書籍

寒さいろいろ

『チルチンびと』78号「拠り所としての、火」(設計・益子義弘 、写真・輿水進)

『チルチンびと』78号「拠り所としての、火」(設計・益子義弘 、写真・輿水進)

 
 
山口瞳さんに「寒さかな」 というエッセイがある。こういう話だ。

昔、山口さんが大家族で麻布で暮していたころ、部屋の中央にルンペン・ストーブというのがあった。そこで、石炭でも材木でも紙でもジャンジャン燃やす。部屋の隅の寒暖計は34度になっている。暑いので裸でビールを飲む。それは、はなはだ刹那的で、そのときだけは愉快だった、という。…… そして、こう書く。

寒さという言葉には、肌身に感ずる寒さのほかに、こころの寒さがあるからである。フトコロが淋しいという寒さがある。さむざむとしたというのは、風景であり、人の情であり、時の移り変りにも通じてしまう。…… そして、こう書く。

私が部屋のなかを暑くしようとするのは、こういう寒さから逃げようとしているためではないかと思われることがある。そうして、十二、三年前に、崩潰寸前の麻布の家でストーブをがんがん燃やしたのは、その最たるものではなかったかという気がしてくる。

ストーブの炎を見ると、いつも、このエッセイを思いだし、少し苦いようなすっぱいような懐かしいような気分に浸るのである
 

 
『チルチンびと』78 号  〈特集〉火のある暮らしの豊かさは、12月11日発売。定価 980 円です。
 

マッチ擦る

いまだ知られざる寺山修司展

「いまだ知られざる寺山修司展』が、(~ 1月25日・早稲田大学125記念室)開かれている。かつて、話題になったテレビインタビュー番組『あなたは……』が流れていて、懐かしく楽しかった。


マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありやは、有名な寺山修司の歌だが、『チルチンびと』78号の「火と調理が脳を活性化する!」を読んでいると、現実に驚かされる。山下満智子さん(大阪ガスエネルギー・文化研究所)の話は、こうだ。


近ごろの子どもは「火が熱いことも知らない」という話を聞いて、子どもが火を扱う様子を観察することにしたのだ。それは、「七輪でじゅうじゅう焼いて秋刀魚を食べよう」という実験である。しかし、参加した多くの子どもがマッチを持って「シュッ、シュッ」と口では言いながらも、なかなか擦ることができない。マッチに火がついても、七輪の火をおこすためには、新聞紙に移さなければならない。それもまた、ままならない。そういう子どもたちに火を教える必要を思い「火育」と名づけるのである。「カイク⁈」という寺山修司の声が聞こえる。

………

『チルチンびと』78号は、定価980円。特集・火のある暮らしの豊かさ。12月11日発売です。


流れる季節

『幸田文のマッチ箱』(村松友視著・河出文庫)

「幸田   文展」に行った。(世田谷文学館・12月8日まで)

婚礼衣裳がある。400字詰の原稿用紙に、エンピツで書かれた原稿がある。愛用の着物がある。父・露伴についての展示もある。ゆっくりと、行きつ戻りつした。帰りがけに、『幸田文のマッチ箱』(村松友視著・河出文庫)を買った。そのなかの「〈流れる〉季節」の章に、徳川夢声氏との対談があった。

夢声    芸者屋のまえにも、どっかへご奉公をなすったことがあるんですか。

幸田    それはね、たださがしてあるきました。自分のいどころを、どこかに求めたいと思って。書くことでないことで。それで、あっちこっちあるいたんです。犬屋さんだとか、パチンコ屋さんだとか  ………。

幸田文さんは、そんなふうに、作家までの長い時間を、語っている。人はみんな、いどころをさがしてあるく。それぞれに、流れる季節がある、と思った。

 


南九州 in 京都 ――KARAIMOBOOKSさんで

 

