その他

気仙沼復興応援号 その3 –車窓より鹿折地区見学-

気仙沼横丁を後にして、お昼ご飯の場所へ向かう途中

(鹿折地区)にそれはありました。

タンカー船

気仙沼から打ち上げられた第18共徳丸です。

 

 

鹿折地区は、かなり内陸なので、ここまで津波が

来たのだと思うと本当に恐ろしい光景でした。

共徳丸

そして、この船を解体するか、保存するかで

話が進んでいないそうです。

このような大きなタンカーが流れてきたことにより

自宅や街全体が押しつぶされていくのを目の当たりにした被災者も

数多く、解体を望む声が多いとのこと。

この船を見るたびに、あの日のことを思い出すし、

悔しさや悲しさがこみあげる…

そのような被災された方の気持ちも

現地に行ってみると本当にひしひしと伝わります。

 

やはり、新聞やテレビで見るのと

現地で自分の目で見るのでは受ける印象が

全然違います。

 

私も、地震があったことを風化させてはいけない

思いますが、実際に現地に行くと

まだまだ復興と呼ぶには時間がかかることがよくわかり

保存することばかりにお金を使うのではなく、

今生活している人たちが、元の生活を取り戻すために

お金を使うべきだと強く思いました。

 

前回、ご紹介したような仮設の商店街の中には

観光客が利用しやすい場所に

建てたために、現地の高齢者の方が

なかなか利用できず、何のための、誰のための

商店街なのか?!という現状があるということも

現地の方がおっしゃっていました。

 

復興に向けて、観光客を呼び

街を活性化したいという想いと

実際にそこで生活をしている人たちの想い

 

うまく、バランスを取ることの難しさも感じたamedioでした。

 

 

 

 


singing man

初台オペラシティの円形中庭広場にある、ジョナサン・ボロフスキーの作品singing man。

商店街も下町風で気負わず生活できる、初台は長年住んだ街でもあり、今でも気に入っている街だ。この初台にある、東京オペラシティーアートギャラリー、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]は、時間のある時にのんびり行くのにおススメだ。
ぱっと思いつくだけでも、印象深い展示がいくつかあり、特に、ダムタイプの「真暗闇の中の無響室」→「真っ白な空間での浮遊感」は、もう一度体感したいくらいだ。
また、東京オペラシティ コンサートホールに隣接し、礼拝堂をイメージしてつくられた小さなホール「近江楽堂」は特別公開されることがあるようなので、いつか見にいきたいと思っている。
以下、過去の印象深い展示。
東京オペラシティーアートギャラリー
・2011 感じる服 考える服
・2009 6+アントワープ・ファッション展
・2004 ヴォルフガング・ティルマンス展
・2002 ダグ・エイケン ニューオーシャン
NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]
・2004 明和電機 ナンセンス=マシーンズ
・2002 ダムタイプ Voyages:ヴォヤージュ展

パンの小耳

壷井栄さんも、“ 耳好き” だったらしい、という話を小耳にはさんだ。

…… 羊かんだの豆腐だのの、まん中のよいところより、耳のかたいところの方を私は好む。同じようにパンの耳も大好きで、こんがりと焼いたのにたっぷりとバターをぬって食べる。パンの耳はハダが綿密でなかなかバターを吸収しないので、バター・ナイフでぶつぶつ穴をあけてバターを吸いこませる。……( 『 壷井栄全集』 11 ・ 壷井栄著・文泉堂出版)

小説『二十四の瞳』や、その映画で、壷井栄さんは、おなじみだろう。これは、「パンの耳」と題したエッセイである。このあと、耳は家中で奪いあいで、時には順番制をとったこと、こんなにみんなが好むのは、希少価値のせいかもしれない、などと書いている。

映画『二十四の瞳』は、いまだに、あの、ひとり修学旅行に行けなかった子は、可哀想だったなどと、あるシーンが話題になったりする。その作家にして、この好みあり。なんだか、うれしいじゃないですか。


