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秋の太鼓

秋の太鼓

地下鉄・大手町駅の改札口を出て、いざ、目的地へ行こうとしても、いつも、迷ってしまう。この日も、そうだった。「C‐5」の出口ですよ、といわれていたのに、あっちへ行きこっちへ行き。疲れてドトールでアイスコーヒー200円。それでもやっとC‐5出口を抜けると、外は青空だった。台風一過。道を左へ。将門塚の標識。「将門公は、承平天慶年間に活躍され、武士の先駆けとして関東地方の政治改革を行ないました」と、立札にあった。今日は、その将門例祭。amedioが、仲間たちと太鼓を披露する。「小学生のときに、池上本門寺のお会式に参加して以来だから、もう20年やっています」と太鼓歴を話したあとで、ひとりごとのように「太鼓、好きだなあ」と言った。ドンドンドドン、エーイッ、カッカッカッ、ヤァー、トンツクトンツク—- いつもと同じカオで、叩く、動く、叫ぶ。気負いも衒いもなく。

女のからだは お城です
なかに一人の少女がかくれている
と、寺山修司は、書いていた。


塩サイダー

塩サイダー

猛烈残暑の昼下がり。これを飲んだ瞬間、ア、ウマイと言ってしまった。
ピンにかかれている商品名は—
奥能登 地サイダー しおサイダー
そして、説明として—
江戸時代の初めから  奥能登の珠洲で続けられてきた
揚げ浜式塩法で作られた  希少な海水塩を使用した
贅沢なサイダーです
石川県  小松市  マンテKK

たとえば、お汁粉をつくるとき、塩を入れるけれど、あれは主役の甘味を引き立てるためでしょう。それとは違い、塩も存在を主張している。塩とサイダーのコラボレーションである。掛け合いである。ふつうのサイダーより、少しねっとりして、重みがある。飲んで、ウマイと言ったあとで、いろいろなことを考えるひとが、いるものだなあ、と思った。ウーン、かなりおいしい。もう少し早く、夏の入り口でキミと逢いたかったぜ、というカンジである。
これ、お土産と言って、vigo がくれた。ブログに゛北陸ネタ゛が続いて食傷気味かな、と思ったけれど、いや、この話題でノドもとがシュワッとするかも、と書いた。


吉祥寺散歩Ⅲ 糸切りだんご

糸きりだんご

 吉祥寺の駅から井の頭公園へ。池にかかる橋を渡り、ボート小屋の脇をぬけ、住宅地へ入る-というあたりの風景は、何十年も、ほとんど変わっていない。その昔、私は、毎日、このコースを通学していた。

 途中に「糸切りだんご」という店があった。子供のころには、ちょっと近寄りにくい、オトナびた、たたずまいだった。いま、どうなっているだろう。行ってみた。以前のままの姿だった。女主人と話した。

 「ここは、母が彫刻家の父を支えるため昭和21年に始めました、店も、もとは父のアトリエです。上新粉ともち米を捏ね、それを糸で切ったおだんごに,きな粉や餡をまぶして、つくります。平成6年、母が倒れ、娘の私があとを継いでいます。母を病室で看病しているときに、先に逝った父が、母を訪ねてきているのがわかりました。それから私は、生と死、霊について考えるようになり、いま、この店でも゛語り場゛として、みなさんと生きる意味を話し合う会を開いています。あなたも、ぜひ」

 糸切りだんご代700円を払い、フシギな気持ちで店を出た。


吉祥寺散歩Ⅱ

井の頭公園

 吉祥寺の東急百貨店横を歩いているとき、行き先を書店「ルーエ」に変えた。この店の方におめにかかった際、「うちは、そば屋、喫茶店、本屋と商売が替わってきたんですよ」と言われた。私は、「そういう順序で散歩することが、よくありますよ」と答えた。『ミュージック・マガジン』9月号を買った。

