2013年4月 の記事一覧

気仙沼復興応援号 その1 –魚市場見学-

東日本大震災から先月で2年。

自分の目で、地震や津波の爪痕をしっかりと見ておきたいと思い

気仙沼に行ってきました。

今回利用したのは、JRの復興支援バスツアーがついた

1泊2日の宿泊プラン。

気仙沼までは、岩手県一関駅からバスで行きます。

復興応援号

今回のツアーのコースは

一ノ関駅→気仙沼魚市場(ガイドさんからのお話)→仮設商店街→

鹿折地区被災状況→かき小屋「唐桑番屋」

BRT専用道(車窓から見学)→岩井崎「竜の松」→一ノ関駅

とまわります。

 

まず、最初に行ったのが魚市場。

この静かな波が30メートル近い津波になったとは

信じられないほどでした。

 

魚市場から見た海。とても穏やかな湾だった。

魚市場から見た海。とても穏やかな湾だった。

 

魚市場では、現地の方が震災の日のことを語ってくださいました。

もともと、近くでお寿司屋さんを経営していた方なのですが、

今では、新しい店舗で仕事をしつつ、

時間があるときに震災の語り部として

ボランティアをされているとのことでした。

ボランティアの方

 

震災の日は、地震が起きた後、すぐに高台へ避難したとのことですが

逃げ遅れた人や、車で逃げようとした人たちが

津波によって流されてしまったのを目の前で見たと

おっしゃっていました。

 

また、気仙沼は漁港のためタンカーが多くあり

そのタンカーから漏れ出した石油に引火し

さらに、その船が流され対岸へ引火したという

火災のお話もしてくださいました。


瓦礫は、ほぼ片づけられていましたが、災害危険区域として

居住用建築物の新築・増改築を制限する区域とされているため

家を建てられず、今は漁港で仕事をしている人が

通うくらいで、ほとんど人がいないとのことです。

 

街の様子

今は、漁港の魚を保存する氷の工場などのみ稼働している。

 

語り部の方が「人が住まなければ、街としてはなりたたないんだ」と

おっしゃっていた言葉が響きました。

また、夜になると、住宅の明かりもないため

恐ろしいほど暗く、怖すぎて夜はだれも

出歩けないのだということもお話していました。

 

魚市場の屋上にいた方は助かったそうですが

屋上まで逃げ切れなかった方々は亡くなってしまったとのことで

その時のことを思い出すと今でも本当につらいと

目に涙を溜めながら話してくださいました。

語り部の方

 

魚市場の入口は天井のあたりがさびており

この高さまで波が来たということがよくわかります。

 

天井まで破壊されている。

天井まで破壊されている。

 

 

また帰りに通った通路は、コンクリートが破壊され

階段の部分の鉄骨は歪んだままとなっており

津波の力をひしひしと感じました。

階段の屋根は今にも崩れそう

階段の屋根は今にも崩れそう

鉄骨も折れ曲がり壁はすべてない。

鉄骨も折れ曲がり壁ははがれてしまっている。

外観

建物の出口付近は、津波の爪痕がくっきりと残っていた。

 

30分ほどガイドをしてくださったボランティアさんとのお別れのとき

「私たちは頑張りますから…私たちは頑張りますから…。

どうか、また気仙沼にいらしてください」とおっしゃっていました。

 

ここまで2年間頑張ってきて、それでもまだ

頑張りますからという言葉に、苦しい気持ちにもなりました。

一生懸命、前を向いている姿に

こちらが励まされてしまい…、私たちにできることを

探していかなければいけないと強く感じました。

 

家族や大好きな人、家や思い出の街も失って

それだけでも、本当に本当に辛いのに

一生懸命前を見ている姿に、本当に心を打たれたamedioでした。

 

続く

 

 


風やんだようなので

イタリアンパセリ

 

昨日からの風もようやくおさまり、ベランダに生えていたいろいろを採取。
ずいぶん育ちすぎたようなので、こうぼに使用することに。瓶に材料を入れて、水と砂糖を入れて後は冷蔵庫に入れて待つだけ。めんどくさがりの自分でもとても簡単にできます。

 

左から、パセリ・ゼラニウム・イタリアンパセリ・ローズマリー

左から、レタス・ゼラニウム・イタリアンパセリ・ローズマリー

 

ローズマリーは前回成功したのでたぶん大丈夫。こうぼ食堂の市川ナオさんが基本的には何からもこうぼはできますと言っていたので、パセリやゼラニウムにも挑戦。1週間後が楽しみです。

こうぼにご興味のある方は、市川ナオさんのコラム「こうぼと暮らそう」をぜひどうぞ。

 


connect取材、そして進化する完成見学会へ

週末、ノイ・フランク アトリエ那須を訪ねた。自給自足で有機農業を実践するアジア学院の豚をつかったハムや、ポトフに入れて煮込めば閉じ込められた何種類ものスパイスが広がるソーセージ、優しい醤油味のゼラチンが引き締まった淡泊な鶏肉を包むチキンローフ・・・など、どれもあっさりと甘みのある脂で後に残らず、塩分が少なくてしっかりとお肉の旨みと歯応えを味わえるものばかり。作家さんでもある店主の小出英夫さんのソーセージづくりへの情熱とこだわりについてのお話は、connect栃木(来週アップ予定)をご覧ください。