感謝

今朝、事務所のドア前で、宅急便屋さんに「お荷物です!」と呼び止められた。荷物を受け取り、事務所に入り、荷物を開封すると、バウムクーヘンが現れた。奈良県の「デルベア」さんからのサプライズだ。すべての工程が手作りのため、一日に焼き上がるのは2本だけという。1㎝位にスライスして軽く焼くと、さらにおいしいというアドバイス。バウムクーヘンの層が、とても贅沢に思う。いつもありがとうございます、というメッセージが、あたたかく、ジーンとしてしまった。スタッフみんなで、おいしくいただきます。本当にありがとうございました。



 


パンの初耳

パンの耳

「パンの耳」とは、どこを指すのだろう。私は、写真左の部分だと思っていたら 「違う」というひとがいた。写真右のパンの周囲のことだという。私が耳というのを、「背中」とか「カカト」というふうに、うちでは呼んでいましたよ、というのである。『パンの耳の丸かじり』(東海林さだお著・朝日新聞社)に、耳についてのフカイ考察がある。それによると、耳愛好家や耳フェチは、耳を単純に、耳と総称しないとして、天井耳、両側両耳、底耳、とファンが分れる、と書いてある。そして、

…… 天井耳ファン、両側両耳ファン、底耳ファン共通の憧れの部分は、食パンを切るときの最初の耳。ファンの間で「初耳」と呼ばれている(たぶん)部分だそうだ。……(「パンの耳はお好き?」の章から)

へえ。写真左は、初耳といい、写真右も、その部分によって呼び名があるらしい。それにしても、初耳とは、初耳である。


気仙沼復興応援号 その1 –魚市場見学-

東日本大震災から先月で2年。

自分の目で、地震や津波の爪痕をしっかりと見ておきたいと思い

気仙沼に行ってきました。

今回利用したのは、JRの復興支援バスツアーがついた

1泊2日の宿泊プラン。

気仙沼までは、岩手県一関駅からバスで行きます。

復興応援号

今回のツアーのコースは

一ノ関駅→気仙沼魚市場(ガイドさんからのお話)→仮設商店街→

鹿折地区被災状況→かき小屋「唐桑番屋」

BRT専用道(車窓から見学)→岩井崎「竜の松」→一ノ関駅

とまわります。

 

まず、最初に行ったのが魚市場。

この静かな波が30メートル近い津波になったとは

信じられないほどでした。

 

魚市場から見た海。とても穏やかな湾だった。

魚市場から見た海。とても穏やかな湾だった。

 

魚市場では、現地の方が震災の日のことを語ってくださいました。

もともと、近くでお寿司屋さんを経営していた方なのですが、

今では、新しい店舗で仕事をしつつ、

時間があるときに震災の語り部として

ボランティアをされているとのことでした。

ボランティアの方

 

震災の日は、地震が起きた後、すぐに高台へ避難したとのことですが

逃げ遅れた人や、車で逃げようとした人たちが

津波によって流されてしまったのを目の前で見たと

おっしゃっていました。

 

また、気仙沼は漁港のためタンカーが多くあり

そのタンカーから漏れ出した石油に引火し

さらに、その船が流され対岸へ引火したという

火災のお話もしてくださいました。


瓦礫は、ほぼ片づけられていましたが、災害危険区域として

居住用建築物の新築・増改築を制限する区域とされているため

家を建てられず、今は漁港で仕事をしている人が

通うくらいで、ほとんど人がいないとのことです。

 

街の様子

今は、漁港の魚を保存する氷の工場などのみ稼働している。

 

語り部の方が「人が住まなければ、街としてはなりたたないんだ」と

おっしゃっていた言葉が響きました。

また、夜になると、住宅の明かりもないため

恐ろしいほど暗く、怖すぎて夜はだれも

出歩けないのだということもお話していました。

 

