ギャラリー

金子國義さんの世界

 「金子國義 生誕 80年記念」展

 

「金子國義 生誕 80年記念」展へ行く。たくさんの作品を見ていると、金子さんの色校正をチェックするときの声が聞こえてくる。「ぼくの赤は、血の色なんです」「このグリーンは、ビリヤードの台の色で」

会場で販売されている『金子國義スタイルブック』(編著・金子修、岡部光。アートダイバー刊)で、金子さんの多彩な言葉にふれることができる。たとえば………

〈目でスケッチしなさい。〉
〈1 ミリのこだわりが  世界を変える。1 ミリが見えない人は、何も見ていないも同じ。〉
〈人間はキュートに生きないとね。〉


…………
「金子國義生誕 80 年記念」展は、恵比寿・シス書店で。8月 21日 まで。

 


世界遺産の恍惚と不安

国立西洋美術館

 

「国立西洋美術館  世界遺産へ」「やった  台東区歓声」という見出しが新聞に踊った。アメ横に行ったら、あちこちに「祝  世界文化遺産登録」のポスター。夏休み、見物客の人出と混乱も、心配されているという。富岡製絲場の場合、登録される前の年の4倍、130万人以上の人が訪れたという。

『ル・コルビジュエを見る』(中公新書・越後島研一)に、こうある。
〈…… ロンシャン教会堂についてのインタビューで、無神論者であることを指摘された彼は、「私は信仰の奇跡を経験したことはありません。しかし、言語にできない空間の奇跡はしばしば経験しています」と答えてもいる。……〉

 


山上たつひこ 原画展

山上たつひこ  原画展

「山上たつひこ  原画展」へ行った。会場の壁面を飾る、たくさんの がきデカたちが、迎えてくれる。それらを楽しんだあと、『文藝別冊  山上たつひこ』(河出書房新社)を求め、五軒さきの十一房珈琲店で、読む。ロンゲスト・インタビュー(訊き手・澤田康彦『暮しの手帖』編集長)が、漫画家生活 50年 のウラとオモテを語って、オモシロイ。たとえば ……。

「笑いが山菜だとしたら、ギャグは人の手が加わった野菜。大阪の土壌はよほどその栽培に適しているんでしょう」
「こまわりや逆向春助は私の理想像です。特に逆向春助。生まれ変わってあんなふうに生きてみたい」
「『少年マガジン』で描くのは銀座でフランス料理店を開く感じ。『少年チャンピオン』で描くのは町内でタコ焼きを売る感じでした」


………
「山上たつひこ 原画展」は、7月12日まで。銀座、スパンアートギャラリー(03-5524-3060)で。

 


ホットケーキのコカ・コーラがけと領収書

村上春樹とイラストレーター   ・  佐々木マキ / 大橋歩 / 和田誠 / 安西水丸

 

西武新宿線、上井草駅で降りる。「ちひろ美術館」へ行くのである。「村上春樹とイラストレーター ・ 佐々木マキ / 大橋歩 / 和田誠 / 安西水丸」(~8月7日)へ行くのである。
いくつもの作品とイラストレーションの響宴を見て、カフェへ。
「ホットケーキのコカ・コーラがけ」を注文。いただきます。ホットケーキに、コカの部分が吸収されたような、コーラ漬けの甘く冷たいケーキをスプーンで食べる。美味しいかって ?  うーん。風の歌に訊け。
700円 + 税 = 756円。近ごろ話題の領収書を、添えておきます。もちろん、自分のお金で払いましたよ。


……
ちなみに、この “ 広場 ” のギャラリーでも、安西水丸『a  day  in  the  life』展を開催中。コチラから、お入りください。入場無料。

 


サヨナラ若冲展

若冲展

若冲展

 

上野駅の公園口を出て、都美術館へ向かって行くと、前を歩く夫婦の会話が聞こえた。「沖じゃなくてニスイなのね」。冲の字の話らしい。盛り上がっている。タイヘンな予感がする。赤いプラカードが見えた。「現在入室まで 160分待ちです」。そのまた先に、人の列というより、人の束が見える。その束は、淀んで動く気配がない。そこにもう一つのプラカードがあり「入場待ち最後尾」の文字。アキラメタ。結局、知り合いで、「若冲展」を見た人は1人だけ。「初日は夜8時まで開館だと調べて、6時半に行ったら並ばずに入れました」と作戦勝ちを語る。


「千載具眼の徒を竢つ」と、若冲は言ったという。自分の画を理解する人が現れるのを1000年でも待つ、という意味だという。160分待ちなんか、なんだ。と言われるかもしれないが、情けなくも精養軒で食事をし、帰宅。手許に入場券だけが残った、というお話。

 


オノ・ヨーコさん の DREAM

オノ・ヨーコさん の DREAM

 

