書籍

ナンという日

ナン

 

「ここの店、神田カレーグランプリで優勝したはず」「でも、表にナンも出てなかった」「奥ゆかしいんじゃないの」「あ、このナンおいしい」「ナンともおいしい」「ナンとなくおいしい」「ナンかおいしい」(大笑)  私は、神保町のマンダラでカレーBセット1155円を食べている。隣の席のОLふたりの会話だ。ナンだよ、その冗談。

外へ出る。おりから、古本まつり。沿道の屋台を見ると、ナンと『カレーライスの話』(江原恵)がある。100円。喫茶店で読んだ。1872年、福沢諭吉が『学問ノススメ』を発表した年、日本に料理本が出始めた。『西洋料理通』(仮名垣魯文)、『西洋料理指南』(敬学堂主人)がそれで、カレーの料理法も初めて紹介されたとある。

「カレーノ製法ハ、葱一本、生姜半個、ニンニク少シヲミジンニ刻ミ、バター大匙一デ炒リ、水一カップ半ヲ加ヘ、鶏肉、エビ、タイ、カキ、赤蛙等ノモノヲ入レテヨク煮ル。ソノ後、「カレー」ノ粉小匙一ヲ入レテ一時間ホド煮ル。ヨク煮エタトキ塩ヲ加ヘ、又小麦粉大匙二ヲ水デ解イテ入レル。(『西洋料理指南』)

ナンだか疲れた。


天丼物語

三宅菊子さん著書

 

三宅菊子さんが亡くなった。新聞の訃報欄に、『アンアン』などで活躍したライター、という紹介記事があった。私の手もとに、『セツ学校と不良少年少女たち』と『商売繁昌』という三宅さんの著書がある。『商売繁昌』は、彼女と阿奈井文彦さんと私の三人で雑誌に連載、それが一冊になったものである。ガンコでコリ症の彼女に、この゛職人噺゛の取材は、よく似合った。なかでも、木挽町の天ぷらや「天国」の主人の話の聞き書きは、傑作だった。

ある日、歌舞伎の楽屋に、天国から、天丼の出前をする。注文したのは、六代目(菊五郎)。あとから、海老がまっすぐ揚がっていなかった、と言ってくる。天国主人は、そこで—-。

—- そこであたしは説明した。海老をまっすぐに揚げるためには、包丁で腹のとこに切り込みを入れるんです。それやるとくるっと丸まらないで揚がるんだ。けど、歯ごたえがなくなる。あたしは言ってやりました。「日本一のあんたが食べるからこそ、包丁を入れずに、しゃきっとした歯ごたえに揚げたんだ、それがわからないようなら食べなくていいよッ」

 


雨に咲く

チルチンびと73号 花と緑と暮らす

 
  移植した紅葉の枝は、雨をふくんで、大きく垂れさがっていた。私はその風情に満足して、溜息をついた。ヤマボウシも同様だった。枝が垂れていて、そのために、満開の花が、こちらをむいている。私は、朝から酒が飲みたいような気分になった。
  何もしないでいる人生がある。また、国事に奔走して、紅葉の花(実はそれが花であるかどうかハッキリとは知らない)やヤマボウシの花の美しさに気がつかないでいる人生がある。そんなことをボンヤリと思っていた。(『旦那の意見』中公文庫から)

山口瞳さんは、かつて、こういうエッセイを書いた。『チルチンびと』73号を読んでいて、この文章を懐かしく思い出した。それはたぶん、今度の誌面が、庭、花、緑、脱原発の記事でいっぱいだったせいだろう。エッセイをまた読み返していると、雨に濡れたヤマボウシの白い花が、見えるような気がした。そして、国事に奔走しているだろう人の顔も、ついでに、思い浮かべたのだった。