 

さて毎度のことながらペーパードライバーのvigoと私。今回は無垢杢工房㈱イケダ(以下、無垢杢工房)の池田光一社長に、恐れ多くも運転をしていただきました・・・せっかく那須まできたので「面白いところがあるんだよー」と数あるお店の中でも池田社長お気に入りの「創造の森」へ案内していただく。保育園も併設だそうなのだ。残念ながら時間が遅くて締まっていたけれど、なんともいえない複雑なブルーの壁と立体的な屋根は目を引く。これからの季節、外でお茶をしたらとても気持ちがいいと思う。ぜひ今度那須に来たら寄ってみたい場所。

 

宇都宮に戻り、池田社長が運営されているただおみ温泉へ。こちらのお湯は、さらっさらの源泉かけ流し。ぴかぴかに掃除が行き届き、澄んでチリひとつ浮いていない。個人的に茶色い色のついたのとか、乳白色とか、あんまりトロミがあるのとか、硫黄の臭いとかがやや苦手なので温泉ツウではない私だけれど、不思議に疲れがスーッと抜けていくお湯。41度と湯加減もベスト!ぜひ、お近くにお立ち寄りの際は、寄ってみてくださいね、ただおみ温泉。

 

翌日は「暮らしのdresser(ドレッセ)」へ。こちらは室内で予約制の料理をいただきながら行う新しいタイプの住宅見学会。会場となる「畦道の家」の設計担当、無垢杢工房の高山さんは、これまでも「ユカリノミチシルベ」で見学会の新しいスタイルを切り開いてきており、今回は第三弾ともいえるイベント。「ドレッセ」とは、フランス語で盛り付けるという意味。タイトルのドレッセは、盛付け・味付けというメッセージを込めた造語だそうで、どんな盛付けと味付けをされた見学会になるのか、予告を聞いたときから楽しみだった。「畦道の家」は、30数坪とは思えない広々した印象で、庭ありテラスあり薪ストーブあり和室あり、二階は将来子どもたちが成長したら仕切れるようになっている広々とした空間+隠れ小部屋(小屋裏収納)と、コンパクトながら暮らし充実・快適度数のかなり高い家。過不足なく、奇をてらうことをせず、和は和でも軽やかで、若い家族にぴったり。

 

野菜をふんだんにとりいれた「mikumari」の美しい料理が、明るいキッチンやダイニングに華と彩を添え、これから住まわれる建て主さん、また家を建てようとしている見学者さんたちのイメージはぐんと広がったのではないでしょうか。

こちらの見学会が実現したのは、イベントでいつも室内外のディスプレイを手掛けている夫婦で営む古道具店と雑貨店「古道具あらい」「アトリエジュウハチバン」のお客さまの自邸。荒井さんと建て主さんが「見学会をするならディスプレイを」と高山さんの知らないところで話が持ち上がり、そこから今回のような前代未聞の新しい見学会が生まれることとなったのだそう。これはもう、建て主さん、設計と施工をする側、ディスプレイを手掛ける側、料理を担当する側の感性がぴったりと一致し、なおかつ相当な連携プレーが必要。運営側もかなり大変なイベントだったと思うけれど、見学に来られる方たちの雰囲気や、食事を心から楽しんでいる様子や、真剣に高山さんに質問を繰り返す姿を見ていると、価値観を共有できる人が自然と集まってくるものだなぁと感じられて、何事もチャレンジって必要。と改めて感じたのでした。

帰り際、「古道具あらい」「アトリエジュウハチバン」に立ち寄り、vigoは鏡を購入。私も1点お取り置きしていただいてます。しばらく来ぬうちに、敷地内にフレンチレストラン「Le Poulailler」がopenしており、こちらもまたさらに魅力を増しています。

最後まで我々に振り回され大変だった池田社長、そしてノイフランク小出さん、高山さん、ありがとうございました!

 

 


日本の民家

日本の民家 一九五五年  二川幸夫・建築写真の原点

 

国際的に活躍した建築写真家・二川幸夫さん(80歳)が、3月5日午後9時59分、腎盂がんのため、都内の病院で亡くなった。葬儀は、親族で営んだ。

朝、新聞の訃報の記事を見て、びっくりした。その日、見に行くつもりの展覧会の写真家が、亡くなったという偶然。『日本の民家 一九五五年  二川幸夫・建築写真の原点』。 汐留ミュージアムの会場は、かなりの人だった。写真に添えられた解説をメモする人が多い。

……  今ふりかえって考えてみても、写真を技術的に上手に撮影しようとは思ってみたこともなかった。自分が何を撮りたいか、ただそれだけであった。技術は私の場合は後からついてきた。10年 も同じことをやっていると上手になるものである。…… と、二川さんは、『展覧会鑑賞ガイド』に、書いている。

その帰り、新橋駅へ歩きながら、今日は、白黒の写真を楽しみ、たくさんの屋根を見た、と思った。屋根の下に庶民の暮らしはあり、庶民の暮らしはモノクロームである、と思った。いまでいうと、ワセダの西門の、マージャン屋が並んでいたあたりに、一軒の写真屋があり、二川さんのスタートは、そこだったと聞いたことがある。