『セツ学校と不良少年少女たち』と『商売繁昌』という三宅さんの著書がある。『商売繁昌』は、彼女と阿奈井文彦さんと私の三人で雑誌に連載、それが一冊になったものである。ガンコでコリ症の彼女に、この゛職人噺゛の取材は、よく似合った。なかでも、木挽町の天ぷらや「天国」の主人の話の聞き書きは、傑作だった。

ある日、歌舞伎の楽屋に、天国から、天丼の出前をする。注文したのは、六代目(菊五郎)。あとから、海老がまっすぐ揚がっていなかった、と言ってくる。天国主人は、そこで—-。

—- そこであたしは説明した。海老をまっすぐに揚げるためには、包丁で腹のとこに切り込みを入れるんです。それやるとくるっと丸まらないで揚がるんだ。けど、歯ごたえがなくなる。あたしは言ってやりました。「日本一のあんたが食べるからこそ、包丁を入れずに、しゃきっとした歯ごたえに揚げたんだ、それがわからないようなら食べなくていいよッ」

 


手づくりびと名鑑

9月16日。鬼子母神の「手創り市」へ行く。出品・出店されたみなさんの写真を、と思っていたら、途中、一天俄かにかき曇り。避難。それまでにお話できた7人の方にご登場いただきます。


雨に咲く

チルチンびと73号 花と緑と暮らす

 
  移植した紅葉の枝は、雨をふくんで、大きく垂れさがっていた。私はその風情に満足して、溜息をついた。ヤマボウシも同様だった。枝が垂れていて、そのために、満開の花が、こちらをむいている。私は、朝から酒が飲みたいような気分になった。
  何もしないでいる人生がある。また、国事に奔走して、紅葉の花(実はそれが花であるかどうかハッキリとは知らない)やヤマボウシの花の美しさに気がつかないでいる人生がある。そんなことをボンヤリと思っていた。(『旦那の意見』中公文庫から)

山口瞳さんは、かつて、こういうエッセイを書いた。『チルチンびと』73号を読んでいて、この文章を懐かしく思い出した。それはたぶん、今度の誌面が、庭、花、緑、脱原発の記事でいっぱいだったせいだろう。エッセイをまた読み返していると、雨に濡れたヤマボウシの白い花が、見えるような気がした。そして、国事に奔走しているだろう人の顔も、ついでに、思い浮かべたのだった。


緑のカーテン・コンテスト

緑のカーテン・コンテスト

もし、緑のカーテン・コンテストがあったなら、これは、“メダル確実”だろう。阿佐ヶ谷にある杉並区役所の庁舎。青梅街道に面して、グリーングリーンにひろがっている。写真の、遊んでいる子どもたちのうしろに見えるのが、それだ。苗を育て始めたのが、4月なかば。ヘチマ、ゴーヤー、アサガオ、キュウリ。いま、七階建ての建物の六階まで伸びている。カーテンというより、ジュウタンか。眺めているうちに、あのキュウリのトゲは、私の区民税分かな。いやいや、とても、あんなには払っていないな、などと思ってしまうのである。

『チルチンびと』73号に「緑のカーテン」についての特集があり、そのなかに「緑の健康増進効果とその利用」(多田充)という記事がある。海外の研究者によるデータなど、読んでびっくりした。例えば、緑が見える病室の患者は、緑が見えない病室の患者に比べて、入院日数が短い。そして、より弱い鎮痛剤で痛みを抑えられる、という。また、自然の景色を見ることのできる囚人は、ストレスが少なく、病気の発症率が低い、という。それにしても、病院は選べるけど、刑務所は、選べるのかしらん。

『チルチンびと』73号は、9月11日発売。<特集>は「花と緑と暮らす」、「脱原発のために自然エネルギー住宅」の2本立てです。