緑のカーテン・コンテスト

緑のカーテン・コンテスト

もし、緑のカーテン・コンテストがあったなら、これは、“メダル確実”だろう。阿佐ヶ谷にある杉並区役所の庁舎。青梅街道に面して、グリーングリーンにひろがっている。写真の、遊んでいる子どもたちのうしろに見えるのが、それだ。苗を育て始めたのが、4月なかば。ヘチマ、ゴーヤー、アサガオ、キュウリ。いま、七階建ての建物の六階まで伸びている。カーテンというより、ジュウタンか。眺めているうちに、あのキュウリのトゲは、私の区民税分かな。いやいや、とても、あんなには払っていないな、などと思ってしまうのである。

『チルチンびと』73号に「緑のカーテン」についての特集があり、そのなかに「緑の健康増進効果とその利用」(多田充)という記事がある。海外の研究者によるデータなど、読んでびっくりした。例えば、緑が見える病室の患者は、緑が見えない病室の患者に比べて、入院日数が短い。そして、より弱い鎮痛剤で痛みを抑えられる、という。また、自然の景色を見ることのできる囚人は、ストレスが少なく、病気の発症率が低い、という。それにしても、病院は選べるけど、刑務所は、選べるのかしらん。

『チルチンびと』73号は、9月11日発売。<特集>は「花と緑と暮らす」、「脱原発のために自然エネルギー住宅」の2本立てです。


連想ゲーム

『チルチンびと』別冊41号「東海で建てる本物の木の家'12」

 

私の短絡的思考でいうと、東海といえば中日ドラゴンズ、そして、前監督・落合博満とつながっていく。『落合博満 変人の研究』(新潮社)という本のなかで、作家のねじめ正一さんと赤瀬川原平さんが、こんな゛落合研究゛を語っている。

 

赤瀬川さんは、落合は古道具屋もできますね、と言い、こうつづけている。あの商売はだいたい、いきなり品物の値段は言わないんです。お客が言い出すのをじっと待っていて、その額によって態度を決める。

 

それに対して、ねじめさんは、こう答える。待っているというか、確かに落合はいつも受け身です。最初に自分から仕掛けたりはしないですね。—-

 

落合監督がいつも無表情で、ダグアウトにじっと座っていた姿を思い出した。そして、そのあとに『チルチンびと 東海版』を読んでいたら、「住宅は座って使うもので立って使うものではありませんよね」という、どなたかの言葉がでてきた。ダッグアウトは、監督の住まいだろうか。私の連想ゲームは、なかなかゲームセットにならないのだ。

 

(『チルチンびと』別冊41号「東海で建てる本物の木の家’12」は、ただいま発売中です)


かわいい教会

かわいい教会 吉田桂二ちいさな木の教会誕生のイキサツが、『チルチンびと・別冊41号・東海版』(7月

28日発売)のトップを飾っている。場所は名古屋市西区。


その設計を依頼された吉田桂二さんは、「かわいい教会をつくろう」と言ったという。「むしろ、町の集会所だよ」とも、言ったという。それは、「木造ゴシック建築」であり、「手仕事の想いを託した建築」である、という。隣接する保育園の園児たちが、礼拝堂のステンドグラスをつくった。

吉田さんは『チルチンびと』71号に「木の家の精神性」という文章を書いている。そのなかで、イギリスの詩人、サー・ウッソンのこんな言葉をひいている。


— よい建築は゛三つの条件゛を必要とする。「便利さ」「堅固さ」そして「喜び」である。

この教会は、きっとこの゛三つの条件゛に、あふれていることだろう。また、これらの条件を、実用的、スキがない、楽しみいっぱい、と置きかえれば、雑誌にもウエブにも、そのまま通用することのように思われる。


続・続・ぜいたくな過去

『チルチンびと』72号「古き美を愛おしむ暮らし」-西洋骨董家具との暮らし方

 

「そもそもアンティーク家具に対して、僕らは、積み重ねられた「歴史」を求めているわけですから、本物・偽物もないですよね」(『チルチンびと』72号「古き美を愛おしむ暮らし」-西洋骨董家具との暮らし方)

