2013年4月9 の記事一覧

気仙沼復興応援号 その1 –魚市場見学-

東日本大震災から先月で2年。

自分の目で、地震や津波の爪痕をしっかりと見ておきたいと思い

気仙沼に行ってきました。

今回利用したのは、JRの復興支援バスツアーがついた

1泊2日の宿泊プラン。

気仙沼までは、岩手県一関駅からバスで行きます。

復興応援号

今回のツアーのコースは

一ノ関駅→気仙沼魚市場(ガイドさんからのお話)→仮設商店街→

鹿折地区被災状況→かき小屋「唐桑番屋」

BRT専用道(車窓から見学)→岩井崎「竜の松」→一ノ関駅

とまわります。

 

まず、最初に行ったのが魚市場。

この静かな波が30メートル近い津波になったとは

信じられないほどでした。

 

魚市場から見た海。とても穏やかな湾だった。

魚市場から見た海。とても穏やかな湾だった。

 

魚市場では、現地の方が震災の日のことを語ってくださいました。

もともと、近くでお寿司屋さんを経営していた方なのですが、

今では、新しい店舗で仕事をしつつ、

時間があるときに震災の語り部として

ボランティアをされているとのことでした。

ボランティアの方

 

震災の日は、地震が起きた後、すぐに高台へ避難したとのことですが

逃げ遅れた人や、車で逃げようとした人たちが

津波によって流されてしまったのを目の前で見たと

おっしゃっていました。

 

また、気仙沼は漁港のためタンカーが多くあり

そのタンカーから漏れ出した石油に引火し

さらに、その船が流され対岸へ引火したという

火災のお話もしてくださいました。


瓦礫は、ほぼ片づけられていましたが、災害危険区域として

居住用建築物の新築・増改築を制限する区域とされているため

家を建てられず、今は漁港で仕事をしている人が

通うくらいで、ほとんど人がいないとのことです。

 

街の様子

今は、漁港の魚を保存する氷の工場などのみ稼働している。

 

語り部の方が「人が住まなければ、街としてはなりたたないんだ」と

おっしゃっていた言葉が響きました。

また、夜になると、住宅の明かりもないため

恐ろしいほど暗く、怖すぎて夜はだれも

出歩けないのだということもお話していました。

 

魚市場の屋上にいた方は助かったそうですが

屋上まで逃げ切れなかった方々は亡くなってしまったとのことで

その時のことを思い出すと今でも本当につらいと

目に涙を溜めながら話してくださいました。

語り部の方

 

魚市場の入口は天井のあたりがさびており

この高さまで波が来たということがよくわかります。

 

天井まで破壊されている。

天井まで破壊されている。

 

 

また帰りに通った通路は、コンクリートが破壊され

階段の部分の鉄骨は歪んだままとなっており

津波の力をひしひしと感じました。

階段の屋根は今にも崩れそう

階段の屋根は今にも崩れそう

鉄骨も折れ曲がり壁はすべてない。

鉄骨も折れ曲がり壁ははがれてしまっている。

外観

建物の出口付近は、津波の爪痕がくっきりと残っていた。

 

30分ほどガイドをしてくださったボランティアさんとのお別れのとき

「私たちは頑張りますから…私たちは頑張りますから…。

どうか、また気仙沼にいらしてください」とおっしゃっていました。

 

ここまで2年間頑張ってきて、それでもまだ

頑張りますからという言葉に、苦しい気持ちにもなりました。

一生懸命、前を向いている姿に

こちらが励まされてしまい…、私たちにできることを

探していかなければいけないと強く感じました。

 

家族や大好きな人、家や思い出の街も失って

それだけでも、本当に本当に辛いのに

一生懸命前を見ている姿に、本当に心を打たれたamedioでした。

 

続く