先月、街巡りの途中でみつけたKARAIMOBOOKSさん。若いご夫婦と可愛らしいお嬢さん、家族3人のアットホームな雰囲気の店内に入ると、一番目立つところに水俣関連の本がずらり。他、九州関連本がずらり。石牟礼道子さんの本や原発、沖縄、ジェンダー論など社会派の本や雑誌、中南米関連の本も充実。いままで横目で通り過ぎていたところにまで視野が広がるような本棚だった。

店主の奥田順平さんに、自ら発行している「唐芋通信」をいただく。本で心の旅ができる、逃げたい、自由になりたいとき、本が希望になることを思い出させてくれる文章だった。凝ったデザインをせず、文字のみの“ザ・通信”らしさも潔い。「妻が書いたものの方がわかりやすいです」と、奥様の直美さんが西日本新聞に寄せたコラムもコピーしてくださった。なぜここ京都で、九州の人がサツマイモを呼ぶときの「カライモ」という名をあえて店につけたのか。また石牟礼道子さんや水俣との出会い、母としての思いなどが率直に綴られてほんとうにわかりやすかった。店の空気や文章から、誠実で、情熱があって、たくましくて優しい、そんなご夫婦の人柄が感じられた。

同じ週末、夫を連れてまた行った。ちょうどその時お店にいらしていたフォーラム福島の支配人、阿部泰宏さんを、奥田さんが紹介してくださった。ご家族が自主避難で京都住まいをされていて、数ヶ月に一度福島から会いに来るとき、よくここへ寄られる。福島の事故と水俣病を巡る問題には非常に似たものがあると感じて、ここで出会った本から先人に学んだり、奥田さんご家族と話をすることで救われる気持ちになったそうだ。「避難している身で遊びに出かけるのも気が引けるので、ここは貴重な娯楽の場所。気持ちが楽になる」と。

突然、外部から降りかかった災難から家族を守るため、大変な覚悟と決心で避難して、さらにそんな肩身の狭い思いをするなて。東京育ちの私は、その「外部」の一部には違いなく、思いがけず京都にやってきてのうのうと鴨川サイクリングを楽しんで、何を言っても説得力がない。と思ったけれど阿部さんは私のまとまりのない拙い意見もきちんと聞いてくださる。そして複雑な胸中を穏やかに、客観的に、率直にお話してくださった。毎朝目が覚めると明日はどうなるか不安に思う、その気持ちは皆同じはずなのに、強引な避難区域の線引きのために地元同士や家族内で、考え方の食い違いによる衝突や温度差が生まれる。闘う相手は身内じゃない。そういってとても心を痛めておられた。

『チルチンびと 77号』境野米子さんのコラムで、自主避難されている方を訪ねて京都に来られていたと知ったこと、震災前にお住まいを訪ねたことを話すと、「ここで境野さんの名前を聞けるとは!」と喜んでいただいた。なんと偶然、その後入ってこられたお客さんも福島の方で「やっぱりこの店にはなにかあるなぁ」と驚かれていた。私も、本屋さんでこんな出会いがあるとは思いもしなかったし、“カライモ”は私の両親の出身地、鹿児島の方言でもあり、不思議な縁を感じた。

 

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P.S. 境野米子さんのブログに、ちょうどフォーラム福島で11月2日(土)から上映される「飯舘村 放射能と帰村」(土井敏邦監督)の試写会のことが書かれていた。阿部さんも、これは原発事故を扱った中でも、心の底から秀逸と思える1本です、とメッセージをくださった。

 

・・・「何よりも心が汚染されてしまったことが一番、悔しい」というひと言。

この言葉が最後にずしりと重く訴えかけてきます。

高低浅深の差こそあれ、福島県民みんなが抱えている思いです。

もし、ご覧になる機会があったらぜひ観てください。

 

 


『コミュニティ建築』発売!