 7月末、音楽評論家で、この雑誌をつくり、育ててきた中村とうよう氏が、亡くなった。自殺だった。私はショックを受けた。別れの言葉がこの雑誌に載っている、と聞き、読みたかったのだ。駅のほうへ出た。井の頭公園側にまわり、カフェ「ゆりあぺむぺる」に入った。シチュー、パン、デザート、コーヒー、1100円の食事を注文して、読み始めた。

 — これは遺書ですが、人生に絶望して自死を選ぶ、といったものではありません。まだまだやらねばならない仕事がいっぱいあるのに、それらが実現するまでに要する時間のあまりの長さが予想されるので、短気な私はもう既にウンザリしてしまっており —

 という手紙を親しい方たちに送っていたという。ただのファンに過ぎない人間は、なにもいう言葉がない。感じるのは、澄んだ悲しみだ。店を出て、なんとなく公園へ向かった。池のまわりは、けたたましいセミの声だった。


吉祥寺散歩

ポスト

 あれは、吉祥寺駅の何グチ、というのだろう。とにかくそこをでて、井の頭通りに入る。右角に交番、向かいに靴店。道の左側を三鷹寄りへもう少歩くくと、ギョーザ、ラーメン、中華料理店、工務店など。もう少し歩いて、左折。ちょうど自転車で出かける男の人に「菅直人さんの家は、このへんですか?」と訊くと 「そっちの路地のほうらしいけど、私は行ったこともないし、知らないね」 

 教えられたように行ってみた。ありました。白い家。門を開けて、すぐに玄関。住宅街にふつうにある建売りふうである。ふつうと違うのは、警官の詰め所があることで、お巡りさんがコチラを見ている。表札は、菅の一字。セコムしてますよ、ナガシマさん。あまり見ていても仕方ないので、駅へ歩き始める。これから「くぐつ草」の重いドアを開けて、オムカレーを食べて、古書「百年」へ行こうかと思う。で、なぜ、ココへ来たのか?

 この間「甘いっ子」のかき氷の話を書いたら「いいね ! 」をたくさんいただいた。しかし、と、ひとは言う。それは、氷イチゴの人気である。不人気のところへ行って 「いいね ! 」 が集まってこそ、ホンモノ

だろう。わかった。よし、試してみるよ。そして私は、今日ココに来た。スミマセン、菅さん。


かき氷、ふたたび

かき氷

「゛甘いっ子゛のかき氷へ行かないと、夏が終わらない気がする」と、友人が言った。8月の初め、このブログに、かき氷の話を書き、その店にもふれた。とにかく、甘いっ子は、夏場は外に長い行列ができるというウワサに、つい、足が遠のいた。しかし、もう、大丈夫だろう。いま、午後五時半だし、今日は曇ってもいるし。
JR西荻窪駅から、南へ商店街を抜けて行った。ウーン、満員。かろうじて、氷イチゴ、7百円を注文。ここの特徴的なことは、注文の品がくると、まず、シャカシャカとケイタイやデジカメで写す客が多い。
スープ皿のような容器に、山盛りの氷。その上に果汁というよりも、イチゴジャムが全面にかかっている。まあ、カレーライスのような。充実感がある。
私はサジを片手に、話した。「『暮しの手帖』の編集長だった花森安治さんは、編集者の大切な心得として、゛ 人のやらないことをやれ。冬にかき氷という発想だ ゛と言ったらしいね。そこへいくと、われわれは – 失格かな」 ふたりで笑った。 やがて、秋。


今日無事

栗川商店 渋うちわ

 

  郵便受けイッパイに、茶封筒が入っていた。そっと取り出すと、軽くて薄い。袋の表に、肥後名産。渋うちわ。創業一〇〇年。栗川商店。などの文字が読めた。封を切ると、大小の渋うちわ。同封された手紙から、作家 山口瞳さんの十七回忌の゛想い出の品゛として、息子さんの正介氏が送ってくださったものとわかった。

