書籍

『チルチンびと』は、語る

「チルチンびと」76号 昔家を、愉しむ~古民家・町屋・和洋アンティーク家具~

 

古いものから漂う温もりはいい。ただ、かつて生家に転っていた器や塗りの剥げた家具など、今骨董店で求めるとなると驚くほど高価だ。古さは贅沢になった。
(「a  day in the life 」安西水丸)

ただ歳をとるのではなく、経験の滲み出た年寄りに。ちゃんと生きてゆくことで魅力的になるのは、ものも人間も同じですね。
(「家も人も歳を重ねて美しく」)

小さい目を大きく見せるのも、大きな口を小さく見せるのも、化粧次第。家具が大きすぎたと思えば、照明を低く、小さく絞ってみる。そうするとまわりが気にならなくなり、空間がぐっとよくなります。
(「和洋アンティーク教本」塩見和彦)

こどもは体全体が感覚受容器なのだ。体全体が学習受容器なのだ。体全体で大地から学ぶ。
(「こどもと建築」仙田満)

日本家屋って、実は介護に向いてるんじゃないでしょうか。
(「『雨ニモマケズ』の心意気 – 岩手を背負う工務店、介護施設、製材所」)

今号の取材でまわった鳥取。安西水丸さん曰く、「砂丘に行かなくなったら、鳥取のプロですよ」
(「編集後記」)

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『チルチンびと』76号 (特集・昔家を愉しむ) からひろった言葉です。

『チルチンびと』76号は、6月11日発売です。

 


トルストイとパンの耳

トルストイ

 

土曜日の午後、ラジオを聞いていたら「食パンのまわりの部分は、耳というけれど、両端のところは、なんというんでしょうかね」という話が聞こえてきた。放送では、すぐにリスナーからの反応があり「あれは、ヘタとか表皮とか呼んでいます」というパン屋さんらしい人の答えが紹介された。「ヘタの横好き」というヘタな洒落が、私の頭に浮かんですぐに消えた。

 

それにしても「パンの耳」なんて、いつごろからいわれていたのだろう。昭和13年1月15日発行の『大トルストイ全集』12巻 (原久一郎訳・中央公論社)に、「悪魔の子分がパンの耳に対するヘマの償いをした話」という短編がある。それはこんな文章で始まっている。

 

—- ある貧乏な百姓が、ある朝早く、朝飯も食べずに、パンの耳を一片れ弁当に持って、野良へ耕作に出かけて行った。(本文は旧字旧カナです)—- これは、ロシアの民話に題材をとったもので、悪魔の子分が、そのパンの耳を盗むことから、酒の害へと話は及ぶのである。それはともかく、昭和13 年(1938)には、こんなふうに、普通に使われていたのだ。さて、パンの耳はロシア語で、フレープノイ=カローチキだと聞いた。これも、耳学問。

 

小さな「粋」

『チルチンびと』75号

 

『チルチンびと』75号の “ 小さな「和」” という特集を読んでいて、「和」というのは「粋」のことかもしれない、と思った。

粋といえば、Fという下駄屋の方のこんな話を、切り抜きに見つけた。「あたくしども、手を拝見すれば足の文数がわかります。足の大きさによって、鼻緒のすげ具合を加減しますが、昔の粋なお客さまは前つぼをきつく、きつくとおっしゃいます。深く履くのはヤボだとおっしゃって、爪先につっかけるようにして足早にさっさとお歩きになる……」

友人が「息子がどうにか、大学を卒業した」と言う。よかったじゃないか、と答えると 「 なに、下駄を履かせてもらったんだろ」と笑った。下駄を履かせる、というのは、採点を高めにあんばいしてもらった、ということだろう。あまり、下駄も見かけなくなった今、こんなことばも、通用しなくなる。ヒールをつけてもらう、とでもいうのだろうか。まさか。

(『チルチンびと』75号は、ただいま発売中です。)


小さな和、小さな話

「チルチンびと」75号

 

