スーパームーン20150928
9月28日(月)夜空にはスーパームーンが。
今年は中秋の名月に続き、2日連続、夜空を眺めた。
スーパームーンとは、月が最も地球に接近した状態の、
新月か満月のこと。
雲の間から、迫力ある大きな月を見ることができた。
写真左にうっすらと写っているのはDOCOMOタワー。
いつの間にか蝉の声から鈴虫やコオロギの声に変わり、
すっかり秋らしくなった。
9月28日(月)夜空にはスーパームーンが。
今年は中秋の名月に続き、2日連続、夜空を眺めた。
スーパームーンとは、月が最も地球に接近した状態の、
新月か満月のこと。
雲の間から、迫力ある大きな月を見ることができた。
写真左にうっすらと写っているのはDOCOMOタワー。
いつの間にか蝉の声から鈴虫やコオロギの声に変わり、
すっかり秋らしくなった。
柳原良平さんが、亡くなられた。
いまから、40年以上も前、日本ペンクラブの活動資金を集める催しが、あった。会場には、いろいろな作家の色紙が、並んでいた。柳原良平さんの絵 + 山口瞳さんの書 + 大伴家持の歌。迷うことなく、これにきめた。
柳原良平さんついて、山口さんは『男性自身』のなかで、こう書いている。 〈柳原さんは不器用なのである。あんなに巧緻な切紙の絵を見たり、複雑な船の模型を見たりすると、とても信じられないけれど、実際は大変なブキッチョである。切紙には片刃の剃刀を使うが、切り傷が絶えない。〉 〈むかし、二人でトリス・バーで飲んでいたときに、勘定書を見ると、Tハイという欄に書かれた正の字が欄外にはみだしていて、それがずっと下のほうまで続いていて、そこからさらに左に曲り、裏面まで続いているということがあった。正の字が一字で五杯だから、何杯飲んだか見当がつかない。〉
この色紙を持って、近くの公園へ行き、ベンチに置いて写真を撮った。「オジサン、この人、だあれ?」と遊んでいた子どもが聞いた。
ホテルオークラ東京の本館が8/31で閉館。
建て替え計画の再検討を求める声が、
世界各地から上がっているというニュースを耳にしたが、
計画通り2019年開業に向けて工事に入る。
高層ホテルに生まれ変わるという。
吊り灯具と木組みの格子が美しいロビーには、
取り壊しを惜しむ声や、
その空間をカメラに収める人達であふれていた。
夜。ラジオを聞いていたら、太宰治『富嶽百景』の話だった。そのなかで、この作品に書かれたアパートは、荻窪の碧雲荘といい、近々、取り壊されることになり、現在、保存運動が行われている言っていた。明日になったら、碧雲荘を見に行こう、『富嶽百景』をまた読んでみよう、と思って寝た。
荻窪税務署の裏側の路地を入ると、すぐ右に木造の二階家が、見えた。玄関脇の植え込みは、伸び伸びと大きく育っている。いまは、だいぶ疲れた感じの二階が見える。その八畳間に、太宰治は、住んでいたという。
帰りに『富嶽百景 走れメロス』(岩波文庫)を手に入れて読んだ。
〈東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はっきり、よく見える。小さい、まっ白い三角が、地平線にちょこんと出ていて、それが富士だ。なんのことはない。クリスマスの飾り菓子である。…… 〉
碧雲荘の取り壊しに反対する催しが、9月14日6時半から、又吉直樹さんらを招いて、杉並公会堂で開かれるという。
7月31日。
女の気象予報士が、熱心にその夜の満月の話をしていた。ひと月に二回、満月が見られるとき、ブルームーンということ。英語でいうと once in a blue moon であり、キワメテマレナ という意味であること。この月に向かって願いごとをすると、願いが叶うこと。
話につられて、月を見た。
そのとき、月見る月はこの月の月、という歌が思い出され、しかし、その上がでてこない。えーと。なんだったかな。そうだ。月月に月見る月は多けれど、だ。月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月、だ。7月の月見は、こんなふうに終わった。
7月24日。都心に、ゲリラ豪雨の日の話。神田小川町のあたりを歩いていたら、雨が落ちてきた。大粒で、直径1cm はあった。慌てて、スターバックスのモスグリーンのひさしの下へ。雨宿りの客は、どんどん増える。右には、就活中らしき紺スーツの女性。さかんにスマホを操作する。その横は、中年夫婦。その向こうは、ワイシャツ姿のサラリーマンたち……。
10分、20分。雨は止むどころか、激しく音を立てる。右上空から、雷鳴が響く。そのとき、ドアが左右に開き、店の人が顔をだした。そして、ちょっと見廻して引っ込んだ。ジャマなんだろうな、と思った。店の前に何人も立っていられたら、営業妨害とまでは言わないまでも、ユカイなことではないだろう。…… そのとき、さきほどの店の人が再び顔を出した。見ると、その手には、雨宿り人数分のアイスコーヒーをのせたトレイ。「さ、どうぞ。どうぞ」。驚くような、申し訳ないような、うれしいような、恥ずかしいような。そこにいた、みんなも、たぶん同じ気持ちだったろう。しみじみいただいた。
ごちそうさまでした。
実家近くにマンモス公園という公園があります。
滑り台が二段になっていて、私が小学生のころはとても大きく感じたものです。
マンモス公園の近くには駄菓子屋さんが2軒あり、いつもどちらで『すもも』を買うか、友達と相談したり、もんじゃ屋さんでよく60円もんじゃを食べていました。
子供ができて、懐かしく思い、遊びにいき、一緒に滑り台を滑ってみたら、あの頃の事が鮮明によみがえってきました。
そろばん塾に間に合うか、よく時計とにらめっこしながら遊んでいたなぁ。。
駄菓子屋さんやもんじゃ屋さんはもう無くなっていたようでしたが、帰りに和菓子屋さんでいちご大福を買っておいしく食べました。
ちなみに。。マンモス公園って、京島南公園って名前だったんだな。。