morimori

「田原町のといしや」にて

田原町のといしや

地下鉄銀座線 田原町駅を出て、浅草レインボーホテルのほうへ歩いてすぐ。

「田原町のといしや」がある。

たくさんの砥石が、グレイ、ベージュなど、地味な色あいで並んでいる。無口な砥石も、これだけそろうと、なにか、語りかけてくるような。昔懐かしいガラス戸越しに、通りがかりのひとが、店内を覗き込む。

戸をあけて、鯔背な男が入ってきた。「彼は、とぎ師ですよ」と、砥石屋の主人が言った。

「ハサミをとがせたら、名人だ」

美容院などのハサミを、扱っているという。

「この間は、ヨーロッパで1000挺、といできましたよ。このごろは、包丁も頼まれるので、今日は、ソレ用の砥石を買いにきた」

「包丁は、ハサミ用の砥石でといでも、ダメだろ?」

「うん。光るけど、切れないね」

ふたりのやりとりを耳にしているうちに、私は、もうしばらく、この店に身
を置いて、ここで聞いた話を、お伝えしたいと思った。


(「ある砥石屋のものがたり」は11月23日スタートです)


カレーな街

「パンチマハル」のチキンカレー

ぼくにもしも最後の晩餐がゆるされるのだったら迷うことなく注文する。カレーライス、赤い西瓜をひと切れ、そして冷たい水をグラスで一杯。—- と、安西水丸さん(『チルチンびと』の連載エッセイでもおなじみ)の著書で読んだ。
そうだとしたら、どんなカレーがいいかねえ、という話を、友人とした。私のいまのお気に入りは、神保町界隈では「パンチマハル」のチキンカレーである。(写真)スープ風のカレーだが、そこにキャベツがはいっている。キャベツは熱いスープのなかでも、しんなりすることなく、噛みごたえもサクサクと心地好い。カレーライスにおける、句読点というカンジである。
そういえば、と友人がいった。「この秋、゛神田カレーグランプリ゛があったらしい。どのお店が参加したか、くわしくは知らないけど、1位は、小川町のボンディらしい」
へえ。そうか。じゃあボンディに行ってみるか。カレーについてくる、2個のジャガイモも、うまいからな。最後の晩餐まで、まだ時間があるし。


檸檬(レモン)と憂鬱

読めるけれど、書けないという漢字がある。あるどころでなく、たくさんある。憂鬱の鬱がそうだ。若い友人で、この鬱を、スラスラ書く奴がいた。聞いてみたら、大学の卒論で、ある作家をテーマにして、その人の精神構造を分析しているうちに、鬱が書けるようになったと、笑った。
 檸檬も読めるけれど、書けない。三日前、安井隆弥さん(『チルチンびと』で「小笠原からの手紙」を連載中)から、たくさんの檸檬をいただいた。こちらのスーパーなどで見かけるものの、倍の大きさがある。色といい、艶といい、さすが世界遺産 ! である。
 一体私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰った紡錘形の恰好も。—-と、梶井基次郎は『檸檬』のなかで書いている。小説では、檸檬は一個の爆弾と化すのだけれど、いただいた
小笠原産檸檬なら、憂鬱など簡単に吹き飛ばしてくれる、と思った。


キミといつまでも

たまごかけごはん

ワケあって、独り暮らしになって以来、半年、毎日、家での食事は「タマゴかけごはん」というオトコがいる。「ほかに、何も知らないんだもん」とイバルのである。これは、たぶん永六輔さんから聞いた話だけれど、タマゴかけごはんには、いくつかの方法があるという。
まず、タマゴと醤油を別の容器でぐるぐるかき混ぜて、ごはんにかける、というもの。(ちなみに、私はコレです)つぎ。ごはんの上にタマゴをかける。醤油もかける。キミの部分とシロミの部分と醤油の部分のそれぞれを、ごはんに混ぜながら食べる。その際、キミは箸でふたつに割る、という。(たしか、コレは噺家の小三治さんの食べ方)
最後。まず、ごはんに醤油をかけ、そしてタマコをかけて、かき混ぜて食べる。三つの方法、それぞれのビミョーなこだわりは、生活環境によるものなのだろうか。
ところで、独り暮らしオトコの食卓は、いつまでつづくのだろう。ふさわしい歌があるよ、といって、加山雄三の「キミといつまでも」をうたってやった。


せんべい師

綾部商店

 ゛広場゛千葉県版の、「オイシイおせんべいのヒミツ」の連載が完結した。お読みにな
りましたか。せんべい屋さんの情熱が、楽しめるページです。
 この記事の取材の前に、何冊かの関係する本を読んだ。そして、せんべいの発祥は中国であることを知った。また、804年に空海が長安を訪れたとき、これは日本人向きの味じゃ、といって日本に持ち帰ったことも知った。当時のものは、小麦粉と糖蜜でつくら
れた甘いものであったらしい。それが、文化、文政のころから、米を素材にした醤油味が誕生。江戸っ子の間で、流行したという。
 読んだ本の中に、古い文献からの引用があり画が添えてあった。それを見ると、せんべいを焼く暑さのせいか、もろ肌を脱いだ男が、左手にうちわ、右手にせんべいをはさむ道具を持ち、コンロに向かっている。その画についた説明が「せんべい師」。いいじゃない
ですか。この「せんべい師」の称号を、綾部商店のご主人にもささげたいと思った。
 空海が、せんべいを中国から持ち帰ってから1200年。せんべいの歴史は火と網の上で熱く焼きつがれてきたのである。そのことに感動した。


