morimori

色が好き

「くりくり展」へ行った。

いろいろな手仕事を見るのが目的だけれど、行ってみようと思ったのは、その会場がなじみの場所だったからだ。夏目漱石が学んだというお茶の水小学校(旧・錦華小学校)の近く。路地を入ると、右手の二階に珈琲・蔵。金子国義さんのギャラリー・Higurashi。気さくなCafe Flug。サケの塩焼きが、ステーキかと思うような厚みの日本料理・きよし。そして、その隣のビルが展示会場Spin Galleryだった。

入ると、店番兼出品者がいた。写真右下の丸いテーブルのうえが、彼女の作品。イヤリング、指輪、ピン止め、など。

「私、台湾生まれ。父がエンジニアで、海外あちこち回りました。色彩の好みって、そういう体験のなかでつくられるんですね。私、色が好き。こころに響く色が好き。ずーっと手芸が好き。どんなに体調がわるくても、編みものを続けているくらい好き。でも、人生迷走中でした。だけど、今回、お店番をしたおかげで、ものを売る、ものをつくる、ということが、少しわかったような気がします」

この「くりくり展」は、えっ、8月30日(木)まで。でした。10月は京都西陣で開催ととのことです。


南仏アンティーク散歩

南仏 エアメール

 

エアメールが届いた。プロヴァンス発。西荻窪の「Le Мidi」の小林尚子さんからだった。小林さんのことは『チルチンびと』72号の「西荻窪アンティーク散歩」や、この゛広場゛の『今日もアンティーク日和」で、おなじみ。南フランスの古道具を扱っている。
— 以下、その手紙から。

 

こちらも、たいそうな暑さで、骨董をみてまわるには、午前が最適。14~17時は、思考回路が止まります。ところで、本日、地元紙 La Provenceに写真入りで、私のこと、紹介されました。いつもの Hotelの方に『チルチンびと』を渡したりしたのが、きっかけです。—8月24日に帰り、25日からお店です。

そういえば、商品の買い付けに行く、という話だった。そのとき、それって、シゴトですか? シュミですか? と私は訊き、小林さんは、笑って答えなかった。

夏休みがイッパイ

神田・神保町から水道橋にかけて、街にいつもの人出はなく、お盆休みの貼り紙が目立つ。どうぞ、ごゆっくり、と思う。歩いていたら、寺山修司の、この歌が浮かかんできたのは、なぜだったろう。

わが夏を
あこがれのみが
駈け去れり
麦藁帽子
被りて眠る

 

お盆休みの貼り紙


金曜日の夜

金曜日の夜

 

ある金曜日の夜。首相官邸周辺に集まった人たちの数は、主催者側の発表で、20万人。警視庁の話では、1万2千5百人だったという。

なぜ、そんなに違うのか、という記事を新聞で読んだ。たとえば、「さようなら原発10万人集会」の場合、主催者は17万人と発表、警視庁側は7万5千人とした。主催者は会場を10区画に分けて概数を目測。

その後に増えた分を推定して17万人。警視庁側は、公園出入り口で手作業のカウンターで数えたという話。それにしても、こうも違うのは— 夏の夜のフシギである。

金曜日の夜。阿佐ヶ谷七夕祭りに行った。かなりの人出。商店街のまんなかを、川の流れのように進むのである。私の概算、3千人。

両脇の店を横目に、上の飾りを見上げて。七夕さまの歌に、五色のたんざく わたしが書いた—- とあるが、いまは、どんな願いを書くのだろう。七夕飾りのコンクールがあったらしく、脱原発飾りも、なにかの賞をうけていた。

 


連想ゲーム

『チルチンびと』別冊41号「東海で建てる本物の木の家'12」

 

私の短絡的思考でいうと、東海といえば中日ドラゴンズ、そして、前監督・落合博満とつながっていく。『落合博満 変人の研究』(新潮社)という本のなかで、作家のねじめ正一さんと赤瀬川原平さんが、こんな゛落合研究゛を語っている。

 

赤瀬川さんは、落合は古道具屋もできますね、と言い、こうつづけている。あの商売はだいたい、いきなり品物の値段は言わないんです。お客が言い出すのをじっと待っていて、その額によって態度を決める。

 

それに対して、ねじめさんは、こう答える。待っているというか、確かに落合はいつも受け身です。最初に自分から仕掛けたりはしないですね。—-

 

落合監督がいつも無表情で、ダグアウトにじっと座っていた姿を思い出した。そして、そのあとに『チルチンびと 東海版』を読んでいたら、「住宅は座って使うもので立って使うものではありませんよね」という、どなたかの言葉がでてきた。ダッグアウトは、監督の住まいだろうか。私の連想ゲームは、なかなかゲームセットにならないのだ。

 

(『チルチンびと』別冊41号「東海で建てる本物の木の家’12」は、ただいま発売中です)


かわいい教会

かわいい教会 吉田桂二ちいさな木の教会誕生のイキサツが、『チルチンびと・別冊41号・東海版』(7月

28日発売)のトップを飾っている。場所は名古屋市西区。


その設計を依頼された吉田桂二さんは、「かわいい教会をつくろう」と言ったという。「むしろ、町の集会所だよ」とも、言ったという。それは、「木造ゴシック建築」であり、「手仕事の想いを託した建築」である、という。隣接する保育園の園児たちが、礼拝堂のステンドグラスをつくった。