先週土曜日の午後。ラジオを聞いていたら、「オノ・ヨーコさんが自宅で倒れ、救急搬送された。意識がないようだ」というニュースが流れて、びっくりした。つい何カ月か前、東京都現代美術館の「オノ・ヨーコ    私の窓から」展を見ていたからだ。会場のどの部屋からも、彼女のたくさんのメッセージが語りかけていた。


いま手元に、その展覧会のチケットがある。名刺の1・5倍ほどの大きさの白いカードの中央に、単語が印刷されている。それには、いくつもの種類があるようだが、いま手元にあるものには、DREAM  とあった。今日、新聞は、その病状を、インフルエンザからくる脱水症状で、すぐに回復したと伝えている。よかった。

 

オノ・ヨーコさん の DREAM

 


「日本のへそ」から生まれるショール

 

播州織の産地、兵庫県西脇市にある玉木新雌さんのアトリエを訪ねた。ここは東経135度線と北緯35度線が交差する日本列島のど真ん中。京都からだと新幹線で新大阪まで行き、高速バスに乗り換える。隣県ながらちょっとした旅行気分。西脇市に入ると古い建物や、播州織の文字もちらほらと見え、織物の街として栄えてきた風情を残した昔ながらの街並みが現れる。そこを少し過ぎ、上野南のバス停で降りて5分ほど歩くと玉木さんの工房がある。

白く広々とした建物をキャンパスに溢れる色。絶妙な色彩感覚で織りなされるショールやウエアがずらりと並ぶのが外からも見え、建物に入る前からワクワクする。「こんにちは」とおずおず扉を開けるとスタッフさんたちが笑顔で迎えてくれた。スタッフの阿江さんも気さくに話しを進めてくださるので初対面の緊張も完全にほどけてリラックスしながら待っていると、玉木さんが現れた。まっすぐ自然体で、周りを元気にする力がこんこんと湧き出て、全く威圧感がないのに強いエネルギーのある人だった。それがアトリエ中に伝播しているせいか、働く皆さんものびやか、にこやか。生き生きと仕事されているのが伝わってくる。

 

 

真ん中が玉木新雌さん、右隣が海外・広報の阿江美世子さん。スタッフ皆さん、いい表情!

 

 

洋服屋の家に生まれ服飾を学び、東京で服のデザイナーをしていた玉木さんは、はじめは一対一の対面でオーダーメイドの服作りにこだわっていたが、次第にそのやり方には限界を感じ、もっとたくさんの人に「これしかない!」と思うものを見つけて自分なりの着こなしを楽しんでもらいたいと思い始めた。それを可能にしてくれる生地を探し求めていたとき、ある見本市で出会ったのが播州織だった。糸を先に染めてから織る先染めの手法と、縦糸横糸の織りなす細やかな表現に感動するも「繊細すぎて遠目からじゃわからない。もっと大胆な色遣いにしたほうがいいと思う」と、思いついたことをそのままブースに立っていた人に告げると、なんと職人さん張本人。播州織の師匠となる西角さんとの出会いだった。彼は、「ほなそうしてみよか」と玉木さんのリクエスト通りのものを後日わざわざ作ってくれたそうだ。それが今日のtamaki niimeブランドを産み出すきっかけになった。当時、玉木さんが希望したような大胆な色づかいの生地にはあまり需要がなかったが、せっかく作ってもらったものを生かさねば、とそれらを買い取り、自分でこの生地を生かした作品を作ろうと思い、この地に移り住み、古い織機を買い取って、職人さんに教わりながら見よう見まねで生地づくりを始めた。さらりと言うが、この潔さ。どれだけ肝っ玉が座っているのだ!?と思った。

 

ほぼすべて一点もので色合いが違い、手織りのような柔らかで贅沢な触感のショールを、どうしてこれだけ求めやすい価格でしかも大量に作れるのか?聞くと、大量生産をしてきたこの土地では受注ロットも大きく、いくらこだわりを大切にしていても小ロットではコストがかかりすぎる。産業を残していくことも考えてある程度価格を抑えながらオリジナルの物づくりができる方法を考えた。そして昔ながらの機械を使いつつも着物やシャツの生地とは異なる緩い密度で、ふんわりと柔軟性を出す独特の織り方を産み出したのだそうだ。

 

 

完成品は家庭用の洗濯機で少量ずつ丁寧に洗い、色落ちやほつれがないかまで確かめる

 

 

玉木さんは毎日、その日に使う糸の色を決める。棚を見ているとその色が浮き上がってくる。普段から目に入るものはなんでも意識するけれど、わざわざ糸選びのためにインスピレーションの源を探すということはないという。流行も一切無視。体から出てくる色だ。それでも実際に織り上がるものがイメージと違うことはしょっちゅう。そのたびにちょっと待った!と機械を止め、糸を掛けかえることもしょっちゅう。その手間暇をかけたいがための自社工場だ。スタッフさんもニット専門、織り専門、と一応分かれてはいるが、初めのうちはすべての工程を知ることから始まる。現在は、玉木さん一人でなくスタッフ皆さんでデザインや糸選びなどのアイディアを出し合い、次世代を育てることも既に始めている。