 栗川商店の説明文によると、青い未熟のがら柿(豆柿)から採った柿渋をうちわに塗ることにより、和紙を丈夫にし、長持ちさせ、さらに、防虫効果の役目もする、という。

 私が、気に入ったのは、その説明文の最後に、「皆様方の益々のご活躍に、追い風が吹きますよう — 」とあったことだ。渋うちわで、追い風 ! いいじゃありませんか。

 「今日無事」という山口さんの書のうちわを手に、床についた。「遊びにくるなら、いつでもいらっしゃい。仕事の話はダメだよ」と、いつも言っていたのを思い出す。だけど、山口さん、まだ当分、そちらへ行くつもりは、ありませんからね。


引越し

さよなら 日貿ビル

 引越しというと、キャンディーズの「微笑がえし」が、聞こえてくる。
 これまで入居していたビルの建て替え工事のため、風土社も、引越し。引越しのタイヘンさは、荷物を運び出すことより、それまで溜まっていたイロイロを、捨てることにある。

 キャンディーズの歌では、片付けているうちに、タンスのかげで迷子になっていた、ハートのエースが出てきたりするのであるが、オヤオヤ、なんでこんなものがこんなところに — ということが、今度も、いくつもあった。

 で、8月20日、午後2時。すべての荷物が運び出された部屋を最後に出るとき、振り返って、1枚シャッターをきった。

 そのとき、折口信夫の
 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり
 という歌が、突然、頭に浮かんだ。


『上を向いて歩こう』

 大震災のあと、『上を向いて歩こう』 が、たくさんの人にうたわれ、たくさんの人のこころをとらえたことに、驚く。さて、それとはべつに、永六輔さんは、自身のこんな゛ニガイ体験゛についても、語っている。

 — 近年、永さんは、せかせかと前傾姿勢で歩く度合いが、はげしくなった。そして、運悪く、転倒することも、増えた。それを直すための治療が始まった。大またでゆっくりと歩くように、というトレーニングが、病院で行われたとき、歩行訓練の担当者が提案した。「そうだ。『上を向いて歩こう』を、うたいながら、歩きましょう。この歌、ご存知ですよね?」 

 その担当者は、隣にいる男性が、歌の作詞者本人であることを、知らない。しかし、永さんは、言われるままに、『上を向いて歩こう』をうたいながら病院の廊下を歩いた。病院のなかには、永六輔さんであることを、知っているひとも多い。その情景にさまざまな視線が集まる。 — 哀しいような、痛ましいような、そして、少しおかしいような。

 ところで、永さんは、名字にちなんで、「エイ」のいろいろ — 絵葉書、アクセサリー、置物などなどの蒐集をしている。今日私は、近くの市場で「エイのヒレ」を見つけた。これは、これは。早速、残暑見舞いをかねて、さしあげる手配をしたところである。

エイヒレ


かき氷の微笑

かき氷

 ゛かき氷評論家゛ と、これはまあ、私が勝手につけたのですが — そういうひとが、いる。 「近場でどこがいいか、教えてくれよ」 と、私は訊いた。

 「西荻の゛甘いっ子゛かな。超人気。いま時分だと、お店の外に早くから行列ができています。例えば、氷イチゴだと、ほかの店のシロップとは違い、イチゴジャムというカンジのソースですね。十条の゛だるまや餅菓子店゛は、天然氷がウリ。なんでも、日光から運んでいるとか。食感にありがた味がある。あとは、山の上ホテルのコーヒーパーラーかな。作家の方が、あのホテルのてんぷらのことは、よく書いていますが、かき氷は、あまり —」

 行ってみた。入り口におなじみの゛氷゛の、のれん。フルーツ寒天のかき氷、1050円 (写真)を注文。スプーン、フォークなどが、きちんと並べられ、かき氷とは言え、厳粛な気分になる。ふんわりした氷の中に、あちこち寒天ゼリー、サクサクサク。シャロン・ストーン主演の『氷の微笑』 という映画があったな、などと、意味のないことを考えている。