『コミュニティ建築』(『チルチンびと』11月号増刊)

 

 『コミュニティ建築』(『チルチンびと』11月号増刊)は、ただいま好評発売中です。
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時代が大きく変動していく今、地域社会の破壊と創造が、かつてない規模と深さで起きているように見えます。新しい地域社会と文化を創造しつつある人々が生み出す、その生き方の表現としての建築を、取材し編んでいきたいと思います。(刊行の言葉から)
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 目次の一部
●『ALWAYS   三丁目の夕日』に込めた原風景への思い・阿部秀司
● 鹿児島県鹿児島市〈しょうぶ学園〉 知的障がい者支援施設が、地域に開いた
●歴史的町並みへの温かいまなざしと架構に込めた思いコミュニティ建築の構想力 吉田桂二の仕事

まちに開く「家」
●千葉県〈ブラウンズフィールド + 慈慈の邸〉 房総・いすみの風景が結ぶ農と食と宿
●東京都〈ペインズウィック〉思いのこもつた洋菓子を笑顔とともに手渡したい
●千葉県〈森の診療所+ 森のカフェ〉自然素材の建築で健康づくりを発信する診療所 + カフェ

まちと人をつなぐ
●長野県飯田市〈 わくわくホーム〉地域材で建てたQMソーラーの老人ホーム
●埼玉県〈みどり保育園〉住まいのように安心して成長できる場を、園・建築家・工務店で実現
●山口県下関市〈杜の宮〉住宅としてのしつらえを大事につくりこんだ小規模老人ホーム
かぎりなく住まいに近づく高齢者の居住施設 ・ 三浦 研
木の空間で育つ ・ 仙田 満
木のもつ癒しの力を科学する ・ 宮崎良文
豊かな時間が流れるまちへ ・ 宮本太郎
再生可能エネルギー資源と地域循環経済  ・ 植田和弘

まちの建築を木造にするために
図解・ 集成材に頼らない、木造公共建築の構造計画 ・ 山辺豊彦
計画の前に知っておきたい防火のポイント ・ 安井 昇
農林漁業の6次産業化で地域をもっと生き生きと・大多和  巌 、 岸 憲正

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 『コミュニティ建築』(『チルチンびと』11月号増刊)は、定価  1,680 円 です。

 


広大なる地所

『チルチンびと』77号〈特集・庭仕事のある家〉

 

…… 私は庭の樹木の下枝はどんどん切ってしまう。従って、私の家の庭は、一見して、棒状のものが突っ立っているという趣を呈している。なぜそうするかというと、そうすれば何本もの樹木を植えられるということが第一の理由なのであるけれど、私の家の地所は、天空に向っては無限に私の地所だと思うからである。もしこれを月面にまで延長するとすれば、実に広大なる地所になるといわざるを得ない。……(男性自身シリーズ「山毛欅の木」山口瞳)

雑木林の庭が好きだった山口さんは、エッセイで、こう書いた。これを読んでしばらくの間、実際に、あるいは雑誌で、庭を見ると、それが天まで伸びているような気がして、困ったものだ。地所というコトバがあるなら、それは天所、空所、宙所とでもいうのだろうか。私の気分もまた、楽しく、のびのびとしてくるのだった。

 


『チルチンびと』77号〈特集・庭仕事のある家〉は、発売中です。

 


土と団子

どろ団子

 

8月24日(土 ) 。藤沢で開かれた「湘南村」 のワークショップ「光るどろ団子作り」に行った。予想を超える応募があって、会場内はいっぱいの人だったが、いざ始まると、親も子も、ひたすら黙黙と、団子をまるめ、磨く。自然素材を使うものづくりから、先人の知恵を伝えて行きたいというのが、イベントの趣旨である、という。いくつもの団子を眺めながら、私は、先週読んだ永六輔さんの話を、思い出した。