和のある暮しといっても、それなりのセンス は必要だ。和室を作ったからと招待されるこ とがあるが、主役でございと構えている囲炉裏 や、そこに骨董店か何処かで見つけてきたらし い自在鉤があったりするとうんざりする。 (「a day in the life 」 安西水丸 )

大学の建築学科でも「床の間」を読めないだけ でなく、知らないという学生が増えてきました。 (「『和』のデザインとは何か」中山章 )

そもそも 「座」という字は 「空間」を意味する。 (「日本人の坐り方」 矢田部英正 )

「 “ 和 ”っていうのは調和の和。その調和をつくり出す のが素材なんですよ 」と泉幸甫さん。( 「家族を包む やわらかな『和』の光 」)

洋食が多かった我が家の食卓は、出産後、すっかり 和食に変わった。肉料理が減り、魚が登場する回数 が増え、煮物やお浸し、焼き魚などシンプルなものを つくるようになった。 ( 「 日々、まめまめしく。」塩山 奈央 )

(以上は、『チルチンびと』 75号 特集 “ 小さな「 和 」” に見つけた言葉です。  『チルチンびと』75号は 3月11日発売です)

 


リンゴの木の下で

ウクレレ

 

神保町の三省堂書店で本を買い、帰りがけに出口に近いところで、大きめの箱が積んであるのに気がついた。よく見ると「ウクレレ1本入ってます」という文字が読めた。オトナの工作キットという趣向らしい。

ずいぶん以前に、美容用の顔のローラーが書店で売られたことがあった。こういう種類の商品は、それまで化粧品店などで扱われていた。それが、単行本のような体裁で書店に並べられたことが“ 勝因”で、何万というヒット商品になった。そういう話題のニュースのなかで、制作した出版社の人が、つぎは何を売るか、いろいろと函に入れてみています、と話していたのを思い出した。

そうか。こんどは、ウクレレが入ったんだ。「広場」のスタッフの vigo から、ウクレレを習っていたと聞いたことがある。ギターは、小さい手に余ったので、ウクレレに転向。それで弾く 『リンゴの木の下で』が好きだった、と言った。『in the shade of the old apple tree』という、あの歌だ。だから私は、そのウクレレセットを、年末に進呈した。

今日、どうやらそれが完成したらしく、こんな写真が届いた。どんな音色だったかは、聞くよしもない。

 


松井秀喜の青春

雪景色

 

お正月。いかがお過ごしですか。私は、読書三昧。昨夜は、『七割の憂鬱 ー 松井秀喜とは何か』(村松友視著・小学館)を読んだ。三割打者松井秀喜の光と影を描いている。こういう文章があった。

晴、曇、雨、風、霰、雹、雪、雷が一日のうちにあるのが加賀の天候と言われる。…… このような一瞬にして急変する空もようを、加賀の人たちは微動だにせず、それを土地の特色として味わうという、まことに大人びた気力と余裕をもっている。

そして松井は、自らに訪れた数々の試練を加賀の心もようで、やわらかく受け止めていたのではないかと、村松さんは書くのである。松井は、引退の記者会見で、こう語った。「振り返りますと、北陸の本当に小さな町で生まれ育ち、そこで野球を始め、地元の高校に進学し、小さなときからの目標であった高校野球で甲子園に出るという目標を達成することができました」

松井の野球人生でいちばん楽しかったのは、きっとこの青春時代だったろう。新年の北陸は、大雪にみまわれているという。彼の青春は、深い雪の下で眠っているように思われる。

 


ゆく年、くる年

 

今年一年を振り返ると、仕事では新しい人や場所との出会いも多くて「吉」だったが、個人的には悲しい出来事が多くて「凶」だったかもしれない。でも、そんなときほど人の優しさや思いやりが身に沁みたり、今まで想像もしなかったことに思いを巡らせることができたり、見るもの触れるものをより深く、敏感に感じ取れたりする。落ち込んだり沈んだり後ろを向くことしかできない日々も、自分にとって必要な時間だったのだと思う。

