2014年3月31 の記事一覧

山陰の旅 ― 島根・湯町窯編 ―

加藤休ミさんのクレヨンお相撲画展(観るだけで元気が出た!)が観たくてnowakiさんに行くと、牧野伊三夫さんが『四月と十月』で取材した湯町窯に絵付けをしにいくのだけど一緒に行かないかと誘ってもらった。こんな機会はめったにないと便乗させてもらうことにしたのが今回の旅の始まり。

※この旅が決まって数日後、安西水丸さんがお亡くなりになった。私は絵と文章と写真を通してしか存じ上げないが、とくに76号の鳥取民芸の旅と、今回79号の鎌倉山のご自宅の民芸ライフの特集は何回も読み、紙面を通じて水丸先生とカレーと器談義するのを妄想したりして、勝手に身近な存在に感じていたので、あまりに突然でショックだった。ほんとうに、心からご冥福をお祈りします。そして、毎号の素敵な絵と文章を、ありがとうございました。

 

京都から湯町窯のある玉造温泉まではバスが出ている。夜行バスで約6時間。だけど玉造まで行くと温泉街価格だし、駅から少しかかるし、松江に泊まったほうがいいよ、前の日出雲を回って私も松江に泊まってるから、着いたら電話くれたら朝ご飯用意しておくから。と、いつもながらどこまでも気配りのゆきとどいたnowakiご店主のみにちゃんに言われるがまま、宿を松江にとった。朝牧野さんたちと待ち合わせ、玉造温泉に移動する電車の中で、大きな花かごを背負ってオレンジのジャンパーを来た花売りのおばちゃんに牧野さんいきなり「お花、すごいですね」と話しかける。後姿もしみじみと可愛く、みんなで見送った。

 

座っているだけで咲いているみたいだった

 

湯町窯は、現在4軒ある布志名焼の窯元のひとつ。駅に看板もあるけれど、なくてもわかるぐらいに徒歩すぐだ。

到着と同時に湯町窯のご当主、福間琇士さんが手にふきのとうを持ちながら現れ、「あら先生、娘さんたちつれて(笑)」とにこやかに出迎えてくださった。黄色や飴色、青色の艶やかな丸みのある器がたくさん並んで、早くも欲しいものだらけの予感がする。二階を案内していただくと、棟方志功、バーナードリーチ、河井寬次郎、山下清らが絵付けした貴重な作品が何気なく置いてある。その辺にさらっとかけられた竹かごや座布団やテーブルランナーも、手仕事のいいものが集まっていてちょっとドキドキした。

 

褌一丁で絵付けをする山下清氏の写真と当時の新聞記事が

 

絵に感動しつつ「うーむ・・・」と見つめている牧野さんに、福間先生はさくさくと絵付けの説明をし、下で我々皆にお抹茶とお菓子を出してくださり、少し世間話をした後、すでに準備の整っている奥の工房で絵付け開始となった。ゆったりとこちらをくつろがせてくださるかと思えば、気づくと見えなくなって次の行動に移られている。生粋の職人さんらしい、素早く、静かで無駄のない軽やかな身のこなしがかっこいい。

絵付けの方法にはいろいろあるけれど、今回は素地に塗った化粧泥が乾かないうちに竹べらでひっかくようにして絵を描くスタイルで、これは牧野さんの絵とすごく相性がよさそうだった。好奇心丸出しの編集者、もしくは酔っ払いのおじさん、この二つは両立できるのでだいたいそういう姿を目にすることが多いけれど、絵を描き始めると牧野さんはとたんに画家になり、どこからみても画家なのだった。あたりまえなのに不思議な姿。

その間我々は町を散策することにした。玉造というだけあって“まが玉”づくしの町だった。ちょっとぐったりきて宍道湖でぼーっとする。晴れて暖かかったので、お昼はみんなで土手に座ってお弁当を食べた。川沿いの桜並木はいまにも咲きそうなつぼみが無数についている。あまりに気持ち良くて寝ころぶと、シャーッと女子学生が自転車でプリーツスカートをひるがえしながら通り、牧野さんの頭の上を通るときはその速度が上がった。そんな長閑な昼餉・・・。午後は宍道湖沿いに車で10分ほどの雲善窯見学へ。御用窯として開かれた雲善窯は、初代で布志名焼の品質を向上させ、大名茶人でもあった松平不昧公の愛護を受けた二代目が「雲善」という号を受けて黄釉を改良されたという、布志名焼の歴史に大きく影響してきた窯だった。