……  岡倉天心は、自分が死んでもお墓に何も立てるな。穴を掘って遺体を埋め、土を戻すと少し土が残るはずだから、それを丸めて土団子を作って乗せておいてくれと言い遺しました。2年か3年たって遺体が腐り、上に乗せておいた土団子分がポコンと落ちて平たくなる。そうやって大地に戻るのだ、と。それも素敵な遺言です。 ……   (『婦人公論』8月22日号特集  「理想の最期って何だろう? 」から )

やがて、秋。

 


4人の作法

『チルチンびと』別冊43号「東海で建てる本物の木の家  '13」

4人の建築家が、東海で建てた木の家についての想いを書いた言葉がある。(『チルチンびと』別冊43号 )

…… どこの国の家も最も手近にある自然素材で建ててきている。手に入れやすく値段も適当だから自然そうなる。家もまた、自然の産物なのである。(吉田桂ニ)

…… 設計の進め方はどこへ行ってもおなじだ。まず、土地を読む。次にその土地の気候風土を読む。そしてさいごに土地柄と建主の人を読む。いわば、それらを総合したものが設計要素という次第だ。 (大野正博)

…… 瓦の産地である三州が近いことから周辺には瓦葺きの家が多く、この家もその地域性に合わせ瓦で屋根を葺くことにした。   (横内敏人)

…… 年はじめの私の設計手帳には「家は、社会とのつながりのなかで考え、人とのつながりのなかでつくる、という思いをもち、人と街と自然となかよくする家をつくっていきたい」と書いている。   (田中敏溥)

 

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『チルチンびと』別冊43号「東海で建てる本物の木の家  ’13」は、7月29日 発売です。

 


耳ざわり

パンの耳

 

『食道楽』(上下巻・岩波文庫)を読んだ。作家でありジャーナリストの村井弦斎の作。和と洋、600種以上の料理をネタに、明治36年、1年間『報知新聞』に連載して大好評。後に続編も書いた。上流階級の台所からのぞいた世相、風俗+実用が見てとれて、面白い。その『食道楽』に、「パン料理五十種」という付録がある。わが国でも、中流以上の人は朝食をパンと牛乳ですます人か多い、と前書きにあり、いろいろなパン料理を紹介しているが、なかに「玉子のサンドイッチ」がある。

—– 先ず湯煮た玉子を裏漉しに致します。
それへバターと塩胡椒と唐辛子の粉があれば少し加えてよく煉り混ぜて薄く切ったパンへ思い切って厚く一面に塗ります。その上からまたパン一枚をピタリと合せて縁の硬い処を切捨てて中も四つ位に切ります。味もなかなか結構なものです。 —–

パンの耳は、もうこのころから、切捨てられていたのだ。耳ざわり、だったのだろうか。

 


茶碗は古道具屋に限る

「和洋アンティーク教本」塩見和彦

 

たとえば夫婦茶碗といったものに興味がない。茶碗は丼にちかいくらい大きな奴に少し飯を盛るというのでありたい。そのためには茶碗は古道具屋に限るのである。半端ものを買うのである。米ばかりを喰っていた奴の考えたもの、こしらえたものは、米の飯を喰うためには誠に都合よくできているものだ。 (『人生論手帖』山口瞳著・古道具屋で食器を買う)

 

山口さんのこの文章が記憶にあったから、『チルチンびと』76号・特集「昔家を、愉しむ」のなかの、次の記事を読んで、オヤ、どこか似ていると思った。

 

アンティークの良さは、時代を超えて生き残ってきた必然性にあります。長い間、捨てられず、使われ続けてきたのには理由があるのです。美しくバランスのとれた造形、使いやすいすぐれたデザイン、目的にあった贅沢な素材。そして何より、一緒に暮らしていきたいと思わせる、魅力に溢れているのです。 (「和洋アンティーク教本」塩見和彦)

 

古い道具を使う喜びや探す楽しみは、茶碗にもランプにもドアノブにも、共通しているのだと思った。

————— 『チルチンびと』76号は、ただいま発売中です。