 

 

玉木さんの“今日の閃き色”がこの棚に集められる。

 

 

 

 

オリジナルウォーマー only one bosoを製作中のニットご担当者。

 

 

玉木さんのものづくりは、伝統を踏襲しつつもかなり大胆でオリジナル。それゆえ始めは地元からの拒否反応もあったそうだが、常に理解し応援してくれる人もいた。なによりここで生まれたものを喜んで使ってくれる人たちがいた。ともあれ思いついたら試す。自らやれることは全部やる。周りに無理を通さない。これでダメならああやってみよ。玉木さんの辞書に言い訳という文字はない。今後の夢は「日本のへそ」たるこの西脇市から、世界の人にtamaki niimeのつくるものを届けること。そして、世界からこの場所へ遊びに来てもらうこと。そのため秋には念願だったもう少し広い場所に移って、新たな展開を準備中だという。この人ならば無理せず自然に「世界」に手が届くだろう。言葉の隅々にそう思わせる説得力があった。

 

 

 

工場近くに畑を借りて、綿花を育てている。

 

 

話を聞き終え、阿江さんにアトリエを案内していただいた。ガシャンガシャンとリズミカルな織機の音が響く。玉木さんの「閃きの糸」が置いてある棚も、色指示の表もすべてオープン。少し離れたところにあるアトリエで、さらに古い織機を見せていただいた。黒光りした鉄と木の骨組みが重厚堅固で、昔のモノづくりの確かさを物語る。同じ場所では織専門のスタッフさんが熱心に新しい柄を織っている最中。古いものを大事に扱いながら新しい挑戦をたゆまず続ける「温故知新」を体現しているアトリエだった。

 

 

 

古い織機の存在感。細部の歯車まで美しい。

 

 

 

 

機械を細かく調整しながら新柄を織っていく織専門の職人さん。

 

 

最後にお店をじっくり拝見させてもらった。見れば見るほど欲しいものだらけで右往左往しているうちに、不思議なことに自分のためにあるような色が見つかる。身に付けるとふんわり優しく、温かく、バイアスを生かして形が自由自在に変化する。「邪魔くさいのは嫌」という玉木さんの作るコットン作品は、洗濯機で洗ってOKの気軽さもいい。

 

 

グラデーションに並ぶ棚。どの色も欲しくなる。

 

 

2月のプレゼントは、tamaki niimeさんオリジナルの万能ウォーマー“boso”の中から春に向けての4色を選びました。この柔軟性の高さ、色の美しさ、ぜひ味わってください。どうぞお楽しみに。

 


オノ・ヨーコのメッセージ

オノ・ヨーコ   私の窓から


「オノ・ヨーコ   私の窓から」(東京都現代美術館  ~2016年2月14日)に行った。どの部屋からも、たくさんのメッセージが送られてくる。昨年、読んだインタビュー記事を思い出す。

〈 …… ヨーコのメッセージは、不変にして普遍的だ。「今、好きな言葉は ?」という問いには、“ IMAGINE  PEACE ”    “ Give  peace  a  chance ”  “  WAR  IS  OVER ,if  you  want  it! ”  の3つのフレーズが返ってきた。いずれもジョンとヨーコが発信し、国境を超えて広がり続ける平和のメッセージ。…… 〉(『marie  claire style .jp  2014 12月)

 


写真家としてのル・コルビュジエ

「写真家としてのル・コルビュジエ」展

 

まだ、大学は夏休み前。学生で混み合う道をかきわけて、早稲田大学會津八一記念博物館へ。「写真家としてのル・コルビュジエ」展( 8月2日まで)を見にいく。ル・コルビュジエは、16ミリのカメラで、画像を撮っていたという。1936年ころの作品だ。

ブラジルでパリでスイスで船の上で街で港で浜辺で林で自宅アパートで母親の住む小さな家で ……  とまあ、こんなふうに、壁面ぎっしり350点。

16ミリフィルム独特のボケ味と、セピアと黒の昔なつかしい色調。眺めていて、厭きるということがない。これで入場無料とは、ヤスイ。帰りに、高田牧舎でカレーライスを食べながら、購入したパンフレットを読む。〈 ああ、写真という奇跡 ! 正直なレンズ、なんと貴重なもう一つの目だろう。〉というル・コルビュジエの言葉があった。

 


山口小夜子・陰翳礼讃・羊羹

山口小夜子  未来を着る人

『山口小夜子  未来を着る人』へ行く(東京都現代美術館・ 6月28日まで)。黒と白の世界を堪能した。うしろで観ていた女のひとの「やっぱり、陰翳礼讃ね」という声が聞こえた。見ると、そのひとも黒い服を着ていた。そうなんだ。うちに帰って『陰翳礼讃』を読まないといけないような気がしてきた。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(中公文庫)を読む。〈かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。〉という箇所がある。そして、つづく。〈人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。〉

読んでいるうちに、今度は羊羹を食べたい気分になって、明日、買いに行こうと思った。