魚市場の屋上にいた方は助かったそうですが

屋上まで逃げ切れなかった方々は亡くなってしまったとのことで

その時のことを思い出すと今でも本当につらいと

目に涙を溜めながら話してくださいました。

語り部の方

 

魚市場の入口は天井のあたりがさびており

この高さまで波が来たということがよくわかります。

 

天井まで破壊されている。

天井まで破壊されている。

 

 

また帰りに通った通路は、コンクリートが破壊され

階段の部分の鉄骨は歪んだままとなっており

津波の力をひしひしと感じました。

階段の屋根は今にも崩れそう

階段の屋根は今にも崩れそう

鉄骨も折れ曲がり壁はすべてない。

鉄骨も折れ曲がり壁ははがれてしまっている。

外観

建物の出口付近は、津波の爪痕がくっきりと残っていた。

 

30分ほどガイドをしてくださったボランティアさんとのお別れのとき

「私たちは頑張りますから…私たちは頑張りますから…。

どうか、また気仙沼にいらしてください」とおっしゃっていました。

 

ここまで2年間頑張ってきて、それでもまだ

頑張りますからという言葉に、苦しい気持ちにもなりました。

一生懸命、前を向いている姿に

こちらが励まされてしまい…、私たちにできることを

探していかなければいけないと強く感じました。

 

家族や大好きな人、家や思い出の街も失って

それだけでも、本当に本当に辛いのに

一生懸命前を見ている姿に、本当に心を打たれたamedioでした。

 

続く

 

 


長野旅2/2[上水内郡・おやき村/安曇野市・大王わさび農場/安曇野市・碌山美術館/安曇野市・穂高神社]

「おやき村」

久木本郷の峰という峠にある「おやき村」へ。「おやき」とは野菜などを炒めて味付けしたものに、小麦粉をこねたもので包み、蒸すか焼くかで調理する、長野の郷土料理のひとつ。熟練の方々が、クルックルッと手の平で整形した「おやき」が、大きな囲炉裏鍋にポンと入れられ、焼き上がるまでの経過もたのしい。囲炉裏を囲んでいただく「おやき」のおいしさは格別だ。昔は、炭火の灰の中に直接「おやき」を放り込んで焼き上げたが、衛生上、現在のスタイルになったそうだ。松本市在住の常連さんが、当時の「おやき」を懐かしんでいた。

 

「大王わさび農場」

安曇野市穂高の「大王わさび農場」へ。わさび田に引かれる湧水は1日12万トン。「安曇野わさび田湧水群」は、環境省選定「日本の名水百選」、国土交通省選定「水の郷百選」に認定されている。わさびは暑さに弱いため、水温は年間を通して12℃に保たれ、4月~9月は黒い寒冷紗でわさび田を覆うそうだが、今回、春の日差しを浴びた青いわさび田を見ることができた。敷地内の川辺にある3基の風車小屋は、1989年、黒澤明監督の映画「夢」のロケ地となったということだ。

 

「碌山美術館」

明治期の彫刻家、荻原守衛(碌山)の作品を常設展示する「碌山美術館」へ。重要文化財でもある「女」が代表的作品だ。荻原守衛の親友であった高村光太郎の作品や、彫刻家の友人たちの作品も展示されている。教会風の建築物や、お庭のただならぬ雰囲気に、ワクワクせずにはいられない。敷地全体が美術館として成り立ち、彫刻に明るくない私でも、時のたつのを忘れ、この空間にたたずみ、たのしんだ。ぜひ、また近いうちにゆっくり再訪したい。

 

「穂高神社」

旅の締めくくりは、日本アルプスの総鎮守として親しまれている穂高神社で参拝。中央に神楽殿を配置、樹齢500年を超える孝養杉、神船、御神馬、泉小太郎の像など見どころが多い。昔、安曇野から松本平にかけては湖で、人々のためにその湖を広大な盆地にしたという小泉小太郎の神話が、童話のもとにもなっている。上高地に奥宮が、奥穂高岳山頂に嶺宮があり、海のない信州で、御船祭りが開かれるのは興味深い。歴史絵巻のようだという、上高地明神池の御船神事も、いつか見てみたい。