塩見和彦さんは、こう語っている。その塩見さんが、八王子で古道具の店を開いていたとき、黒い小犬を飼っていた。前の飼い主から虐待されていたから、引きとってきたといった。「あ、彼には、こういう一面もあったのだ」と思った、と当時の客のひとりはいった。名前はジェームズ。かわいい、ひかえめな犬だった。

塩見さんは、私の家の近くのCという高校の卒業生である。バイク通学だった、という。「校則では、バイクは禁じられていましたけどね。」その程度の“不良”だったのだろう。

黒い小犬。バイク通学。アンティークディーラー。“ぜいたくな過去”を修復する日々。これらの“点”は、1本の“線”の上に、ごく自然に並ぶように思われ、私は納得するのである。

塩見氏は『チルチンびと』72号では「アンティークから始まった、終わりのない家づくり」にも登場。この『広場』でも「古道具屋の西洋見聞録を連載中」


続・ぜいたくな過去

荻窪アンティークマップ

粗末なサッシのガラス戸を通して中をのぞいても、ごたごたとした道具の形があいまいに見えるだけ、店の中の照明にも無頓着といったふうで道ゆく人に商売気をつたえようとするけはいがない。―というのは、前にもご紹介した、村松友視『時代屋の女房』の一節だ。

商売気をつたえようとするけはいがない―ウーン、これはたしかに、古道具屋さんに共通のカオのように思われる。あれは、なぜだろう。

吉祥寺は、ちょっとハデで、社交的な長女。荻窪は、しっかりものの長男。その間の西荻窪は、3人きょうだいの末っ子で、いちばんひかえめな存在だ。ここにアンティークショップがつぎつぎに育ったのは、そんなに不思議なことではない。そういう土壌があったのだ。

ひかえめに、ぜいたくな、過去を、売る。『チルチンびと』72号、特集「古き美を愛おしむ暮らし」の“西荻窪アンティーク散歩”でぜひ、初夏の小さな旅を。


ぜいたくな過去

チルチンびと72号

村松友視『時代屋の女房』は、時代屋という古道具屋を舞台にした小説である。彼がこの作品で、直木賞をうけたとき、私はすぐ、受賞者の記者会見場である、東京会館へ行った。新聞記者のインタビューが終わると、彼は、立っていた私のところへ、まっすぐ歩いてきて「なんだよォ」と肩を押した。それは、こっちの言うことだぜ。お互い、喜びを交わすには、これで十分だった。

この小説のなかの二つの言葉が記憶にある。「品物じゃなくて時代を売る、それで時代屋っていうんじゃないの」という女のセリフ。「過去の時間まで引き取っちゃあわるいからなあ」という古道具店主のつぶやき。

 『チルチンびと』72号(6月11日発売)の特集は「古き美を愛おしむ暮らし」である。たくさんの長閑な゛時代゛とぜいたくな゛過去の時間゛が、その誌面にあふれている。


犬サブレ祭

何やら面白いことをやっているという話を聞きつけ、谷中、古書・信天翁(あほうどり)で開催された「犬サブレ祭」最終日行ってきました。

 

「犬サブレ」とは、早稲田大学在籍中は漫画研究会所属、現在では多数の地方紙で4コマ漫画「ごんちゃん」を連載中の、かまちよしろう氏作の「脱力マンガ」。祭では、かまち氏のサイン会あり、さぶれの販売あり。

 

—–震災をきっかけに自分自身が落ち込んでいた時、たまたま、描いた犬の絵と言葉に自分自身が笑えたというかはげまされたというか、それがきっかけで少しずつ描いてたら結構の数が出来てしまってね。短い言葉と画から想像して笑えるようなそんな感じのもの、ちょっとした俳句のようなものかなぁ。でも、結構女性は面白いって言ってくれるんだけど、男性にはちっともわかんないとか言われちゃうんだ。—–

 

そんな「犬サブレ」、書店で見つけた時は、手にとって「かまちよしろうワールド」をのぞいてみては。これは「世界の片隅で今日もつぶやく編」と題した赤本ですが、今後は黄、青も発行予定だそうです。