 

つつましやかな雀の香合

 

ここまできたので玉造温泉街まで足をのばしてみる。玉作湯神社は願い事のかなうパワースポットということで、若き女性たちもよくみかけたが、またもまが玉攻めにあい、早々に湯町窯に戻ると、この絵付け企画の発起人、富山総曲輪(そうがわ)の民芸と器の店・林ショップの林悠介さんが到着していた。林さんは『四月と十月』vol.24の、これはちょっともう画家であり編集者である牧野さんにしかできない「湯町窯の画家」という取材記事を読んで、この企画を考えた発起人だ。14時間もかけて富山から車で来たということで、目が充血していて眠そうだった。松江の町もすこし散策したかったので、あれこれ目移りしながら器選びをして、ここで湯町窯のみなさんにさよならをした。

 

焼き上がりがとても楽しみ(林ショップ、nowakiで入荷予定)

 

 

松江に戻り、前日みにちゃんが発見したというイマジンコーヒーさんに行く。焙煎機が置かれ、いい香り。この4月6日には湯町窯で出張コーヒーをされるのだそう。湯町窯にこの香りが漂うのは、いいなと思う。

お店でもらった「タテ町商店街マップ」をもとに、昭和の香りがする古い町並みを歩く。奥で機織りをする女性の姿が気になって、ちょっとお話を聞くことにした。みにちゃんは京都に帰る時間となり、ここでお別れ。ありがとう。ありがとう。

美術大学を卒業後、倉敷で手織り草木染めを学び、出雲織の青戸柚美江先生に師事され、昨年「直と青」として独立されたばかりの飯田奈央さんは、畑で自ら育てた和綿で紡いだ糸を染めたりもされる。美しい青と白を生かした爽やかな反物が印象的だった。彼女もおすすめのSOUKA 草花さんにご挨拶に行きたかったけれど、残念ながら定休日。もうひとつ教わったobjectsさんを訪ねた。夕日が移る川面の傍らに佇む、風情のある建物、窓から漏れるオレンジの灯り。映画みたいだ。

「ここは昔テーラーだった建物をほとんどそのまま使っています。昭和8年からほとんど変わってないと思います。変える必要がないですね。こういう古いものや器をしっかりと受け止めてくれる重厚さがあります」と話してくれたご店主の佐々木創さん。ちょうどこの日は「古いモノ展」が開催されていて、常設とは違うとのことだったけれど、長いこと愛されてきた物たちの静かな自信に満ちた感じがじわじわと漂っていて、ずっと長い間こうだったかのように店に馴染んでいた。しばらく話していると、こちらのご店主が先ほどの林さんと一緒に旅をしたこともあるほどの仲だということが判明して驚く。

 

さて、130枚ものお皿の絵付けを無事終えた牧野さんから連絡が入り、なんと福間先生が奥様と一緒に松江までいらしてくださるそうだ。信じられない。さすが人たらし。めったに夜の街に出かけることがないという福間先生が、昔行っていたおでん屋ひとみさんの店に連れて行ってくださった。ひとみさんは50年もこの店をやっておられる美人女将。おでんはもちろん、どて焼きも、お刺身も、さっと炙って出してくれたうるめいわしも、全部美味しい。いかが出てくると「いかさまですわ~」ぶりがでてくると「おひさしぶり!」と秒速で繰り出される先生のほのぼのした洒落はもう駄洒落の域を超え職人技。楽しくて、感動しっぱなしの夜だった。誘ってくれたみにちゃんがこの場にいないのが申し訳なく、残念だった。

 

福間先生には何も取材らしきことをできなかったけれど、あたたかくて、やさしくて、かわいらしくて、面白くて、仕事にはめっぽうストイックだけど人に厳しさを押し付けなくて、軽やかな、すてきなお人柄がほんとうによくわかったし、それが全部器に現れていて、先生の小さな分身のようなその器を、いま毎日使っているから満足だ。

 

(鳥取編へ続く)