長野の旅1/2[松本市・松本城/松本市・松本市美術館/松本市・四柱神社]

信州といえば「お蕎麦×おやき×お味噌×温泉×名水」がそろう大好きな旅行先だ。今回は、松本と安曇野に行ってきた。

 

「松本城」

現存最古の五重六階の木造天守、国宝「松本城」へ。城内は6階まで見学可能で、最大傾斜約61度の急な階段140段あまりを、手すりにしがみついて、ひたすら上る。2階には火縄銃や武具などが展示されていた。外観は5階に見えるが、内部は6階建ての構造になっている。天守閣最上階の天井を見上げると、「二十六夜神」が城を守護していた。現在は石垣を改修工事中のため、写真は赤い「埋の橋」とは反対側からのもの。

 

「松本市美術館」

松本市生まれのアーティスト、草間 彌生「魂のおきどころ」展へ。美術館入り口では、巨大モニュメント「幻の華」が出迎える。草間彌生の展示会は初めてだったが、ドット・ペインティング以外の絵画作品もいくつか展示されていて、作品のイメージが変わった。「魂のおきどころ」という展示会のタイトルも印象に残った。草間彌生デザインのバス「クサマバス水玉乱舞号」が松本市内を周遊中で、街中で何度もその姿を見かけた。

 

「四柱神社」(よはしらじんじゃ)

松本市街、城の堀に面した土手だったという、昔の町並みを再現した縄手通りをぬけると、ふと空が広がり、「四柱神社」に到着。天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神の4柱の神を祀り、全ての願いが叶うということで、願いごとむすびの神としての珍しい神社なのだそう。女鳥羽川側の御幸橋(明治13年6月24日15:30に明治天皇がお渡り始めをした)から境内に再度入り、今回の旅の無事をお願いした。


「フランシス・ベーコン展」@東京国立近代美術館

 

フランシス・ベーコン(1909-1992)はアイルランド、ダブリン生まれの、具象絵画を描き続けた20世紀を代表する画家で、ラスケスの代表作「教皇インノケンティウス10世の肖像」をモティーフにした、「教皇像シリーズ」が有名だ。今回のベーコン展は、1983年に回顧展が開催されて以来、国内で30年ぶりの個展だそうだ。没後、アジアで初となるこの展覧会では、ベーコン作品の重要な要素である「身体」に焦点をあて、ベーコン最後の「三幅対」(3枚で1組の作品)ほか、約30点が来日。

彼は、ガラス独特の存在感が、観る人と作品の間に「隔たり」を生むべく、作品をガラスと金縁の額に額装するよう指示していたそうだ。

30分のレクチャーと伝記的映画「Love Is The Devil」(1998年/イギリス)の館内上映会に参加し、緊張、恐怖、破壊性に戸惑い、どっぷり浸った。

 

 

– 会場の構成 –

1.移りゆく身体 1940s-1950s

2.捧げられた身体 1960s

3.物語らない身体 1970s – 1992s

展示は5月26日(日)まで。

 


季節のお菓子

節分の日の夜、豆撒き用大豆を求めてスーパーに寄ると、店頭のディプレイは「雛あられ」一色になっていた。コンビニで節分の豆を購入することになるなんて複雑な気持ちだった。

節分が終わって、雛まつり。実はなぜか「雛あられ」が大好きだ。調べてみると、「雛あられ」は東西で全く異なるようで、わたしは関東のものしかいただいたことがないが、あの、米粒大のものも、大玉のものも、ふわふわした、はかない感触がたまらない。

「雛あられ」も3/3を過ぎると、たちまち姿を消し、なんだかさびしい気持ちになる。