ビール・フロート

黒ビールに、アイスクリームを添えると、オイシイという。コーヒー・フロートというのがあるから、ビール・フロート、とでもいうのだろう。このことを、ラジオのトーク番組で知った。その話をすると、ある友人は「ソレ、きっとイイですよ」と言った。
昔、ワセダの学生街の店に「チョコトン」という料理があった。人気がある、という。取材してみようと出かけた。しかけは、こうだった。チョコレート・プラス・トンカツである。トンカツの肉の部分に、チョコレートを一枚貼り、衣をつけて揚げる。「板チョコもいろいろ試してみましたよ。森永とか明治とか」と店のひとは言った。この話をしたら、ある友人は「あ、ソレはイイかも」と言った。
こういう類いの話をしたときに、すぐ、オイシソーと受けてくれる友人が、好きだ。「エーッ、なにそれ」と、顔をしかめるひととは、たいてい気が合わない。なぜだろう。
そして私は、そういう話を他人にするだけで、私自身、それらを、食べたことも飲んだことも、ない。
なぜでしょうね。

ビール・フロート


続・楊枝

さるやの楊枝

—- 黒文字は、ヤナギ科の木じゃないかな。匂いがいいんですよ。こうやって、噛んでいると、味があるんですよ。一本の木から、二尺ずつ切って、それを四つ割りにして、それを、ほら、こういう皮がついているところを残して、小刀で削る。大変なんですよ。
 全部、手づくりなんだ。こういうふうに一本一本、先をそろえて、削ってつくれるまでに、十年はかかる。一日、一人で二千本はつくります。安い楊枝がありますね。あれは、機械でつくる。材料は白樺とか。以前は、竹なんかも使ったことがありますが、竹はダメだね。ささくれ立っちゃう。
 楊枝は、江戸時代からあります。うちも、創業三百余年。昔のひとは、よく言ったもので、老舗(しにせ)は、新店(しんみせ)。古くても、感覚は新しく、という気持ちで、細く長くですな —-。
 このブログの a-van の「楊枝」を見て、かつて、「さるや」で聞いた話を思い出し
た。


質素の時代

チルチンびと 69号

『チルチンびと』69号は、「明日のための家 – 質素の時代を楽しむ』がテーマだ。自然エネルギーを生かした家、省エネの暮らしなどの記事が満載だ。それらを読んでいて思いだしたのは、桑井いねさんの『おばあさんの知恵袋』という本。1970年代に出版され、ベストセラーになった。大正、昭和初期の暮らしのなかから、生活の知恵をひろってある。

 たとえば、『絨毯の洗濯法』。今日は大雪が降るぞ、という日。庭に絨毯を引っ張り出し、広げる。雪が上に積もると、家中総出で、絨毯を踏む。織り目の奥のほうにまで雪を入りこませ、つぎには、ひっくり返して叩いて、汚れた雪を落とすのである。ウーン。大雪。絨毯を広げられる庭。使用人もふくめ 、大家族の雪踏み。豪快というか大らかというか。これも、質素の時代を楽しむ、でしょうか。

 この『おばあさんの知恵袋』を、もう一度、読みたいと思っていたら、「アマゾンにありました。10円でした。送料のほうが高かった」とtakekoが言った。10円 ! ?  どういう時代なんだろう。


小さな飛行機

花村泰江

吉祥寺駅から、ちょっと西へ行くと、やきとりの「いせや」がある。まだ明るいうちから、客の声、流れる煙。にぎやかだ。それを横目に、最初の信号の手前。地下へおりると、「Gallery 惺 (さとる)」があった。私は、一枚の版画を訪ねて行くのである。二カ月ほど前、「コピス吉祥寺」で、花村泰江さんという方の、木版・銅板・コラグラフ展があった。私は何気なく立ち寄り、いちばん入り口近くにあった、翼を休める飛行機の、小さな銅板画を見て、好きになった。
挨拶にみえた花村さんに「あれが、好きです」と言った。花村さんは「ありがとうごさ゛います」と答えた。その画が、ここにあることをふとしたことから知り、、出かけたのである。ギャラリーの女性と話した。
「ここを始めるとき、店名を漢字一字にしたいと思い、辞書片手に探しました。この惺の字には、静かに見つめるという意味があり、私の美術への姿勢とぴったりだったんです。始めて十年。ギャラリーは他の業種と少し違い、結果を急がないから、長続きするのかもしれませんね。私など、小さな夢しか持ちませんし」
しかし、飾られたこの銅板画の飛行機は、その小さな夢を乗せて飛ぶために作られたもののように見えた。


読み聞かせ

たまごのあかちゃん

『チルチンびとkids 3 』(発売中)に、『保育園の先生おすすめの読み聞かせ絵本」という記事がある。各地の保育園にアンケートをとり、子供たちが、目をかがやかせ、胸をわくわくさせる絵本を、たくさん紹介している。これを読んでいたら、『たまごのあかちゃん』という絵本も載っていた。神沢利子文・柳生弦一郎絵、とある。

オーイ、柳生さんゲンキか。

彼と初めて会ったのは、五木寛之の小説が若者向け週刊誌に連載され、柳生さんがその挿絵を描いた少しあとになる。あまり口もきかず、なにか言うと「ウン、ウン」とハナにぬけるような声で返事をした。私たちは、すぐ仲良くなり、なんども、仕事をした。ほかのイラストレーターに「ぼくは、柳生さんの絵が好きだな」といったら「あんな、肩の力を抜いた線は、私には描けませんよ」という答えが返ってきたことがあった。

『たまごのあかちゃん』のほかにも、『はらぺこさん』『おしっこの研究』『かさぶたくん』『むし歯の問題」『おねしょの名人』など、たくさんの絵本がある。そのどれもが、かざらない好奇心、きちんとした勉強、自由な発想で、子供たちと絵や文章で楽しく遊ぶのである。