吉田さんは『チルチンびと』71号に「木の家の精神性」という文章を書いている。そのなかで、イギリスの詩人、サー・ウッソンのこんな言葉をひいている。


— よい建築は゛三つの条件゛を必要とする。「便利さ」「堅固さ」そして「喜び」である。

この教会は、きっとこの゛三つの条件゛に、あふれていることだろう。また、これらの条件を、実用的、スキがない、楽しみいっぱい、と置きかえれば、雑誌にもウエブにも、そのまま通用することのように思われる。


すだれは遠くなりにけり

 アツイアツイアツイ。この日射し

アツイアツイアツイ。この日射しを遮るのに、近ごろは、ゴーヤのカーテンなんぞを育てたりするようだが、すだれはなぜ、カゲが薄くなったんですかね。すだれ屋さんが、こんな話をしていたのを読んだことがある。(中公新書『商売繁盛』から)


「いまはもう、古い本式のきまりを知ってる人は少なくなって —。夏、半すだれっていって、ちょうど半分に折ってかける。冬は陽が低いからぜんぶおろす。そんな当たり前のことだって知らない人もいるからね。いえ、すだれってもんは、一年中かけといていいんですよ」
「もう、子供のときから。゛ひとくち千枚゛っていってね、1種類を千枚っつ編まされた。お袋が、もうほかのやってもいいでしょ。おやじが、まだだ!  そんな調子でなかなか次のに進ませてもらえない」
「仕事がいちばん楽しい。立って仕事ばかりするんで足が平べったくなって。十文なのに十文二分を履くんですよ」


こういう職人噺が消えていくのも、淋しい。
青すだれむかしむかしの話かな という万太郎の句があるという。


凧名人

喫茶店「あろうむ」 凧作品展

 

大野正博氏・DON工房のホームページに「BOSSのひとり言」というコーナーがある。そこに「ナマコとカイコ」というタイトルの“ひとり言”を見つけた。話はこうだ。

-平安時代にはナマコは単に“コ”と呼ばれていたそうだ。それを炒って食べたから“イリコ”で、生で食べると“ナマコ”だそうだ。小さくてコロコロしていたから“コ”なのかもしれない-

それでは“タコ”はどうだろう。高円寺の喫茶店「あろうむ」で、大野氏の次男・研介さんの「凧作品展」が開かれている。店内に飾られた作品からは、素朴なやさしさが伝わってくる。それは、凧というカンバスに、自由に描かれた心模様である。それぞれに糸がついて、空を駆けまわったことがわかる。店内に、研介さんの兄・要介さんが、小学生時代に書いた「凧名人と弟」という作文があった。

-弟はかるい障害をもっている。しかし、身のまわりの人はだれだってそんなことを、気にしてもいない。(一部の悪ガキを除く)弟に聞いてみれば、将来、凧屋さんになるそうだ。ぼくはきっとなれるようにと願った。

(大野研介「凧作品展」は高円寺「あろうむ」(03-3314-6609)で6月30日まで)

 

喫茶店「あろうむ」 凧作品展喫茶店「あろうむ」 凧作品展喫茶店「あろうむ」 凧作品展


続・続・ぜいたくな過去

『チルチンびと』72号「古き美を愛おしむ暮らし」-西洋骨董家具との暮らし方

 

「そもそもアンティーク家具に対して、僕らは、積み重ねられた「歴史」を求めているわけですから、本物・偽物もないですよね」(『チルチンびと』72号「古き美を愛おしむ暮らし」-西洋骨董家具との暮らし方)

塩見和彦さんは、こう語っている。その塩見さんが、八王子で古道具の店を開いていたとき、黒い小犬を飼っていた。前の飼い主から虐待されていたから、引きとってきたといった。「あ、彼には、こういう一面もあったのだ」と思った、と当時の客のひとりはいった。名前はジェームズ。かわいい、ひかえめな犬だった。

塩見さんは、私の家の近くのCという高校の卒業生である。バイク通学だった、という。「校則では、バイクは禁じられていましたけどね。」その程度の“不良”だったのだろう。

黒い小犬。バイク通学。アンティークディーラー。“ぜいたくな過去”を修復する日々。これらの“点”は、1本の“線”の上に、ごく自然に並ぶように思われ、私は納得するのである。

塩見氏は『チルチンびと』72号では「アンティークから始まった、終わりのない家づくり」にも登場。この『広場』でも「古道具屋の西洋見聞録を連載中」


続・ぜいたくな過去

荻窪アンティークマップ

粗末なサッシのガラス戸を通して中をのぞいても、ごたごたとした道具の形があいまいに見えるだけ、店の中の照明にも無頓着といったふうで道ゆく人に商売気をつたえようとするけはいがない。―というのは、前にもご紹介した、村松友視『時代屋の女房』の一節だ。

商売気をつたえようとするけはいがない―ウーン、これはたしかに、古道具屋さんに共通のカオのように思われる。あれは、なぜだろう。

吉祥寺は、ちょっとハデで、社交的な長女。荻窪は、しっかりものの長男。その間の西荻窪は、3人きょうだいの末っ子で、いちばんひかえめな存在だ。ここにアンティークショップがつぎつぎに育ったのは、そんなに不思議なことではない。そういう土壌があったのだ。

ひかえめに、ぜいたくな、過去を、売る。『チルチンびと』72号、特集「古き美を愛おしむ暮らし」の“西荻窪アンティーク散歩”でぜひ、初夏の小さな旅を。