この一年を通し、心の支えといったら大袈裟だけれど、何度も読んだのが詩人石垣りんさんの『ユーモアの鎖国』(ちくま文庫)という、エッセイ集。彼女は銀行を定年まで勤め上げたサラリーマンでもあった。女性として、会社員として、人間として日常を「超本音」で綴った。その言葉には一切のごまかしがなく、完全に自立していて、独り言のようなのに時代も国も越えてしまうほどの普遍性と鋭い洞察力があって、強い。本当の強さは、ちっとも押しつけがましくない。だから読むたびに慰められ励まされ、共感し、楽になれた。自分は自分でよい、ほかでもない自分が感じたことは、いいことも悪いことも大事にしたほうがいい。と言ってくれているような気がした。

 

新年

それは昨日に続く今日の上

日常というやや平坦な場所に

言葉が建てた素晴らしい家、

世界中の人の心が

何の疑いもなく引っ越して行きました。

(『ユーモアの鎖国』より抜粋)

 

みんなほんとうは、何の疑いもなく来年に引っ越していくわけでもない。反省や不安や未練なども抱えつつ、やっぱり来る年にすこしは期待して、希望をもって、年を越す。そんな人間らしい思いのごった煮すらも、すがすがしくなるりんさんの詩。その名のとおり凛と生きている人だから、そういう言葉になって出てくるのだろう。

泣いても笑っても、ゆく年、くる年。来年が、いい一年でありますように!

 


風邪の経過

morimoriに借りた『風邪の効用』(ちくま文庫/著・野口晴哉)という本で、風邪というのは、治すものではなく経過するものだということを初めて知った。風邪は引くべき時に引き、体の交通整理をする。治そうと焦らなくとも、体を乱さず整えておけば、自ら経過する。

これから冬に向かう中、スープなど温かい飲み物を多く摂ると、体のバランスがとれるそうだ。長い長い風邪を経て、「おかゆ」が大好物になった。くたくたに炊いても、玄米を炊いても、あたたかくて、安心する。この「風邪の効用」という本にも、なんだかホッと安心させる効用があった。

 


薪割り

薪

 

幸田文さんの薪割りの話は、いいよ、と友人が教えてくれたことがある。それは『父・こんなこと』(新潮文庫)のなかにある。「薪割りをしていても女は美でなくてはいけない。目に爽でなくてはいけない」と父親に言われ、風呂のたきつけをこしらえる話を、こんなふうに書いている。

庭木は檜は楽だったが、紅梅は骨が折れた。抵抗が激しく手が痺れたが、結局これもこなして焚口へ納めた。しまいには馴れて、ふりおろした刃物がいまだ木に触れぬ一瞬の間に、割れるか否かを察知することができた。(「なた」から)

『チルチンびと』74号〈特集・火は我が家のごちそう〉を読んでいると、あちらこちらに、薪の話が顔を出した。それで、友人の話を思い出した。

幸田さんは、父の教えたものは技ではなくて、これ渾身ということであった、と書いている。ストーブや暖炉や風呂で暖まることができるのは、薪に込められた気持ちが熱いからだろうと、私は思った。

 


火々の暮し

『チルチンびと』冬号 (12月11日発売)

 

・火のある暮しは憧れだ。暖炉の前のソファでの読書などまさに最高だ。(a  day  in  the  life  安西水丸)

・現代人の傲慢な願いを忠実に伝えてくれた火。しかし、その灰や煙は、もう恵みをもたらしてはくれない。 (始まりの火     近藤夏織子)

・「火の気持ちになれば美しく燃える暖炉は上手くできるのだよ」  数々の心地よい住宅作品を生み、時を過ごす場には必ずのように暖炉を添えた建築家の吉村順三先生から昔そう聞かされた。   (居場所、居心地、そして暖炉のこと    益子義弘)

・火鉢のまわりにはなぜか人が集まります。  (江戸の火鉢    菊地ひと美)

・「初めて行く家なら切り花を3本。ちょっと仲良くなったらロウソク2本。親しい人ならコーヒー1袋」   (フィンランドのロウソク文化を知る      橋本ライヤ)

『チルチンびと』冬号 (12月11日発売)
〈特集・火は我が家のごちそう〉から拾った言葉です。